レオ後天女体化。 期間限定のマーメイドプリンセス その知らせは上司から直接、口頭で伝えられた。 「『人魚姫の呪い』ぃ!?」 眉間にしわを寄せた男が怪訝そうに言葉を繰り返し、隣に立つ弟弟子へ視線を向ける。 「なに、お前になんか関係あんの?」 「あるわけないでしょう、初耳ですよ僕だって」 人魚という単語に反応してのことだろうが、魚ネタでいちいちこちらに絡むのをやめてもらいたい。最初は腹を立てて言い返していたものだが、あまりの頻度にそれも面倒になってしまった。どうにかなりませんかね、と零した愚痴へ、「しょうがないっすよ、あのひと子どもだから」と返され、これについては諦めるしかないらしい。 そんなアドバイスをしてくれた同僚、レオナルドは今この場にはいない。もろもろの事情があり昼過ぎに事務所に顔を出すそうだ。その「もろもろの事情」について、ザップとツェッドは揃ってライブラ副官から説明を受けていたところである。 「まあ要するに、性別が変わって口が利けなくなる呪い、ってことだ」 どうやらその呪いにレオナルドがかかってしまったという。被害にあったのが昨日のこと。呪い自体はさほど強いものでも厄介なものでもなく、適切な処置さえ施せば二日ほどで解けるタイプらしい。その処置を無事に受けることができた、とつい先ほど、スティーブンの端末に連絡があったそうだ。 「義眼には問題ないらしい。……調子を尋ねるとまず最初に眼の様子を答えるんだよね、あの子」 もちろんレオナルドがこの結社にいる最大の理由は、両眼があるからこそだ。そこで役に立たなければ、と少年が気負うのも当然ではある。その受け答えに寂しさを覚えてしまうのは、こちら側の勝手な都合でしかない。 上司のぼやきに、「ああいう性格の子ですから」とツェッドは答えた。 「行きはギルベルトさんに同行してもらったんだけど、昼からはクラウスのほうについてもらうことになっててね。僕も手が放せないし、君らどうせ昼飯食いに出るだろ? ついでに少年拾ってやってくれよ」 治療や処置についての報告は昼食後でいいから、という言葉とともに、ザップとツェッドは事務所から追い出されてしまった。まだなんの返事もしていなかったというのに、横暴な上司である。ただ、逆らうべき点が見つからなかったのも確かで、「めんどくせー呪いにかかってんなよ」と吐き捨てたザップが端末を取り出してレオナルドに連絡を取っていた。電話はできないため、文字列でのやりとりだ。 「ビビアンちゃんとこで落ち合うぞ」 どうやらレオナルドは行きつけのダイナーズの近くにいるらしい。ここからさほど距離も離れていないため、歩きで向かうことにする。ランブレッタは現在修理中なのだそうだ。 「僕も何か移動手段持ったほうがいいですかね」 「あー、そりゃいいな、せめて二輪の免許取れ。時々レオのやろーが捕まんねーんだよ」 「……あなたの足になるために言ってるわけじゃないんですけどね?」 血法を使えば、正直乗り物に頼らずともそれなりに移動することはできる。けれど、やはりこの街で人間たちの間で暮らすのならば、そういうある意味「一般的な」手段も手に入れておいて損はないような気がした。 そんなくだらない話をしながら(基本的にレオナルドを含めても中身のある会話はあまりしない面子ではある)歩き慣れた道を行く途中で、「お?」とザップが声をあげた。速度の落ちた男に合わせてツェッドも立ち止まる。眉間にしわを寄せたザップの視線の先を追いかけた。 「あれ、陰毛頭じゃね?」 ビルとビルの隙間、路地裏に続くのだろう影から、ひょこん、と頭を覗かせている人物。揺れる髪が頭の上に高く結い上げられており、一見ではそれがレオナルドであるとは分からない。