酔余の戯れ(嘘)


「ってことで、今夜は帰さないわよ」

 そう言いながらしなを作ってばちん、とウインクをかましてくるレイヴンに、うんざりとした表情を浮かべて、「何が『ってことで』なんだよ」とユーリは口にする。それに「だってぇ」とレイヴンは唇を尖らせるが、いい年をした男がよくもそんな仕草を軽々しくできるものだな、とユーリは常々思っていた。ここまでくると呆れを通り越して感心できるほどだ。

「ユーリちゃん、いっつも付き合い悪いじゃなぁい? 少しくらいはおっさんも一緒に遊びたいもん」

 彼らが本日の宿を求めたのはギルドの街、ダングレスト。いつものように宿へ部屋を取った後、何やら企み顔のレイヴンに、フレン共々酒場へと連れ込まれた。角にあるテーブルにつき、運ばれてきた酒とつまみを前に男三人での酒盛りである。

「フレンとは前に飲んだけどさ、ユーリはいつ誘っても『面倒くさい』って言うし。フレンと一緒ならいいかなーって」

 だめ? と小首を傾げられても可愛くも何ともない。

「別にフレンがいないから嫌だっつってたわけじゃねぇんだけど」

 溜息とともにそう言えば、「あれ、そうなの?」とレイヴンは驚いたように言った。

「俺様てっきりフレンちゃんに止められてるのかと」
「僕が止めたところで聞くような奴じゃないですよ」

 レイヴンの言葉にフレンが苦笑を浮かべてそう返し、「つか何で止められなきゃなんねぇんだ」とユーリは不服そうだ。

「や、ほら、お酒飲んだらキス魔になっちゃうーとか、エロエロになっちゃうーとか?」
「どんな酒乱だ、オレは」
「もしそうなら二人きりの時にしこたま飲ませます」

 根拠のない推測に呆れて返したユーリの言葉に、フレンの声が重なった。

「フレン、お前な……」

 隣に座る男をじっとりと睨めば、彼は悪びれる様子もなく「見てみたいじゃないか、そんなユーリ」と笑った。何を言っても無駄な気がするのでもう一度ため息をついて、「マジで理由なんかねぇよ」とユーリは口にする。

「おっさんが飲むっつったらこういうとこだろ。知らねぇ奴と飲んでも疲れるだけだし」

 彼の言う知らない奴とはつまり給仕の女性たちである。彼女たちも仕事でそれぞれのテーブルで酌をしているのだから無碍に扱うわけにもいかない。レイヴンとしてはむしろ彼女たちと飲むことが目的なのだろうから、それを楽しめない自分などが側にいても仕方ないだろう、と思って断っていたのだ。その上ユーリにとって酒場はひたすら他人に絡まれる場所、というイメージしかない。それは彼の態度もさることながら、その容姿にも原因があるのだろうが、とにかく厄介事を自ら招こうとは思わないだけである。

「まあ、たまにならいいけどさ」

 しかし今日はもうここまで来てしまっているし、何よりずっと断り続けていたことをレイヴンが気にしていたようなので、少しは付き合ってもいいかと、ユーリは琥珀色の液体の入ったグラスを手に取った。一口含むとリンゴの甘さが広がる。

「あ、これ美味い」

 思わず呟けば、「ユーリはお酒も甘い方が好きなのね」とレイヴンが苦笑を浮かべた。

「次は宿で飲みましょーね」

 青年が好きそうな酒、用意しとくわ、と言う彼へ、「そりゃ楽しみだ」とユーリも笑って答えた。

「そういうレイヴンさんの好きなお酒はなんですか?」
「俺様? やっぱ辛い方が好きねぇ。舌にぴりっとくるのが」
「おっさん、あんまり辛いもんばっかり食ってると体に悪いぞ」
「甘いものばかり食べてるユーリが言えたことじゃないと思うけど」

