キスはそのあとで


 聞いてくれますか、姐さん。

 そう口火を切ったのは、キングオブクズ、人間の皮を被った野生の猿こと、褐色の貴公子(本人談)ザップ・レンフロである。いつになく神妙な顔をしている男のそばでは、実はふたりの子どもを持つという主婦スナイパー、K・Kがすらりと長い足をきれいに組んでウイスキーの入ったグラスを揺らしていた。返答はなかったが、男ははあ、とため息をついたあと、同じウイスキーをストレートで呷って言葉を口にし始めるのだ。


**  **


「いいんです、僕はそれで」

 それだけで満足なんで、と少年はそう言うが、その表情はちっとも満足そうなものではない。しかし、肉体的な強度に反比例するかのように頑固で意固地な面を持つ少年、レオナルド・ウォッチへそう指摘したところできっと認めることはないだろう。
 ザップが少年の持つ恋心に気がついたのは偶然であった。肉体的な快楽は好むが、正直そこに付随する感情はあまり得意ではない。気持ちが高ぶれば愉悦も大きくなると知っているため、それなりにリップサービスはするし、セックスをしている最中は心の底から相手の女を可愛いと思うし、好きだとも思っているつもりだ。けれど、そこに至るまでのあれやそれはどちらかといわずとも面倒くさいと思うし、片思いだなんて女子どもの専売特許だと思っている。
 だから他人の感情にも恋愛模様にも興味はなく、ましてやそれが職場の後輩(男)のものだなんて、なおさらどうでも良かった。気づきたくて気づいたわけではない。できれば知らないままでいたかった。ふと目にした表情があまりにも普段の後輩とかけ離れていて、若干ザップも動揺していたのだと思う。冗談だと笑い飛ばしたくて、雰囲気を払拭したくて吐き出した軽口が地雷であったというだけの話。分かりやすく顔を青ざめさせた子どもは、今にも死にそうな声で、「誰にも言わないで」とそう懇願した。

「お願いですから、黙っててください」

 顔を俯かせ、スウェットの裾をぎゅうと握りしめ、小さな身体をさらに小さく丸めて震わせる。そんな様子のレオナルドを笑い飛ばせるほど、ザップ・レンフロは非情にはなれない。興味のない相手、しかも男であっても、この子どものことはそれなりに気に入っているのだ。零れそうになるため息を噛み殺し、すぺん、と少年の頭を叩いた。視線を逸らし、「分かったよ」とぶっきらぼうに答える。そのときザップができたことは、そう口にすることだけだった。
 けれど、気まぐれでみせた同情心がどうやらまずかったらしい。
 秘めたる感情というのは、実は本人が思っている以上に精神的疲労を蓄積するものだ。無意識のうちに吐き出し口を探し、少年はその相手にザップを選んだ。知られてしまえばもはや隠す必要もない、と彼が思ったのかどうかは分からない。頻度は決して多くはない。本当に時折、それこそアルコールが入った状態でザップがしむけてようやく、レオナルドは墓場まで持ち込む予定らしい恋の相手のことを語るのである。

「僕にもいつからとか、なんでとか、全然分かんないんすよねぇ。なんかこう、気づいたらもう手遅れ、みたいな」

 確かに秘密結社ライブラのナンバー2であるあの男は、一般的に見てハイスペックな男だとは思う。仕事ができて金があり、ひとの扱いも長け、そのうえ強い。正直盛りすぎだろうとは思う。その分、どこかに大きな欠陥があるに違いない、とザップは信じていたが、左頬に走る傷跡は欠陥どころか、男のミステリアスな雰囲気を助長させるアイテムでしかなかった。

「確かに厳しいですけど、理不尽なそれではないですし、あのひと、結構子どもっぽいでしょう?」

 そう言われても、つきあいはレオナルドより長いといえど、じっくりあの番頭を観察したことなどないためぴんとこない。同じ空間に長くいればいるほど叱責が飛んでくる可能性が高まるため、あまり近寄らないようにしているのだ。
 しかしレオナルドのほうは違うらしく、元来のお人好し気質から、睡眠時間を削って書類仕事をするスティーブンの手伝いをしていたそうである。少年にできることは限られているが、それでも猫の手よりはマシだろうから、と。その行いは男に近づきたい、という下心からのものではなく、むしろそうして近づいたからこそ芽生えた恋心だったのかもしれない。

