良い子強い子賢い子


 異界と人間の世界が交わる都市、ヘルサレムズ・ロット。
 この街において非日常的なトラブルこそ日常であり、チンピラ同士の小競り合いからマフィアの間の抗争、犯罪組織の暗躍、果ては異界存在における地球の存亡を脅かすたくらみまで、何かしら騒ぎが起こっている。
 それらすべてに秘密結社ライブラが乗り出すわけではもちろんないが、警察や軍隊ではどうしても収集のつかない騒動はあった。異界存在絡みであればなおさらで、今日も今日とて突如勃発した市街戦にライブラに属するメンバがかり出されている。事前に調査をし、作戦を練った上での戦闘ではなく、本当に突如現れたアーマードスーツ群の制圧戦だ。
 別件でのブリーフィングがあったためたまたま集まっていた主要メンバが街中へ飛び出し、戦闘力は皆無であっても飛び抜けて眼の良い少年もまたそれに続く。つい半年ほど前まではごく普通の生活を送っていた彼だが、恐るべき順応性により、こういった事態で己が何をすべきか既に判断できるようになってしまっていた。彼がもう少し不器用な性格であれば、もっと安全な生き方もできたのかもしれない。
 敵の動きや街の状態などを伝えていた少年の眼は、騒動が終わる頃には熱を発し始めており、あとは片づけるだけだから、と少年は副官の命によって一足先に事務所へと戻ってきていた。丁度近くにいた斗流の弟弟子のほうに付き添われて。


 ガチャン、と扉の開く音を耳にし、ツェッドが頭だけで振り返れば、大がかりな戦闘を行ったあとだというのに、服装にまるで乱れのない男が入ってきたところだった。

「お疲れさまです」

 少し抑えた声音と、いるはずの人影が見えないことから、すぐに何かを察したのだろう。ああ、と彼もまた静かな声で答えつつ、そっとソファへと近寄ってきた。座っているツェッドを後ろからのぞき込むように視線を向けてきたライブラの副官へ、「眠ってます」と端的に状況を報告する。彼の膝の上には、先ほどの市街戦でナビゲータの役を務めた少年の頭が乗っていた。両目を濡れタオルが覆っているのは、少しでも彼の熱を取り除けたらと思ってのことだ。義眼の使用と精神的緊張で疲れていたのだろう、レオナルドはぐっすりと眠っている。
 そんな少年を見下ろしていた男、スティーブンは「そうか」と穏やかな笑みを浮かべていた。意外だな、とツェッドは思わず目をみはってしまう。
 正直、スティーブンが戻ってきたとき、焦りを覚えたのだ。なぜなら、彼の愛しの子に膝枕をしている状態なのだから。彼らふたりが性別年齢差、その他諸々のハードルをクリアして恋人であることを、事務所に頻繁に出入りしているメンバなら誰でも知っていることだ。ふたりとも(というよりはもっぱらスティーブンのほうが)関係を隠そうとしていない。特に「嫉妬」という方法で大っぴらにレオナルドは自分の恋人だ宣言を行っている。そのやり玉に挙げられるのが、一番少年と親しく、また接触も多い兄弟子、ザップであった。不必要にくっつくな、むしろ近寄るな、と日頃から牽制されているにも関わらず、未だにレオナルドにすがりつく、あるいは昼食として彼が食べていたものを横取りするなどを行っているのだから彼は本当に馬鹿だとしか言いようがない。それも筋金入りの、類を見ない、人類だとは思えないレベルでの馬鹿だ。
 もともとツェッドはレオナルドと、そこまで過度な接触はしていない。同僚として、仲間として、友人として、節度ある一般的なつきあいをしている。戦闘力を持たない彼を抱えてかばうこともあれば、ふらふらしている身体を支えることだってあるが、それもすべて仲間として行っていることだ。その点について偽りはない。
 ただ、この膝枕はどうだろう。
 そう考えてしまった。だから恋人である男が戻ってきたときに、しまったな、と思ったのだ。ここは文句の一つや二つでも飛んでくるのではないか、と身構えたにも関わらず、スティーブンは笑っているだけ。

「何も言わないんですね?」

 思わず疑問が口から零れてしまうというものだ。何が、と視線だけで問うてくる彼へ、この状態に怒られると思っていました、そう素直に言葉を続ける。裏も何もない言葉に、スティーブンはおもしろそうにくつくつと喉を震わせて笑った。

