日々是成長


 涙目になって暴れるカロルの口を塞ぎ、半ば引きずるようにしてギルドのアジトへと戻ってきたのはつい今しがた。勢い余ってがぶり、とユーリの腕に噛みついた少年の姿は、思い通りにならず癇癪を起している子犬のようにも見える。腕を噛まれたままぽん、と頭を撫で、「カロル」と名を呼べば、ぎっと強い視線で睨まれた。
 ギルド『凛々の明星』を率いる首領とはいえ、彼はまだ十代半ば。世間一般から見れば子供の域に入る年齢で、だからこそ許せない事柄も多いのだろう。それはそれで構わないし、むしろこの年代から達観されては少年の将来が心配だ。
 しかし、だからといってむやみやたらに怒らせる必要もないのは当然で、カロルの心を乱す原因を作った男を思い出し深くため息をついた。

 カロルの手を取った時から、他の女遊びを一切やめたことは知っている。そもそも昔からあの男は体の付き合いをさほど求めていないようだった。枯れてんのか、とからかい混じりに口にすれば、心がね、と自嘲めいた呟きを返され呆れたほどだ。それに普段不真面目な態度を取りがちな彼にしては、カロルのことはかなり真面目に、本気で向き合っている。その点に関しての不誠実さはありえない、と断言できる。
 その上今回は酒場で複数の女性を侍らせる、その切っ掛けになったことを知っているため、とりあえずカロルを連れて帰ってきたのだ。
 要は情報収集、その一言に限る。
 ギルドの街であるダングレストの酒場にいるのだから、彼女たちも他ギルドの一員だ。他所の組織に属しているものへそう簡単に口を割るはずもなく、だからこそ逆に世間話の振りをして聞きたいことを手にする術が必要となる。ユーリが行っても良かったのだが、生憎と今回話を聞きたかったのは彼女たちだけではなかった。もう一組、こちらは男性ギルド員のグループだったのである。妖艶で掴みどころのないクリティア族の美女がいれば彼女にこちらを任せたのだが、残念ながらジュディスは今天才魔導少女からの依頼で魔導実験に付き合わされているところだ。

 ユーリとレイヴンと、どちらがどちらの組に混ざっても必要な話を聞きだす自信は双方ともあった。しかしより効率的に情報を引き出すためにはどうするか。迷うことすらないというのは、男として若干凹んでもいいところだろう、と思う。なぜならユーリが男性ギルド員たちから話を聞きだす手段が舌先だけでなく、いつだか奇妙な生物に無駄に垂れ流していると言わせしめたフェロモンなるものを多分に利用しているのだから。
 適当に色香をちらつかせつつ、かといって下手にそんな雰囲気にはせずに目的の話を聞き終え、ユーリが満足して立ち上がったところで不意に予定外の人物が酒場へ顔を出したことに気がついた。彼にはきちんと情報収集に行ってくる、と伝えてあった。背伸びをして大人の真似をしたがる少年だったが、それでも酒場の雰囲気はさほど得意ではないらしく大人しく送り出してくれたのだが。

 先にユーリに気付いた少年は、ぱっと表情を明るくしてこちらへ近づいてくる。しかし、このままレイヴンの方を見せることなくさっさと退散しようとしたユーリの目論見はあえなく崩れ去り、両脇に一人ずつ、正面に二人の女性を相手に楽しそうに酒を飲んでいる彼氏の姿を見てカロルの目がす、と細くなった。
 直情的なところのある少年が叫びだす前にずるずると引きずって酒場を出たが、扉を抜ける際軽く振りかえれば、すまなそうな顔でレイヴンが小さく頷いていたのが確認できた。カロルに気づいていながらもフォローをしにこないとみると、本当に手が離せない状況だったのだろう。

「……一応言っとくけど、おっさんのあれ、仕事、だからな?」

 ぽんぽん、と頭を撫でる手を止めることなくそう言えば、少しずつ冷静さを取り戻しつつあるのだろう、ようやくユーリの腕から口を離したカロルは「分かってる、よ……」と小さく呟いた。

