白い騎士と黒い姫


 事の発端は、ショッピング中のエステルが見つけた一着のドレスだった。

「うわぁ……! ねえ、リタ! ジュディスも、パティもっ! これ見てください!」

 目を輝かせて友人たちを呼ぶ彼女は、ある店のショーウィンドウの前で足を止めている。エステルだけでなく他のメンバもこのように買い物で街を歩いた経験は少なかったが、今まで城の中しか知らなかった彼女にとっては世界は驚きと発見で満ちているのだろう。

「何よ、エステル。何かあったの?」

 少し面倒くさそうにしながらも、リタは年上の友人の言葉には基本的に逆らわない。このお姫さまに勝てるメンバはなかなかいないのだ。

「あら、素敵なドレス」
「ふわふわなのじゃぁ〜」

 ぱたぱたと招き寄せる手に釣られて彼女の側へ行くと、ガラスの向こうには黒を基調としたパーティードレスが飾られていた。
 肩を大きく露出させたチューブトップ、胸元には赤い花のコサージュ。鳥の羽のような飾りで作られたふわりとしたスカートは前の部分が逆Vの字にカットされており、内側に履いている黒いタイトスカートから伸びる足が見えるようになっている。ところどころに赤色が入っており、全体的な雰囲気は可愛らしいのにとてもセクシーに見えるドレスだった。

「素敵ですねぇ」

 両手を組み、うっとりとそれを見つめるエステルに、リタは呆れたように「あんた、お城でこういうの見慣れてるんじゃないの?」と言う。

「見慣れていても、素敵なものは素敵。そういうことでしょう?」

 リタの言葉にジュディスがそう返し、そのとおり、と言いたいのだろう、ドレスから視線を外さずにエステルはこくこくと頷いた。

「でも、この服、何かおかしくないかのぉ」

 背丈の低いパティはショーウィンドウを見上げるのも一苦労だ。首を傾けて黒いドレスを見ながらそう呟く。

「おかしいって何が、」

 魔導器と猫以外にはあまり食指が動かないらしいリタはどうでもよさそうにそう言って、ふと気がついたようにドレスとジュディスを見比べた。どうしてジュディスだったのかといえば、この四人の中で一番背が高いからだ。

「私でも無理、じゃないかしらね。かなり体の大きい人用みたい」

 リタの言いたいことが分かったのだろう、ジュディスはそう答える。そう、そのドレスは女性用にしてはかなり大きく作られていたのだ。

「装飾用とかお客さんを呼ぶためのものかもしれませんね」

 これだけ綺麗なドレスがあれば、今のエステルのように立ち止ってしまう人も多いだろう。それが派手であればあるほどその傾向は強くなるわけで、そのためにドレスも少し大きく作ってあるのかもしれない。
 そんな話をしていたところで。

「それが気に入ったのかい?」

 不意に店の中から中年の女性が現われて彼女たちへそう言った。店の主人だろうか、女性はショーウィンドウを見上げて「よくできているだろう?」と目を細める。

「あ、お店の前で騒いでしまってごめんなさい」

 律儀に謝るエステルへ女性は首を振って笑うと、「これが気に入ったのなら譲ってあげようか?」と口にする。

「さすがにただとまではいかないけれどね。そろそろ新しい看板にしたいと思っていたところだったんだよ」

 どうやらエステルの予想は当たっていたらしく、ドレスはこの店(女性向けの服飾店らしい)の看板代わりだったようだ。「10000ガルドでどうだい」と指を一本たてた女性を前に、四人は顔を見合わせた。
 普通に暮らしていれば高すぎる値段だが、魔物を倒してガルド稼ぎのできる彼女たちには手が出せない値段ではない。

「んー、でも買ったとしても誰が着るのじゃ?」

 腕を組んでこてん、と可愛らしく首を傾げたのはパティ一人だけ。

「10000ガルド……。わたし今、手持ちが2000と少しです」
「あたしも同じくらいだわ」
「私は5000。少し狩れば足りそうね」

 ふふふ、と笑う三人に服飾屋の主人も、まさか本当に買うとは思っていなかったのだろう。「本当に買ってもらえるのかい?」と尋ねる。

「自分で作ったものだから分かるけれど、貴方たちにはサイズが大きすぎるものだよ?」

 心配してそう言ってくれた女性へ、エステルはここぞとばかりに皇族オーラを発揮してにっこりと上品な笑みを浮かべた。

「大丈夫です、心当たりがありますから」




 目の前に突き付けられた現実に、ひくり、と口の端を引きつらせ、逃げようにも背後は壁。背中をぺったりと壁にくっつけ、嫌だ、と首を振るが、迫りくる女性陣は容赦なかった。助けを呼ぼうにも、「ユーリにお願いがあるんです」という真剣なエステルの顔に騙されて、一人で彼女たちの部屋へと来てしまったのだ。声を上げたところでおそらく部屋の前にいるらしいパティに邪魔をされるだろう。それに何より、この状況下が間抜けだ。非常に間抜けだ。誰かに見られるなど、冗談ではない。

