ロマンス(真と偽)


<ギルド斬り込み隊長の場合>

「ユーリ、お前年々美人になんなぁ。俺、お前にならつっこめそうな気がするわ」

 品のない戯れ言など下町で暮らしていれば正直慣れたもので、「掘られる側にも選択権ってものがあってな」と笑いながらユーリは返した。

「てめぇにケツ出すくらいなら、まだフレン相手にしてたほうが百倍マシだ」

 融通利かねぇけど顔はいいからな、と言い切れば、「んだよ、やっぱ顔かよ」と男は舌打ちをする。その後でユーリの方へ顔を寄せ、「つかさ、」とこそこそと小声で尋ねてきた。

「お前等四六時中一緒にいるけど、やっぱそういう関係だったりするわけ?」

 そういう質問を「んなわけねーよ」と笑い飛ばすのも何度目だろうか。その度に覚える違和感を無視し続けて何年になるだろう。

「ちょっとあんたたち! 子供相手になんてこと話してんだい! そういうのは夜やっとくれ、夜!」

 食堂の女将にそう怒鳴られ、「いいじゃねぇかケチくせぇな」と男が顔を歪めてみせる。それを「うっさいわね」と一喝したあと、彼女はこちらへ矛先を向けた。

「ユーリも! もうこっちの手伝いは良いから今日はあがんな。晩飯分くらいは十分働いてもらったよ」

 フレンが帰ってきたら一緒にご飯取りにおいで、と店を追い出されてしまう。正直床掃除くらいしかしておらず、いつも頼まれているように皿洗いと晩の下拵えも手伝うつもりでいたのだが、ここで食いついても女将の機嫌を損ねるだけだろう。彼女なりにユーリを守ろうとしてくれていることも分かるため、素直にその好意を受け入れておいた。

 酒が入っていようがいまいが、あまり上品に生きていない男たちはどこでも下ネタを展開し始めるものだ。それに対し恥ずかしがっていたり、むきになったりしたら終わりだ、散々にからかわれる羽目になる。だからユーリは比較的幼い頃から、それらに対しある程度悪ノリをして交わす、という方法を覚えた。同じ部屋に暮らしている幼なじみはわざわざそのような手を使わずとも、直球天然な回答で相手を煙に巻いている。彼ほどまで根が素直ではないユーリには到底無理な手段だった。
 騎士団に入るために幼なじみと自主訓練に励んでおり、最近はそれなりに筋肉もついてきたとは思うが、どうにも自分はどちらかというと女顔らしい。成長するにつれ、女側としてどうだ、という方向で話を振られることも多くなってきた。憤りを覚えていたのは始めの頃だけで、己の容姿がそうであるならばこれはもう面白がるしかないだろう、と心に決めた。髪の毛を伸ばしているのも、二割くらいはそういう理由がある。
 そういった境遇についてある程度開き直り、ある程度楽しんでいると思っていたが、話題の中に幼馴染の名前が混ざるとどうにも落ち着かない。正直なところ巻き込んで悪いな、という罪悪感はさほど抱いていないのだ。ユーリを含めた周囲の人間が何をどうしたところで、フレンにはなんの影響もないと思う。彼のあの真っ直ぐさ、真っ白さは簡単に曲がったり汚れたりはしないだろう。だからフレンの名前が出てくる度にざわざわくる震えは、罪悪感に帰来する落ち着きのなさとは違う。もっと別の種類のものだ。

 家というよりは小屋でしかない、風雨を凌ぐためだけの部屋に、親を持たないふたりは身を寄せ合って暮らしている。フレンが綺麗好きであるため、見た目こそ古臭いものばかりだが、そこそこ清潔に保たれた空間だ。この部屋がひどく落ち着くのは第三者の存在がまるでなく、自分たちの匂いしかしないからだろう。これが自分ひとりの匂いだときっとだめなのだ。フレンの匂いがあるから、フレンの存在が残っているから、だから安心できる。
 別の仕事に出かけているフレンが戻ってくるまで、取り立ててすることもなく、ユーリは空いた身体をぼふん、とベッドの上に投げ出した。スプリング入りのベッドマットなどという洒落たものはなく、敷いてある布団だってぺったんこ。つまりそれほど弾力はないため少し背中が痛かった。もう一つベッドを入れる余裕などこの部屋にはなく、よほど暑い夏の夜か、あるいはよほどひどい喧嘩をしていない限りはふたりでこのベッドを使っている。ふわりと鼻孔を擽る匂いは自分と、フレンのものが混ざっているのだろう。

「……ちょっとアレ、だよなぁ」

 ぽつり呟いてみるが「アレ」が具体的に何を指しているのか、ユーリ自身はっきりとは言えなかった。アレとはつまりソレでコレな、アレのことだ。
 あまりにも幼い頃から時間と空間を共にしすぎて、そして庇護してくれる直接的な存在がいなかったということもあり、フレンとユーリの関係は若干「アレ」なのだ。良くはないのだろうという認識はあるが、他人に迷惑を掛けない限りはこのままでもいいだろうというのがユーリの考えだった。しかしその「アレ」に含まれるニュアンスが、ここのところどうにも変化しているような気がする。それはふたりの関係が実際に変わった、ということではなくつまりはユーリ側の心境の変化。

