二人の関係


 宿の空き部屋とパーティの経済事情を鑑みた結果、本日の寝床は四人部屋を二つ確保することになった。先日からフレンがパーティに入っていたこともあり、男女で別れるとちょうど四人ずつになるため部屋割りを考える必要もない。

「わ、お風呂広い!」

 初めて泊まる部屋であったため、室内を物色していたカロルが浴室のドアを開けてそう声を上げた。四人で泊まる部屋ということはもともと家族向けのものなのだろう。皆で入れるように、と広めの内風呂がそれぞれの部屋に設置されているようだった。

「ああ、こりゃ広いな。ちょうどいい、ラピード、お前も風呂、入っとくか」

 ひとと同じように武器を構えて戦闘に参加する相棒を見下ろし、ユーリがそう声を掛ける。ひとのように衣服をまとうことがないため、彼の少し硬い毛は土埃に塗れることが多いのだ。
 若干嫌そうな雰囲気を醸し出しつつ、それでも聡明な彼はしぶしぶといったようにその鼻先をユーリの足にこすり付ける。承諾の意を示しているらしい。そんな相棒の頭を撫で「すぐ終わるから」とユーリは苦笑を浮かべた。

「あ、じゃあユーリ、先お風呂入っていいよ! 時間、かかるでしょ」
「いや、時間かかるから最後でいいぞ?」
「でも終わったらラピード拭いてあげなきゃいけないし、そしたら寝る時間、少なくなるじゃない」

 少年の言うことも最もで、ごそごそと自分の荷物を整理していたレイヴンも「そうしちゃいなよ、青年」とこちらを見ず口にした。腰に手を当てて小さく息を吐き、相棒を見下ろして「じゃあそうさせてもらうか」とユーリは笑みを浮かべる。
 フレンから放り投げられた着替えを受け取りながら、「お前も手伝えよ」とユーリが言えば、「言うと思ってた」とフレンもまた自分の着替えを引っ張り出した。

「まあ広いし、大丈夫だろ」
「狭くてもたぶん同じこと言ったよね、ユーリは」

 そんなことを言いながらラピードを伴い、二人はバスルームへ姿を消す。ユーリの言う通り、広さを考えても大の男二人くらいは十分に入れ、また一緒に済ませてくれるならば時間短縮にもなる。深く考えて突っ込みを入れるのはやめておこう、と少年は賢明にも思考の切り替えを図った。
 道具の整理整頓や武器の手入れを行い、今日は酒場に行く様子のないレイヴンとぽつぽつと会話を交わしながら二人と一匹が出てくるのを待つ。その間、「ほら、ラピード、首上げて」だとか、「うわ、バカ、震えんなよラピード、水が散る」だとか、「何でお前まで頭振ってんだ」だとか、「だって水が目に……」だとか。バスルームからの声は意外に響くものなのだなぁ、とカロルは知らなくてもいいことを理解した。

「つかラピードはやっぱしっかり筋肉ついてんなぁ。濡れるとよく分かる」
「あれだけ動けばね。ほら、今は動かないで。耳に水入るよ」
「わふっ!」
「お前もちゃんと筋肉あるの、分かるよな」
「……なんで不満そうなの」
「いや、べっつにぃ」
「自分が見た目筋肉ないように見えるからって僕に当たるのは、あ、いたっ! ちょっ、石鹸投げるな!」
「お前、ムカつく」

 耳に届く二人の会話に、「いったいいくつのガキなのよ、あいつらは」とレイヴンが呆れたように口にした。確かに成人男性が交わすものにしてはかなり子供じみているとは思うが。

「いいなぁ、楽しそう」

 思わずそう呟けば、「少年は素直ね」と笑われる。自分でも子供っぽい言葉だと分かってはいたが、なんとなくむ、ときたため、頬を膨らませたままベッドに寝転がっていたレイヴンの上にどさり、と倒れてみせた。
 ぐえ、と呻き声を零したレイヴンは「少年、苦しい」と笑いながら上体を起こし、腹の上に乗る子供の膨らんだ頬を指で突く。

「だったら少年、今日はおっさんが一緒にお風呂、入ったげよっか?」

 にや、と口元を歪めからかいの含まれた言葉だったが、どこまでも真っ直ぐな子供は「ほんと!?」と純粋に喜びを表した。

「入る! 一緒に入る! わーい、一緒にお風呂ー」

 背中、流してあげるね!、と嬉しそうに着替えを用意し始めたカロルの小さな背中を見ながら、「あはは、あんがと」とレイヴンはどこか乾いた笑みを浮かべる。子供じゃないんだから、と怒りを見せるかと思っていたのだが、考えていた以上に彼は素直な性格だったらしい。

