とある酒場の騒動


 柄の悪い客がいる。
 食堂兼酒場へメンバ揃って夕飯を取りに訪れたとき、足を踏み入れると同時にそのことに気づいたのはユーリだけではなかったらしい。その客がいるテーブルとは逆方向のテーブルへジュディスがさりげなくエステルとリタを誘導し、彼らの視界に入らぬよう、レイヴンがパティやカロルといった子供を庇って立つ。しんがりをユーリ、フレンという背の高い男二人が勤めたため、おそらくずいぶん酒の入っているだろう男たちからは女子供がいたことは分からなかっただろう。場所を変えることも考えたが、これから他の食堂を探すのも、自分たちで作るのも少々億劫だ。それならばさっさと目的を済ませてここを出てしまった方が早い。別に彼らが何かをする、という確証があるわけでもない。ただ大声で品のない会話を交わし、酒を飲み、周囲の客や給仕の女性に罵声を浴びせている姿を見れば、仲間を守ろう、と思うのも当然だった。

「やっぱり自分で作って食った方が早いし、安全で確実だな」

 広げられたメニューへ視線を向けることもせずにぼやいたユーリへ、「だってそうすっと結局青年が作ることになるじゃない」とレイヴンが苦笑を浮かべる。野営時は贅沢や我儘を言っていられないため、それぞれ料理もこなすが、その必要がないときにまで好きでやろうとは思わない。苦にしないのはユーリくらいだろう。もちろん皆ユーリの料理は好きなのだが、面倒見のいい彼にばかり家事を押し付けるのも悪い。そう思っているが故の外食なのである。

「そうだよ、ユーリ。たまにはユーリも休まなくっちゃ」
「なんか、それあれだよな、家事に疲れたお母さんにもお休みを、みたいな」
「似たようなもんでしょ」

 カロルの言葉に苦笑して言ったユーリへ、リタがそう口にする。

「だとしたらオレの家事疲れは確実にお前らお子様組のせいだろ」
「ちょっ、何よ、あたしがいつあんたの世話になったって!?」
「眠りもしねぇで本読む誰かさんを寝かしつけてやったり、小腹がすいたとかって生卵眺めてる誰かさんのためにホットケーキ焼いてやったりしただろうが」
「あっ、あれは! あんたが勝手に……っ!」

 放っておくと延々と続きそうな言い争いを始めた二人の間を、「まあまあ」とエステルが取り成す。

「それよりも早く頼んでしまいません? 私もう、お腹が空いて……」
「さんせーい。おっさんももう、腹ぺこで目ぇ回りそう」
「この店、魚メニューが少ないのじゃ」
「内陸だからかしらね。ここはお肉にしておいた方が無難かもしれないわよ、パティ」
「ボク、オムライスっ!」
「野菜もちゃんと食べた方がいいよ」

 口々に騒ぎながら注文を終え、それぞれの料理が来るまでにまたユーリとリタの間でのいい争いが始まってしまう。それにカロルが巻き込まれ、彼が半泣きになった頃にようやくテーブルの上に料理が揃った。

「おっさんはさぁ、おかずが甘いっての、おかしいと思うんだよねー……」
「あら、それは全国の黒豆好きに喧嘩を売ってるってことでいいかしら?」
「うー、普通のケチャップでいいんだけどなぁ。なんでソース……」
「バカね、頼む時に言えば良かったじゃない。今からでも持ってきてもらう?」
「む! この肉、柔らかい!」
「パティ、お肉、一切れ交換しません?」
「これ、イカ入ってる……」
「フレン、皿でぐちゃぐちゃやんな、行儀悪い。あとで食ってやっから避けとけ」