「嫉妬を見せてもいいなら見せるけど?」

 そんなことを言う上司へ「いえ」と首を横に振る。別にそうしてもらいたいわけでもなく、見せられても困るだけだ。友人として同僚としてレオナルドのことは好ましく思っているが、決してそこに恋愛の色は入り込んでいない。こちらもまた素直な返答に、スティーブンはなおさら楽しそうに笑っていた。
 カチャカチャと、音を立てて己の紅茶を入れながら(コーヒーでないのはきつい香りを漂わせないためかもしれない、未だふせっている恋人を案じて)、「別にね」と男は口を開く。

「ザップがレオに対してそういう気持ちをもってるとか、そういう目で見てるとか、思っているわけじゃあないんだ。ただ、普段のアレを見てるから、いろいろ腹が立って当たってるだけだし」

 もちろん、恋人の身体にべたべたと触られたらいい気はしない。特に生活態度の悪い男の手なら、汚してくれるな、と振り払いたくなる。それだけのこと。誰彼かまわずレオナルドのそばから排除したいわけではないのだ、と。

「ツェッドは良い子だからね、腹も立たないよ。まあまったく妬けないってわけでもないけど。そうやってレオに優しくしてくれて嬉しいよ」

 かたん、とツェッドが腰を下ろしている前のローテーブルにカップが置かれた。どうやらこちらの分の紅茶も入れてくれたらしい。ありがとうございます、と頭を下げる。
 仕事の際には非情にもなる副官は、事務所では(書類仕事に忙殺されてさえいなければ)周囲をしっかり見ているし、部下にも気をつかってくれるいい上司だと思う。
 レオナルドの頭が動かないようそっと腕を伸ばし、紅茶のカップを取りながら、「良い子、というほど幼くもないのですが」と頬を掻いた。少し顔が暑い。子どもを誉めるような言葉に、照れを覚えているのかもしれない。

「レオくんは優しいひとですから。僕も優しさを返したいんです」

 目の発する熱に苦しみながら、それでもひとを助けようと奮闘する少年は、本当に強くて優しい人類だ。ただその「優しさ」が彼自身に向けられることがないのが、見ていて少しばかりつらい。

「ここへ戻ってくるとき、『近寄らないで』ってレオくんが言うんです。自分の目が熱を持っているから、って。僕が暑いの苦手だから、そばにいるとつらいでしょう、って。よっぽど自分のほうがつらそうな状態のくせに。そう言って笑うんですよ、この子」

 へにゃり、としたレオナルドの笑い顔。見るだけで力が抜けてしまうような、気の抜けた表情に安堵させられることも多いが、このときばかりは無性に腹が立って仕方がなかった。結局そのいらだちのまま無理矢理手を引いて少年をここまで連れ帰りソファに座らせ、濡れタオルを用意して寝かしつけたのだ。しばらくは重たいだろうから退きます、と暴れていたが、梃子でも動かないツェッドに諦めやっと眠ってくれたところだった。
 よく眠ってるみたいだね、とレオナルドの顔を見やってスティーブンが言う。

「君が嫌でないのなら、もう少しこのまま寝かせてあげてくれるか」

 子どもと言い切るほどに幼くはない。けれど決して大人とは言えない小さな身体で、ひとの身に余る両眼を抱え込んでいる彼だ。使い方によってひどく負担がかかっているのだろうが、レオナルド自身がなかなかそれを表に出そうとしない。結局はこうして、倒れた彼を介抱してやることぐらいしかできないのだ。
 眠る恋人を見つめる男の目には、優しさと愛しさが満ちあふれている。こんな穏やかな顔もできるのか、と見るたびに驚きを覚えてしまうのは上司には黙っておいたほうがいいのかもしれない。

「すごく、好きなんですね、レオくんのことが」

 彼のこの表情を見て、こんな目を見て、その事実を疑う愚か者はいないだろう。彼が何よりも、誰よりも少年のことを案じ、大切に想っていることは間違いがなかった。
 ツェッドの言葉には答えず、スティーブンは口元を緩めて微笑みを浮かべるだけ。もちろん、と言っているようでも、答えるまでもない、と言っているようでもあった。

