mine


 正直、手の届かない位置にいる、と思ったことがないわけではない。常に隣にあったはずなのに、いつの間にか手を伸ばしても触れることのできないところまで、上りつめてしまっていた。そう思ったことが一度や二度ではなかった。
 素直に悔しいと思う。同じ位置に立つことはできずとも、せめて同じ目線になりたいと思った。ただそれだけが目標というわけではなかったが、日々起こる様々なトラブルを抱えながらも、心のどこかにその思いはずっと居座り続けている。それはおそらくはこれからも変わらないであろう。
 たとえ隣にいることができなくなる日が来ようとも、それだけは変わらない。

「そういえば、ユーリ」

 ほんの少しの間に出来上がってしまった名もなき街を背後に控え、草原に寝転がったまま空を見上げていると、隣で同じような姿勢を取っているはずの親友が声をかけてきた。視線を向けることなく「なんだ?」と答える。
 日は徐々に傾き、気温も下がりつつある。そろそろ街へ戻った方がいいというのは分かっていたが、もうしばらくこうしていたかった。全力で剣を交えたせいで息が上がっていたというのもあったが、諸問題への決着を間近に控え、昂る気持ちを抑える時間が欲しかったのだ。戻るなら一人で戻れ、と言いかけて、そのことを言いたいにしては接続詞がおかしいな、と思いなおす。フレンの次の言葉を待っていると、「君は本気なのか?」と続けられた。

「……何が?」

 デュークに戦いを挑むこと、魔導器すべてを精霊へ変えてしまうこと、ギルドを続けるということ、罪を背負ったまま生きるということ。思いたることはいくらでも出てきたが、それらすべてに納得済みであることはフレンも理解しているはずだ。今だってその中の一つが原因で派手な喧嘩をやらかしたばかりだというのに。
 まだ何か言いたいことでもあるというのか。
 若干うんざりしながら、ユーリはようやくフレンの方へと視線を向けた。
 いつの間にか上体を起こし草原へ座り込んでいたフレンは、真剣な目つきのままユーリを見下ろしている。いや、そもそも彼が真剣でないこと自体さほどないのだ。こと、ユーリに関する事だと、常に真剣に心配し、怒り、喜ぶ。

「フレン?」

 いつもと空気が違うように思え、眉をひそめてその名を呼んだ。そんなユーリから視線をそらせることなく、フレンは口を開く。

「君は本気で、自分が代役だなんて思っているのか?」

 一瞬、彼が何のことを言っているのかが分からなかった。ユーリの表情からそれを察したのだろう、「ソディアに聞いた」とフレンは続ける。
 忠実すぎる彼の部下の名前に、ぴくりと眉が跳ねあがる。おそらく自分とは根本的に相容れない存在なのだろう。ここのところ少しずつ態度は軟化しているが、憎まれていることも身を以て理解した。これ以上徒に刺激をするつもりもない。側に近寄らないのが吉だろう、そう判断する相手だった。
 そういえば、とようやく思い出す。彼女に対して言ったことがあったような気もしなくもない。自分以上に相応しい人間が現われるまでの代役なのだ、と。それは紛れもないユーリの本音。フレンには言えないが、それでもずっと心の底で蟠っていた思い。

「…………あの女」

 どうしてわざわざそれをフレンに告げたのだろうか。大きく顔を歪めて、ユーリは舌打ちをした。その表情を見て、フレンはぐ、と眉根を寄せる。反応からユーリがある程度は本気でそう言っていた、と察したのだろう。

「僕は、君を誰かの代わりにするつもりはないし、誰も君の代わりにはならないと思ってる」

 彼らしい真摯な言葉。それを素直に受け止め喜び、礼を述べることができるほどユーリは真っ直ぐな性格をしていない。

「そりゃそうだろ。オレはオレだし、オレみたいなのがもう一人いたら世の中の迷惑だと思うぜ?」

 口元を歪め、癖になってしまっているシニカルな笑みを浮かべながらそう言うと、「そういう意味じゃない」と怒られた。もちろんそんなことは分かっている。そしてこの程度で交わせるほど簡単な相手ではない、ということも。ユーリ、と低い声で名を呼んだあと、フレンは手を伸ばしてきた。