 八人(ともう一匹いるのだが、さすがに外で待機中である)いればその分賑やかにもなる。それぞれが個性の強いメンバである、ということもまたそれに拍車をかけているだろう。大騒ぎをしているわけではなく、和気あいあいとした食事風景であるため、見ていて気分が悪くなるものでもない。あまりにちぐはぐなメンバであり、またその中の数人が非常に目を引く容姿をしているせいで、ちらちらと彼らのテーブルへ視線を向けるものも多かった。出来るだけ目立たずに食事だけをして立ち去りたかったのだが、それもなかなか難しいようである。向けられる視線に気づきながら無視して食事をしていたユーリは、肩を竦めてフレンの皿のすみっこへ追いやられたイカへフォークを突き刺した。
 手早く店を出るつもりではあったが、明日以降の予定の打ち合わせも兼ねてデザートタイムを満喫したのち、宿屋へと戻ることになる。店の反対側からは相変わらず下品な声が響いており、ああも大声で話し続けて喉は大丈夫なのだろうか、とユーリはどうでもいい心配をした。
 いつもは財布を預かるカロルが会計を済ませるが、今日は財布を借りてユーリがカウンタへと向かう。入ってきたときと同じようにさりげなくジュディスとレイヴンが子供とお姫様を守るように出口へと誘導し、それにフレンが続いた。

「八人分となるとこれくらいはするわな」

 いくら魔物を倒して稼いでも、いつの間にかなくなっているのも仕方がない。金というのはただ生きるだけでも必要なのだ。家計簿でも付けた方がいいのだろうか、ととりとめなく考えながら支払いを澄ませ、さっさと店を出ようとしたそのとき。

「よぉ、にいちゃん」

 言葉と同時に腰へ腕が伸びてきた。
 ついに来たか、とため息をつく。振り払うのも面倒で、ユーリは引き寄せられるまま男の側へ寄った。エステルたちがいるときでなくて良かった、と考えるべきなのか、最後までスルーしてくれよと嘆くべきなのか。会計をするカウンタが酔いどれたちの席の近く、というのが拙かった。だからこそカロルには任せずユーリが支払いを行ったのだが。

「なんか用か?」

 座ったまま腰へ腕を回す男を見下ろすと、向かいに座った一人がヒュゥ、と口笛を吹いた。

「こうして見っと、すげぇ美人だな、にーちゃんよぉ」
「ここ座って酌でもしろや」
「ああ、そりゃあいいなぁ。にーちゃんくれぇべっぴんなら、それ以上でも俺はぜんぜん構わねぇけどなぁ」

 「お前、そっちもいけんのか」という言葉に、下品な笑い声が重なる。酔っぱらいというのはどこでも大体がこんな感じだ。そしてユーリに絡んでくる場合は、生意気な面をしやがって、という文句か、女みたいな面しやがって、というからかいのどちらかである。
 はぁ、とため息をついて、ユーリはテーブルへと手を伸ばした。琥珀色の液体が半分ほど残ったグラスを手に取ると、目を細め口元をゆるりと歪めてみせる。「誤解されるような表情は止めた方がいい」とフレンから注意されたことのある笑みだ。く、と息を呑んだ男たちを無視して、ユーリはそのグラスを腰へ腕を回す男の頭上でひっくり返した。ぱしゃん、と残っていた酒が男に降りかかる。

「ッ! てめぇ、何しやがるっ!」
「そりゃこっちのセリフだ。いい加減手ぇ、離せよセクハラ親父」

 いつまで人のケツ触ってやがる、と男の手を振りほどく。瞬時にテーブルを囲む三人の男たちの怒気が膨れ上がった。しかしユーリはそれを無視して言葉を続ける。

「生憎と、手のかかる奴らの面倒見なきゃなんねぇから、あんたらの相手はしてらんねぇんだよ」

 ついでに、とユーリは付け加えた。

「そっちの方も売約済みでな。オレとヤりたきゃ、まずうちの旦那の許可、取ってくれよ」

 くつり、と喉の奥で笑って放たれた言葉の意味を男たちは一瞬取り損ねたらしい。きょとんとした顔をした後、「んだよ、お前、もともとソッチの人間かよ」とすぐに下卑た笑みを浮かべる。

