君だけの味


 余程のことがない限り、首領の指示は絶対である。ギルドという組織を立ち上げ、その頭として誰かを立てるのならば、従うのが筋というものだ。
 凛々の明星の首領はまだ年端も行かぬ少年である。だからといって彼が滅茶苦茶な命令を飛ばすかといえばそうではなく、そもそも命ずること自体がごく稀だ。ギルドへ舞いこんだ依頼を受けるかどうかも、誰が赴くかも、少年はメンバと相談して決める。そして決まったことをお願いするのだ。よろしくね、と。
 そんな少年が珍しく、ユーリに対して一方的な指示を出した。

「明後日から三日間、空けといてね」

 昨日大きな仕事を終えてダングレストへ戻ってきたばかり、少しややこしい仕事であったため、しばらく頭を使う依頼は勘弁してくれ、と頼んであった。

「仕事か?」

 凛々の明星が本拠地として構えている小さな一軒家の台所で、隣に立ってじゃがいもの皮をむいている少年を見下ろす。調味料を手にしたまま尋ねる男を見上げ、「厳密にいうと違うけど似たようなものだよ」とカロルは返した。

「とにかく、ユーリはここにいてね。頭を使うことはないと思うから安心して」

 なんとなく気になる物の言い方だったが、説明するつもりのないものをわざわざ聞きだすこともないだろう。どうせ明後日になれば分かるのだ。そう思い、頷いて了承の意を示した。
 そして二日後。

「じゃあ、ボクはレイヴンとラブラブ旅行に行ってくるから!」
「ちなみにジュディスちゃんはバウルと一緒に里帰り中、パティちゃんもリタっちと一緒に嬢ちゃんとこへ行くって出かけたっきりよん」

 三日間好きにしていいから、と告げられた言葉は、男の視線からしてユーリに対して発せられたものではない。

「……三日も好きにされたら、オレはたぶん、あの世を見る」

 口元を引きつらせて仲間二人を見送ったユーリがぼそり、そう呟くと、何故かその隣に当然のようにいるフレンが上機嫌のまま「僕がユーリを殺すわけないじゃないか」と笑った。今朝早くダングレストに到着したらしい彼は、その足で真っ直ぐ凛々の明星を訪ねてきた。昨日までヘリオードで警備訓練を行っていたのだとか。突然現れた恋人に目を丸くしたユーリへ「三日間休みをもらった」とフレンは言った。それが故の「三日間空けといて」というカロルの命令だったのだ、とようやく気がつく。

「バレンタインのお礼がしたいから、とか言われちゃったら、そりゃもう、邪魔できないでしょ」

 ちゃんとチョコあげたんだね! とカロルに屈託なく笑われて、頬が赤くなるのを自覚する。そんな少年を逆にからかい返してやりたかったが、「ボクはお酒あげたもん」とさらりと告げられた。

「お返しに旅行に連れてってくれるって!」

 そう言って本当に嬉しそうに笑うものだから、自身の小さな羞恥心などどうでもよくなり、よかったな、と頭を撫でてやる。そんな二人が「ラヴラヴ旅行」とやらに出かけてしまい、家の中にはユーリとフレンの二人きり。バレンタインのときは結局会うことは叶わず、顔を合わせるのは二ヶ月振りくらいだ。
 なんとなく嵌められたような気がして面白くなかったが、ユーリとてフレンに会いたくなかったわけではないし、二人きりにされて嬉しくないわけでもない。仕方がない、とため息をついて肩を落とし、ぱちりと思考を切り替えた。

「つか、よく気づいたな、オレからのが混ざってるって」

 リビングへ戻りながら尋ねると、「僕が分からないとでも思ってたの?」と返される。

「……いや、思ってなかったけど」
「ユーリだって僕からのものはすぐに分かるだろ?」

 尋ねられ、僅かばかり遠い目をしたユーリは「分かるだろうな」と呟いた。フレンが作る料理は個性的という枠では収まりきらない何かを溢れさせている。見た目はまるで料理本から抜け出てきたみたいに綺麗なのに、一口食べて撃沈出来るものはそうないだろう。レシピ通り完璧に作る能力は有しているのに、どうしてそうなるのかがユーリには未だに理解できないままだ。
 もしかして、今日もチョコレートのお返しに何か作ってきた、とでも言うのではないのだろうか。そう考えながら、「で、うちの旦那様はどんなお返しをしてくれんだ?」と口にする。

 せめて食いもんじゃありませんよーに。

 ユーリのその希望は半分叶い、半分は外れた。リビングのテーブルの上にはフレンが抱えてきた荷物が乗っている。中を覗きこめば卵に小麦粉、牛乳、あとは果物類やチョコレート等。食べ物ではあるがどちらかというと材料に近いそれら。どうやらここで作ってくれるらしいことに気づき、何を、と尋ねようとしたところで、「クレープ、なんてどう?」と提案された。

「ユーリが食べたいのならケーキやクッキーでもいいけど」

 そうすると時間も手間もかかる。クレープならば手軽にできる上に、いろいろな味を多く楽しめるだろう。フレンのその言葉を、ユーリが却下するはずもなかった。
 側で料理をする手元を見ていれば、妙な味になることもない。そもそもクレープで失敗をするとすれば、生地か生クリームくらいだろう。どちらも材料を混ぜるときはそれとなく見ていたし、余計なものを入れた形跡もない。これならば安心して食べられそうだ、とこっそり胸をなでおろしながら、フレンの手元でかき混ぜられている生クリームを覗き込んだ。
 苦笑した男がまだ緩いそれを指ですくってユーリの口元へと運ぶ。ぱくりと咥えこめば、口の中にほんわかと甘い香りが広がった。

