残念無念クリスマス


 約束を、していたのだ。
 今年は珍しく双方に仕事が入っておらず、すぐに誕生日が控えているとはいえ、せっかくのクリスマス。予定を入れて恋人らしく過ごす年があったってバチは当たらない、と思う。デート、と言えるほどのものでもないけれど、隣の市にできたばかりだというショッピングモールに出かけてみよう。帰りに少しいいところで食事でもしよう。そう約束をしていた。なのに。

「そりゃあ、俺だって仕事入ることはあるよ、約束だめにしちゃったこともあるよ! でもさぁっ、よりにもよってさぁっ!」

 どうしてこのタイミングで、狙ったかのように任務指示が舞い込んでくるというのか。
 キッチンの流しの下にしまい込んであった器具類を取り出してテーブルに並べつつ、悪魔でありながら祓魔師として働く青年が牙を剥いて怒鳴る。しかし、怒りをぶつけるべき相手はどこにもおらず、この職業に就いている限り仕方がない、と諦めるほかない事柄だ。何より、つらいのは予定通り休みのままである燐よりも、急遽仕事となってしまった双子の弟のほうである。遠出はせず、また時間のかかるものでもなさそうだ、という点が唯一の救いであろう。今朝早く、燐への申し訳なさ二割、休みだったのにという機嫌の悪さ六割、どうして自分だけという納得のいかなさ二割の仏頂面で出かけていった。
 残された燐は当然ひとりで隣町まで行く気にもなれず、予約していたレストランはちょうど予定が空いているという知人へと譲り、ぽっかりと空いた時間をどうしてやろう、と眉間にしわを寄せて唸った。年末は仕事が忙しい上に、クリスマス、自分たちの誕生日とイベントが連続しているため、大掃除は先月半ばあたりからちまちまと進め、ほぼ済ませてしまっている。こんなことなら、グリル周辺の掃除を残しておけば良かった。一心不乱に油汚れを落としていれば、嫌なことだって忘れられただろうに。
 こうなればあとは、手のかかる料理にチャレンジして時間を潰すくらいしか、燐にはすることがない。
 何を作るか決めずにとりあえずスーパーに向かい、ケーキやチキンといったクリスマス一色の売り場を前に、またふつふつと怒りが湧いてきた。せっかく恋人っぽいクリスマスを過ごせると思っていたのに、と。そして衝動のまま材料を買い込み、今に至る。

「雪男のばかっ! 雪男が悪いんじゃねーけど、でも、ばかぁあっ!」

 酒飲みである師に言わせれば「ただのジュース」らしい缶チューハイをそばに、燐はやり場のない怒りをボウルの中の小麦粉と卵にぶつけた。がっしゃがっしゃと泡立て器を鳴らしながら、「メフィストのばかっ!」と次に上司をやり玉にあげる。仕事を割り振ってきたのはあの悪魔なのだ。彼が雪男以外の誰かに仕事を投げていれば、今頃、ショッピングモールに溢れているだろう恋人たちの中に燐と弟も入れていたはずなのに。

「あと、どんなアホかは知んねーけど、年末に騒ぎを起こしやがったくそ悪魔も覚えてやがれっつーの!」

 なにより諸悪の根源は、祓魔対象となった悪魔である。彼らにはクリスマスや年末年始といった概念がないのだろうか。盆暮れ正月くらいは大人しくしておこうとどうして思えないのか。十二月は「師も走るくらい忙しい」という意味で「師走」ということを知らないのだろうか。燐はついこの間知った。雪男に教えてもらった。十二月くらいは悪魔も幽霊も、家の大掃除くらいしたらいいのに。お世話になったひとに送るお歳暮に悩んだらいいのに。年賀状の宛名一覧を眺めて、誰に送る誰に送らないと選別したらいいのに!
 がしゃん、ごとん、ばたん、がちゃん、おおよそ料理の間に奏でられそうもない音をBGMに、恋人を仕事に奪われた寂しい悪魔が思いつく限りの悪態をつきながら、ひたすら作業に没頭する。
 料理はいい。分量や手順さえ把握していれば、きちんと食べれるものができあがるのだ。こんなに生産的なストレス解消はほかにない、と燐は信じていた。
 たとえアルコールを摂取しながらであっても、たとえ世の中のすべてを呪いながらでも、慣れた作業で燐が間違いを犯すことはない。ただほんの少しばかり、若干、ちょこっとだけ、理性が振り切れていて止めどきが分からなくなってしまうだけのことで。
 午後七時過ぎ、ようやく任務を終えて帰宅した雪男は、キッチンのダイニングテーブルにどでん、と鎮座したそれを前に、目をみはって言葉を失った。
 テーブルの高さは百八十ほどある雪男の腰より低いくらい。なのに、それのてっぺん、誇らしげにちょこんと乗った大きく鮮やかな一粒のイチゴは、ほとんど雪男の目線と同じ高さにある。テーブルとイチゴの間には、おそらく今朝雪男が出かけてから燐がひたすら焼き上げたのだろうスポンジがタワー状に重なり、たっぷりの生クリームと色とりどりのフルーツによってきらびやかにデコレーションされていた。こんなに大きなデコレーションケーキ、結婚式場でしかお目にかかれないのではないだろうか。
 自らの成し遂げた偉業(といっても差し支えないだろう、たぶん)を正面にしたまま、張本人はイスに両足を上げて膝を抱え、すんすんと鼻を啜っている。転がったチューハイの空き缶に、燐が酔っ払っていることは明白だった。
 ただいま、と挨拶を口にすることすら忘れて、「でかすぎない?」と思わず雪男がいえば、「知ってるよ、そんなことはっ!」と切れられた。