「サンドイッチをね、作ったんです。財布の中がぎりぎりで、でも家にパンと卵はあったから。なんの面白味もないただの卵サンド。その日はザップさん、いなかったですもん。大方愛人さんのとこにでもいたんでしょ。クラウスさんとギルベルトさんも出かけちゃって、事務所誰もいなくて、僕もバイトはなかったから、誰か戻ってくるまで留守番でもしてようって、ひとりでぱくついてたんです。そしたらスティーブンさんが戻ってきて」

『これ食べていいから一つちょうだい』

 差し出された紙袋には、おそらくスティーブンが昼食にする予定だったのだろう、サブウェイのサンドが二つ。肉や野菜のたっぷり挟まったそれと、ぺらっぺらの薄い卵サンドが等価であるはずもなく、慌てふためいている間に、スティーブンの長い指がレオナルドのランチボックスからサンドイッチを取り上げて口に運んだ。

「あのひと、いいもんいっぱい食ってるはずじゃないっすか。家に家政婦さんだっているし、自分で料理もするって言ってましたし。そんなひとがですよ、僕の作った薄っぺらいサンドイッチ食って笑うんです、『美味い』って」

 食べられない味ではないけれど、美味というほどでは決してないだろう。そう言い募れば、少し間を開けてレオナルドの隣に腰掛けた男は小さく笑って言うのだ。『ほっとする味だよ』と。

「……僕のそばはほっとするんだそうです。まあ僕には戦う力がないので、そういう意味で気を張る必要がないってだけだとは思いますけど」

 それでも、目尻を下げて笑みを浮かべる年上の男を前に、レオナルド少年は思ってしまったのだ、このひと可愛いな、と。
 そう語る少年の声も表情も、上司への想いがこれでもかというほど溢れている。そんなに好きなら、大切に想っているのなら、告白くらいしてもいいのではないだろうか。
 控えめに提案をする、という高度な技術はザップに備わっていないため、単刀直入にそう言ってみれば、レオナルドは「いいんですよ」と笑うのだ。このままで自分は満足なのだ、とちっとも満足そうではない笑みを浮かべて。

「僕なんかが相手にしてもらえるとは思ってませんし、知ってもらいたいとも思いません。あのひとにはやるべきことがある。邪魔なんてできませんよ」

 邪魔という認識すらしてもらえないかもしれないけれど、と自分を低く見積もり自嘲する点はレオナルドの悪いところだ。妹の視力を奪った己を、誰よりも許せないのはレオナルド自身。それが故に、自分の価値をゼロ以下に下げる。見ていて非常に腹立たしいが、根の深いそれをどうにかしてやることなどザップにはできそうもない。それこそ、少年を心から想ってくれるような人物でなければ、改善は難しいであろう。

「僕にだってやるべきことがある。だからそれ以外のことに目を向けるのは正直避けたいんです」

 妹の瞳に光を取り戻す。レオナルドがもっとも優先すべき事柄。ザップさん僕はね、と度数もさほど高くない、ザップからすればジュースと変わりないような缶入りのカクテルを飲みながら、平凡な少年は言葉を続けた。

「ミシェーラのためなら、たぶん何でもできる。あの子の瞳を取り戻せるなら、僕自身はどうなってもいいって、そう思ってるんです」

 たとえその結果、彼が命を落とすことになろうとも、妹が嘆き悲しむことになろうとも、己のエゴを突き通す。その覚悟はできている。

「でも、そんな僕でも、生きて、この眼がある間くらいは、どうにかしてあのひとの役に立てないかって、そんなことばっか考えちゃうんですよ」

 スティーブン・A・スターフェイズは、レオナルド・ウォッチにとって死ぬ理由にはなり得ない。けれど、生きる理由にはなり得るのだ、と。
 ぺこん、と握っていたカクテルの缶を鳴らしてそう語った少年の表情は、とても寂しそうであり、また逆に幸せそうでも、あった。


**  **


「昼飯一緒に食べたーだの、たまたま出先が近かったからバイト先に来てくれたーだの、しまりのねぇ顔して語られて、これでつきあってねぇっつーんだから、ほんともう、やってらんねぇっすよ」

