それはまるで、母親のような


 事後の雰囲気というのがエイトは非常に苦手だ。
 そもそもあまり経験のないこと、どんな顔をしていればよいのか、どんな言葉を発すれば良いのか、エイトには分からない。分からないならただ黙っていればよいのかもしれないが、そうすると今度は背筋が痒くなってきそうなほど甘ったるい雰囲気が空間を満たす。それが嫌で、何とか払拭しようと努力すると、いつもの態度を取るしかなくて。
 だからエイトは事が終わって気だるいものを体に残したまま、いつものように隣にいるククール相手に軽口を叩いてた。

「お前さ、ほんと、僧侶の風上にも置けない奴だよな。世の中の真面目な僧侶の方々に謝っとけよ」

 教会に身を置く人間は世俗の欲を捨てて生きるのが普通である。それなのに酒は飲む、賭博は打つ、女を引っ掛ける。彼が普段から行っていることはどう考えても規律の真反対にある事柄ばかり。勿論エイトだって全ての僧侶が真面目にそれらの規律を守っているとは思わないし、守らなければならないと思い込んでいるわけでもない。しかし、ものには限度というものがある。ここまで好き勝手に生きられて、それでいて「僧侶」と呼ばれている(正確には聖堂騎士団員なのだが似たようなものだ)のが気に食わないのだ。
 ぶすぅ、と頬を膨らませてそう言ってくるエイトへククールは苦笑を浮かべると、「でもお祈りはしてるだろ?」と言った。

「そうなんだよなぁ、それが解せん」

 本気で分からないような顔をしてエイトがそう言うものだから、ククールの苦笑はますます深くなった。

「解せんって、お前ね。オレが祈っちゃ駄目なのかよ」
「いや、駄目ってわけじゃないけどさ。だってお前、神さまなんか信じてませんって態度取ってる割に、結構まめに祈ってるだろ?」

 ククールと同室になる機会の多いエイトは彼の祈りを捧げる姿を見る機会も多い。ほぼ毎日、寝る前には必ず彼は祈りを捧げる。朝、エイトが目を覚ましたときに両手を組んで瞳をとじている姿を見ることもある。
 あれだけ聖職者にあるまじき行為を繰り返しながらも、祈りを止めようとしない彼が分からなかった。
 もともと祈るという行為自体エイトには理解できないことなのだ。

「オレ、別に神を信じてないわけじゃないぞ?」

 ククールの言葉に、エイトの思考は一瞬固まってしまった。表情から読み取ったのだろう、「そんなに驚くなよ」とククールがエイトの額を弾いた。

「え? いや、だって……じゃあ、ククールは祈ったら神が助けてくれる、とか、本気で信じてるの?」

 教会で祈りを捧げる人々は苦境から逃れるために祈りを捧げる。救いを求めて祈りを捧げる。そんな彼らと同じようにククールが祈っているとはどうしても思えなかった。
 エイトの問い掛けに、彼は案の定「いや」と首を振る。

「じゃあ、何のために祈ってんだ?」
「しいて言えば自分のため、かな」

 尚更分からない。首を傾げたエイトの頭を抱き込むようにククールは腕を伸ばしてきた。素直にその腕に従って彼の胸へと顔を寄せる。

「オレさ、修道院へ行って一番初めにオディロ院長に教えてもらったことってのが、『神さまは寂しがり屋だ』ってことだったんだよ」
「寂しがり屋? なんじゃそら」
「まぁ、普通はそう思うな。けど、オレ、小さかったし。馬鹿正直に信じたわけさ、その言葉を。で、神さまは寂しがり屋だから、毎日話し掛けてあげなさいって。どんなことでもいい、今日あったこと、思ったこと、なんでも良いからとにかく話し掛けてあげなさいって。それが祈りの言葉になるんだとさ」

 そのような話は初めて聞いた。トロデーンにいた頃に教会のミサを警備したり、神父の話を聞く機会があったりしたが、祈りの言葉はきちんと決っていたし、その長いものを覚えなければ一人前の神父になれないものだと思っていた。
 エイトがそう言うと、「ああ、うん、オレも言えるけどね、それくらい」とあっさりと認める。試しに言ってもらうと、確かにエイトが聞いたことのある祈りの言葉を彼はすらすらと口にした。

「こんなの、誰にだって言えるじゃん。そうじゃなくて、自分だけの祈りを毎日捧げなさいって言われたのよ」

 勿論、オディロ院長にであろう。

「じゃあ、ククールは今でもその祈りを続けてるってこと?」

 尋ねると彼は「そうだよ」と頷いた。
 道理で、彼の祈りの言葉を聞いたことがなかったはずである。口に出して言葉にする祈りではなかったのだ。

「でも、それってどんな意味があるんだ? だって、たとえば、『今日の夕飯はカレースープでした。スパイスが効きすぎてて、ちょっと辛かったです』みたいなことを祈りとして捧げてるわけだろ?」

