きみはぼくの、すべて。


 帝国だとかギルドだとか、そんな小さな枠で語るのが馬鹿らしくなるほどの世界的危機に、もう少しで決着をつけることができる。全てを賭ける覚悟はあるが死にに行くつもりは毛頭なく、確実に勝てるように、不安要素を一つでもなくすために、騎士団員であるフレンを含めた一行は時間が許す限り腕を磨く訓練にいそしんでいた。
 魔物との戦闘を繰り返す間に訪れる街は様々で、今日の宿は生まれたばかりの街、オルニオンに定めることとする。二人部屋を四つ、女性陣は日々の気分で部屋割りを決めているようだったが、男性陣はいつも固定である。
 宿へ入ったからといってそれぞれの部屋に閉じこもってしまうかといえばそうでもなく、少し街をふらついてくるというエステル、リタの二人に、護衛代わりとレイヴン、ユーリがついていった。ラピードとともに部屋にいたフレンは、こんこん、という硬いノックの音に顔を上げる。

「ちょっと、いい?」

 返事も待たずに扉をあけ、顔を出したのはギルドの首領、カロル少年。どうぞ、と笑んで招き入れたはいいが、どうも雰囲気がいつもと違う。何やら思いつめた表情で、一体どうしたのだろう、とフレンの方も緊張を覚えた。

「ねぇ、フレン、少し聞いても、いい?」

 部屋に備え付けてあったポットでお茶を注ぎ、ユーリの荷物の中に甘味でもないかと探る。予想通り出てきたクッキーを「食べるかい?」と差し出すと、カロルは小さく礼を口にしてそれを手に取った。
 かり、と小さく音を立ててバタークッキーを齧り、もそもそとそれを咀嚼したあと、「あの、さ」とカロルは顔を上げる。

「ユーリ、のことなんだけどね」

 そうだろうと思っていた。わざわざフレンに話しにくるということは、その話題は少年が慕っている彼についてだろう、と。

「その、ユーリって、さ。ラゴウとか、キュモールとかを、さ……」

 もごもごと口ごもるカロルの気持ちはよく分かる。事実は事実として受け止めなければならないだろうが、それでもあまり言葉にはしたくない。
 だからフレンも具体的に言葉にはせず、うん、と頷いて先を促した。

「……人殺し、って、罪だよね」
「……そうだね」

 たとえいかなる理由があろうとも、個人の感情で個人を裁くなどあってはならぬこと。ユーリのしたことはそういうことだ。

「やっぱりバレたら、罰とか受けなきゃいけない、んだよね……」
「…………そう、なるね」

 罪人には処罰を。それはフレンが目指すべき、法が整備された世界。
 頷いて肯定したフレンをじ、と見つめ、カロルはくしゃりと泣き出しそうなほど表情を歪めて、言った。

「ねぇ、フレン。
 ユーリ、殺されたりしない、よね……?」

 一瞬。言葉の意味が取れなかった。
 人殺しは罪だ。
 罪には罰を。
 それは至極当然のこと。
 上手く機能する法の一部に組み込まれているはずのシステム。

「掴まって、死刑とかされたり、しないよね?」

 殺人は重罪。ユーリが手にかけた人間の地位、立場、背景などを考え、加味するならば。
 帝国がどのような処罰を彼に与えようと欲するか、容易に想像がつく。
 重罪人には、極刑を。
 深く考えずとも分かるようなことを今まで意識していなかったのは、敢えてそこから目をそむけていたから、だろう。
 それは己の弱さ。
 罪人を裁くその役は、治安維持のためにある騎士団のもの。
 そう、最悪。
 この手で彼を、ということも考えられる、わけで。

 ぐわん、と耳鳴り。
 吐き気が、した。

「ッ」
「フレン?」

 どうしたの、顔、真っ青だよ、と正面に座っているカロルがこちらを覗きこんでくる。口元を押さえ呼吸を整えようとするが上手くいかない。胃の奥から何かがせり上がってくる感覚。まずい、かもしれない。
 ぐ、と奥歯を噛み、心配そうな少年へ軽く手を上げて、フレンは立ち上がる。ごめん、と言葉にすることさえもできずに部屋を辞し、少し離れた位置にある手洗いへと向かった。


 あまり、よくないことなのだというのは自覚するところだ。おそらく彼も、だろう。
 物ごころつく前から手を取り合って彼と生きてきた。
 あれはいつのことだっただろうか、とにかくまだ子供だったころのいつか。お父さんがいなくて寂しい、とユーリが泣いた。だったら僕がユーリのお父さんになってあげる、フレンがそう慰め、その時からユーリもまたフレンの父親になった。
 また別の時に母を求め泣くフレンを、オレが代わりになってやるから、とユーリが慰めてくれた。その時からフレンもまたユーリの母親となった。
 お互いがお互いの父であり母であり、また兄であり弟であった。親友と呼べる相手でもあり、悪友、喧嘩友達でもある。同じ夢を抱く同志であり、また仲間でもあった。好敵手として相手を認め、そして恋人として誰よりも愛していた。
 それぞれ担う役が多すぎる、ということは否定できない。
 人間はおそらく生きていくために、生き続けるために、大切なものをたくさん作るのではないか、とフレンは思う。
 そのなかの一つを失っても、残った何かを支えにして生きるために。


