あなたのかわりに。


 別に何をする、というわけでもない。それでも宿の二人部屋、二つあるベッドのうちの片方は使わないまま、一つのベッドですり寄って眠る。昔はそもそも暖かな布団というものがなかった。暖を取るためにいつも近くにいたし、ようやく手に入れたベッドも一つしかなかったから、当然のように二人で使った。そんな幼い頃のくせが抜けていないだけなのかもしれない。おいでよ、と誘われれば何の疑問も抱かずその隣に横になった。あるいは無言のまま有無を言わさず潜り込むこともある。別に一人では眠れないというわけではない。彼でないと駄目だ、というわけでもない。ただ、同じ部屋で眠るのだ、どうして違うベッドを使う必要があるのかが分からなかった。ある時を境に体を繋げるようにはなったが、そのために同じベッドで眠っているのではないのだ。
 もう一つの、使われないまま寂しげに放置されたベッドを見やりながら、ユーリは「なぁ、フレン」と後ろで横になっている幼馴染の名を呼ぶ。もしかしたらもう寝ているかもしれない、と思ったが、長年一緒のベッドを使っているため、気配で彼が眠っていないことはなんとなく分かっていた。

「なに?」

 ごそり、と身じろぐ気配。仰向けで寝ていたフレンがこちらを向いたらしい。しかしユーリは彼に背を更けたまま、正面にあるベッドをじっと見つめる。

「オレ、さ。ずっと、お前に言わなきゃ、って思ってたことが、ある」

 ずっと引っかかっていたこと。直視すればすべてが壊れてしまうのではないかと恐れ、目をそむけ続けてきた。ユーリたちの旅も終りが見えて来ている現在。ようやくそれと向き合う覚悟ができた、というわけではない。できればこのまま何もなかったことにしてしまいたかったが、この戦いが終わればまたフレンは騎士団での役割を果たすために忙しくなってしまうだろう。他の仲間には口が裂けても言わないが、もしかしたら生きて戻れない可能性だってある。それを考えると今しかない、という気がしてならなかった。

「何を?」

 穏やかな声に誘われるように眼を閉じ、息を吐き出して呼吸を整える。こみ上げる何か、おそらくは恐怖だとかそういう類の感情を抑え込むようにぎゅ、と強く左手を握って、「ごめん」とユーリは小さく呟いた。

「ずっと、謝んなきゃ、って思ってた」

 だからごめん、とそう言うユーリへ、「何に対する謝罪、なのかな」とフレンは同じように穏やかな声音で尋ねた。
 ユーリはどちらかといえばあまり素直ではない性格をしている。だから正面から謝るということはあまりない。根は真っ直ぐなので、自分が悪いと思えばその非を認めはするが、今のようにしおらしく謝る、というのは珍しいだろう。幼いころから彼と時間を共にしていたため、ユーリから謝られる、ということも数え切れないほど経験している。しかし、そのどれとも雰囲気が違うということだけははっきりと分かった。
 数拍の間を置いたのち、「逃げた、こと」と絞り出すような声でユーリは言う。

「昔、お前の側から逃げた。騎士団に入って、中から帝国を変えようって。そう言ったのに、嫌になって、放りだして、逃げて、結局お前一人に全部押しつけた」

 フレンが今でもユーリに騎士団へ戻って来てもらいたい、と思っていることを知っている。しかしユーリは彼のその想いには応えられない。

「オレはお前の望むオレになってやれなかった」

 本当はユーリだって、フレンと共にあれたら、と思うのだ。二人でならどんなことだって乗り越えていけるだろう、と。しかし、自分にはその能力がない。そして、その資格も既に失っているだろう。そのことを一番歯がゆく思っているのは、ユーリ自身に他ならない。
 進むべき道を違えたところで、目指すものは同じ。そのことは理解しているし、それぞれ手の届かないところを補いあっているのだ、ということも痛感している。今はこれで良かったのだ、と思わなくもない。しかしそれでも、一度志した同じ道を頓挫し、逃げだした過去は変わらない。

「ほんと、ごめん」

 いつか謝らなくては、とずっと思っていた。
 騎士団を飛び出し下町にいた頃、何度となくフレンから言われ続けていた、このままでいいのか、と。それが煩わしくてまともに向き合うこともしなかった。全てから逃げて逃げて、逃げ続けてきたことに対する謝罪。
 ごめん、ともう一度謝り、ユーリは肩を上下させて息を吐き出す。フレンからの反応はまだない。ただ黙って聞いてくれているが、一体何を思っているだろうか。振り返りその顔を見れば多少は察することはできるが、目を合わせることが怖い。
 何か言ってくれないだろうか、と背後の幼馴染の気配を探っていると、不意にフレンが体を起こした。途端寒くなった背中に体を震わせると、「ユーリ」と名前を呼ばれる。
 フレンの声からはきっと糸か何かが出ているのだと思う。静かに名を呼ばれると、振り返らないという選択肢がユーリから奪われてしまうのだ。促されるままにくるり、と体を反転させると、フレンは上体を起こしてベッドに座り込み、ユーリを見下ろしていた。そんな彼の目からほろり、と涙が零れ落ちる。

「……なんでお前が泣いてんだよ」

 そんなにも彼を悲しませるようなことを言っただろうか。尋ねると、フレンは涙を拭うこともせずに、「ユーリが泣かないから、だよ」と言った。

「オレが?」
「どんなに悔しくても、悲しくても、君は泣かないから」

 だから代わりに泣いているのだ、と。
 青い瞳から零れる透明の液体はきらきらとしていて、宝石のように綺麗だった。

「……ごめん、な」

 横たわったままフレンを見上げ、手を伸ばしてその頬を拭う。指先を濡らす液体につきり、と心の奥が痛んだ。眉を寄せたユーリを見て、フレンは小さく首を横に振る。

「僕の方こそ君に謝らないと」

 そう告げる彼になぜ、と視線で問うと、フレンは少し自嘲めいた苦笑を浮かべて口を開いた。

「だって嬉しいんだ」

 ユーリが自分の隣に立てないことを悔しがっている、という事実が。
 彼の中にはまだフレンという存在が大きな位置を占めているのだ、と分かるから。

「君と一緒にいたい、と思うのは僕のわがままで、君が気に病むことは全然ないんだよ」

 分かってるとは思うけど、とフレンは付け加える。

「ごめんね、ユーリ。僕は君を苦しませてばかりいる」
「オレこそ。お前を怒らせてばっかだ」

 ごめん、と互いに謝り、それでも互いに理解している。
 どれほど相手を悩ませる存在になろうとも、その手を手放すことはできないのだ、と。
 ユーリがそう言うと、フレンはくしゃり、と顔を歪めた。同時に新しい涙がほろリ、頬を伝う。
 肘を立てて体重を支え、首を伸ばしたユーリはフレンの目元へと唇を近付けた。溢れる雫を吸い上げ、眦を舐める。

「ユーリ」

 体を起こして向かい合わせに座り込む。両手で頬を包み込み、もう片方の眦へも唇を落とした。

「オレの代わりに泣くってんなら、オレが拭ってやるのが筋だろ?」

 ぺろり、と唇を舐めてそう言ったユーリへ、「どうせなら」とフレンは自分の唇へ指を這わせる。

「こっちも舐めてくれたら嬉しいかな」

 赤い目のまま要求されたことに、「お安い御用だ」とユーリは笑った。




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2009.12.23
















何でお前が泣いてんだよ。
むしろ小具之介が言いたい。