 帝国の庇護を受けず己の身は己で守る、というギルドの街で生まれ育った少年の両親がどうしているのか、聞いたことはない。それでも小さなころからギルドを転々としていたらしいため、おそらくはそういうことなのだろう。
 決して幸福であるとはいえない境遇にいたはずなのに、変に擦れることもなく真っ直ぐに育った少年。できるだけそれをなくさないでもらいたい、と思うのはそれらを失ってしまった大人のエゴだろうか。
 彼がギルドを作りたい、と口にしたのは、単純な憧れからくるものだったのかもしれない。いわゆる子供のごっこ遊びの延長。しかしどんな切っ掛けであれ彼はギルドを立ち上げ、それに賛同し参加するものがいた。カロルの話に乗ったユーリの本音は分からないが、もしかしたらこの少年の居場所を作ってやるという意味も一割くらいはあったのではないか、とそう思う。
 そんな居場所に助けられた。
 一度捨てた命を、いやこの命は十年以上前に一度捨てたものだ。それ今さら惨めたらしく拾い集め、彼のために使うことに戸惑いや迷いはない。
 ない、が。

「風呂場でヤんなよ。声、響くから」

 上がってきた二人と一匹へ、嬉しそうに「レイヴンとお風呂行くんだ!」と報告するカロルへ、フレンはにこやかに「良かったね、ゆっくり温まっておいで」と答えている。対してユーリはといえば乾いたタオルでラピードを拭いてやりながら、そんなことをのたまった。

「……知ってる」

 じゃれあっている声がよく聞こえていたため、言われずとも理解している。そもそも彼ら幼馴染のように、自分とカロルは決してそういう関係ではない。年の差もある上に同性で、確かにカロルから『好き』という言葉をもらってはいるが、何をどうしたらそういう関係に至れるというのか。自分は決してゲイではないしショタコンでもない、と思っていれば、「まあ聞かせたいっつーなら止めねぇけど」とユーリが続けた。
 聞かせるだなんてとんでもない、そんなもったいないことできるわけがない、と思いかけて、慌ててその思考を打ち消した。

(違う違う、もったいないとか、そういう問題じゃない)

 内心の葛藤を表には出さず、手を引かれるままカロルと共にバスルームへと向かう。胸に埋め込まれたもののせいで他人の前で服を脱ぐということに未だ抵抗があるが、すべてを知っている彼らの前でなら隠す必要もない。現に、レイヴンの胸にある魔導器に目を止めつつも、カロルは一言も触れようとはしなかった。敢えて無視をしてくれたのか、それとも少年にとってはもはや話題にする必要もないことなのか。
 背中を流してあげるという前言通り、椅子に腰かけさせられ、カロルに背を向ける。

「うわ、すごい傷……」

 背中など自分の目で見ることなどなく、どれほど傷が残っているのか想像もできない。騎士団員にしろギルド員にしろ、命の危険性のある職であるため怪我を負うことも少なくはないのだ。

「あはは、ごめんねー。一応おっさん、これでもカロルの倍以上は生きてるからさ。気持ち悪かったら無理に、」

 言いかけたところでぺちん、と背中を叩かれた。「誰も気持ち悪いんて言ってない」と若干怒りを含んだ言葉を続けられ、「ごめん」と素直に謝るしかない。

「てか、ほんとすごい。なんか、痛くなったりとかしないの?」
「んー、別にそういうのはないわねー。何、そんなに酷い傷、あんの?」
「あ、そっか。自分で背中って見えないもんね。えっとね、ここに、こんな感じでね」

 言いながらカロルは人差し指でつぅ、とレイヴンの背中をなぞった。

「ッ!」
「おっきな傷が一個あって。あとは、ここと、ここと、」
「ちょっ! ちょっとま、った、少年!」
「え? わ、ここ、傷が三つ重なってる」
「っ、だ、から、カロル! なぞるの、なしっ!!」

 目に付く傷跡をたどってくれているらしいカロルの行動を慌てて止める。傷跡を小さな指がたどる感覚はなかなかに辛いものがあった。

「なんで?」
「くすぐ、ったいんだって、――ッ!」

 つぅ、と背中を滑る指先の感覚に、ぞわぞわと背筋を悪寒に似た何かが這い上がった。ぎゅう、と両手を握りしめてそれに耐えたところで、「へぇ」となにやら楽しげな相づちが耳に届く。

「レイヴンって結構くすぐったがり屋?」

 言葉と同時に背骨に沿ってつー、と指が下りていった。首筋から耳の後ろあたりの皮膚がぞわり、と総毛立ったのが自分でも分かる。「やめなさい、ってば!」と眉を寄せて振り返り、楽しそうに笑っていた少年の細い腕を掴んだ。