「っていうか、お前ら、よく考えろ。オレ、男だぞ?」
「あら、それくらいよく分かってるわよ」

 ユーリの言葉にふふ、と笑ってそう返したジュディスの手には、何やらこまごまとした道具がたくさん入っているポーチ。レイヴンあたりが見ればそれらが化粧品だということに気づけたかもしれない。

「男のオレに、そんなもん着られるわけねぇだろ?」
「大丈夫よ、あんた、細いもん」

 あっさりとそう言ってのけるのは、カロルを苛めているときと同じくらい、いやもしかしたらもっと生き生きしているかもしれないリタ。彼女の両手には櫛や髪飾りといったものが握られている。

「た、たとえ着られたとしても、気持ち悪ぃだけじゃ……」
「そんなことありません! 私たちが可愛くしてあげます!」

 だから安心してくださいと続けるエステルの両手には、今日彼女たちが買い求めたあの黒いドレス。

「いや、つか、別に可愛くしてくれって頼んでるわけじゃねぇんだけど……!」

 一度懐に取り入れた人間には滅法弱く、また女子供には滅法甘いユーリが、彼女たちに押し流されるのも仕方がないこと、なのかもしれない。
 ユーリが女性陣との攻防を繰り広げている頃、隣室から響くドタバタという音を聞きながら、カロルとレイヴンは我関せずとばかりにお茶を啜っていた。

「何やってんのかな、みんな」
「気になるなら青年を助けにいってあげたら?」

 レイヴンの言葉に「怖いからやだ」とカロルはふるふると首を振る。ラピードは心配そうに部屋をうろうろしているが、「嬢ちゃんたちには敵わないって」というレイヴンの言葉に扉の前に腰を落ち着けた。
 しばらくしてぴたり、と暴れる音が止み、「逃げたのかな」「諦めたんじゃなぁい?」というどうでもいい会話を交わすこと小一時間。夕食はどうするんだろう、とカロルが心配し始めたところで、バタン、と部屋の扉が開かれた。

「すごいのじゃっ!」

 そこにいたのはいつも以上にハイテンションで興奮に頬を赤く染めているパティ。

「ちょ、パティ、何がすごいって?」
「うわわ、パティちゃん、引っ張らないで。おっさん、こけそうよ」

 小さな手に引っ張られて隣の部屋まで連れて行かれる。「二人とも、見て驚くんじゃないぞ」と楽しそうに笑ったパティは、やはり先ほどと同じようにバタン、と勢いよく部屋の扉を開いた。

「――――ッ!?」
「…………」

 目に飛び込んできた光景に、二人は息を呑んで言葉を失う。背後でぱたん、と扉が閉まり、「どうじゃ、すごいじゃろ!」とパティが言っていたが彼らの耳には届いていなかった。

「こりゃぁ、また……」
「え、っていうか、ユーリ、だよね……?」

 目を開いて顎をさすりながらそう呟くレイヴンの隣で、カロルがそれを指さして恐る恐る尋ねる。不機嫌です、と顔全体で不貞腐れていたその人物は、ぎ、と二人を睨んで、「オレで悪かったな」とぶっきらぼうに言い捨てた。その声は普段よく聞く人物のもの。
 黒いドレスに身を包んだ彼は、普段のユーリを知る二人でも一瞬女性と見間違えてしまう雰囲気を醸し出していた。もともと細いとは思っていたが、やはり彼は男性にしては細い方だろう。胸元は平らで腰のくびれもなく女性的な体つきはしていないが、それぞれ赤いコサージュと黒い羽根のふんわりとしたスカートがそれらをカバーしており違和感はない。頼りなさげな白い肩にスカートから伸びる白い足。普段は背中に下ろしている黒髪を頭の上で結った上に髪飾りで留めてある。毛先を遊ばせた可愛らしい髪型で、普段は見る機会のない首筋が露わになっており、その白さと細さに見てはいけないものを見てしまった気分になる。
 形が崩れるからか座ることを許されていないらしい彼は、腕を組んだまま頬を膨らませていた。