しかし、言われてみればあのくしゃりとした髪質、そして着ている服装から、どうやらザップの言葉が正しそうだ、とツェッドは判断した。性別が変わっている、という話は聞いていたが、まさか髪の毛まで伸びているとは思わなかった。外見的変化があったのならきちんと教えていてもらいたいものだ、と上司への文句が思い浮かんだが、おそらく教える必要はないと判断したのだろう。伝えずとも彼(今この場でいえば「彼女」である)がレオナルドだと分かる、とスティーブンは考えたのだ。そして実際そのとおりになっている。 「よく分かりましたね」 「あー? そりゃあ、おめー、あれだ、観察力の違いってやつだ」 この男に備わっているのは観察力ではなく野生の勘だと思ったが、そのどちらも不足しているらしい己には言うべき言葉が見つからない。すごいですね、と適当な褒め言葉を紡いで、急ぎ対象を回収するため少年へと歩み寄った。背後で「適当すぎんだろ!」とぎゃあぎゃあ騒いでいる声が聞こえるが、彼の相手をしている暇はない。 「レオくん」 声をかければ、何かを窺っていたらしい小柄な人物がびくり、と肩を震わせた。驚いたように振り返った彼は、しかしこちらを確認すると安心したようにへにゃり、と笑みを浮かべる。やはりレオナルドで間違いないようだ。口を開き、ぱくぱくと開閉させるが声が零れることはなく、レオナルドは苦笑を浮かべてぺこりと頭を下げた。そうだ、彼は今呪いのせいで言葉が口にできない。心なしかいつもより首を傾けなければ彼と視線が合わないような気がする。もしかしたら身長も低くなっているのだろうか。 「呪いの処置は済んだと聞いてます。災難でしたね」 レオナルドを労う言葉を紡ぎつつそう考えていたツェッドの後ろでは、「あははははっ! ほんとに女になってやがる!」と銀髪の猿が腹を抱えて爆笑していた。 「つーか、陰毛伸びてんじゃん、なんだよこれ!」 ぐしゃぐしゃと、レオナルドの頭をひっかき回して笑う男の手を、怒りの表情を浮かべた少年がぺしん、と払いのけた。言葉が出せない代わりとでもいうかのように、そのままぺしぺしとザップの手を叩いている。本気で叩いているわけではないとはいえ、男には子犬がじゃれついているようにしか感じられない。傍目で見ているツェッドにも、申し訳ないがそのように見えた。 「背も縮んでね? あ、やっぱり? すげぇな、中身から変える呪いなのか。まあその服じゃぶっちゃけほとんど分かんねーけどさ」 たった二日ほど性別が変わるからといって、そのために着るような服など少年が持っているはずもなく、また用意するのも馬鹿らしいのだろう。いつものだぼついたスウェット上下の袖と裾を折り曲げて着ている。普段から身体のラインの分からない服であるため、レオナルドを知るものが見たところで髪の毛以外の変化は見つけられないかもしれない。それはそれで複雑なのだろう。苦虫を噛み潰したかのような、渋い顔をして先輩を睨みつけている。 しかし、レオナルドから苛立ちをぶつけられることなど日常茶飯事であり、ひとの嫌がる顔を見るのが大好きなクズは、にやにやと、意地の悪い笑みを浮かべたままだ。「つーかお前、これ、」とザップは腕を伸ばす。 「結構でかいじゃん。戻ったら二度と触れねーかもだから、今のうちに触っとけば?」 その褐色の大きな手は、あろうことは往来の真ん中で、少年の胸を服の上からぎゅむ、と鷲掴みにしていた。 「ッ!?」 怒る、とそう思った。 今彼は声を出すことはできないが、怒鳴らずともぽこぽこと頭から湯気を出す勢いで怒りを見せ、今度は叩くだけでは飽きたらず、足を繰り出すか、頭突きをするか、あるいは噛みついてくるか。感情表現が豊かでよく笑いよく泣きよく怒る人物だ、いくら仮初の姿であったとしても、無遠慮に胸を掴まれて怒らないはずがない。 