 品のない大人たちに性的な事柄をネタにからかわれるようになり、その相手としてフレンを引き出され、自分でもノリ的に引き合いに出し、そうしているうちに気が付いた。自分とフレンは別の存在なのである、ということに。本質的に、性格的に全く異なっているのだという精神論ではない。物理的に異なっているのだという存在論的な問題だ。要するに、普通ならば知っていて当然な事柄である。
 ユーリ・ローウェルという存在とフレン・シーフォという存在は異なった物体であり、だからこそ会話が成り立ち、触れ合うことができる。本来なら同性間では行わない行為を他人から匂わされ、それで初めて気が付いた。たとえついているものが同じであったとしても、セックスができる別個の存在なのだ、と。
 女役としてからかわれていたせいか、そうと気が付いて頭の中に浮かんだ想像で、ユーリは抱かれる側だった。そして同時に嫌悪を抱いていない自分にも気が付いてしまった。
 そうと理解するまでもずいぶん「アレ」だったけれど、気が付いた後もやっぱり「アレ」だなとそう思う。

 だってどう考えたってあり得ない光景なのだ。ユーリは己の親友がとても真っ当な感性を持っていることを知っている。若干ユーリに対して過保護なところは見受けられるが、血の繋がりはなくとも唯一なる家族であるためそれは仕方がないだろう。ユーリだって、フレンに対し少し心配をしすぎる面があるのは自覚済みだ。
 幼い頃からずっと自分自身と混同して考えてしまっていたほど近しい存在を相手に、セックスをする姿を思い浮かべてしまっている。そして事実無根であるその関係について正しく否定する度にちくちくと胸の奥が落ち着かない。それらを踏まえて導き出される結論にそろそろ正式に向かい合っておかないとまずいのかもしれない。
 「アレ」であることを理解しておかなければ、それを真正面から否定し、嘘をつき続けることもできないではないか。
 同じ空間同じ時間を生きてきた彼は、実は自分とは別の存在であったのだ。それを嫌というほど理解したその日、ユーリはこれから先一生、己自身を偽ることを決意した。
 嘘だって、つき続けていれば事実となる。自慢ではないがユーリは嘘をつくことが得意だ。悪意を持ってひとを騙すことは大嫌いだけれど、日常的なちょっとした嘘や悪戯は概ね上手くいく。そのポイントは、口にする嘘は一点だけということ。嘘に嘘を塗り重ねるとボロが出る。決して知られてはいけない部分にだけ偽りを埋め込み、その他では事実を口にするのだ。

「……フレン、早く帰って来ねぇかなー」

 だからそれ以外については、自分の心に素直になることにした。ひとりでこの部屋にいるのは寂しいから早く帰ってきてほしい。どうでもいいような話をして、食堂に夕飯を取りに行って、その顔を見ながらご飯を食べたい。
 大丈夫、これから先どちらか片方でも無事に騎士団に入ることができれば、嫌でも一緒の時間は減っていくのだ。きっと打ちたてた偽りを支え続けることもそう難しくはないだろう。





<帝国騎士団団長代理の場合>

 そういった事柄に興味がなかったわけではないのだ。ただ、対象として例に挙げられる女性たちに対し興味がまるで湧かなかった。だからだろう、周りの人々はフレンに対し「天然」だの「うぶ」だのあるいは「淡泊」だの、好き勝手言っているようだ。そういった評価にこそ興味がなかったし、フレンが気にかけるべきは明日の食事と騎士団へ入団するための訓練と、ユーリのことだけ。それら以外が全てどうでもいい、というつもりはないけれど、何よりも優先させなければならない事柄であることだけは間違いがない。