「あーららぁ。ユーリちゃんてば、ずいぶん可愛らしいカッコにされちゃったわねぇ」

 先に立ち直ったのは人生経験の差かレイヴンで、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべたままユーリへ近づき、そう口にする。

「あらま、もしかしてお化粧までされちゃってる?」

 顔を背けようとするユーリを覗き込み、彼の目元や唇に色が入っていることに気がついた。それは決して派手なものではなく、纏うドレスと髪型によく合ったメイク。目じりにほんの少し濃い赤が入っているのがまた色気を作り出している。
 レイヴンの口調にむっときたのか、目をそらすことを止めた彼に今度はきつく睨まれた。

「……青年、その顔で睨んでも駄目だわ。逆に男を煽るよ?」
「うっせぇ、中年エロ親父っ! オレも男だっ!」

 ついに切れたユーリがそう怒鳴ってレイヴンへ腕を伸ばすも、「ちょっと暴れないでよっ!」というリタの怒声にぴたりと身動きを止めた。

「せっかく綺麗に作ったのに崩れちゃうじゃない」
「ユーリ、あんまり暴れない方が……」
「それ、スカート丈短いし、見えるわよ?」

 リタに怒られ、エステルになだめられ、ジュディスに注意され、ユーリは顔を赤くして短いと言われたスカートの丈を引っ張った。

「うわぁ……その仕草、かんっぺきに女のひとのものだよ……」

 恥じらうその姿に思わずカロルも顔を赤くしてそう呟く。首領に対して文句を言う気力もなくなったらしいユーリは、半分涙目の状態で「もういいだろ」と女性陣を見た。

「そうね、ずいぶん楽しませてもらったし」

 さすがに可哀そうになってきたのか、リタが肩を竦めてエステルを見る。王女は「折角綺麗なのに」と不服そうではあったが、ユーリの精神が限界に近いことも察しているらしい。ようやく逃げられる、とユーリが少し表情を明るくして顔を上げると、「あらでも」とジュディスが室内に視線をめぐらせた。

「騎士さんにはまだ見せてないわよね」
「あ、フレン!」
「そういえばどこに行ってるのよ、あいつ」

 リタの言葉に「騎士団の駐屯所に顔を出してくるって言ってたよ」とカロルが答える。

「じゃあうちが呼んでくるのじゃ!」

 ぴょこん、と跳ねて飛び出そうとするパティをユーリが呼び止めようとしたところで、コンコン、とノックの音が響いた。

「はい、どうぞ?」

 代表してジュディスが答え、開いた扉の向こうには一同の予想通りの人物。

「みんなこっちにいたんですね」

 そう言って室内へ目をやったフレンは、さすがに目を丸くして驚きを表す。
 この時点で逃げ出したところでドレスの人物がユーリであることには気づかれるだろうし、そもそも逃げ出す先もない。視線を反らせるのも負けた気がして、ユーリは半ば自棄になってフレンを真っ直ぐに見詰めた。
 二人の視線が真正面から合う。
 綺麗でしょう? と口にしたいのだが、なんとなく言葉を挟む隙がない。口を開くタイミングを逸した一同は、ただ見つめ合う(あるいは睨みあう)二人を見守るしかなかった。

 先に動いたのは金の髪青い目の騎士。
 口元を緩めて目を細めた彼は、その王子様然とした表情のまま歩み寄ると、すっと自然な動作で膝を折り、ユーリの手を取った。嫌味のない仕草で頭を垂れて白い手へ口づける様子は、王子様と見染められた貴族の娘。あるいは忠実なる騎士と仕えられる姫。
 まるで物語の中のような姿に言葉を発せないメンバを置いて立ち上がったフレンは、そっとユーリの手を引く。引き寄せられたユーリは、少しふらついてフレンの胸へと両手をついた。そんな彼の耳元へ唇をよせフレンが何かを囁く。するとユーリは顔を赤くして、フレンの肩へと顔を埋めた。

「エステリーゼ様」

 まるで当然とでもいうかのようにユーリの腰を抱いた男は、涼しい顔をしたまま本物の王女を呼ぶ。

「このドレス、僕に買い取らせてください」
 中身ごと。

 そう言ってユーリを連れたまま部屋を出て行くフレンを止められるものはいなかった。



「っていうかフレン、何言ったんだろう……」

 呟いたカロルに「知らなくていいことってのも世の中にはあるもんよ、少年」とどこか疲れたようにレイヴンが答えた。




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2009.11.24
















「オレは非売品だっ!!」
「売約済みだ、って言った方が正しいと思うよ?」