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「あ、すんません、明日の夜、シフト交代してバイト、入れちゃってます」

 なのでディナーは無理です、という断り文句を告げてから三十分。
 自分よりも十以上は年上の恋人が拗ねて口をきいてくれません。


 つきあい始めてから知ったこと。
 冷血漢、伊達男と、様々な呼び名を持つ愛しのスカーフェイス氏は、存外子どもっぽく、わがままで、甘えたがりだということ。
 自分の思い通りにならなかった場合、それが仕事なら笑顔でスルー、あるいはさらなる根回しをして少しでも思惑通りにことを運ぼうとするはずなのに、こと私生活、それも恋人との事柄になった途端、いつものスマートさをかなぐり捨てて盛大に拗ねる。いらいらとした態度を隠さないだとか理不尽に怒るだとかいうより、無言で拗ねることのほうが多いあたり本当に子どもだと思う。
 執務室の机にかじり付いて書類を捌いている恋人へちらりと視線を向け、気づかれないようにそっと息を吐き出した。幸いなことに今この部屋にはスティーブンとレオナルドしかおらず、ほかのメンバはみな出払っている。ぎすぎすした空気を変に思われたり、へたくそなごまかしを口にしなくていい分、気が楽だ。ふたりきりだからこそ、スティーブンも拗ねていることを隠そうともしていないのだろうけれど。

「……ごめんなさいって、言ってるじゃないですか」

 そもそも最初からスティーブンと約束をしていたわけではない。もしディナーの約束がもっと早くからのものであれば、レオナルドだってシフトを交代したりしなかった。ただのタイミングの問題で、決して恋人をないがしろにしているわけではない。
 そういったことをくどくどと説明しなければ分からないようなひとではないし、分かってもらえない間柄でもないはずなのに、どうして彼は毎回拗ねるのか、レオナルドには理解できなかった。

「だいたい、普段都合がつかないの、僕よりスティーブンさんのほうが多いくせに」

 それは抱えている仕事の質、量の違いがあるため、仕方がないことだと思っている。それでも誘いを口にして断られると寂しいし、おもしろくない気持ちを抱くものだ。ただそういったときはレオナルドが拗ねるより先に、大人げない大人が嘆き始めるため、拗ねている暇がないだけである。
 今日はもともとレオナルドが夕方から夜にかけてバイトのシフトを入れており、スティーブンのほうも外せない会食があるそうだ。

「明後日なら空いてますから、それで手を打ちましょうよ」

 明日一緒に過ごせない代わりに、と言ってみるが、しばらくの無言のあと「僕は明後日から出張でいない」と返されてしまった。その声音に零れそうになるため息をこらえ、「いつまで?」と重ねて尋ねる。

「よっかかん」

 ついには年上である恋人の返答が、幼児の放つ言葉に聞こえてきた。明後日から四日間ということは、戻ってくるのは今日から約一週間後くらいだろうか。うまくカレンダーが脳内に呼び出せず、首を傾げながらも「だったら、」とレオナルドは恋人のほうへ視線を向けた。

「帰ってくるその日はちゃんと空けときますから」

 ね、と宥めるように言ってみるも、恋人の機嫌はなかなか回復しそうにない。

「……何時に帰ってこれるか、分からないし」

 あああああっ、と叫び出さなかった自分を、誉めたいところだ。

 いる、いるよな、こういう子どもっ!
 食べたいお菓子をもらえなかったからといって怒って拗ねて、後から差し出された別のお菓子を物欲しげに見るくせに、「いらない」と意地を張って突っぱねる。それで結局どちらのお菓子ももらえなくて損をする、可哀想で手の掛かる子ども。
 ミシェーラはそこまで意地をはるほうではなかったが(自分たち兄妹の場合は切り替えが早いため、代わりに渡されたお菓子で満足するタイプなのだ)、故郷にいた頃の知り合いだとか近所の子どもだとかにこういう面倒くさい奴がいた。
 小柄で童顔だからか、あるいは人畜無害そうに見えるからか、レオナルドはどうしてだか昔から子どもに懐かれることが多く、相手をするのも不得手というわけではない。けれど、ああいった行動は幼い子どもだから許容できていた事柄だったのだな、と痛感する。三十路を越えたいい大人がやったところで、全力で腹立たしいだけだ。
 んんっ、と咳払いをし、眉間にしわを寄せて恋人を睨みつける。デスクに肘をついてなにやら書き物をしていた彼は、レオナルドの視線を受けてぷい、とそっぽを向いた。さすがにかちんとくる。お前はいくつだ、おっさん。
 どうにも機嫌がなおりそうもない恋人を前に、レオナルドもまたぷく、と頬を膨らませてそっぽを向いた。そっちがその気ならこっちだってもう知りません作戦である。