 フレンの言葉にう、とユーリが声を詰まらせ、レイヴンが声を上げて笑う。そこへ「なぁに? 楽しそうね」「あら可愛い子がいるじゃない」と、女性が数名顔を出した。

「あら、レイヴン、来てるのなら呼んでくれてもいいじゃない」
「あ! この間の騎士さんだぁ。また来てくれたんだ?」

 口々にそう言いながらソファへと腰をおろしてくる。彼女たちのためにスペースを開けてやりながら、ユーリもフレンも、適度な距離でそれぞれ会話をしていた。ざっとレイヴンが見るに、口では面倒くさいと言いながら、ユーリもこの手の女性たちのあしらいは上手い方だろう。多少ぶっきらぼうだが、そつなくこなしているようだ。ただ単に本当に面倒くさいだけだ、という彼の言葉はどうやら事実だったらしい。フレンの方はといえば先日確認した通りで、「今日はお客さんも少ないし、向こうでゆっくりお話しましょ?」と女性二人に腕を取られたときはさすがに面食らっていたが、「いーんじゃね? いってくれば?」とにやにや笑った親友に背を押され、「じゃあ、ちょっと席外すね」と別のテーブルへ連れて行かれてしまった。きっと何人の女が取り囲んだところで彼はあのペースを崩すことはないだろう。

「……良かったの? ユーリちゃん」

 思わず尋ねれば、「こうなるの分かってただろ」と肩を竦められる。

「あいつはどこ行ってもモテんだよ」

 昔からそうだった、と懐かしむような表情を浮かべた。

「青年だってモテるでしょ」
「オレの場合は性別の割合がなぁ……」

 レイヴンの言葉にどこか遠い目をしたままユーリが答える。なんとなく意味を察したレイヴンは「あーそりゃあ、もう、しょうがないんじゃ、ないかしらねー」と返すしかなかった。
 彼ら幼馴染は二人とも人の目を引く容姿をしているが、醸し出す雰囲気がまるで違う。明るく太陽のようにきらきらと光るフレンに対し、闇夜に凛と浮かぶ月のように妖しげに光るユーリ。女性的というわけではないが、そういう気のある男性からの誘いもユーリは多かったようだ。普段はさして気にしていないどころか、敢えて利用し面白がっている節のある彼だが、やはり男として思うところがないわけではないのだろう。

「髪切ろうかとも思ったんだけどな」

 切るなの一点張りで、とユーリは顎をしゃくった。その先には数名の女性に取り囲まれて和やかに会話を交わしているフレンの姿。そう言えば以前ユーリの髪はフレンが切っていたという話を聞いたような気もする。

「んー、俺も切るのは反対かな。似合ってるし、そもそも切ったところで変わんないと思うよ、青年の場合は」

 たとえばっさりと髪を切ったところで、彼が彼である限り惹かれる人間は後を絶たないだろう。顎に手を当ててそう言うと、「どういう意味だ、それは」とユーリに睨まれた。

「そんだけユーリちゃんが魅力的って意味でしょ」

 嘯いてみせると嫌そうに彼は顔を顰める。褒めたのだからもっと嬉しそうにすれば、と笑いながら言おうとしたところで、「レイヴン」と名を呼ぶ声。二人してそちらへ視線を向けると、小柄で少しふっくらとした女性が手招いていた。

 立ち上がって彼女の隣へ行き、話を聞いているうちにレイヴンの表情が少しだけ強張る。どうやら真面目な話、仕事絡みの話らしい。「んー」と声を上げて、彼はカウンタとユーリとを見比べた。その仕草になんとなく察し、苦笑を浮かべたユーリはひらひらと手を振る。レイヴンもユーリが察したことに気づき、「悪いわね」と一言残してカウンタへと向かった。それぞれ人の心情に敏い方であるため、余計な言葉を発せずに済むところが非常に楽だ。
 そう思っていたところで、「隣、いいかしら」とレイヴンを呼びにきた女性が声をかけてきた。彼女はただ彼へ言づけに来ただけらしく、一人になるユーリに気を使ってくれているのだろう。

「ごめんなさいね、お友達を二人とも借りてしまって」

 慣れた手つきでグラスを用意する彼女へ、「いいや、別に」と肩を竦める。

「そのおかげでオレはおねーさんと二人きりで飲めるし?」

 受け取ったグラスを軽く重ねながらそう言うと、彼女は「あら、あなたも口がお上手ね」と笑った。

「あの二人には敵わねぇよ」
「彼らは引き合いに出しては駄目だと思うわよ」

 とくにレイヴンは、とどうやら親しいらしい彼女はカウンタの方へと目を向ける。確かに、女性に対しては滅法甘く滅法弱い彼はとにかくひたすら口が回るのだ。それでよくリタに怒られ嫌がられてはいるが、止めるつもりは一切ないらしい。