 夕食に食べたものは大体吐いてしまったかもしれない。それでも胸のむかつきは治まらず、どうしたものか、と思いながら口をゆすぎ、顔を洗って部屋へと戻る。そういえば少年はどうしただろうかと思ったところで、扉の前にいるカロルの姿が目に入った。彼の後ろにはいつの間にか戻ってきていたらしいレイヴンと、ユーリの姿。

「フレン! 大丈夫? ごめん、ボク……」

 フレンを見つけると同時に声をあげ、駆け寄ってくる。真っ直ぐで優しい少年の頭を撫で、「大丈夫」とフレンは笑った。

「カロルが悪いわけじゃないよ。僕こそごめんね、驚かせて」

 少し疲れてるのかもしれないね、と誤魔化そうとする。そんなフレンへ「でも」と何か言いかけた少年を、背後から元騎士団隊長首席が止めた。

「具合悪いなら早く休ませてあげたほうがいいんじゃない?」

 ね、と相変わらず軽い調子の口調ではあったが、フレンを見てふわりと笑んでみせる。さすが多くの団員をまとめてきただけある、こちらを気遣いつつ、カロルを上手く誘導してくれているのだ。そんなレイヴンの言葉に乗るように、「あとはオレが看とくから」とユーリが笑い、ようやくカロルも部屋へ戻る気になったようだった。

「フレン、ゆっくり休んでよ?」
「うん、ありがとう」

 レイヴンに促されて隣の部屋へ戻るカロルを見送り、フレンもユーリに背を押され部屋へと入った。ぱたり、と扉の閉まる音。先にベッドへ腰を下ろし、フレンを見るユーリは何も言わない。しかし、状況をカロルに聞いてはいるのだろう。直前に一体どんな会話を交わしていたのか、も。
 フレン、と名を呼ばれ、操られるようにユーリの側まで歩み寄る。来いよ、と両腕を広げられ、堪らずにベッドに乗り上げ彼の細い体を抱きしめた。
 ユーリの匂い、体温、鼓動。全身で感じる存在に安堵を覚え、同時に同じくらい恐怖も覚える。顔を上げ、彼を見上げた。ユーリは優しくフレンの髪を梳いていた手を止め、真正面からこちらを見返す。

「ユーリ、君は、どこまで……」

 思わず呟いたものは、最後まで言葉にならなかった。
 細められた目と、柔らかく笑む口元。外ではあまり見ることのない表情。それを目の当たりにし、気づいてしまった。気づかされてしまった。
 彼はすべてを。
 そう、最悪のパターンをも含めたすべてを想定した上で。
 その上で覚悟を決めた、と。
 そう言っていたのだ、と。
 震える手で彼に抱きつく、いやむしろしがみつく、と言った方が正しいかもしれない。気がつけば両目から涙が溢れていた。嗚咽が零れる。

「っ、ごめ、ん、ごめん、ね、ユーリ……っ」

 僕は全然。
 何一つ君のことを、分かってはいなかった。
 君がどれほどの覚悟を以て、その手を汚す道を選んだのか。
 君がどれほどの覚悟を以て、ただ一人でその決断を下したのか。
 君を責めるばかりで、結局は何も理解などしていなかった。
 何もかもを押し付けて、ごめん。
 何もかもを決めさせて、ごめん。

「僕は、全然、君を、守ってあげられ、ない……っ!」

 涙に濡れた声でそう謝り続けるフレンの頭を、ユーリは再びゆっくりと撫で始める。その手がかすかに震えているのは気のせいではないだろう。「ガキん頃にも、さ」とユーリは口を開いた。

「お前、そうやってオレに泣いて、謝ってた、よな」

 二人が育った場所は下町という、治安のよくない場所。心ない大人や、驕り高ぶった騎士からの暴行が残念ながら少なくはなかった。ユーリが傷を負うたびに、フレンは泣いて謝っていた。守れなくてごめんね、と。それがたとえユーリ自身に原因がある怪我であったとしても、だ。

「……オレ、さ。頭悪ぃから」

 その言葉を聞き、フレンはユーリの胸に額を擦り付けるように首を振る。彼は決して頭が悪いわけではないと思うのだ。ただ理論や理屈を理解するのか苦手なだけで、要領も呑み込みも察しも良い。フレンの仕草に軽く笑いながら、「悪ぃなりに、さ、一応使ってはいるんだぜ、この頭」とユーリは続ける。

