確認作業


 ぱん、と乾いた音が辺りに響く。帝都ザーフィアスの下町。人気のない路地へ呼び出されたときから用件は分かっていた。だからこそ甘んじてその平手を受けてやったところもある。
 呼び出された先に待っていたのは握った拳をふるふると震わせ、涙目でユーリを見上げてくる女。頭二つ分くらいは背の低そうな彼女は、細い肩に細い手足と、どこからどう見ても守りたくなる女そのもの。世の男性諸氏はきっと彼女のような人間をものにしたくて躍起になっているだろう、とどこか冷めた頭で考える。

「あんたのせいで、あの人はおかしくなっちゃったのよっ!」

 続けられた罵り言葉は、小さくふっくらとした唇から吐き出されたとは思えないほど酷い。それでも顔色さえ変えないユーリに彼女はきゅ、と唇を噛んだ。言葉が途切れたところを見計らい、「別にオレ、何もしてねぇけど?」とユーリは肩を竦める。それにすかさず返される、「そんなはずないでしょっ!」という言葉。

「あの人、私と別れるって……! 突然そんなことを……っ」

 私知ってるんだから、と涙の滲んだ声で女は言った。

「あんた、あの人と会ったでしょう? あの日からなのよ」
 私より欲しいものができた、って……!!

 あんた何をしたのよ、と再び問われるが、ユーリの態度は変わらない。彼の唇から零れる言葉は「そうだな、強いて言やぁ」と淡々としたもの。

「下町育ちの騎士団隊長に夢中で仕方ない彼女の愚痴を聞いてやったくらいだけどな」

 紡ぎ出された言葉に彼女はかっと頬を赤く染めてユーリを睨んだ。
 帝都に住む女性であの男に夢中になっているものは多いだろう。きらきらと輝く太陽のような髪と空のように澄んだ目を持つ男。彼女も例にもれず、王子様のような容姿の騎士団隊長に熱を上げているらしい。

「わたしが悪いって言うの!?」
「だから、別に何も言ってねぇだろ」

 冷ややかな声で告げる。返す言葉もなくなったのか、彼女は「あんた、ほんとにサイッテーね!」と叫んでユーリの頬をはたき、その場から走り去って行った。
 殴られた頬を軽く撫で、「爪、刺さった」と小さく呟いたユーリの背で大きくため息を吐く男が一人。

「一体君は何をしたんだい?」

 呆れた表情を隠しもせず、額を押さえて姿を現したのは最愛の半身。騎士団に属する彼とギルドに属するユーリとでは立場はまるで違うが、それでも一番近くにいる存在。
 お前がいると話がややこしくなるから、と彼女に気づいたと同時にユーリに背を押され、とりあえずは従って物陰に身をひそめていたのだ。女性に暴力を振るう人間でないことは分かっていたが、無抵抗で殴られるとは思わなかった。しかし彼女の平手を避けもせず止めもしなかったその理由よりも、彼女が発した言葉の真意の方がフレンは気になる。
 その問いかけにユーリは、「今の、お前のファンなんだとよ」と肩を竦める。

 ファン、というのがフレンにはいまいちよく分からないが、つまりは絵を見て喜んでいる心理と同じようなものなのだろう。自分の好きな絵のそばに嫌いな絵があったから気に入らない、という話だっただろうか、と彼女の言葉を思い返す。その割にはもっと酷い罵声があった気がするのだが。
 目を細め、正面からユーリを捉える。もともと隠すつもりもさほどなかったのだろう、ユーリは「ただあのねーさんの彼氏に難癖付けられただけだって」とそう言った。
 男はフレンとユーリが知り合いであることを知っていたらしい。人の女に色目を使うなと注意してほしい、と言われたのだという。

「色目だなんて、そんな」

 覚えのないことに眉を顰めると、「気にすんな、ただの僻みだ」と彼はあっさり切り捨てた。

「ただまあ、ちょっとカチンときてな」

 騎士団のくせして女にへらへらしやがって、という文句に始まり、あの顔で大した仕事ができるとも思えない、と能力の批判、そしていかに彼女がフレンに夢中であるのかを延々と愚痴った。少しでも男がフレンを悪く言おうものなら、「わたしのフレン様を悪く言わないで!」と叱責が飛んだという。

「誰がてめぇのだっつの」

 自分の恋人を放っておいて他の男にうつつを抜かして、挙句の果てにその言い方はないだろう、と。

「あったま来たからさ、」

 そう言ってにやり、と笑ったユーリの顔はどこまでも凶悪で、どこまでも妖艶な色を湛えており、ぐ、と眉間に皺をよせ、フレンはユーリの腕を掴んだ。

「君は、何をした」
「べっつに、大したことは何も?」

 オンナの愚痴を聞いてやって、酒飲んで、慰めてやっただけだぜ、とユーリは嘯く。その慰めてやった、という部分が問題なのだ。再度何をしたのか問えば、肩を竦めて「ちょこーっと頭撫でてやっただけだって」と悪びれなく言う。
 他に欲しいものができた、と彼女の恋人は言ったという。彼女もそれが何であるのか、分かっていたのだろう。だからこそユーリに対し、「この淫売」と口汚く罵った。

 その言葉を聞いた時に膨れ上がった怒りが、それを発した彼女に対するものなのか。
 あるいは、そう言われる言動を取ったであろうユーリに対するものなのか。

 彼の二の腕を掴む力が知らずと強くなる。ユーリは痛みを覚えて顔をしかめるが、フレンはその力を緩めようとはしない。そんな彼の顔をのぞき込み、「どこに怒ってんだ、お前」とユーリは口元を歪めた。

「……分かってるだろ、それくらい」

 ますます表情の険しくなるフレンを面白がるように、「オレ馬鹿だから分かんねぇな」と返す。どうしても彼はフレンの口から言わせたいらしい。ぐ、と唇を噛んだ後、「僕以外の男を煽ったことに決まってる」と吐き捨てた。

「部屋、戻るよ。何をどう慰めたのか、詳しく聞かせて」

 ぐいとユーリの腕を引いて歩きだしたフレンの背へ、「なあ」とユーリは声をかけた。

「女泣かせたことについては怒んねぇの?」

 どこか呑気なその声音が癇に障る。

「どうでもいいよ、そんなことは」

 不機嫌さを隠そうともせずそう切って捨てたフレンへ、ユーリは何故か満足気な笑みを浮かべた。




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2010.01.28
修正2010.02.02
















怖いわ、お前ら。