「それにあの騎士さんも」

 その言葉に再びフレンの方へと視線を向ける。あいつがどうかしたのか、と目だけで問えば、「だって彼、穏やかなんですもの」と彼女は唇を尖らせた。

「あれだけ女の子に囲まれてるのに、全然動じてないでしょう? 押しても叩いても反応がなさそう」
「オレなら反応がありそう、って?」

 そう尋ねれば、じっとユーリを見た後彼女は口を開く。

「あなたはあなたで掴みどころのないひとみたいだけど、あの二人よりはわたしを人として見てくれそうね」
「……別にあいつらがねーさんたちを人と思ってねぇわけじゃないだろ」

 どことなく自虐的な言葉に眉をひそめ、首を傾げた。雰囲気からしてそういうことをいいそうにない人間だと思ったのだ。彼女も「そうね、なんて言ったらいいのかしら」と眉を顰める。

「レイヴンのあれはただ『女の子を口説く』ってだけでしょう? 相手は誰でもいいのね」

 それでも口説かれれば嬉しいし、レイヴンという男も嫌いではないのだ、と彼女は言う。

「あっちの騎士さんもただ会話をしてるだけで、あの中の子たちに個人的に興味があるわけではないと思うの」

 それはそれでいい。むしろ商売として客の相手をしている以上、そうしてもらった方がずいぶんと助かる。

「でも、あなたはそういうの、あまり得意ではなさそう。ちゃんとわたしを一人の人間として相手をしようとしてくれてるから、だからあまりこういうところが好きじゃない」

 違う? と首を傾げられ、ユーリは参った、と肩を竦めた。自分のことも含め彼女の分析が正しいかどうかは分からなかったが、とりあえずこの場を苦手としているということは見抜かれている。

「あなた、真面目なのね」

 それこそ彼女の方が真面目な顔をしてそんなことを言う。

「極悪人って言われたことあるけど」

 笑って言えば、「少し悪い方が素敵じゃない」と返された。
 その言葉の選び方が誰かに似ていると思えば、何のことはない、仲間にいるクリティア族の美女だ。女性の選ぶ言葉は観念的で、ユーリには理解できない場合の方が多い。しかし、こういう会話は嫌いではなくて、適当にグラスを交えながら会話をしていたところで、「お邪魔、かな」と声が入ってきた。顔を上げればフレンの姿。

「それ、お前が言うと嫌みにしか聞こえねぇ」

 さっきのねーさんたちはどうした、と問えば、「あっちにいるよ」と振り返る。先ほどまで彼のいたテーブルに残っていた彼女たちは、向けられた視線にきゃあ、と黄色い声を上げて喜んだ。それににっこりと笑みを浮かべて手を振り、しかしあっさりと背を向けてユーリの隣へと腰を下ろした。この場合は女性を挟んでそれぞれ座ったほうがいいのではないか、と思うが、フレンの動作があまりにも自然すぎて突っ込むこともできない。
 ユーリを挟んで伸びた彼女の手からグラスを受け取り、「レイヴンさんは?」と首を傾げる。

「あの人はあっち。ちょっとギルド関係で呼ばれてるみたい」

 指さされた方を見てなるほど、と頷く。どうしてユーリが一人だったのかが気になっていたようだ。そんな彼へユーリが何かを言う前に、「さて、と」と女性が隣で立ち上がった。

「お友達も帰ってきたことですし、私のお役目はもうおしまい、ね」

 にっこりと笑って言う彼女は、やはりユーリがどこか居心地悪くしていることに気づいていたのだろう。

「別に、ねーさんと飲みたくねぇってわけじゃないからな?」

 それなりに会話を交わして名前を知って、個人的に親しくなればきっと仲よくなれる相手だろう。そう思う。

「ほんと、真面目ね」

 そう笑った彼女は、ありがとう、と言ってカウンタの方へと戻っていった。

「良い人だね、今の人」

 ユーリを真面目って言ってくれた、と何故かフレンの方が嬉しそうに笑っている。あまりに真っ直ぐな言葉に照れよりも呆れが勝ってしまい、ため息をついてグラスに残っていた酒を一気にあおった。ユーリの好みからはすこしずれた辛口の酒。レイヴンなら好きそうだな、と思っていると、「ねぇ騎士さん」と再び声が掛けられた。
 ここはギルドの街ダングレスト。ギルドに属するものはといえば、どちらかといわずともアウトローなものが多いため、フレンのような人間は珍しいのだろう。毛色の違う存在がもてはやされるのは仕方のないことだが。