 そう、レオナルドがスティーブンのことをザップに話す頻度は、決して多くはない。多くはないけれど、内容が濃いのだ。濃い、と言えば語弊があるかもしれない。言い換えればこっぱずかしい、あるいはむずがゆい。恋に恋する乙女のような雰囲気は、ザップの苦手とするタイプのものでしかなかった。
 レオナルドから発せられるその手の話題に、正直辟易している。そう嘆くザップの話を聞き終え、金髪の美女スナイパーは、頬に手を添えて、「分かるわぁ」と同意の言葉を口にした。彼女の手にあったグラスはすでに空になっており、ザップは手にしたボトルを傾け琥珀色の液体を注ぐ。ありがと、と笑った彼女は、新しいウイスキーに口をつけたあと、「ねぇザップっち」と青年を呼んだ。

「アタシの話も聞いてくれる?」


**  **


 ライブラの番頭役、副官である男は、K・Kにとってひどく気に入らない相手であった。
 つきあいは長く、性格もそれなりに理解している。戦闘においてコンビを組むことだって多く、認めたくはないが息は合うほうなのだとは思う。
 男が何を考えているのかはさっぱり分からないが、何を見て歩いているのかは理解しており、そのために骨身を削っているということも分かっている。ともに死線をくぐり抜けてきたことだってあるのだ、いけ好かない同僚であったとしても、それなりの情がわくというもの。人でなしでろくでなしで腹黒い男のほうはどう思っているかは知らないけれども。

「いやでもほら、僕らはこういう仕事だからね」

 苦笑とともに紡がれた言葉に思わず舌打ちが零れる。「こういう」がどういう意味か具体的には分からないが、だからどうしたというのか。臆病者、と罵れば、おっしゃるとおりで、と返された。

「ほんと、イレギュラーだったんだよ、あの子の存在は」

 それはライブラという組織にとっても、そしてスティーブンにとっても、だったのだろう。
 双孔に収まるは、神々の芸術品と詠われる蒼き瞳。すべてを見通すそれが、人類にとってどれほどの情報をもたらすのか、血界の眷属を相手にするものにとってどれほどの価値を持つのか。実際に能力を目の当たりにして思い知った事柄ではあるが、今現在それを所有している者がまた、非常に特殊な人物であるということを知っているものは少ないだろう。いや、本人は自分のことを至って普通の、どこにでもいる平凡な人間だと思っている。そしてその自己評価はおおむね正しい。彼にはその眼以外に特殊な能力はなく、K・Kやスティーブン、ほかの技使いたちのようにBBと戦う術を持っているわけではない。己の身を守ることすら時に危うくなるほど戦闘とは無縁の存在である。暴力的な解決がメイン活動である結社にとってはお荷物以外の何ものでもない。
 けれど、少年を知るものはみな、その荷物を好んで背負いたがる。それは彼の持つ眼の有用性からくるものではなく、荷物を荷物と認識していてそれでも、彼に手を伸ばすのだ。そうしたくなる何かを、レオナルド・ウォッチという少年は持っている。
 スティーブンも、己はそんな少年の性質にとらわれた哀れな犠牲者のうちのひとりである、と自覚していた。しかも、眼がいいだけの少年として扱おうとして、みっともなくもがいて、大人げなく足掻いて、最終的に諦めたという経緯がある。恥ずかしい限りだ。

「でもなぁ、なんか、あの子見てるといろいろどうでもよくなっちゃうんだよなぁ」

 よく笑い、よく泣く、表情の豊かな子ども。結社の中でも間違いなく最年少であろうが、ただ若いから、というだけではないだろう。きっと彼本来の性格が故のことだ。ころころと変わる顔を見ているだけで、どうしてだかこちらの表情筋まで緩んでしまう。

「少年が事務所のソファでね、昼寝をしてたんだ。バイトで朝が早かったみたいで。夕方からこっちのブリーフィングがあったし、家に戻ったら絶対出てこれないから、って。本当は仮眠室でもすすめてやれば良かったんだろうけど、書類仕事で腐ってたから、僕も少年と一緒にいたくてさ」