「分かってるけど……!」

 ぎゅう、と腕を握られ、痛みに眉を顰める。普段大振りな武器を振りまわすことの多い少年は、意外に力が強くしっかりした手をしている。当然ユーリの方が勝ってはいるが、カロルがこのまま成長すれば負かされる日も遠くないかもしれない。
 そんなことを思っていれば、「なんか、嫌だ」と己の歯型が残ってしまったユーリの腕をそっと撫でて、カロルは唇を尖らせた。

「そりゃまあ、あの光景見りゃ、嫌にもなるだろうよ」

 もともと女性に甘いというより、女性にでれでれとするレイヴンの姿を知っているからこそ、必要のない心配まで沸き起こってくる。そう言えば、カロルは首を小さく横に振った。そうじゃなくて、と続けられた言葉はなんともいじらしく健気な内容。

「仕事だって分かってても許せない自分が、すごく嫌。ボク、性格悪いよね……」

 暴れていたつい先ほどまでの態度とは打って変わり、今度はしょぼんと落ち込んでしまった。感情の浮き沈みが激しいのもカロルの魅力の一つだろう。この素直さができるだけ長く彼の内にあればいい、とそう思う。
 俯く少年をリビングのソファへ座らせ、ホットココアを二人分作る。ふわり、と漂うカカオの香りと喉を通る甘さにほう、と無駄な力が抜けていくようだった。

「そりゃ、頭で納得しても感情がついてかねぇことも多いだろ。特にそういうことに関しては」

 綺麗事だけじゃ上手くいかねぇもんだ、と肩を竦めてユーリは言った。
 ユーリ自身二十年と少し生きた程度だが、それでも割り切れない感情を持て余した経験も少なくはない。生きるとはとどのつまりそういうことなのだろう、とむしろそう割り切ってしまえればどれだけ楽だろうか。
 カップから立ちのぼる湯気へふぅ、と息を吹きかけて、「ユーリもやっぱり、嫌だ?」とカロルが尋ねてくる。こくり、と喉を動かして、「んー、そりゃあな」とユーリは苦笑を浮かべた。

「カロルが性格悪ぃってんなら、オレは極悪とか激悪とかそのレベルになるな」

 にやり、と口元を歪めてみせれば、カロルは若干呆れたような、それでもどこかほっとしたような表情をして、「好きだからしょうがない、ってことでいいのかな」と呟く。

「まぁな、あとはいかにそれを自分の中で消化しつつ、相手にぶつけるか、だろ」

 溜めこみ過ぎてはいつか爆発するだろうし、相手にぶつけすぎてもそのうち上手くいかなくなるだろう。そのバランスを見極めることがひどく重要で、そしてひどく難しい。

「ユーリとフレンくらい長く一緒にいれば、大丈夫になるかな」

 少年と、彼が想いを寄せる男がまとまったのはつい最近のことで、長い間片思いだったこともありまだ不安な部分の大きいのだろう。羨ましげな口調で告げられた言葉に「どうだろうな、年数は関係ねぇかも」とユーリは軽く眼を伏せて答えた。

 オレなんか、未だにあいつのことが好きで好きで好きで好きでどーしようもなくて、そのうちどうにかしちまんじゃねぇかって、自分が怖ぇし。

 淡々とした口調で何でもないことのように、あっさりと熱烈な言葉を吐き出すユーリを思わず凝視すれば、その視線の意味を勘違いしたユーリは「まだ何もしてねぇぞ」と眉をひそめて言った。