 普段、他人には決して見せないような子どもっぽい顔、わがままな言動も、自分だけに見せてくれているのだと思えば愛しく思う、と考えていたときが確かにあったような、なかったような。妹がいるせいか、レオナルドはどちらかといえば甘えられることにも喜びを見いだせるタイプだ。面倒くさいと思いながらもほうっておけない、ついつい世話を焼きたくなる。そういう性格を「お兄ちゃんだね」と笑っていたのは、ほかの誰でもない、今盛大に拗ねてくれている恋人である。
 他者との交渉ごとになれており、人心掌握術の心得もおそらくは持っているだろう男からすれば、きっとレオナルドの性格など手を取るように分かりやすいものなのだろう。そこを踏まえた上で、敢えてわがままな態度を取っているのでは、と勘ぐりたくもなる。そうすることで、レオナルドの懐に入り込もうとしているのではと(既に手遅れ感はあるけれども)警戒してしまいそうだ。

 むかむかと沸いておこる怒りのまま、普段なら考えないようなことまで思考を飛ばしかけていたことに気がつき、レオナルドはふぅ、と意識して息を吐き出した。冷静になろう、と脳内で言葉を転がす。もし仮に恋人のこの態度が何らかの「計算」に基づくものなら、レオナルドの反応を見てある程度で止めるはずだ。気を引くのが目的であって、怒らせていては意味がない。その一線を見極めることができていない、考える気すらなさそうだということは、つまり本心から面白くなくて拗ねているだけ、ということ。そう、なんの計算もなく駄々をこねる子どもと同じなのだ。
 幼い子どもに理性を求めたところで無意味なのはよく知っている。彼らはまだ本能や感情を御する方法を知らないのだから、そのほうが自然な姿なのだ。
 そういった子どもだと思えば、スティーブンの態度を腹立たしく思うことだって……。

 なくなるわけがなかった。
 いやむしろよけいに腹立たしい。
 いい年した大人が。
 レオナルドよりも年上の男が。
 百戦錬磨だと噂の色男が。
 たかだか恋人にディナーの誘いを断られたくらいで、ここまで拗ねなくてもいいだろうに。
 それとも何か、誘いは全部断らず、恋人の言うことを全部おとなしくきいて、はいはいと頷いていなければならないとでもいうのか。そういう恋人をお望みか。三歩後ろを歩かなきゃだめってか。そもそもコンパスの差がありすぎて、合わせてもらわなきゃ三歩どころか置いていかれてますけど何か!?
 顔よしスタイルよしの男を、嫉妬の意味も込めてもう一度睨みつければ、スティーブンもまたこちらを伺うように視線を向けていた。
 眉間にしわを寄せ、顔面全体に油性ペンで「拗ねてます」と描いてあるような表情をしている。
 具体的に言葉で表せば、ちょっと涙目でほっぺたを膨らませているわけだ。
 三十すぎたおっさんがそんな顔を作って拗ねたところで、きもいだけでかわいくもなんとも…………。

「ッ、あぁあああっ! もうっ!」

 恋人の顔を見てしまった少年は、ローテーブルにばんっ、と両手を叩きつけて叫んだ。
 レオナルドの恋人は、顔よしスタイルよし、頭も良くて仕事もできて、経済力があって経験も豊富ないわゆる「スーパーダーリン」だ。たとえそれが表面上のものであったとしても、そうなれるだけの要素をすべて持っている。そんな男が、だ。たかだかディナーの誘いを断られたくらいで拗ねたあげく、年下の恋人が本気で苛ついていることに気づきもせずに拗ね続けているのだから、これはもう、降参と白旗を振るほかあるまい。
 突然声を荒げて立ち上がった少年を見やり、ぱちくりと目を瞬かせたあと、少しだけ心配そうに名前を呼んでくる。
 年上のくせに、伊達男のくせに、そんなどうしようもなく子どもっぽいところが。

「かわいいって思っちゃう俺の負けだよ、ちくしょうっ!」

 叫んで恋人に飛びつけばものともなく抱き留められ、これはこれでやっぱり腹立たしく思った。




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2016.07.20
















だめなおじさんが好きです。

Pixivより。