 ブリーフィングまではほかのメンバもこないだろうから、とレオナルドが望むとおりソファでの昼寝を許諾すれば、ころんと横になってブランケットを被った彼はすぐに寝息を立て始めた。少年の腹の上にぺったりと張り付いているソニックもまた、昼寝を決め込んでいるらしい。気持ちよさそうに眠るひとりと一匹の気配を感じるだけでもスティーブンにとっては癒しになる。時折視線を向けながら黙々と事務仕事をこなしていたところで、どさっ、ごんっ、という鈍い音が唐突に響いた。続いて、「キキィッ」「ふぇぁっ!?」という悲鳴。
 驚いて顔を上げれば、ソファの上で横になっていたはずの少年の姿が消えている。どこに、と視線を巡らせる必要はなく、すぐにひょこん、と茶色い頭がテーブルの影から飛び出てきた。何が起こったのか分かっていないのだろう。床に座り込んだまま(打ち付けたらしい)頭をさすりつつ、レオナルドはきょとんとしてあたりを見回している。
 そこまでが限界だった。ぶはっ、と堪えていた息を吐き出し、スティーブンはデスクに頭を埋めてのどを震わせる。あまりにもテンプレートに沿ったできごとに、笑わずにはいられない。くっくっく、と腹を抱えて笑っているスティーブンに気づき、ようやく少年も、自分がソファから転げ落ちたのだということを理解したようだった。
 目尻に涙を浮かべたまま顔を上げれば、違う理由で涙を浮かべている少年に睨まれてしまった。(糸目であるため迫力はまるでないけれども。)

「頭、大丈夫?」

 まだ収まらない笑いに声を震わせて尋ねれば、おかげさまで、とぶっきらぼうに返される。その態度さえもスティーブンを笑わせる要素にしかならなくて。

「ザップが同じことしてもうるさいなって思うだけだろうに、どうしてだろうね、少年だとあんなに可愛く見えるのは」

 そのあと目が覚めたというレオナルドに、お詫びの印としてコーヒーを入れてあげれば、さっきまでの不機嫌さが嘘のように嬉しそうに笑って礼を言われた。ころりと気分と表情を変えてみせるところにいつも驚かされ、癒されている。
 そう語るスティーブンの表情からは、少年に対する親愛の情がにじみ出ており、こんなに緩んだ顔をしている男を見るのは何年ぶりかしら、とK・Kは考えた。もしかしたら初めてかもしれない。
 男のにやけた顔など見ていて楽しいものではなく、けれど仲間の不幸を望むほど心が狭いわけでもない。告白くらいしてみたら、と。そんなに温かい気持ちを持っているのなら、伝えるくらい構わないだろう、と。すすめるK・Kへ、しかし男は「いいんだ」といつもの、食えない笑みを浮かべて言う。

「言っただろう? 僕はこういう仕事をしているから」

 この世界は何でも起こる。それこそ一晩で街並みががらりと変わることも、神々の芸術品を押しつけられることも、一瞬であっけなく命を散らされてしまうことだって。

「あの子はどこまでも『普通』の子だよ。今はこうしてこちら側から見てくれているけど、終わったらちゃんと、今までの世界に帰してやらないといけないんだ」

 異形のものと戦う世界、人々の預かり知らぬところで展開されている裏の世界。そこで生きることしかできないものならまだしも、あの少年は表の世界でだって十分にやっていける。そんな人間に、自分のような存在が手を伸ばしていいはずがない。
 相手を思いやっている気持ちの裏に隠れている自己保身。それらもすべて自覚し、そんな自分を男が嫌悪していることもなんとなく分かる。器用に生きているように見えて、ふたを開ければ実はとても臆病で不器用な男なのである。この男に引っかかる女たちは、おそらくそんな弱々しい部分を嗅ぎ取っているのだろう。どこか放っておけない気持ちにさせられる。自分が寄り添ってあげる、という気分にさせられる。けれど、男の鎧はとても強固で、結局生身の男に触れることのできるものはなかなか現れないのだ。それこそ、スティーブンの弱さを察し、理解しながらも、堅い殻を打ち破ることができるほど強く彼を想うような相手でなければ。

「それに、僕にはやらなければならないことが山ほどある。プライベートにさく時間だってそんなにないんだ」

 盟友である男を支えること、ともに世界を守ること。それがスティーブン・A・スターフェイズが己に課した使命である。そのためになることならどんなことでもしてみせる。実際に今まで行ってきている。その姿を、K・Kはある程度近い距離でずっと見てきたのだ。
 だからこそ、スティーブンに対するもやもやとした感情を消しきれない。仲間としてその戦闘能力は信頼しているし、クラウスに対する忠誠心だって疑う余地はない。けれど、彼の醸し出す人間味はどこか作り物めいていて、本当に男がそこで息をしているのか、いまいち実感が沸かない。そんな人物なのである。

「チープな言い方だけれど、クラウスのためなら死んだっていい。ああ、分かってるよ、クラウスはそんなことは望んじゃいない。けれどね、あいつがどう思うかはまた別の問題なんだ。だからこれは僕のエゴだよ。最低最悪の自己満足さ」