「いや、そういうことじゃなくて。ていうか、『まだ』って何。そのうちする予定があるみたいに言わないでよ」

 呆れたような言葉にくつくつと笑いながら、「そりゃ分かんねぇな」とユーリは嘯いた。そんな彼へため息をついたカロルはもう一度「そうじゃなくて」と口にする。

「ユーリから、フレンが好きだっていうの、初めて聞いた気がしたから」

 彼らがそういう関係であることは知っていた。そうと宣言があったわけではないが双方とも隠すつもりはなかったようで、なんとなくそうなのかなと思っていたことがいつの間にか事実だと認識されるようになった程度だ。
 ぽつりと思ったことをそのまま零せば、若干頬を赤らめたユーリが「そんなぽんぽん口にするようなことでもねぇだろ」と顔をそむけた。どうやら照れているらしい。
 そもそも彼らの繋がりは生半可なものではない、レイヴン曰く「心臓を混ぜている」状態らしい。まだカロルにはうまく理解できないが、単純な恋人としての好きだとか、そういう感情だけではないことは傍から見ていても分かる。だから今のユーリの言葉はカロルを安心させる意味合いもあったのだろう。しかしそれでも彼の本音であることに違いはないはずで。
 本当にどこまでも優しいこの青年が、レイヴンとは違う意味で好きだなぁ、と心底思った。

「……ありがと、ユーリ。腕噛んじゃってごめんね」

 お返しに噛んでいいよ、と腕を差し出せば、「それはだめ!」という声とともにばたばたと足音をさせて件の男が部屋に飛び込んできた。

「絶対にだめ! 少年噛んでいいのは俺様だけなの」

 そう言ってソファに座っていた恋人をぎゅう、と抱き締めたはいいが、すぐに腕の中の少年自身に「離して!」と拒否されてしまった。

「か、カロル……?」

 常にない強い言葉にレイヴンがおずおずと名前を呼べば、不機嫌さを隠そうともせずにカロルはぶすっとしたまま「女のひとの匂いがする」と口にする。香りが移るほどまで側にいたということで、その理由を分かっているつもりでもどうしても嫌な気持ちがわき起こってしまう。そんな物分かりのよくない面を見せたくなくて、それでも我慢できなくてどうしたらいいのか分からなくなってしまったカロルへ、レイヴンは「風呂、入ってくる」と情けない顔をして言った。

「匂い落としてくるから、そしたらその後で、ちゃんと話、してくれる?」

 下手に出られては心根の優しい少年が男を無碍にできるわけもない。しぶしぶと頷いたのを確認して、レイヴンはユーリへ視線を向けた。

「噛んだらダメだかんね」

 釘をさしてくる男に意地の悪い青年は口元を歪め、「どうだかな」とうっすらと残っていた腕の歯形をぺろり、と舐めてみせる。

「――ッ、ユーリちゃんのバカっ!」

 泣き真似をしながらバスルームへ走り去っていった男の背中を見やって、くつくつと喉の奥で笑っていると「レイヴンもあれだけど、ユーリもかなり子供っぽいよね」と呆れを含んだ言葉を投げつけられた。否定もできないため軽く肩を竦めるに留めておく。
 以前から似たようなことを繰り返し、それを恋人に目撃されては手酷いお仕置きを受けているらしいのにユーリはまったく懲りる気配を見せない。これはもう性格だと思って諦めるしかないだろう。今もまた、部屋に戻ってる、と告げると、「ちゃんと駄々こねて甘やかしてもらえよ」とカロルを気遣いながらも、頭が痛くなるような言葉が続けられた。

「おっさんが嫌になったらオレんとこ来い、慰めてやっから」

 ユーリがどういう意味で慰めてやる、と言っているのか。その表情から、そしてつきあいの長さからなんとなく察してしまい、顔を赤くして眉を寄せる。本当にそんなことをするつもりもないのに、どうして次から次に言葉が出てくるのか、カロルにはまったく分からなかった。

「絶対行かない、ボク、フレンに殺されたくないし」

 ふん、と鼻を鳴らして顔をそむけ、ぱたぱたと階段を上って自室へ向かう。ドアノブに手をかけたところで、階下を覗き込んで「それにユーリは」と捨てゼリフ。

「エッチしようとしても勃たないでしょ」

 あえて「フレン以外と」という言葉を除いて言えば、ユーリが言葉を失ったのが分かった。その間にバタン、と扉を締めて部屋へと逃げ込む。
 ようやく我に返った青年が「人を不能みたいに言うなっ!」と何やら喚いていたが、とりあえずそんなことより、これからどんな我儘を言ってレイヴンを困らせるか、考える方がカロルにとっては重要だった。




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2010.04.21
















ユーリさんに一矢報いる、の巻。