三ヶ月分の


 仕事が忙しいとどうしても私生活がおろそかになりがちである。体調管理等は仕事の一環として行っているため睡眠不足だとか、疲労困憊であるとかいうことはさほどないが、それを含めて他の雑事を後回しにしている状況。
 はっきりいえば、部屋が汚い。
 もともとフレンは几帳面な性格をしているため、足の踏み場もないほどに部屋を汚す、ということはまずない。おそらく今の室内の状況も、人によっては全然マシというレベルかもしれない。しかしそんな性格だからこそ、フレンにとって気になる部分も出てくるわけだ。
 机の上には読みかけの資料が重なり、手入れをしようと持ち帰っていた予備の鎧も部屋の隅に置いたまま。洗濯物だって溜まっている。
 騎士団付きの侍女たちに頼めば掃除や洗濯くらいしてくれるが、自分の領域に他人を入れることに抵抗がある。というより、自分でできる部分を他人任せにする、という意識がフレンには湧いてこない。自分の部屋を自分で掃除し、自分の服を自分で洗う、人としては至極当たり前のことだとは思う。
 とはいえ、その時間がとれずいろいろなものが放置されているのが現状。
 ふぅ、とため息をついて、騎士団服を脱ぎ捨てる。きちんと掛けておくだけの気力もない。騎士団長代理、などという重すぎる肩書きも一緒に脱げたらどれだけ楽だろうか。

「着替え、まだ、あったかな」

 ぼそり、呟きながら、そのままベッドへと倒れこむ。今は何かを考えるより、とりあえず眠ってしまいたかった。明日もやらなければならないことが山積みなのだ。






 誰かがそこにいたような気がする。
 翌朝起床し、ぼんやりとした頭のままフレンはそう思う。ベッドから足を下ろし、欠伸をしながらあれは夢だったのだろうか、と考え、部屋の様子が昨夜と違うことに気がついた。
 まず一つ、崩れそうなバランスで重なっていた机の上の本が、綺麗に整頓されている。読みかけのまま伏せて置いてあった本にはしおりが挟まれ、きちんと閉じてよけてある。空間のできた机の上にメモ用紙が一枚。覚えのある筆跡に、思わず笑みが零れた。
 忍び込んできたのが彼なら、自分が起きるわけがない。不用心だ、と責めるくらいなら、そもそも忍び込むな、と言いたい。
 そこにはユーリが訪ねて行っても眠ったままだったフレンへの文句と、部屋ぐらい掃除しろ、という小言が連ねてあった。いつもは小言を言うのはフレンの方だというのに、逆になってしまっているのがなんとなくおかしい。


『つーかさ、お前、城のやつに掃除とか洗濯とかしてもらえば? 頼みたくないってのも分かるけどさ。とりあえず今あるのは預かって帰るわ。夕方また持ってくる。』


 椅子の上に放置したままだった洗濯物がごっそりとなくなっている様子を目にし、フレンはふぅ、と息を吐き出した。
 ユーリがこの部屋を訪れるようになったのは、実はごく最近のことだ。彼が騎士団を辞めて下町にいたころは、距離として近かったのにまったく城へは近寄らなかった。その頃の彼は自身でもこのままではよくない、と分かっていたのだろう。フレンと顔を合わせたくなかった、という気持ちもあったはずだ。彼自身が帝都を飛び出し、ギルドを始め、落ち着く場所を見つけてのち、ようやくこうして顔を見せてくれるようになった。
 以前は早く追いついて来い、と発破をかけていたのに、いざ並び立つようになればこうして迷惑をかけることになってしまっている。
 至らない自身を反省するとともに、それでもどこか嬉しく思っている自分がいることも誤魔化せない。


『ユーリへ
 ありがとう、助かるよ。起こしてくれても良かったのに。』


 ここのところ、互いの仕事が忙しくてまともに顔を合わせていない。話したいこと、聞きたいことはたくさんあったが、メモ書きではそれもままならない。彼の体調や近況を尋ねる言葉のあとに、少しだけ考えてフレンは一文付け加えておいた。いつ来てくれるかも分からない彼のために、この部屋には日持ちのする菓子を用意してある。その中の一つをメモと一緒に机の上に置いて、今日の予定をこなすため、フレンは部屋を後にした。


『ねえ、ユーリ。君、僕の所にお嫁にこない?』






 できれば夕方に部屋へ戻りたかったが、次から次へと降って湧いて出てくる案件のせいでそれもままならず、結局自室へ戻れたのは夜も大分更けた頃だった。扉を開けて、今朝出てきたときよりさらに部屋が綺麗に掃除されていることに気づく。もしかしたら軽く掃き掃除までしてくれたのかもしれない。彼自身は綺麗好きというタイプではないため、フレンがそうであることを理解しているが故の行動だろう。
 机の上には今朝と同じようにメモ用紙と、拳大の何かが置かれている。薄い茶色の包み紙の中からはアーモンドの乗った焼き菓子が出てきた。
 おそらくはユーリ手製であるのだろうそれを齧りながら、どんな返事があるだろうか、とメモ用紙を手に取る。


『フレンへ
 服はクローゼットの中。勝手に片付けといた。
 こっちはそれなりに。大して変わりはないぜ。』


 彼らしいそっけない文章。それでもこうして彼の片鱗に触れることができるだけで、フレンにとっては嬉しいことだ。
 左手で書き連ねられた癖のある文字を追いながら、もう一口、と焼き菓子へかぶりついたところで、ぶは、と口の中のものを吹きだしかけた。げほげほと咳こみ、なんとか菓子を全て飲み込んでから、もう一度メモ用紙へ目を向ける。


『こんな紙切れでプロポーズってどういうことだ、バカ。
 オレと一緒になりたきゃ、給料三ヶ月分の誠意と甘いもん寄こせ。
 このチョコレート菓子、うまいな。
 ユーリ』


「あ、甘いもの、関係ない……っ」

 メモ用紙を片手に、その場に蹲って笑い続ける。ひとしきり笑い、にやけた顔のまま立ち上がったフレンは、眦に浮かんだ涙を拭って呟いた。

「三ヶ月分の誠意と甘いもの、ね。用意してみせましょう」

 それらをつきつけたとき、彼が一体どんな反応を返してくれるのか。
 今から楽しみで仕方がない。




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2009.12.19
















もう結婚しちゃえよ。