 そうと分かっていても、己の信念は曲げられない。そういった点ではやはりこの男も、頑固でまっすぐな我らがリーダの友人なのだ、と思い知る。

「でもね、もしそういうときになって、僕がみっともなくこの世界にしがみつこうとするなら、生きたいって思うなら、きっとそれは、あの子がいるからなんだろうなぁ」

 レオナルド・ウォッチは、スティーブン・A・スターフェイズにとって、死ぬ理由にはなり得ない。けれど、生きる理由にはなり得るのだ、と。
 ワイングラスを軽く回しながら紡ぐ男の表情は相変わらず真意の読めない薄っぺらい笑顔であったが、その中にどこか誇らしげな何かがあるような、そんな気がした。


**  **


「コーヒー入れてくれただの、棚の上の本を取ったら睨まれつつお礼言われただの、でれでれしながら話されてさぁ。これでつきあってないって言うんだから、ほんともう、やってらんないわよねぇ」

 そもそもK・Kがスティーブンを毛嫌いしているため、ふたりで会話をする機会というのもさほど多いわけではない。その多くはない間にも強く印象に残る話を聞かされるものだから、正直こちらとしてはたまったものではないのだ。何が悲しくて、嫌っている相手の緩んだ顔を見なければならないというのか。
 ため息とともにそう語るK・Kへ、「分かる、分かりますよ、姐さん」とキングオブクズが空になったグラスを手に、うんうん、と頷いて同意を示していた。

「他人の、しかも陰毛頭の恋愛話とか、ほんと、聞いてて鳥肌ものなんっすよ。ぶっちゃけあいつがどうなろうと俺には関係ねぇし。童貞のままだろうが処女散らそうがどうでもいいし。
 ただねぇ、姐さん、俺、思うんっすよ」

 たとえ本人の生きる状況がどうであれ、ああして最初から諦めたように語るのは如何なものか、と。

「そう、そこなのよねぇ。アタシも、スカーフェイスの恋愛話とか聞きたくないのよぉ。幸せになろうとなるまいと、好きにしろって感じ。でもねぇ、あの一歩引いて現状に満足してますってポーズはほんと、腹立つのよねぇ」

 いらいらするんっすよね、むかつくわよね、と。
 それぞれ口にしたふたりはウイスキーを注ぎ足し、ぐい、っと一気に呷った。かたん、と空になったグラスがテーブルの上に戻される。そうして目を座らせたふたりは、同時に顔を正面へと、向けた。
 そこそこのアルコールを摂取しいているせいか、それとも今まで溜まりに溜まっていた鬱憤のせいか。
 ゆらゆらと揺れる二組の瞳が視線を注ぐ先には。

「……」
「…………」

 ベッドの縁に腰を下ろし非常にいたたまれなさそうな表情を浮かべているスティーブン・A・スターフェイズ(ネクタイにて両手を縛られ捕獲済み)と、顔を真っ赤にしたまましくしくと泣いているレオナルド・ウォッチ(ロープでぐるぐる巻きにされてベッドに転がされている)の姿があった。
 ってことでぇ、と焦点の合わない瞳を向けたまま、K・Kが声高らかに言い放つ。

「あとは、臆病者ふたりでなんとかなさい。この部屋は一応朝まで押さえておいてあげるから。あ、もちろんスティーブン先生のカード払いでね」
「じゃあなー、陰毛頭。俺ぁこれからキャシーんとこ行くから。おめーは番頭に頭からばりばり食われっちまえ」