「捕まえた」

 そう言ってにやり、と口元を歪めれば、カロルは大きな目をさらに見開いてレイヴンを見つめてくる。

「おっさんのゆーことの聞けない悪い子にはおしおき、しなきゃねぇ?」

 物騒な単語に、少年はひくりと口元をひきつらせて首を横に振った。

「だぁめ。やめてって言ってもやめてくんなかった意地悪な子にはお返しっ!」
「ぎゃぁっ! やめっ、レイヴン、やっ!」

 少年の小さな体を抱き込むように腕を回し、自分がされたように背骨を指で辿る。

「あっ、あははははっ! やっ、そこ、やだぁっ」
「ごめんなさいは?」
「あははっ、ごっ、ごめんっ! ごめんなさいっ! だからちょ、も、やめ……ッ!」

 湯気に満ちたバスルームの中に、ばしゃばしゃと跳ねる水音とカロルの笑い声が重なって響いた。


 広い風呂の中で存分にはしゃぎ、十分に温まって部屋へと戻れば、起きていたのは黒髪の青年のみ。二人掛かりで丁寧に乾かされたラピードは、いつもよりふわりと柔らかそうな尻尾に鼻先を埋めて眠っている。相棒を乾かしたことで満足してしまったのか、自分の髪の毛はまだ半分ほど湿ったままだというのに、フレンもまた夢の中の住人と化していた。

「ずいぶん楽しそうだったな」

 ベッドに腰掛けていたユーリは、二人が上がってきたことに気づいて顔を上げる。青年の言葉にカロルは「うん!」と大きく頷いた。

「レイヴンに襲われた!」
「ちょっと、少年! 人聞きの悪いこと言うの、やめてちょうだいっ!」

 慌てて止めるレイヴンへ「嘘じゃないもん」とカロルは悪びれた様子もない。寝る前だというのに至極ご機嫌でテンションの高いギルド首領を前にし、その部下もまた楽しそうに笑っている。

「首領が襲われたとあっちゃ、黙ってるわけにゃいかねぇな。どう落とし前つけてもらおうか」
「ちょっと、ユーリちゃん、台詞がものすんごい物騒だし、そもそも俺様襲ってないし」

 抗議の言葉を綺麗に無視して、「フレン、寝てるの?」と寄ってきた少年へユーリは手を伸ばす。うっすらと桜色に染まった頬を撫で、「風邪引くぞ」と首にかかっていたタオルをカロルの頭の上へ乗せた。拭ってはきたのだろうが、大地色の髪の毛は見て分かるほどまだ湿っている。

「おっさんに乾かしてもらえよ」

 オレは手離せねぇから、とそう言うユーリは膝に乗った半身の頭を緩く撫でていた。何かと思えば、フレンの髪を乾かしていたらしい。そんな青年自身の綺麗な黒髪は既に乾いているため、ラピードを乾かすときにでもフレンに拭われたのだろう。

「……喜んでやらせていただきます」

 ユーリの言う「落とし前」とやらをきちんとつけさせてください、とレイヴンはカロルを呼んだ。ベッドに腰掛ける男の前にちょこんと座り、正面にユーリたちを見据えたまま少年は「なんかさ、」と口を開く。

「ユーリ、フレンのお母さんみたい」

 がさつでぶっきら棒で照れ屋な男だが、その根が意外に世話好きであることをカロルも理解している。ユーリの膝を枕にしているフレンの寝顔が、子供のように無防備なこともまたそう感じた理由の一つかもしれない。
 少年の素直な感想に軽く吹き出したユーリは、「ばーか」と目を軽く伏せて言った。

「せめて良くできた恋人って言えよ」

 この二人が酷く親密な関係を築いていることは知っている。ただ一言「恋人」と言い切るにはあまりにも捩じれ、歪んだ関係なのではないだろうか、とカロルですらなんとなく分かるほど。
 だから、だろうか。ユーリの薄い唇がほろりと零した「恋人」という単語が、どこか異様に切なく響いて、きゅ、と唇を噛む。

「……ボクとレイヴンも恋人に見えるようになるかな」

 そんな感傷を押し込めて、飲み込んで、カロルが努めて明るくそう尋ねれば、「そりゃカロル先生の努力しだいだな」と返ってきた。

「あるいはおっさんの忍耐力しだい」

 どうよおっさん、とからかうように尋ねられた男は、「勘弁してちょーだい」と呻く。それでもカロルの髪を拭う手つきはどこまでも優しくて、だから嫌いになれないのに、と緩やかな振動に身を任せるようにうっとりと目を閉じた。




ブラウザバックでお戻りください。
2011.03.27
















まだくっついてない頃のレイカロ。