表の「所有物、管理物」、裏の「あなたが教えて」「君に教える」の続き。


   追加講義


「お腹、空いたかも」

 暖かなシーツの中で二人、体温を分け合いながらだらだらとした時間を過ごしていたが、カロルのそんな一言によりとりあえず階下へ向かうことになった。夕食にはやや遅い時間帯。実はカロルがユーリと会話を交わしたのは昼に近い午前中のことであった。日の高いうちから耽る行為ではなかったことなど重々承知していたが、そこはノリと勢いである。時間など気にしていられなかった、ということもあった。午後いっぱい互いを確かめることに夢中になり、軽く寝入ってしまったためこれから寝るにしても中途半端な時間で、昼食と夕食を食いはぐれた胃が自己主張を始めるのも仕方がないことかもしれない。

「何か食べるもんあるかしらね」
「ここんとこユーリがずっといたから、何かあると思うよ」

 決して口に出して認めはしないが、ひねくれた性格の青年は料理が好きでありまた得意でもある。彼がキッチンのある場所にいれば自然と食材は常備されるようになり、また何かしらすぐ口にできるものがあるようになる。
 今までに経験のない運動をしたせいで上手く歩けないカロルをレイヴンが支え、部屋の外に出るとリビングに人の気配。見下ろせば、同じように気配を感じて見上げていたフレンと目が合った。「おはようございます、と言うには時間がおかしいですね」と笑った彼へ、「まあね」とレイヴンが苦笑して答える。
 カロルの歩調に合わせてゆっくりと階段を降りたが、さすがに何をしていたのか互いに察している状態で顔を合わせるのは気まずいらしい。カロルはレイヴンの背に隠れたままである。ひしりとしがみついてくる少年の体温を感じながらソファへ近寄り、そこに横たわる青年をまじまじと見降ろして、レイヴンは素直に「エロい姿」と口笛を吹いた。
 フレンの足を枕にソファへ横たわる青年、ユーリは下肢に衣服をまとっておらず、そのすらりとした細い足を晒したままである。あまり日に触れることのない白い足は、全身から漂う気だるげな雰囲気と相まって酷く艶めかしく見える。同性の足を見て色気を感じるなどあまりないだろうが、その気のない男でさえくらりとくるだろう。さすが無駄にフェロモン垂れ流しているだけある。
 半ば感心してじっとその足を見下ろせば、どん、と背中に衝撃が走った。

「…………少年、痛いわよ」
「レイヴン、見過ぎ」

 どうやら他の男の足に見惚れていた(と言わざるをえないだろう)ことが気に入らなかったらしい。頭突きをかまされた背中をさすりながら視線を上げると、これ以上見るな、という無言の要請をにじませたフレンからのきつい視線が突き刺さった。表面上笑顔であるだけ、非常に怖い。
 とぼけるように顔を反らせてとりあえずカロルをソファへ座らせた。無茶を強いたつもりはないが、いろいろな面で無理のある行為だ。受け入れる側に負担が大きいのも当然で、その上二人には体格差もある。しばらくは動くのも大変だろう、ととことん甘やかすことに決め、「何か飲む?」と聞けば「牛乳」と少年らしい答えが返ってきた。

「そっちの二人は?」
「ありがとうございます。僕はお茶か何か頂ければ」
「……オレ、オレンジがいい」

 続いてフレンの足の上から少し掠れた声が上がる。

「起きてたの、ユーリ」

 呆れたようにカロルが言えば、「おかげさまで」とやや的外れな答えが返ってきた。

「ユーリ、起きてるなら服着なよ」
「ここにねぇし」

 フレンの言葉にころり、と仰向けへ戻って言うユーリを見下ろし、大きくため息をつく。頬に掛かる黒髪をそっと払い、軽く額を撫でた後、半身の頭を避けてフレンは立ち上がった。そのまま階段へ向かいユーリの部屋へと戻る。
 その間にそれぞれの飲み物を用意したレイヴンが戻ってきたが、「何か軽く腹に入れるもの作るわ」と再びキッチンへと姿を消した。リビングへ下りてきたフレンも、手にしていた服をユーリに投げると「手伝ってくる」とレイヴンを追う。結果部屋に残ったのはカロルとユーリという、ある意味当然とも言える組み合わせ。
 のっそりと起き上がり、膝を立ててもそもそとズボンへ足を通すユーリを正面に見ながら、「なんか、辛そうだね」と思わずカロルが声をかける。ちらりと顔を上げてカロルへ視線を向け、大きくため息をついたユーリは服を着終えると同時に再びぱたりと横になった。

「だりぃ」

 もともとあまり日に焼けないのか、どちらかといえば白い肌をしてた彼の顔は、今はより色を失っている。かなりダメージを受けているらいしことはカロルでも理解できた。

「部屋で寝てたらいいのに」

 そんなに辛いなら下りてこなくてもいいのに、と言えば、「複雑な事情があんだよ」とはぐらかされた。そんなことより、と黒髪を掻きあげ、視界を確保しながらユーリが話をカロルへと振る。