細部は異なれど、ザップもツェッドも似たような予測を立てていた。 しかし、次に展開された光景は彼らが思いもしなかったもので。 「――――!」 声にならない悲鳴をあげた少年は、顔を青ざめさせてザップから飛び退き、どさり、とその背中をビルの壁にしたたかに打ち付けた。かなりの勢いでぶつかったため痛みは大きいはずだ。しかしそれはレオナルドの意識を逸らせるに足るものではないようで、少年はただ血の気の失せた表情のまま両腕で彼自身の身体を抱きしめている。まるで、他人から自分を守ろうとしているかのように。 おいレオ? とやや唖然としたザップの声が、三人の間に空々しく響いた。 血の気の失せた顔。震える唇。悲鳴も罵声も口にできず、ただ「ひっ、」と喉が空気を零す引きつった音だけが絞り出されている。するり、と滑り落ちたトレーナーの袖から覗く手首が、いつも以上に細く見えた。 明らかに今の少年は怯えている。いったい何が引き金だったのか、など考えるまでもない。声をかける、正面に立つ、髪に触れる、そこまでは普通だったのだ。少年の態度が一変したのは、先輩からの上品とはいえないからかいのせい。しかしザップの品性がどのレベルであるかなど、ツェッドよりもつきあいの長いレオナルドならば嫌というほど知っているだろうに。さすがに胸を揉まれた、という経験はないだろうが、殴る蹴るの喧嘩は常であり、抱きつく抱き込むといった触れ合いだっていつものこと。ザップという男はどちらかというとスキンシップの多いタイプなのである。そして、レオナルド少年はそれを受け入れるだけの懐の広さを持っていた。 やはりこの反応も呪いのせいなのだろうか。 そう考えていたツェッドのそばで、ザップがちっ、と大きな舌打ちを零した。視線を向ければ思っていた以上に険しい顔をした兄弟子がいる。その表情はひどく不機嫌なとき、腹に据えかねた何かがあるときに見かけるもののはずで。 「……こいつ、なんかされてやがる」 吐き捨てられた言葉は低く、レオナルドの耳には届かないほど小さなものだった。どういう意味だろうか、尋ねる前に、「おい、レオ!」とザップが強い口調で少年を呼ぶ。その手を伸ばそうとするが、己に向けられたそれに少年はますます身体を強ばらせ、顔を青ざめさせた。 「――ッ! ――、――――ッ!」 普段遠慮なく触れているその手から、少女になった少年は身を遠ざける。声にならない悲鳴をあげ、男から逃げようと両腕を振り回していた。 「どうしたんですか、レオくん」 覗き込んで視線を合わせようとするも、ツェッドの言葉さえ彼の耳には届いていないらしい。開かれることの少ない瞳をさらにぎゅうと閉じ、正面の脅威から身を守ろうと必死だ。冷たいコンクリートに背中を押しつけ、彼はその場にずるずると座り込んでしまった。小さな身体をさらに小さくして震えている。いやいや、と拒絶するように首を振るたび、柔らかな癖毛がぱさぱさと壁を打っていた。 彼のなかで何が起こっているのかは分からない。分からないが、このままでいいはずはなく、怯えているのならば早く安心させてやらなければ。 表情を険しくしたままの二人は、意図せず同時にしゃがみ込んで手を伸ばし、口を開いていた。 「「レオナルド!」」 彼の左肩をツェッドが、右肩をザップが掴み、その意識を現実へと連れ戻そうと少年の名前を強い口調で紡ぐ。互いにいつもはほとんど口にしない呼び方であるが、だからこそ、混乱していた少年の耳にも届いてくれたのかもしれない。はっ、とした顔がふたりを見上げてくる。焦点が合う、しっかりと視線が交わったことを感じ、ツェッドはこくりと頷いてみせた。 「僕たちのことが分かりますか?」 まだ自分の身体を抱き込んだままだが、それでもどうにかこちらの言葉が聞こえるようにはなったらしい。