激昂


 サヴェッラ大聖堂の麓には世界中から集まる巡礼者を目当てにした商店が軒を連ねている。さすがに聖地と呼ばれるだけあり派手な商売をしている店はなかったが、ぐるりと見て回るだけでもなかなか楽しめるほどには賑わっていた。
 その商店の間を全力疾走する少年が一人。どうして聖地を駆けているのか、と問われれば、追われているからだと彼は答える。彼にとっては地上で二番目に恐れる相手から逃げているのだ。さらにどうして追われているのか、と問われれば彼は首を横に振るだろう。分からないという意味ではない、言いたくないということだ。

 トレードマークの赤いバンダナを握りしめているのは、あまりにも目立ってしまうため。ひらひらと風に舞うそれは格好の目印となるのだ。とん、と地面を蹴って店と店の間のせまい路地へ入る。塞ぐように道に落ちていた木箱を飛び越え、更に駆ける。二、三度適当に曲がったあたりで背後の気配を探るとずいぶんと静かになっていた。どうやら無事にまくことができたらしい。足を止めて振り返る。人影すらないことにほう、と少年は安堵の息を吐いた。

「しつこい男は嫌われてしまえ、アホ僧侶」

 追ってきていた男を小さく罵って少年は再び歩を進める。
 これからどうしようか。戻るにしてももうしばらく時間を開けた方がいいだろうが、遅くなりすぎたら今度は地上で一番恐れている相手から怒られる可能性がある。天秤にかけると適度な時間に帰って二番目の相手から怒られた方がまだマシだ、という結論に達した。

 日が暮れる前に帰る。
 その前に現在地を把握する。

 適当に走ってきたので彼はいまいちここがどこだか分かっていなかった。商店街など、どの町でも似たようなものだ。適当に賑やかな方へ歩いていけば、元の道に戻れるだろう。手に持ったバンダナをつけなおすのも面倒くさく、振りまわしながら路地を歩く。
 彼の考え(と呼ぶにはあまりにもお粗末でどちらかというと勘に近いだろう)は正しかったらしく、しばらくすると眼前に人どおりの多い道が見えてきた。たとえそこが宿屋に続く道ではなかったとしても、必ずどこかで繋がっているだろう。どうしても分からなければ人に聞けばいい、そう思って人の行き交う道へ入ろうとしたところで、不意に行く手を遮る影が現われた。
 追い掛けてきていた男かと思いびくり、と体を震わせる。しかしすぐに違うことに気が付いた。あの男の服は真っ赤だが、今目の前にあるものは真っ青だ。首を傾げて見上げると、にやにやと嫌らしい笑みを浮かべた男が二人、こちらを見下ろしていた。

「そんなに怯えんなよ」
「そうそう、酷いことはしないからさ」

 どうやら少年の態度を怯えと取ったらしい。確かに一瞬怯えはしたが、それは相手を勘違いしたからであり、始めからまったく関係のない男二人だと知っていれば驚きさえしなかっただろう。それを今更言ったところで信じて貰えるはずもなく、少年はただ小さくため息をつくに留めた。

「こんな狭いところで何をやってたんだ?」
「そりゃあれだろ、俺たちを待っててくれたんだろ?」
「なるほど、それは期待に応えないとな」

 好き勝手なことを言いながら男が手を伸ばして少年を押す。それに逆らうこともせず、たった今歩いてきたばかりの道を戻され、メインストリートから覗き込んだだけでは見えない位置まで移動させられてしまった。

「言っとくけど、俺、男」

 とりあえず彼らの目的が何かは分かった。非常に不本意だし屈辱極まりないが、勘違いされることも多いので一応一言そう告げておくと、男たちは顔を見合せて笑いを零す。分かっていて連れ込んだらしい。青い服の彼らは聖堂騎士団員だ。騎士団も神父と同じように女性を禁じられているのだろうか。無知であるため詳しくは分からない。騎士団を解雇された知り合いはいるが、あれを引き合いに出しても意味はないだろう。

「大丈夫、男同士でも穴さえあれば出来るってことを教えてやるよ」
「案外ハマるかもしれないぜ?」

 下品な言葉に大きく眉を潜ませた。麓とはいえ、ここは大聖堂のある聖地だ。その路地裏でこんな行為を平然と行うなど、神に仕える人間が行うことではない。しかも男相手に。いや、むしろ女性相手にことを起こされるよりはマシだと考えるべきなのか。
 バンダナをポケットの中に押し込んで、数秒考える。魔法はまずいだろう。彼ら二人だけを的にするなど、少年には少々高度だ。それならば腕力に物を言わせるしかない。
 大人しくしてろよ、と笑いながら掴まれた腕を振り払おうとした瞬間。

「何をしている」

 背後から声が聞こえた。低いその声には聞き覚えがある。しかし仲間のうちの誰かではない。少年より先に声の主に気が付いた騎士団の男二人は驚いたように目を開いて、「団長……」と呟いた。
 振り返り、そこにいた男を目にする。名前が出てこない。基本的に脳の作りはそれほど良くないのだ、毎日会う相手ならいざ知らず、あまり好ましく思っていない相手の名前など覚えていられなかった。

「何をしているのか、と聞いたのだが」

 再度問われ、男が少年の腕から手を離した。

「い、や、こ、これは、その……」
「か、彼が道に迷ったというので、案内をしようとしてたんです」
「あ、そ、そうです、そうです。困っている人を助けるのは騎士団の勤めですから」