「そっちはどうだったんだよ」

 なんとなく、ユーリと顔を合わせればそういう話になるだろうな、と思っていたため取り乱しはしない。顔を赤くしながら、「ちゃんと、したよ」と答える。ユーリを頼ってあのような質問をしておきながら、答えを逃げるのもおかしい気がするのだ。

「別にしなきゃいけないってわけでもないの、分かってたんだけど、やっぱり安心するね」

 口にした言葉が恥ずかしくて、誤魔化すように両手に持っていたグラスへ口をつける。こくり、と喉を動かしながら正面を見やるとふうわりと笑んだユーリと目が合った。

「そりゃ良かったな」

 どこかひねた笑みを浮かべることの多い彼にしては非常に珍しい表情だ。そういった顔を向けて貰えるほどにはユーリの懐に入れてもらえている、ということが純粋に嬉しい。

「ありがとね、ユーリ」
「んあ? オレは別に礼を言われるようなこたぁ、してねぇけど」
「でも結果的にはユーリのおかげみたいなもんだし」

 ユーリ自身そこまで見越していたわけではないだろうが、それでも彼のあの行動がレイヴンを焚きつけたのは事実だ。
 そう言えば、くつくつと笑ったユーリが「あれくらいならいくらでもしてやるぜ?」とぺろり、唇を舐めてみせる。相変わらず艶めかしく動くその舌に顔を赤くしながら、「もういいよ」とカロルは唇を尖らせた。

「簡単に触らせるな、ってレイヴンに怒られたし」
「ははっ、あれくらいで怒んなっつっとけ」
「ユーリだってフレンに怒られたんでしょ?」
「怒られた怒られた、すげぇ勢いで怒られた。犯り殺されるかと思った」

 そう言いながらもどこか楽しそうにユーリは己の喉を左手で撫でる。先ほどから気になってはいたのだが、どうやらそこには赤黒い線のような痕が残っているようなのだ。

「ユーリ、それ、さ」

 さすがに聞きづらかったが、もしカロルの想像通りであれば怖いものがある。否定してもらいたくて、「首絞められた、とかじゃないよね?」と聞けば、笑いながら首を横に振られた。話を聞けばしつこくそこばかり噛みつかれたり吸われたりしたらしい。それはそれでどうかと思ったが、ひとまず安堵の息を吐きだすと、「まあそのうちそれくらいしそうな勢いだったけどな」と全然安心できない言葉が続けられた。

「…………それはユーリがフレンを怒らせなければいいだけじゃない?」
「まあ、そうとも言う」

 悪びれずにそう言うあたりユーリらしいと言えばそうだが、結局は彼自身がそのような痕を残されるだけのことをしているだけの話だ。そしてそれを嫌がっていないようであるため、どっちもどっちなのだろう、と思う。
 九つも年上の男たちをそんな風に判断していたところで、「喉、乾いた」とユーリがぼそり、呟いた。テーブルの上にはもうほとんど中身の残っていないカロルのグラスと、溶けかけた氷の浮いたオレンジジュースのグラスがある。手を伸ばせばかろうじて届く位置なのであろうが、さすがに横になったまま飲むのは不可能だ。

「起きれば?」

 もっともな言葉にむ、と眉を寄せたユーリは何を思いついたのか、にやり、と口元を歪める。その見覚えのある表情に、何かまたろくでもないことを言い出すのだろう、と思えば、やはり彼の口から飛び出たものはろくでもないものだった。

「カロル先生、それ、飲ませてくんね?」
「…………は?」
「オレ、ぶっちゃけ起きあがるのもきついんだよ。でもカロルは動けるだろ?」
「…………どうやって」
「そこはほら、あれだ」

 口うつし、で。

 囁くように言葉を紡ぐ口元に思わず視線が奪われる。濡れた唇の奥などそう目にとまるものでもないのに、どうしてこうもちらちらと蠢く舌が気になるのだろうか。
 顔を赤くしたままこれではレイヴンのことを怒れない、とそう思っていたところで突然目の前が真っ暗になった。暖かな体温と覚えのある匂い。

「レイヴン?」
「はぁい、お待たせ」

 ふわり、と鼻をくすぐる香ばしい匂い。チャーハンか何かだろうか。食欲をそそるそれに期待を膨らませながらも、「何で目隠し?」とその手を振りほどくことなくカロルは首を傾げた。

「んー、ちょっとねー。少年の情操教育によろしくないことが目の前に広がってるから」

 フレンちゃん、それくらいにしときなね、と言うレイヴンの言葉に重なるように、「んぅー」とくぐもったうめき声が耳に届いた。ユーリの声、だろうか。

 なんとなく、想像はつく。

 しばらくしてようやく解放された視界に飛び込んできた光景は、耳まで赤くしてソファに突っ伏しているユーリと、半分ほどなくなったオレンジジュースのグラスを片手に険しい表情のまま口を拭っているフレン。

「少しは懲りたらいいのにね」

 呆れたようなレイヴンのセリフにカロルは大きく頷くしかなかった。




ブラウザバックでお戻りください。
2010.04.01
















フレンの教えはまったく以て無駄に終わっております。