「……眠ぃ」

 顔を出した女性二人と会話をしているフレンの横で、ユーリはぼそりと呟いた。

「ユーリ?」

 酔ったの? と尋ねてくる彼へ、「久々に飲むと回るの早ぇな」と答える。座る位置を少しずらしてフレンから距離を取った。

「足、貸せ」

 言うなり、ユーリはぱたりとソファの上で上半身を倒した。頭の下にはフレンの膝がある。しょうがないな、と笑ったフレンの正面では、立ったままだった女性二人が「やだ、可愛い」と口元を押さえていた。

「眠たいみたいだから、今日はここまで、ね?」

 し、と人差し指を立てて唇にあて、静寂を要求する。また今度ゆっくりお話しましょう、と穏やかな声で告げられ、女性たちは「絶対よ」と嬉しそうな声を上げて二人のいるテーブルから離れて行った。
 店の喧噪はあるが、それでもようやく取り戻せた静かな空間で、フレンはゆっくりと膝の上にあるユーリの髪を梳く。指通りの良いそれを楽しんだあと、隠すように顔の前に置かれていたユーリの腕を取りあげた。

「やっぱり起きてた」
「この程度で酔うか、馬鹿」

 テーブルを離れていた時間があるためはっきりとは分からないが、確かに眠気がくるほど飲んでいる様子はない。ユーリはフレンに比べれば強くはないが、酒に弱いということもなく普通に飲める程度、なのだ。
 ゆらりと身を起こしたユーリへ、「なんで酔った振り?」と行動の意味を尋ねる。しかし彼は乱れた髪をかきあげて、「別に」と一言。その口調と表情を見て、フレンは思わず顔がにやけそうになった。

 もともとユーリはどこか人を食ったような言動を取ることが多く、どんなことにも一歩引いた距離感を取る。怒らせたかと思い慌てて謝っても結局は怒ったふりで、こちらをからかっていただけだということもあった。だから一瞬またいつものようにこちらをからかっているのだろうか、と思ったのだけれど。
 つまらなそうに歪められた口元へ、摘んだイチゴを持っていくその所作がいつもの彼とはほんの少しばかり、違っている。それに気づき、確信した。
 これは本気で拗ねている。
 性格と懐の広さから、こういったことでユーリが拗ねるなど滅多にない。怒るときは本気で怒り嫌がるが、拗ねる、ということがないのだ。その彼が、女性に囲まれたフレンの姿を見て、一人取り残されて、頬を膨らませて拗ねている。
 そんな可愛い姿を目の当たりにして、頬が緩まないわけがなかった。

「……なんだよ」

 くつくつと肩を震わせて笑っているフレンをじっとりと睨み、直もユーリの機嫌は降下していく。とりあえず無理やり笑いをおさめ、それでもにこにことした表情のまま、「別に」とフレンは先ほどのユーリの言葉をそのまま繰り返した。

「ところでユーリ」

 様々なフルーツが綺麗に盛りつけられた皿から、イチゴだけを摘んでは食べている彼の名を呼ぶ。水滴と果汁で濡れた指先をぺろり、と舐める舌先が妙に目についた。

「もうちょっと酔った振り、続けない?」

 おいでよ、と膝を叩けば、苦虫を噛み潰したかのような表情をユーリは作った。そして嫌だ、と首を振る。どうして、と問えば、「匂いがする」と返ってきた。

「香水。移ってる」

 女性が付ける甘い香りがフレンからする。それが嫌だ、というユーリへ、「じゃあ」とフレンは手を伸ばす。

「匂いを落としたらしてくれる?」

 酔った振りをして甘えて、拗ねて。

「ついでにキス魔とかエロエロになってくれてもいいけど」

 頬に掛かる髪の毛を指で払い、親指で唇に触れてそう言う。ユーリはそんなフレンの指へ「ばぁか」と笑って噛みついた。




ブラウザバックでお戻りください。
2010.01.29
















酔わなくてもエロエロなユーリさんが酔ったらどうなるんでしょうね。