「ん、うまい」

 全て舐めとってから口を離すと、「それは良かった」とフレンも笑みを浮かべる。その笑顔を見てそういえば久しぶりかもしれない、とユーリは思った。共に旅をしていた期間は非常に短くて、しかも一か所にとどまるようなものでもなかったため、キッチンで一緒に料理、など下町にいたとき以来、だろう。それも生きるための三度の食事ではない料理は、本当に久しぶりだ。
 こんがりと焼き色のついたクレープ生地に生クリームにチョコレートクリーム。トッピング用のナッツ、小さくカットされたバナナにキウイ、イチゴやオレンジといったフルーツ類。それらをテーブルの上に揃えて、隣り合って座った男に「何から作ろうか」と尋ねられる。

「んー、やっぱ始めはイチゴだろ、イチゴ」

 たくさんの味を楽しめるように、と生地自体は小さめに作ってある。甘いものは別腹とはいうが、そもそも朝起きて以来何も口にしていないため空き具合も良い具合。とりあえずはオーソドックスな部分から攻めることにした。ユーリの中でクレープと言えばイチゴ。むしろデザートといえばイチゴ、なのだ。

「ジャムは?」
「いる、てか必須」
「そこまで?」

 笑いながらもユーリの要望通り、イチゴジャムに生クリーム、その上に生のイチゴを乗せてぱたん、と生地をたたむ。味覚が多少ぶっ飛んでいるだけで、基本的に料理センスのいいフレンは綺麗にクレープを包み上げてくれる。

「はい、どうぞ」

 差し出され、手を伸ばして受け取ろうとするが、フレンは首を横に振った。クレープから手を離しそうにないその態度に眉を寄せて、「このまま食え、って?」と尋ねる。

「誰もいないからいいじゃないか」
 ね、ほら。あーん。

 頭のネジが一本どこかに飛んでいるのではないか、というようなことを平気でやってのけるフレンに眩暈を覚えながら、まあいいか、と口を開けてしまう自分も自分なのだろう。というか今はそれどころではなく、とにかく目の前にある宝石に齧り付くのが先だった。
 ぱく、と咥えればイチゴの酸味と生クリームの甘さが程良く交わって口内で溶けていく。目を細めてむぐむぐと口を動かしそれを嚥下したところで、「美味しい?」と尋ねられた。
 もともと甘いものは好物だ。ケーキもシャーベットもクレープも好きで、生クリームだけでも余裕で平らげられる。それをフレンが作ってくれたのだ、美味しくないはずがない。

「うまい」

 何の皮肉を挟むこともなく、本心から言葉が零れた。自分の顔がしまりなくにやけているだろうことは分かっていたが、気を張る必要もないフレンを前に大好きな甘いものを食べて顔を作る余裕などない。もう一口、と口を開けてクレープに歯を立てると、何故か空いた左手で口元を押さえ、フレンがそっぽを向いていた。
 どうかしたのだろうか、と口の中で幸せを噛みしめながら首を傾げる。ユーリの疑問に気付いたのか、こちらへ顔を向けたフレンはうっすらと頬を赤らめているようだった。

「ユーリ、今の顔、反則」

 唸るような声で言われても、ユーリにはさっぱり意味が分からない。自分がどんな顔をしていたのか見たわけではないし、たとえ見たとしてもそれがどうしたと言うだろう。ますます首を傾げたユーリを見て、フレンは苦笑を浮かべた。

「僕以外の前では絶対今みたいに可愛く笑わないでね」

 君の笑顔は最終兵器みたいなもんなんだから、と至極真面目に言われるが、今度はユーリが苦笑を浮かべる番だ。
 そもそもこんな男を捕まえて可愛いだのなんだの口にするのはフレンくらいだと思う。不本意ながら綺麗だ、と賛辞されることはごく稀にある。ついでに艶っぽい、エロいだの言われることもある。自分がそうだとは思っていないが、どうやらそう見えるらしいことは自覚し、開き直りつつ利用している部分もある。しかしそれらは決してフレンの言う「可愛い」とは結びつかない事柄だろう。
 笑顔が可愛いというのなら、むしろ目の前の男にこそその言葉は当てはまる。
 そう言えば、「全然分かってないよね、君は」と最後の一口を口の中に押し込まれた。ついでに捻じ込まれた指で舌を撫でられる。

「んぅっ」

 詰ろうにも口の中にはまだクレープが残っており、とりあえずフレンの指を追い出してイチゴクレープを味わった。憮然とした顔をしながらも甘いものを食べているときは大人しいユーリを前にして、「だからこそ、だよ」とフレンは言う。

「そんなユーリが、可愛く笑ったりするから、みんな君に惹かれるんだ」

 言いながら、ジャムや生クリーム、ユーリの唾液で濡れた己の指をねっとりと舐め上げてみせた。すらりと長い指を伝う唾液にぬらりと蠢く赤い舌、歪んだ口元、ユーリを見るどこか危うげな熱を秘めた視線。
 普段のフレンからは想像もできないような艶やかな仕草と表情に、ぞくり、とユーリの脳の端が痺れた。喉を上下させて口内のものを呑みこむと、「お前こそ」とフレンをねめつける。

「人前で絶対にそんなエロい顔、見せんなよ」

 それはオレのもんだ、と囁きながら、フレンの指を奪いがじ、と歯を立てた。「ユーリもね」と笑って答えたフレンは、唾液で濡れた指先でユーリの顎を捕える。

「それで、うちの可愛い奥さんは、次はどんなクレープを御所望かな?」

 問いかけに言葉で返すことをせず、ユーリは膝を進めて身体をよせ、口の中の甘さを分け与えるように深く口付けた。




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2010.03.14
















ユーリさん、そこは「ヨーグルトバナナ」って答えるところだろー。