「お前とおんなじ。考えて想像して、」
 吐いた。

 捕えられたラゴウの罪が思った以上に軽くなる、と聞いた前後の頃のことだと言う。
 側にいない、ということはまだ耐えられる。けれど。

「オレはな、まだ、いい。フレンがやるにしろ、そうじゃないにしろ、そこで、死ぬんだから」

 けれど。
 残されたほうは、一人になるフレンはどうだろうか。
 もし逆に自分が残された方になったらどうだろうか。
 考えて、気持ちが悪くなって。
 結局その日食べた物を全て戻してしまった、と。

「それでも、ダメ、だったんだ」

 ポツリ呟き、もう一度「オレ、頭悪ぃから」と続けた。
 何よりも大事な相手を傷つけると分かっていても。
 想像するだけで吐いてしまうほどの事態を引き起こすかもしれない、それが分かっていても。
 それでも、止められなかった。
 耐えられなかった。

「謝るなら、オレの方、だろ」

 生きてほしい、とそう思う。たとえ自分が死んでしまったとしても、彼には彼のなすべきことがあり、なせるべきことがあり、自分たちが夢見た世界があり、そのために踏み出した足を止めずに進んで欲しい、と。
 けれどそれが無理であることは、彼に聞かずとも分かる。

 フレンはユーリにとって、父であり母であり、兄であり弟であり、親友であり悪友であり、仲間であり好敵手であり、恋人であり。
 そしてまた自分自身そのものでも、ある。フレンにとってのユーリもほぼ似たようなもので。
 要約すると、たった一言。
 つまりは、
『すべて』。

 光がただそれだけであることができぬよう、影がただそれだけで影となれぬよう。
 ユーリなくしてはフレンは在れず、またフレンなくしてはユーリも在れないであろう。
 よくないことだ、と自覚はしている、のだ。
 けれど、気がついた時には既に手遅れ。
 その時にはもう、互いが互いのすべてになってしまって、いた。
 それは決してフレンが居さえすればほかはどうでもいい、などと、二人だけの世界に閉じこもって生きているわけではない。そうできたらどれほど楽か、とも思うのだが、彼に対する思いとはまた別に、好きな人も大切な人も守りたい人もたくさんいるのだ。下町にいた頃に世話になった宿屋の女将、よくしてくれたハンクス爺さん、つるんで走り回った友達に懐いてくれた子供たち。もちろん今共に旅をしている彼らだって大切な仲間だ。
 フレンにとってのユーリ、そしてユーリにとってのフレンは、精神的安定を図るためという意味での『すべて』なのではない。
 それこそ、己自身という意味での『すべて』。


 一度にすべてを失った人間が、明日を生き抜くことが、どうしてできようか。




**  **




「まず大事なのは、あの二人がどんな非道なことをしていたのか、ということ」

 だと思うんだよね、とカロル少年を前にしてフレンは右手の人差し指を立てた。
 翌日の朝、宿の隣にあるカフェで朝食を取り終えたあと、昨日の一件を互いに謝り、考えたんだけどね、とフレンは少年から与えられた質問への答えを口にする。

「それについてはエステリーゼ様がご存じでいらっしゃるし、ヨーデル殿下も把握してくださっている。もしユーリを罰するというのであれば、ラゴウやキュモールも罰せられるべきだったし、彼らを放置していた評議会、騎士団、追随していた者たちも含め皆が罰を受けるべきだと僕は思う」

 それができないからこそ、フレン自身歯がゆい思いをしているし、そのために上を目指そうとがむしゃらに足掻いている最中でもある。つまりは法自体が上手く動いていないのだ、そんなもので人を罰するなど、おこがましいにもほどがある。

「あとは、もし仮に、何かの間違いでそんなことになったとしても、君たちがそれを許さないだろう?」

 フレンの言葉に、カロルは「当たり前だよ!」と大きく頷いた。少年を含め皆、ユーリをよく知る人は彼のことが好きなのだ。だから大丈夫、とフレンは笑ってみせた。
 彼は好んで影を歩きたがるが、支えてくれる人間は大勢いる。そのことを彼も理解はしているだろう。だからといってそれに甘えたりは決してしない、そんな彼だからこそ、皆手を差し伸べ、力になろうとしてくれている。
 こちらへ背を向け、クリティア族の美女と会話を交わすユーリへ目をやり、「それに」とフレンは言葉を続けた。

「僕は、ユーリの罪を、知っている。ユーリが何をしたのかを、知っている。知っているのに、僕は何もしていない。ユーリを捕えるだとか、本来するべき職務を果たしていない。それはつまり、」
 僕も同罪、ということ。

 ユーリの罪は、フレンの罪でもある。



「罰を受けるのならば、共に」
 それが僕の答えだよ。




ブラウザバックでお戻りください。
2010.01.18
















かっとなって書いた。
あんまり反省はしてない。