ジャム


 たまたま仕事で帝都を訪れていたため、どうせならと思い城へ顔を出してみれば目当ての人物はいなかった。ほとんど公認されているとはいえ不法侵入であり、誰かに行く先を尋ねるわけにもいかない。しばらく待ってみたが戻ってくる気配は感じられず、諦めた方が良さそうだと判断。一晩ここで過ごして帝都を出ても良かったが、久しぶりに下町の宿へ戻ろう、と思った。来たときと同じように窓から外へ飛び出て、すでに慣れた道を行く。夜遅いこともありすれ違う影はほとんどなく、それでもところどころに明かりの見える道を進んで食堂の二階へ足を向けた。
 この部屋を使うのも久しぶりで、埃っぽそうだなぁ、と思いながら鍵を開け、室内に足を踏み入れ、ええと、と一瞬思考が停止する。
 ええと、うん。

「……いるならいるって言えよ」

 勝手に入り込んだフレンの部屋で戻ってきた家主を迎えた際、ときどきひどく間抜けな顔をしてこちらを見ることがあったが、きっとそのときの彼は今の自分と同じような気持ちであったに違いない。
 ええと、と今度は言葉にして呟き、ため息を一つ。ユーリが眠る予定であったベッドには、毛布すら掛けずにぐーすか眠っている長身の男の姿。騎士団団長代理がこんなに無防備でいいのだろうか、と思う。
 しかし、おそらくフレンが目覚めないのはここにいるのがユーリだからだ。他の誰かであれば気配を覚えた時に目を覚ましているだろう。階段の足音でさえ気がつくかもしれない。

「ったく、ガキみてぇな面して……」

 おそらく明日は休みで予定がないのだろう。責任感の強い彼はできるだけ城にいるようにしていたが、完全にオフの日は下町で過ごしている。生まれ育った場所の空気が身体に馴染むのは、やはり人間として当然のことであろう。
 そっと近づいて覗き込めば、疲労の滲んだ顔が見えた。いくらまだ無理のきく年齢とはいえ、ずっと働いていられるわけがない。明日の休みで少しでもその疲れた取れたらいいのだけれど、と思いながらブーツを脱いで、フレンの隣に身体を横たえた。
 蹴り落とされかけていた毛布をひっぱり上げていたところで、腹に腕が伸びてくる。起きたのかと思って隣へ視線を向けるが、言葉はなく規則正しい寝息が聞こえてくるばかり。

「無意識とか」
 お前、どんだけオレのこと好きなんだよ。

 呟いて、自分で恥ずかしくなってしまった。くそ、と悪態をついてこの際だとばかりにフレンの胸元へ頭を埋める。すん、と鼻を動かせば慣れた香り。やっぱりこいつのにおいが一番落ち着くなぁ、と思っていればいつの間にかユーリも眠りに落ちていた。




 とても。
 とても幸せな夢を見た。
 幸せすぎて、涙が出てきそうなほどの夢で、内容はまったく思い出せなかったけれど、ここまで幸せだと痛感するのだから十中八九夢にはユーリが出てきたのだろうと思う。フレンの幸せにはユーリの存在が不可欠なのだ。
 すぅ、と意識が浮上する。城の部屋ではない、と理解するまで三秒。どうしてここにいるのかを思い出すまでさらに三秒。横を向いたまま投げ出された腕がどこか所在なさげなのは、きっと夢の中でユーリを抱きしめていたからに違いない、覚えていないけれど。
 仰向けに身体を返し、ぱたむ、と腕をベッドに放り投げる。見上げる天井は煤けていて、この宿もずいぶん古いよなぁ、とどうでもいいことを思った。下に住むひともいるため早々に取り壊し、ということにはならないだろうが、いつかはなくなりそうな場所だと思う。ここがなくなったらフレンはどこに帰ればいいのだろう。もともと下町で住んでいた場所はこの部屋ではないくせに、すでにここが自分の家だという意識があるのはここを常宿としている人物のせいだろう。その彼自身がここを自分の家だと認識しているかどうかは怪しいが、少なくともフレンにとって「帰る場所」はこの部屋だった。ここ以外に思いつかなかった。
 会いたいなぁ、とそう思う。たぶん疲れているのだ。甘えたいだとか抱きたいだとか、そういう気持ちも多分にあるけれど、ひとまず顔を見て声を聞きたい。そう思っていたところでガチャリ、とノブの回る音が耳に届いた。

「フレン?」

 耳に届いた声に上半身を起こせば、そこにいるのはたった今まで焦がれていた相手。どうしてここにユーリがいるのだろう、という疑問と、いるはずがないと現実を捕らえようとする理性が頭のなかをくるくると踊る。

「朝飯、食うだろ? 下借りて作ったから、持ってくる」

 ちょっと待ってろ、と言いおいてユーリは再び部屋を出ていく。その後ろ姿を見送ったあと、少し考えてぽふり、と身体をベッドへ横たえた。枕に顔を埋め、目を閉じる。

 やけにリアルな夢だなぁ。

 こんなにも具体的な夢を見てしまうほどまでに自分は彼のことが好きなのだ、と思いながら再び眠りの底へ沈もうとしたところで。

「おい、何でまた寝てんだよ、このバカッ! 起きろっつってんだろ!」
「うぇえッ!?」

 鼓膜を震わせる怒声に驚きのあまり妙な声を上げて飛び起きた。窓の外から「ユーリ、フレン、うるさいわよっ!」と響いてくる。

「知るかっ、起きねぇフレンが悪ぃんだろ!」

 宿の女将へそう返したあと、「いつまでぼけっとしてんだ」と非常に不機嫌そうな顔をこちらへ向けた。ベッドの上に座り込んでいるフレンは未だに現状に思考が追いついていない。

「ああもう、涎の後! さっさと起きて顔洗え!」

 びしっ、と水場を指さされ、逆らうという選択肢がフレンに残っているはずもない。ばしゃばしゃと顔を洗い、ついでに軽く髪の毛を撫でつける。投げつけられたタオルで水気を拭ってユーリの方を向けば、「うん、よし、男前になったな」と顎を捕らえられキスを一つ。

「そっち座れ。ジャムはいつもの?」

 尋ねられ、ああうん、と答えながらユーリの向かいに腰を下ろす。朝食にパンを食べる際、フレンはマーマレードのジャムを好んでいた。あのほろ苦さが好きなのだが、甘党のユーリからすれば「イチゴだろやっぱ」とのことで、この点についてはきっとこれからも意見が合致することはないだろう。
 ほら、と希望通りマーマレードジャムの塗られたパンを寄越され、受け取ってぼんやりとそれを眺めおろす。かぷり、と一口。むぐむぐむぐむぐ、ごっくん、と咀嚼嚥下した後。

「……ユーリ、何でいるの?」

 こちらとしては素朴な疑問のつもりだったのだが、返ってきたのは「オレがオレんちに帰ってきてなにが悪い!」という怒鳴り声だった。




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2012.06.03
















家族なバカップルフレユリ、を目指して。

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