乱れた髪の毛をそのままに、レオナルドも小さく首を縦に振る。 触っても大丈夫ですか、とツェッドが続けて問いかければ、やや間を空けてレオナルドは同じように頷く。その返答にほっと安堵しつつ、彼を怯えさせないようにできるだけ静かに、優しくその尖った肩に触れた。二度ほど撫でたあと、落ち着かせるようにぽん、ぽん、と叩く。 俺はまあしょうがねぇけど、とレオナルドから視線を逸らせたザップが言葉を放った。 「この魚がお前を怖がらせたり傷つけたり、絶対ねぇっつーのは分かるだろ」 「……こんなこと言ってますけど、このひとだって、君をそんなふうに追いつめたりはしませんよ」 分かってますよね、と子どもに言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。大道芸に集まってくる子どもたちの相手をしておいてよかった、とツェッドは場違いなことを考えていた。 ここにはレオナルドを傷つけるものはいない。それを理解してもらえるよう、何度も「大丈夫、安心してください」と繰り返し肩と背中を撫でる。正面にしゃがみ込むふたりを見つめたレオナルドは、うっすらと瞳を開き、青い光を零した。 少年は眉を寄せ、くしゃり、と顔を歪める。 はく、と声を作れない唇が言葉を紡いだ。血の気の見えない白い唇が開閉する。その動き、状況、レオナルドの性格から、何を言いたいのかはすぐに分かった。分かってしまった。 ごめんなさい、と。 少年は音にならない謝罪を紡いでいる。 『ごめんなさい、ぼく、』 ぱくぱくぱく、といつもよりはっきりと唇を動かしている少年を前に、「もういい」とザップが遮った。手を伸ばして頭の上に。今度は怯えることも拒絶することもなく、レオナルドはおとなしく髪を整えられていた。 「何も言うな、言わなくていい」 ぶっきらぼうな言葉とは裏腹に、ザップの手は、指は、どこまでも優しくレオナルドを気遣うものである。 仲間の手だ、と分かってもらえただろうか。決して傷つけることはなく、慰めたくて守りたくて、優しくしたくて伸ばした手なのだ。 ふ、とレオナルドの肩から力が抜けた。同時に神の芸術品が埋め込まれた両目から、ほろり、と涙が溢れる。張りつめていた緊張の糸が切れたのかもしれない。慌てて拭おうとする手を、ザップが止めた。 「ひとまず事務所に戻りましょうか」 しゃがみ込んだままぼろぼろと泣きじゃくるレオナルドを促してみるも、立ち上がる様子がない。このままここにいてはきっと彼も落ち着かないだろうと、ツェッドは「失礼」と小さく謝罪してその小さな身体を抱き上げる。 非戦闘員である少年が現場に出ざるをえない場合、彼を守るのがザップやツェッドの役目だ。その際背中に庇うこともあれば背負ったり抱き上げたりして走ることもある。だからこうしてレオナルドを抱えることは初めてではないはずなのに、知らない感触に少しばかり動揺した。いつもより軽い、小さい、そして柔らかい。こんな身体になってしまっているのだ、少年でいるときよりも怖いものが増えていても当然だ。 ツェッドの肩に顔を埋め、すんすんと泣くレオナルドの背をそっと撫でる。ぎゅう、と首筋にしがみついてきているのは少年の右腕で、伸びた左手はザップのジャケットの袖を握り込んでいるようだった。自分ではなく彼が抱いたほうが良かったのだろうか、と思ったが、軽く視線を向ければ兄弟子は小さく頷きを寄越す。そのままでいろ、という指示だろう。レオナルドも嫌がっている様子はないことが幸いだ。 そういえば結局昼食を食べ損ねているな、と気がついたのは、事務所に続く入り口の見える位置まで戻ってきたときだった。 ** ** 喉をしゃくりあげ、鼻をすする音がいつの間にか小さな寝息に変わっている。巻き込まれた呪いのせいで疲れていたのかもしれない。