 そう言うエイトへ「ああ、確かに辛かったなぁ、あれは」と他のところへ同意を示してくる。カレースープはエイトが作ったものだったが、やはり皆辛いと思っていたらしい。今度はスパイスの量を減らして再挑戦してみよう、そう思っていたところへ、

「結構役に立つもんだぜ、その日の自分の行動を反芻するのって」

 と、耳元で囁かれた。
 その声音に反射的に身体が跳ねる。エイトの反応に気がついたのだろうか、ククールは抱き込む腕の力を強めて、クスクスと笑いを零した。

「たとえば、さっきはこうして、」

 言いながらエイトの顎をつかんで上を向かせる。
 ククールは額と頬にキスを落として、にやりと笑った。嫌な予感がしたものの、腕の中に閉じ込められているこの状態では逃げることもできない。僅かに身じろいだエイトを容易く押さえ込んで、ククールは深く口付けた。
 まるで今から事が始まるかのような、濃厚なキス。疲れ切っているはずなのに、徐々に身体へ熱が生まれつつあることに気付き、エイトは軽く自己嫌悪に陥った。
 舌を絡ませている相手がそんなことを考えているなど思ってもいないのか、ククールのキスは更に激しく、深いものになる。最後にエイトの舌を強く吸い上げてからようやく唇を離した彼は、二人をつなぐ銀糸を舐め取ってから、口を開いた。

「でことほっぺにキスをして、ディープキスをしたけど、寧ろ、こうやって、」

 彼の綺麗で、悪戯な手がエイトの身体をやんわりと撫で回し始める。その動きは明らかに意図をもったもので、面倒くさくても疲れていても、終わったのならさっさと服を着ていればよかった、とエイトは己がまだ裸のままであったことを酷く後悔した。

「お前の感じるところを撫でて、愛撫して、それからディープキスをしてやったほうが良かったのかなぁ、とか。色々反省できるだろ?」

 反省をするならするで、もっとマシな反省をしろよ。
 そう言いかけたが、ククールが太もものきわどい部分をなで上げてきたので、かみ締めた唇の内側へその言葉は閉じ込められてしまった。きゅ、と唇を噛んで触れられる感触に耐えているエイトの眉間へ、ククールは軽くキスを落とす。

「まぁ、お前みたいに強い人間にはそういう祈りは必要ないだろうけどさ」
 お前はいつも前を見て歩いてるから。

 ぽつりと漏らされたその声がどこか酷く頼りなく聞こえ、思わずまじまじと彼の顔を見ると、そこにはいつものように意地悪げな表情。

「つーことで、その反省を活かしたいのですが、エイトくん?」
 もう一戦、付き合ってくれる?

 嫌だと言っても聞かないくせに。そう思いはしたが口にはせず、「ちゃんと活かされてるかどうか、検証してやるよ」と笑って、ククールの唇へ自分のを重ねた。



 彼は、お前は強いから、とそう言う。
 けれど、それは違うだろう、とエイトは思う。

 寧ろ強いのは彼の方だ。
 自分の行動を客観的に反省するということはつまり、自分の弱さを見据えるということである。
 自分の弱さを真正面から捕らえるなど、エイトにはとてもできそうもない。

 彼の信ずる神は救いの手を差し伸べない。
 ただ彼の祈りを聞くだけである。
 しかし、人間はそのただ聞くということでさえできない。
 だから彼は神に祈りを捧げる。

 ただ静かにこちらの話を聞くだけの神さま。
 きっとそれは、慈愛に溢れた笑みを浮かべている、
 万人に等しく愛を注ぐ、まるで母親のような美しい女神なのだろう。

 何となくそんなイメージを持ったエイトは、だからこそ自分にはククールが言う意味も含めて「祈り」というものが理解できないのだろう、とそう思った。


 母を知らず、両親という存在の意味すら分かっていないエイトには、
 わけ隔てなく、全ての人の話を聞いてくれる母親のような神さますら想像できない。
 そんなものか、とエイトは思う。


 エイトにとって「万人」とは、「自分以外の全ての人」と同義であった。





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2005.07.01








ククールにとっての神観。
どれほど神が万人を愛する存在だとしても、愛されるべき自分を想像できないエイト。
書いたはいいがアップするのをすっかり忘れてた(笑)