呪いのケーキ


「ほんっとーに、申し訳ございませんでした!」

 この落とし前はきっちりつけさせていただきますので何なりとお申し付けくださいああでもできれば命は奪わないでいただければ、と毛足の長い絨毯に正座をし、両腕を前に投げ出す勢いでジャパニーズドゲザを披露しているのは、結社のなかでもひときわ特殊な立ち位置を持つ少年、レオナルド・ウォッチである。彼が謝罪をしている相手は、左頬に走る傷すら己の魅力に変えてしまうほどの伊達男、ライブラの番頭役スティーブン・A・スターフェイズ。
 彼は眉間にしわを寄せて少年を見下ろし、「止めなさい」と低い声で言った。

「確かに、きみを庇って僕が魔術を受けてしまったことは事実だ。けど、そもそも非戦闘員を前線に引っ張り出してるんだぞ。少年を守るために動くのが僕らの仕事だ」

 眼はいいが、ろくに戦えないレオナルドはできれば、安全な位置においておきたい。しかし、彼の能力、その有用性を考えればどうしてもそうできない場合だってあるわけで、そのときは彼のちからに頼りつつ、ともに現場に出ている戦闘員が彼を守る。仕事が一つ増えることにはなるが、レオナルドが現場を視ることはそれを補ってあまりあるほどの利益を生み出すのだ。
 いいから立って、とスティーブンに促され、しぶしぶと腰を上げた少年は、しかし俯いたままぎゅ、と己の服を握りしめている。

「でも、だって、僕のせいで、スティーブンさんが……」

 いくら言葉を尽くしたところで、自己評価の低い彼にはなかなか届かない。ふぅ、と息を吐き出し、柔らかなその髪の毛を撫でた。

「まあ幸い、死ぬような呪いじゃないし、効果も今日明日だけなんだ。問題はないよ」

 言い聞かせるように紡げば、彼は、はい、と頷きながらも、ちらり、と己の背後へと視線を向ける。レオナルドが申し訳なさを抱かずにいられないのは、八割方そこにいる人間、いや人間と呼ぶことすらおこがましい、クズのせいである。やつは呪いの解析を終えてスティーブンが戻ってきたときからずっと、腹を抱えて笑っているのだ。

「あはははっ! ばっ、ばんとーからっ、めっちゃ、甘いにおいがっ! ひっ、ひーっ、に、にあわねぇっ! この世のありとあらゆる組み合わせでさいっきょうに似合わねぇーっ」

 けらけらけら、と涙まで流して笑い続けている男はたぶん、命がいらないのだろう。今ここで生を終わらせるだけの覚悟があるとみた。
 その覚悟に報いるべく、無言で血凍道を繰り出しクズを氷漬けにしてから、スティーブンは己の腕を上げてすん、と鼻をひくつかせる。

「自分じゃ全然分からないんだよなぁ。舐めてみても味はしなかったし」

 しかし、診察してくれた医師、術士は揃って、甘いにおいがするし、甘い味がする、と言った。「甘いにおい、する?」と目の前にいる部下へ尋ねてみれば、彼は相変わらず申し訳なさそうな顔をしつつ、「はい」と頷く。