「だったら尚更、あんたの旦那より良くしてやるぜぇ?」

 そう言ってもう一度男が腕を伸ばそうとしたとき。

「だとさ、フレン。どうよ」
「……どうよ、って言われてもね」

 男の手がユーリの腰へ触れる前に、横から伸びてきた腕にその手首を掴まれた。ぐ、と強く握られその痛みに男が呻く。まったく力んでいるようには見えず、いつものように涼しい顔をしたまま男から手を離そうとしないのは、なかなか出てこないユーリを心配して戻ってきたフレンだった。

「いつから僕は君の夫になったんだい?」
「あれ? じゃあお前が嫁?」
「いやだからそういうことじゃなくて」
「いてててっ! 痛ぇ! 痛ぇよっ!」

 呆れたようにフレンが首を振ると、ついに手首を掴まれたままだった男が悲鳴を上げた。そこでようやく思い出したかのようにその手を解放し、フレンは男たちへと視線を向ける。

「……フレン、顔が怖ぇ」
「僕のものに手を出されそうになって、笑っていられるわけがないよね」

 生真面目な顔をしてそのまま腰にさげた剣へと手をかけるものだから、男の一人が小さく悲鳴を上げてがたん、と椅子を引いた。

「まあオレもケツ触られて気分悪ぃしな」

 加勢するぜ、と左手に下げていた剣をひょい、と放り投げて受け止める。

「……僕のユーリに触った手はどれだい? 今のうちに斬りおとしておくから」

 眉をひそめてそう言ったフレンが抜刀すると同時に、「ひぃぃっ!」と男が一人、立ち上がってその場から逃げだした。

「ッ、やってられっかっ!」

 そう言ってもう一人も逃げだし、最後に残された男も逃げるため腰を上げようとする。それと同時にひゅ、と空を切る音をさせて、ユーリの剣が男の肩の上へと振り下ろされた。

「ひっ!」

 ぎりぎりで止められた剣に、男は再び椅子へと腰を下ろす。

「お前、食い逃げする気?」

 飯代置いてきな、とまるでどちらが悪役だか分からないようなセリフである。
 畜生、と悪態をつきながら財布から札を取り出し、それを放り投げて男が店を出て行くまで見送った二人は、扉が閉まると同時にようやくその剣をそれぞれの鞘へと収めた。

「悪ぃな、騒がせた」
「ご迷惑おかけしました」

 彼らのやり取りに口を挟むこともできず、ただ側で見ていた食堂の女将へそれぞれにそう謝罪する。口元を歪めて片手を上げるユーリに対し、フレンは几帳面に頭を下げる。どこまでも対照的な二人にあっけにとられていた女将は、すぐに「いやいや」と苦笑を浮かべた。

「こっちこそ、助かったよ。どうやって出てってもらおうか、悩んでたんだ。ありがとな」

 また食べにきておくれ、とさばさばした口調で言う女将へ、「はい」「おう」とやはり対照的な答えを返して二人は店の入口へと向かう。
 扉をあけ、外に出ようとしたその前に、後ろを歩いていたユーリを捕まえて、女将がこっそりと尋ねた。

「ところであんたたち、本当にそういう関係なのかい?」

 いくら背が高くともユーリの容姿からいって、今のように絡まれることも少なくないだろう。頭ごなしに否定し拒否するよりも労力と時間がかからないため、わざとそういう相手がいる、と言ったのだと思っていた。しかしそれにしては旦那だ、という彼の怒気が本物であるようにも感じたのだ。
 女将の言葉に軽く眼を瞠ったユーリは、くすり、と笑って肩を竦める。

「そりゃ秘密だな」




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2009.11.15
















みんな、仲良し家族なのが好きです。
絡まれ慣れてるのであしらいの上手い二人。