「おふたりが少し、羨ましいです」

 お互いをすべてとすることは彼らの生き方上できない。けれどそれでも、大切に想いあっていることが分かる。書物の中で語られている愛や恋というものの知識はあった。けれどそれは結局知っているだけであり、実際どのようなものなのか理解はできていなかった。こういった関係を結ぶことができるというのが興味深かったし、ひどく奇跡的であるような気がしたのだ。
 少し意外そうな表情を浮かべてツェッドに視線を向けた上司は、すぐに柔らかな笑みを浮かべ「いつかお前にもそういう相手ができるといいな」と口を開いた。ひどく優しい言葉だとは思ったが、「でも僕は……」とツェッドはスティーブンから顔を逸らせて俯く。
 ツェッドは作り出された存在だ。人類ではなく、そして異界存在でもない。中途半端だと捕らえたら良いのか、あるいは孤独だと考えれば良いのか。どちらにしろ自然に反する人工物であるため、ひとの間に起こり得る奇跡が己の身に降りかかる未来は、ツェッドにはまるで想像ができなかった。
 途切れた言葉の先がおおかた予想つくのだろう、ツェッド、とスティーブンがその名を呼ぶ前に、足の上でもそもそと動く気配を覚える。何事かと見下ろせば、寝返りを打ったレオナルドが頭からずりおちたタオルをそのままに、ツェッドの腰に腕を回してぎゅうと抱きついてきていた。

「レ、レオくん?」

 突然のことに驚いて声をあげるも、彼が離れる様子は見えない。それどころかますます力強く抱きつかれ、いつからか彼が目覚めてしまっていたことに気がついた。

「ツェッドさんは、ツェッドさんですよ」

 少年はその体勢のまま、少し寂しそうな声音でそんなことを言う。人類だとか異界存在だとか、枠を作ってしまうこと自体がナンセンスなのではないだろうか、と。そもそもこの街は異界に接する混沌とした場所。たとえ綺麗に整理整頓をしたとしても、次の瞬間にはすべてが無駄になっているだなんて日常茶飯事の場所なのだ。そんなところでラベリングをして分類わけしたところで、いったい何の意味があろうか。

「ツェッドさんは優しくてかっこいいですから。大丈夫です」

 自分がスティーブンという伴侶と出会えたように、きっとツェッドにも良い巡り合わせがある、とレオナルドはまるで予言者のようにきっぱりと言い切るのだ。

「まあツェッドは良い子強い子賢い子の三拍子揃ってるからな。ぶっちゃけかなりの良人材だし」
 ザップなんか強い子の一点のみだ。

 そんなことを言う己の恋人へ、「スティーブンさんは強くて賢い子ですけど、良い子じゃないですもんね」と少年が笑いながら返している。むくりと起こした身体がふらつくこともなく、どうやら体調はだいぶ回復しているようだ。ある意味辛辣な言葉を向けられた男は、「言うなぁ、少年」と声をあげて笑った。笑っていられるのも、たとえ「良い子」でなくともレオナルドに好かれているという実感があるからだろう。

「その分、君が『良い子』だからいいんだよ」

 そう続けられ、「えー……」と少年は思いきり眉を顰めた。

「僕、そんなに良い子じゃないっすけどねぇ」

 首を傾げている彼にくすりと笑いを零し、「十分『良い子』ですよ、レオくんは」と口を開く。

「あと強い子でもあると思います」

 確かに自分たちのように戦う力は持っていないけれど、その心はしっかりと芯を持ち、挫けぬ強さがある。「良い子強い子ですね」と隣に腰を下ろしたレオナルドへ言えば、彼は照れたように笑ったあと「『賢い子』は続きませんか」と尋ねてきた。

「え? え、っとそれは……」

 賢い、というからにはやはりそれなりに知識を持ち合わせていなければならないっだろう。己のことはひとまずおいておいて、レオナルドがそれに当たるかどうかを考えようとしたところで、「しょうねーん」とスティーブンが彼を呼んだ。

「ツェッドを困らせたらいけないぞー。そいつ、嘘のつけない正直者なんだから」
「あれ? それって遠回しに僕、馬鹿だって言われてます?」
「あはは、言葉の意味を察してくれて嬉しいよ」
「今度は直接的に馬鹿にされた!?」

 ひでぇ、と食ってかかる少年を笑っていなす上司。広げられた暖かなものの上で繰り広げられる会話を耳にすることの、なんと幸せなことか。双方に好意を抱いているためその思いはなおさら強く、自然と緩む頬をそのままにお茶を一口啜った。




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2015.11.20
















ツェッドさんがとても好きです。