 腰を上げ、バイバイ、と手を振って部屋をあとにするふたりへ、「え、ちょっ!」と少年が悲痛な叫びをあげていた。

「まっ、せめて、ロープ! 解いてくださいよっ!」

 じたじたと、いも虫のように縛られた身体をベッドの上で跳ねさせているが、ザップの耳には届かない。いつもはレオナルドに優しいK・Kですら、ちょっと振り返っただけで、にっこりと笑って部屋を出ていってしまった。救いの手がさしのべられなかったことに絶望した少年は、うえぇええ、と声をあげて泣いている。ガチャン、と扉の閉まる音が室内へ無情に響いた。
 K・Kに声をかけられたとき、嫌な予感は覚えたのだ。けれど相手は凄腕スナイパーであり、逃げることはできなさそうだ、とも思った。それにあまり良く思われていないと知っている相手に誘われ、スティーブンも少しばかり嬉しかった、ということもある。彼女がこちらを嫌っているほど、スティーブンはK・Kのことが嫌いではない。むしろその竹を割ったような性格は好ましいとさえ思っているのだから。
 浮かれるままついて来てみれば、スティーブンのしていたネクタイで手首を縛られ、ホテルの一室に押し込められた。何がどうして、と思う間もなくザップにより捕らえられたらしい少年が放り込まれ、そうして始まった拷問かと思えるような時間。いやこれは完全に、あのふたりからこちらに対する嫌がらせであったのだろう。迷惑をかけていたというのもあるが、それと同じほどどうやら心配をしてくれているらしい。
 そのことにまるで気がついていなかった己に呆れ果て、はぁ、と大きくため息をつけば、転がったままのレオナルドがびくり、と身体を震わせた。なるべく視線を合わせないように、それでも視界の端には入るようにレオナルドを見ていたけれど、さすがにベッドを揺らすそれに気づかないはずもない。もう一度零れそうになったため息を押し殺し、「あー、少年」と呼びかけた。

「そんなに脅えないでくれ。取って食ったりはしないから」

 苦笑を浮かべ、手を伸ばす。くしゃり、とその柔らかな髪を混ぜるように撫でれば、いも虫少年がもぞり、と身体を動かした。身体を転がし頭を傾け、視線の先にスティーブンを捕らえる。今は身体の位置関係のせいで、普段はその体格差のせいで、レオナルドがスティーブンを見るときは大抵見上げてくる角度になる。天然で繰り出される上目遣いの威力を、この少年によって初めて味あわされたときの衝撃は記憶に新しかった。
 的確に心臓を打ち抜いてくる視線で見上げてきた少年は、うっすらと青い瞳を開き、言葉を零すのだ。

「……食って、もらえないんですか……?」

 ネクタイで縛られたままの両手にぐぅ、と力が入った。
 眉間にしわを寄せ、身体を強ばらせたスティーブンに気がついたのだろう。はっ、と目を見開いたレオナルドは、「あ、す、すみませんっ」と慌てて謝罪を口にした。 

「変なこと言いました、ごめんなさい、忘れてくださいっ」

 スティーブンから顔を逸らし、ぐりぐりと頭をシーツに埋めながらそう続ける。今度こそ、堪えきれずにため息を吐き出した。

「嫌だ、忘れない」

 そんな可愛いことを言われて忘れられるわけないだろう、とおざなりに縛られていたネクタイから抜けだし、自由を奪われたままの少年の身体を己の膝の上へと抱えあげた。赤ん坊を抱えているかのような体勢なのがどうにも格好がつかないな、と他人事のように思う。

「え、あ、あれ? スティーブンさん、手、」

 先ほどまで縛っていたネクタイはどうしたのだ、と驚いているレオナルドの唇へ、「しっ」と人差し指を押してた。その仕草に、少年は分かりやすく顔を赤らめる。
 彼との今の関係が居心地が良い、というのは本音だ。このままでも十分に幸せだとも思っている。レオナルドだってスティーブンのことを、憎からず想ってくれているだろうとは分かってはいたのだ。そうだからこそ、K・Kはスティーブンたちを「臆病者」と罵った。罵られても仕方がないだろう、実際その通りなのだから。
 己の意気地なさに苦笑を深め、ちょんとレオナルドの唇をつついてから、「ザップの言っていたことは本当?」とそう尋ねる。

「嫌われていないとは思っていたけどね。僕は今ここで、君にキスをしても許されるのかな」

 眉を下げた自分がひどく情けない表情をしていることは分かっていた。けれど、いつの間にか心を奪われていた相手を抱き上げている現状、ポーカーフェイスを保つだけの余裕があるはずもない。
 この期に及んで未だ脅える大人を見上げ、何を思ったのだろう。意外に肝の据わった面を見せる少年は、状況に対する順応力が極めて高い。今も大きく動揺を見せながら、それでもスティーブンの放つ言葉を正確に理解し、裏に潜んだずるさも見抜いて、眉間にしわを寄せるのだ。
 まずは、と少年はもそり、と縛られたままの身体を揺すって口を開く。

「このロープ解いて、抱きしめてください。
 それから、僕のことをどう思ってるのか、ちゃんと言って欲しいです。
 僕にも、スティーブンさんを抱きしめてちゃんと言わせてください」

 そう紡いだあと、レオナルドはふいと視線を逸らし、小さく付け加えた。


 キスはそのあとで。




ブラウザバックでお戻りください。
2016.07.20
















お前らもうさっさと付き合っちまえよ、ってやつ。

Pixivより。