「フレン、痛ぇよ」
「痛くしてるんだから、当然だろう?」

 寝転がるユーリを上から覗き込み、その両肩を草原へと押しつける。圧迫される痛みに眉を顰め文句を口にするが、まともに取り合ってもらえなかった。見上げた先にあるフレンの顔は相変わらず整っており、男のユーリから見ても綺麗だ、とそう思う。金髪碧眼の、絵に描いたような美形。物語に出てくる「王子様」は大体この男のような姿をしているのではないだろうか。
 その王子様はユーリをきつく見据えたまま、許さない、と低く呟いた。

「僕の側からいなくなるなんて、絶対に許さない」

 誰に対しても等しく優しく、等しく厳しい彼が、このようなことを言うなど、おそらく誰も想像しえないだろう。こんな一面があるのだ、と声高らかに主張したところで、誰にも信じてもらえないと断言できる。
 何も答えないユーリに、フレンはさらに言葉を続けた。

「物理的な距離のことを言ってるわけじゃない、って分かってるよね?」

 逃がさないから、と。
 肩にかかる力が更に増した。下手をしたら痣が残ってしまうのではないか、というほどの強い拘束。ちらりと己の肩へ視線を向けた後、ユーリは目を細めてフレンを見上げた。
 向けられるその瞳に狂気染みたものを覚えるようになったのはいつからだろうか。
 おかしい、とそう思う。
 友人に対するそれとは違う、かといって肉欲を伴う恋人に対するものにしても度が過ぎてはいやしないか、と。

 自由に動く両手をフレンへ向けて伸ばした。肩を滑らせ後頭部を捉え、ぐい、と自分の方へ寄せる。触れるほどの距離で名を囁き、そのまま唇を合わせた。
 驚きに一瞬目を見開いたフレンは、しかしすぐにユーリの唇を貪ることに決めたらしい。ぬるりとした感触に思わず開いた唇をこじ開け、舌を侵入させる。入りこんできたそれを追い出すこともできず、軽く舌先を触れ合わせて、ユーリは諦めたように目を閉じた。
 草の鳴る音の間を縫うように小さく響く水音と、湿った息使い。軽い酸欠を覚えたユーリが眉をよせ首を振ると、引きずり出した舌をひと際強く吸い上げて、ようやくフレンの唇が離れていった。
 濡れた唇を手で拭うより先に、ぺろり、と舐められ、「これくらいじゃ誤魔化されないよ?」と告げられる。

「じゃあ舌入れんなよ」

 呆れたようにそう言えば、「そこはそれ」と返された。折角ユーリから仕掛けられたキスなのだ、堪能して何が悪い、とでも言いたげである。あまりにも悪びれのないその表情にため息をつくと、緩く首を振った後に呟きを零した。

「ほんと、お前って、オレへの執着、半端ねぇよな」
「うんでも、だって、ユーリは僕のものだし」

 どうしてその言葉が「だって」と続けられるのかが分からない。分からないが、その狂気の滲んだ執着を心地よいと思ってしまう自分もまた、彼と同じようにおかしいのだろう。

「フレンがそう言ってる間は、お前もオレのものってことだな」

 ユーリの言葉にフレンは「じゃあ死ぬまでずっとだ」とあっさり返してきた。

「僕はそのつもりだよ。たとえ、君にそのつもりがなくても、ね」

 言外に無理やりにでも従わせてみせる、という傲慢さを漂わせた言葉に、呆れながらも「フレン」と名前を呼んだ。

「お前さ、オレ以上にお前に相応しい人間が現われると思うか?」
「思わない」
「少しは考えろよ」

 間髪いれずに返された答えに思わずそう言うと、「考えた結果だよ」とフレンは至極真面目な顔をする。そんな彼へ、「まあ、オレもそう思うけどさ」と肩を竦め、言葉を続けた。

「ていうか、そうなりそうな可能性は全部潰してくし?」

 にやり、と笑んで見上げれば、言葉の意味を捉え損ねたのだろう、きょとんとした顔の彼と目が合った。しかしすぐにフレンは理解する。

「物騒だね、ユーリは」

 啄ばむようなキスを受け止めながら、「お前には負けるよ」とユーリは笑った。




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2009.10.18
















最終決戦直前の大ゲンカのあと。
動かし方模索中。