 何とも苦しい言い訳だ。世界中の人がこの程度で騙されてくれるなら、少年だってもっと怒られる回数が減るだろうに。吹きだしそうになるのをこらえて、「あんた、もっと部下の教育した方がいいんじゃね?」と少年は言った。

「お、お前、団長になんて口を……っ!」

 後ろの男が慌てているが、騎士団員でもないのに彼にへつらう必要はないと思う。背の高い男を睨みつけるように見上げると、冷めた視線と交わった。半分とはいえ血が繋がっている彼とは似ても似つかぬ目つき。
 男はす、と目を反らせてさらに奥、黙りこんでしまった部下たちを見やると、くい、と首を振った。去れ、ということだろう。彼らは「失礼します」と逃げるようにそこを去って行った。

「男連れ込んで何がしたいんだか。団で女ぐらいあてがってやれよ」

 背後へ視線を向けながら呆れたように呟くと、「貴様が誘ったんじゃないのか?」という言葉が返ってきた。込められた感情は嘲りそのもの。どういう意味だろうか、と男へ視線を戻すと、その顔にはやはり侮蔑の色が浮かんでいた。

「貴様、あれと寝ているのだろう?」

 普段散々鈍いと罵られているが、さすがに彼の言う「あれ」が誰のことかを瞬時に悟る。かっと頭に血が上ったが、気力でそれを抑え込んで平静を保った。ここで怒鳴り返せば男の思うつぼであろう。

「その形ならトロデーンでも似たような役を負っていたのではないのか? 不特定多数を相手にしていたもの同士あれとは似合いかもしれんな」

 以前彼から聞いたことがあった、教会の資金集めに利用されていたことがある、と。不特定多数を相手にするように仕向けた人間が、何を言っているのだろうか。キッと睨みつけると、顎に指をかけられ無理やり上を向かされた。

「貴様はあれに突っ込まれて、どんな顔で喘ぐのだろうな」

 男の手を振り払うことはできる。この場から逃げることもできる。おそらく男は追って来ないだろう。そう分かっていたが、言われたままでいることなどできなかった。もともとが負けず嫌いな性格なのだ。少年は男を見やったまま口元をにたり、と歪める。

「ククールは最高に色っぽいって褒めてくれるぜ? 見てるだけで抜けるってさ。てめぇには絶対見せないけどな」

 鼻で笑って告げると、眉をひそめた男が手を離すと同時に「汚らわしい」と吐き捨てた。

「あら? この程度も流せないの? 弟はあんなにテクニシャンなのに、おにーちゃんは初心だね」

 もしかして童貞? とくつくつ笑いながら続けると、ぱん、と頬を殴られた。受け止めることも避けることもできただろうが、やはりあえてそれを受け止める。歯が当たったせいで軽く切れてしまった唇の端を、見せつけるかのように舌で舐めてみせた。
 その仕草に男の眉間のしわがますます深くなる。そのまましばらく無言で睨みあったが、先に口を開いたのは男の方だった。

「精々あれの下で喘いでいるがいい。貴様ら風情に何ができるとも思えん」

 男はそう言うとマントを翻して少年に背を向ける。歩きだす前に、ちらり、と振り返り、まるで虫けらでも見やるかのような視線を向けて言った。

「あれは誰にでも欲情できる人間以下の生き物だからな」

 人気のない路地裏に、男が去っていく足音だけが響く。その音が聞こえなくなったところでようやく動いた少年は、無意識のうちに賑やかなメインストリートの方へ足を向けていた。あと数メートルでその道へ辿りつく、というところで先ほどと同じように人影に前を塞がれる。前と違うのは、立ちはだかる人の衣服が真っ赤であるということ。

「やっと見つけた、このくそガキ。お前、あんだけ人が寝てる間に悪戯すんのやめろっつっただろうが」

 その表情も声もまだ怒りがとけていないことを滲ませているが、構わず彼の腰に抱きついた。

「ッ、エイト!?」

 驚いて名を呼ばれるが、今顔を見られたくなくてぎゅう、とククールの胸に顔を埋める。この時になって初めて、彼の衣服を握る自分の手が震えていることに気が付いた。

「……エイト、何があった?」

 心配そうな声。震えるほど怖いことでもあったのか、と優しく尋ねられ、エイトはただ小さく首を振った。

 この震えは恐怖からではない。
 怒りだ。
 人は感情の限界値を超えると、もはや言葉もでないのだと初めて知った。
 耳に届いた言葉を理解すると同時に、頭の中が真っ赤に染まる。
 衝動を抑え込めた自分に驚いているぐらいなのだ。


 エイトには許せなかった。
 こんなにも綺麗で、優しい彼を、
 人以下だと、
 そう罵った男の言葉が。


「…………ごめん、ククール」

 震えながらエイトは謝る。
 大きくて暖かな掌に宥められながら、エイトはただ謝罪を繰り返した。


 ククール、ごめん。
 ごめん、ごめんなさい。
 お前を苦しめたいわけではないけれど。
 悲しませたいわけではないけれど。
 たとえお前の唯一の家族だと知っていても。
 いつか俺は、
 あいつを、
 殺してしまう、かも、しれない。





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2008.10.04
















珍しく兄貴絡みのネタ。
何の病気か、しばらく書かないと無性にエイトを書きたくなる。
治療法ないのかな。