いつもならば「呑気なやっちゃ」と呆れて少年を起こしそうなザップであるが、今日ばかりは「寝ててくれたほうがいい」とそんなことを言う。 つい先ほどまでは事務所にスティーブンしかいなかったが、今は珍しいことに戦闘主要メンバが勢ぞろいしていた。所要を終えたらしい、ギルベルトを従えたクラウスに、スティーブンへ何か報告しているチェイン、そして大きなソファに腰を下ろしていたK・K。戻ってきた三人に気づいた主婦スナイパーが驚きの表情を浮かべて腰を上げる。 「レオっちどうかしたの!?」 三人が一緒にいること自体はいつものことであるが、ツェッドに抱えられているだなんて尋常ではない。心配からの言動であることは分かるが、「悪ぃ、姐さん」とザップが唇の前で人指し指を立て彼女を制した。 「こいつ、今寝てっから」 そうして弟弟子に向かって、「起こすなよ」と注意を促す。頷いて答え、どうしようか迷った末、レオナルドを抱えたままそっとソファに腰を下ろした。しがみつく腕を引き離すのがかわいそうだと思ってしまったのだ。 ただならない雰囲気に、ほかのメンバたちの顔に緊張が走る。 「何かあったのか?」 尋ねたのは歩み寄ってきたスティーブンだった。 レオナルドの手がジャケットを握ったままであるため、ツェッドの足下の床に直接腰を下ろしたザップが、「いや、」と険しい顔をして口を開く。 「今は何も。ただ、昨日はあったかもしんねぇっす」 レオナルドを起こさぬよう、潜めた声で先ほどの出来事を掻い摘んで説明した。ザップがレオナルドの胸に触れたあたりで一斉に非難の視線が注いだが、大声が出せないため結局睨まれただけで終わる。 「呪いの効果が精神に影響を及ぼす、ということはあり得ますか?」 ツェッドの問いかけに、おそらく資料が手元にあるのだろう、紙の束をめくりながら「いや、」とスティーブンや首を振った。そういう症状を引き起こす呪いではない、ということだ。 「尋常ではなかった、です。怯え方が」 「今はこのナリでも、中身は変わってねぇはずだろ。俺がこいつ殴るのも触んのもいつものことだ」 そう、頭に触れたときはレオナルドもまだ平気そうな顔をしていた。それなのにその胸に触れた途端、少年を「女」として扱った途端、彼はひどい怯えと拒絶をみせたのである。 道理で、と嘆息したのはスティーブンだった。 「いやに昨日から僕らを警戒していると思ったんだ」 どうやらこの副官は、レオナルド少年の態度に思うところがあったらしい。彼の言う「僕ら」とは、スティーブン自身とクラウスのこと。つまりは男性陣。昨日ザップとツェッドはこの事務所に顔を出していない。呪いを受けたあとのレオナルドと対面したのは今日が初めてだ。その場にはスティーブンとクラウス、そしてチェインがいたそうである。 「カツアゲにあいかけた、って、昨日はそう言ってたのに」 ひどく慌てた様子で事務所に飛び込んできた少年に、見て分かるような怪我や暴行の痕、衣服の乱れはなかった。多少汚れているくらいであり、その程度ならば少年が少年であった頃からの日常である。だからこそ、その場にいたものもレオナルドの言葉に疑問を抱くことはなかったのだろう。チェインは痛々しそうに目を細めてレオナルドを見やり、小さく「ばか」と吐き捨てた。 結局彼がどのような目にあったのかは分からない。目立った痕を残していないところを見ると未遂だった可能性が高いだろう。それは皆がそう思いたいだけなのかもしれないが、しかしレオナルドが男の手に怯えをみせるくらいには嫌な体験をしているということは間違いがなかった。 室内に痛いほどの沈黙が落ちる。苛立ちと、怒り。ぶつける先を探してしまう。スティーブン先生、と刺々しいK・Kの声が響いた。 「呪いをかけたバカの居場所はもう掴めてるんでしょうね?」 