「でもだって! できちゃったんだもんっ!」

 できちゃったもなにも、作らなければできあがらないと思うのだが、今この場で正論を口にしたところで、彼の耳には届かないだろう。「雪男いないし、ひとりで暇だし」と唇を尖らせて燐はぶちぶちと文句を続けている。
 普段家であまり飲むことのない酒の缶をあけながら、どうして兄がこのような暴挙にでたのか。
 心当たりのある雪男が、彼を責められるはずもない。ただ少し、いろいろな意味で予想外ではあったけれども。

「そんなに、ショックだったの?」

 約束を、していた。
 せっかくのクリスマスなのだから、恋人として一緒にでかけよう、と。
 恋人だけれど双子の兄弟でもあるふたりは、今も同じ部屋で寝起きをともにし、同じ部屋から出かけて同じ部屋に帰ってくるという生活を送っている。だから今更たった一日の約束がだめになったところで、デートができなくなったところで、残念な気持ちはあっても仕方がない、と頭を切り換えることだってできるはず。少なくとも雪男はそうして嫌々ながらも仕事をしてきたのだけれども。

「……自分でもびっくりしてる」

 雪男の言うとおり、たった一日の約束だ。今までデートをしてきたことがないわけじゃない。一年に一度しか会えない日、というわけでもない。それなのに、クリスマスの約束が潰れてしまって、本当に悲しかった。寂しかった。燐自身気づいていなかったが、相当今日のデートを楽しみにしていたのだろう。仕事なのだからしょうがない、と頭では分かっていても、心が納得してくれなくて。

「その結果がこれ?」
「です」

 すん、と鼻を啜って頷けば、眉を下げた雪男がふふ、と小さく笑った気配があった。燐の座っているイスの向きを変え、その正面の床に膝をついて下から兄の顔を見上げる。ごめんね、と雪男は穏やかな声で謝罪を告げる。

「兄さんをこんなに悲しませるなら、仕事なんか断れば良かった」

 たとえそれができないことだとしても、すんなり受け入れるのではなく、せめてもう少し足掻いてみればよかった。いつものことだから、と最初から諦めてしまっていた。
 腕を伸ばし、燐をぎゅうと抱きしめながら、「来年は絶対クリスマスデート、しようね」と一年先の約束を口にする。

「クリスマスだけじゃなくて、もっといっぱい、デート、しようよ」
「……そんでまた、約束、駄目になる?」
「駄目にならないように頑張る。でもどうしても無理だったら、また今日みたいに拗ねていいよ。その代わり、兄さんが約束破ったら僕も拗ねるから」

 にっこりと。笑って言い切られた言葉に、燐はふは、と眉を下げて吹き出した。

「お前が拗ねたら長引くんだよなぁ」

 拗ねた雪男を甘やかすのも好きなため、それはそれで燐にとっては楽しめる時間になる。兄の言葉を「そうだよ」と認めながら、「だから兄さんも頑張ってね」と弟は他人事のように続けた。
 ケーキを作ることだけに一生懸命であったため、夕飯の支度などしているはずもない。せっかくのクリスマスに、ふたりでラーメンを啜るというなんともわびしい食卓で、ででんとそそり立つ巨大なクリスマスケーキだけが異彩を放っていた。



 燐のストレス解消、鬱憤発散の結果としてできあがったものは翌日、正十字騎士團日本支部へと持ち込まれ、その場にいた祓魔師、事務員たちへと配ることにしたのだが、あまりのできばえに写真を撮りたいと列ができてしまったため、切り分けるまでに時間がかかってしまったのは余談である。味については燐手製であるため言わずもがな。

「ねぇ、燐。燐のケーキを食べるために、来年もクリスマスに雪ちゃんに仕事をいれよう運動が起きてるらしいんだけど、本当?」

 後日、少しばかり支部内の空気に疎い友人からそんな話を聞かされ、冗談じゃない、と双子の兄弟が揃って切れ、支部長室へ殴り込みをかけたとか、かけなかったとか。




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2017.12.25
















「ケーキのでかさに呆れたらいいのか、拗ね方の可愛さに萌えたらいいのか分からない」