「めっちゃケーキのにおい、です。僕が言うのもなんですけど、すごい、おいしそう……」

 この部下は普段の食生活がろくでもない状況であり、欠食児童のきらいがある。児童というほど幼くはないため、欠食青年、か。じゅるり、とよだれをすすらんばかりの表情で見上げられ、スティーブンは小さく苦笑を零した。
 戦闘中、レオナルドを庇うようにして被弾してしまった呪いは、クリスマスイブとクリスマス当日、つまり今日と明日限定で、人間をケーキにしてしまう、というもの。実際に姿を変えるのではなく、常に甘い香りを放つようになり、皮膚や体液、身体そのものも甘くなっているのだとか。ただ、呪いを受けた当人にその影響はなく、スティーブン自身は普段と変わらない。不自由も覚えないため、本当にレオナルドがそこまでかしこまる必要はないのだ。強いていえば検査と解析のために多少時間を持っていかれたくらいである。
 その分書類仕事に遅れが出ているため悪いと思うなら手伝って、とレオナルドに言えば、ばっ、と頭を上げた彼は「もちろん!」とちからいっぱい頷いた。たとえスティーブンがなんとも思っておらずとも、責任感の強いレオナルドにはなんの罰もないほうがつらいのかもしれない。これで多少は彼の罪悪感も薄れてくれればいいが、と思っていれば、優しい目をした親友に、うんうん、と深く頷きを寄越される。付き合いの長い彼にはスティーブンの考えなど手に取るように分かるのだろう。彼へ軽く肩をすくめておいて、できればディナまでには仕事を終わらせたいところだ、と己のデスクへと向かう。
 そんなスティーブンへ、「でも、番頭」とまだ笑いの残る声で声をかけてくるのは、ちゃっかり氷の檻から逃げ出していたクズ。

「そんなにおいさせてちゃ、デートにゃ行けないっしょ。せっかくのイブなのに、災難っすねぇ」

 災難、と言いつつも、こちらを気遣う様子も、同情する様子もない。ただただ面白がっているだけのザップの言葉に顔をしかめつつ、「キャンセルにするつもりはないよ」と答えた。それはつまり今夜予定が入っていることを伝える言葉であり、夕方までには帰るぞ、という意思表示でもあった。クラウスには事前に言ってあったため、「私も手伝おう」と手を伸ばしてくれる。彼には彼の仕事があるため、その厚意だけ受け取っておいた。え、とザップが驚きの声をあげている。

「いや、そんな甘ったるいにおいさせて女と会うんっすか? めっちゃ誤解されません?」

 自分では嗅げないため分からないが、おそらく女性が使う香水のような香りがするのだろう。残り香をまとってデートに行くだなんて、その場でひっぱたかれても仕方がないくらい最低な行為。スティーブンがどうしてそのようなことになっているのか、ろくに説明もしない相手とデートをしているとザップは思っているようだ。あるいは、以前は数多くいた情報源の女性たちならばそうだったのかもしれないが。
 部下からの視線を流しつつ、「誤解されないよう努力するよ」とそう答える。

「まあ、分かってくれると思うけどね、うちのハニーは。むしろ、『ケーキのにおいと味がするなんて最高!』って言ってくれそうだけど」
 どう思う? レオナルド。

 にやにやと、笑いながらもうひとりの部下へ尋ねてみれば、彼はす、と視線を逸らしつつ、「さ、さぁ……」と首を傾げる。答えを濁すことを許さず、笑みを浮かべたまま見つめてやればややあって、「ぼく、なら、」と少年はもそもそと言葉を続けた。

「まぁその、恋人から、ケーキのにおいと味がしたら、その、喜んじゃうかも、ですけど……」

 しどろもどろに答える少年を指さし、「おめーはその前に相手を作れよ、万年童貞陰毛ちゃんは!」とザップがげらげらと笑った。下品でデリカシィのない言葉に、その子にはもう決まった相手がいるし童貞だけど処女じゃないんだぞ、と脳内で返しつつ、にっこりと笑みを浮かべてレオナルドを見る。

「僕の恋人も少年みたいに喜んでくれたらいいな」

 そう言ったスティーブンを、レオナルドは頬を赤らめたままきゅっ、と睨み付けた。そっすね、とそっぽを向かれ、少しからかいすぎたかもしれない、とそう思う。だってレオナルドがいけないのだ、いつもかわいい反応をしてくれるものだから、つい構ってしまいたくなる。
 今夜予定している恋人との(文字通り)甘い時間のために、スティーブンは少年の機嫌を取りつつせっせと事務仕事に励むのだった。




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2020.12.24
















「きみのためだけの『ケーキ』をどうぞ召し上がれ?」
「…………いくら食べても減らないケーキとか、最高っすね」