「もちろん。これからクラウスと向かうよ」 その呪術者による被害はレオナルドだけに飽きたらず、ほかにも百人単位で様々な呪いを被っているという話だった。任務中の出来事ではなく、少年は単純にその運のなさから巻き込まれただけである。血界の眷属を相手に戦う主要メンバからすれば取るに足らない事件だが、世界の均衡を守るというライブラにとっては捨ておけない事案。 ツートップが揃って処理に出かけると言うため、それ以上の人員は必要ないだろう。眉間にしわを寄せたスナイパーへ、「その呪術者がいる場所は11番街だ」とスティーブンは言う。 「昨日レオナルドが呪いを受けてしまったのもその近辺」 「だとしたら、レオっちを泣かせたクズもそのあたりで探せば見つかるってことね」 カチャ、と小さな音を立ててハンドガンを装備した女性のそばに、「お供します」と人狼が静かに寄り添った。 四人が出払うというのなら、斗流を担うふたりも座っているわけにはいかない。俺らも、と腰を上げかけるが、「君たちはいい」とリーダに制されてしまった。 「ふたりはレオナルドのそばに」 そうすることが一番いい、と心から信じている声音でクラウスは言う。 「レオナルドはとても我慢強い。ただその強さが我々には痛いな」 男の目と手により、「女」と見なされ襲われる恐怖を味わった。だから「男」は怖くて近づけない。けれど外側が女性になっていたとしても、精神はレオナルド少年のままであり、おいそれと女性に近づくこともなかなかできなかったのだろう。 その結果、少女の身体を突然与えられた少年は、ひとりで耐えていた。誰に話すこともできず、縋ることもできず、ただ自分の内側にため込んで、必死に堪えていたのだ。 ひとりで怖かっただろうに、と呟かれたクラウスの言葉に、心の奥がきゅうと締め付けられるような、そんな気がした。それはおそらくツェッドだけが感じているものではない、この場にいる皆が共通して抱いている痛みだ。 「そんな頑固な子の手が握るものって、そうそうないと思うぞ」 きゅう、とツェッドの首筋にしがみついている腕。 ザップのジャケットを握っている手。 それを振り払ってまで立ち上がるのか、というスティーブンからの言外の問いかけに是、と答えられるはずもなく、また答える気もなかった。 クラウスのあとにスティーブン、ギルベルトが続き、チェインがす、と存在を希釈する。 「じゃああとはよろしくね」 真っ赤なコートの裾を翻し、金髪の美女も部屋を出ていった。いつもの任務に出かけるような雰囲気を作ってはいたが、それぞれ纏う空気がいつも以上に張りつめ、怒気を含んでいたのは気のせいではないだろう。モンペどもが、とザップが小さく吐き捨てている。 「……それ、もうその辺に転がしといていいんじゃね?」 未だ膝の上にレオナルドを抱えたままであるツェッドへ、ひどくどうでも良さそうに声をかけてきた。どんな心情が潜んでいるのかは分からないが、こちらを気遣ってのことではないだろうとは思う。 「自分にもできないことをひとに求めないでください」 そう返せば、「あぁ?」と眉間にしわを寄せられた。それ、とツェッドが視線を下ろす先は、ザップのジャケットを握ったままの小さな手。それを振りほどこうとはしないのだから、兄弟子だってツェッドと同じようなもので、結局は先ほど彼が吐き捨てた「モンペ」なのだ。 ツェッドが何を見てそう言っているのかすぐに気がついた男は、す、と視線を逸らせる。分かりづらいが照れているのかもしれない。 離せるわけねーじゃん、と小さく、ほとんど聞き取れないほどの小声で紡がれた言葉にツェッドはただ静かに頷いた。 ブラウザバックでお戻りください。 2016.07.20
レオくんモンペのライブラのみなさん。 Pixivより。 |