「お前、ユーリのこと好きすぎんだろ。あんまべたべたしてると疑われんぞ」
 そういう関係なんじゃねぇかって。

 口さがない人々からの忠告も理解できなかったわけではないが、そう思いたいひとたちはそう思っていればいいだけのこと。そうではないことを本人たちはきちんと自覚している。もしそんな噂が立ってユーリが困るというのなら考えるけれど、そもそも彼は自ら進んでそれを口にしてネタにしている節がある。虚構の関係を逃げ道にしているのならば、もし仮に噂が広まったとしても自業自得だと言えるだろう。
 だからフレンはそういった忠告については是とも非とも答えず、曖昧に笑って交わし続けていた。ユーリのことが好きだということは事実だし、疑われても問題はないのだから。
 いや好き、というには多少語弊があるかもしれない。本音を口にすれば、そんなあっさりとした一言で片づけられるような感情ではないのだ。むしろそこに明確な感情が横たわっているのかさえ疑わしい。もしかしたらなんとも思っていないのではないかとさえ思う。側にいるのが当前で、そこにあるのが自然なのだと信じて疑っていないし、それが必然であるとまで思っている。自分でいうのもなんだが、まともな教育を受けていないにしてはフレンの頭は良い方だ。理解力も応用力もそれなりにあるし、記憶力も悪くない方だと思っている。ユーリが言うには柔軟性に欠けているらしいが、その点については彼自身が補えばいい。
 自然の仕組みを知り、世間の道理を知り、世界の動き方を知る。もちろん知っていること、知ることができたことよりも知らないことの方が莫大に多く、死ぬまでにそれらすべてを知ることが不可能だということは分かっている。それと同じレベルで、実際のところ彼と自分は別個の存在なのだということも知っているつもりなのだ。
 けれども時々、フレンの脳はふたりの人間をひとりの人間であるかのように処理し、判断しようとする。自分がこう思うのだからユーリもきっとこう思っている。ユーリがこちらを選ぶのだから自分もこちらを選ぶ。そんな思考回路が我が物顔で展開されるのだ。その時にはまるで違和感を覚えないのだが、後から振り返り、よくよく考えてみれば随分とアレな思考だな、とそう思う。
 アレ、というのがどういうものなのか、具体的には言葉にできないけれど。

「あー、やっぱ美味ぇな、ここの飯は!」
「そうだね。でも僕、ユーリが作ったご飯も好きだよ」

 向かい合って食事を取ることも幼い頃から続けてきた習慣の一つ。できるだけ食事は共に。時間やタイミングが合わず仕方なくひとりで食事を取ることもごくまれにあったが、そんなときは寂しさばかりが募りろくに味など分からない。空腹だって満たされていない気がするのだ。
 いつものように夕食を終え、支度を整えて同じベッドに潜り込む。

「そろそろきっちぃなぁ、ふたりで寝んの」

 ぼそりと呟かれた言葉に、確かに、とフレンも肯定を返した。成長期であるふたりは、ここのところめきめきと身長が伸びている。体格も子供のものから大人のものへと変わりつつあり、この小さなベッドで並んで眠るのも窮屈さを覚えるようになっていた。

「もっと大きいベッド、探す?」

 どうやって探すのかは考えずに無責任に口にしてみれば、振り返ったユーリが呆れたように眉を顰める。

「……何で別に寝るって発想にならねぇかな、お前は」

 返された言葉の意味が捕えきれず、「は?」と目の前の幼馴染の顔をまじまじと見つめてしまった。

「え、っと、ユーリは別々に寝たい、ってことなの?」

 そんなこと、フレンは考えたこともない。若干混乱したまましどろもどろに口にすれば、「別にそーいうわけじゃ、ねぇけどさ」と言いながら彼は寝返りを打ってフレンに背を向けてしまった。艶やかな黒髪の隙間に見える耳が赤く染まっている、ような気がする。思わずくすり、と笑いが零れてしまったことに気づかれでもしたのだろう、「どーせ!」とユーリはどこか自棄になったような声で言った。

「もうちょっとしたら騎士団、入るしな」

 この狭いベッドとの付き合いもそれまでだ、と言いたいのだろう。そうだね、と返す言葉からは隠しきれない笑いが滲み出ていた。
 自分たちは一緒でないと食事さえまともにできないふたりなのだ。この分だと一緒でなければ眠ることだってできないに違いない。食欲と睡眠欲と。人間の三大欲求のうちのふたつがそれに当てはまるとなれば。
 規則正しく上下する幼馴染の肩をぼんやりと見ながら、フレンは眠りの縁に足を浸して考える。
 もしかしたら残りの一つもまた、一緒でなければまともに満たせないのではないだろうか、と。食欲と睡眠欲と、最後の一つはすなわち、性欲。
 一緒でなければ満たされることがないとなれば、セックスも一緒にしなければいけないということなのだろうか。相手の女性が嫌がらなければいいけれど、と通常の神経を持ち合わせた人間ならば、まさかそんなことは、と一笑に伏すだろう事柄をフレンは至極真面目に検討する。
 それがかなり特殊なプレイであることは分かる。きっと付き合ってくれるような女性をふたりも探すなど不可能だろう。ひとりならば? そういう趣味を持つような女性ひとりならば見つけられるかもしれない。けれどそうすれば彼女への負担が大きくなってしまう。ふたりの性欲を満たすためだけに犠牲になってもらうなど、いくらなんでも誠意がなさすぎる。そもそも性欲解消のためだけに一夜を共にするだなんて、フレンの貞操観念上許せることでもないのだ。
 そうなるとやはり真剣に想う相手を探し、その彼女との行為でユーリ(あるいはその彼女も含めたふたり)も一緒であることを理解してもらわなければならない。

「……難しいなぁ」

 ため息と共に零れた言葉に、「何が?」と声が返ってきてびくりと肩が震えた。当に眠っているとばかり思っていたが、どうやらまだ起きていたらしい。起こしてごめんね、と謝ったあと、問われたことへは「ちょっとね」と言葉を濁して返しておいた。こういう場面で具体的に突っ込んで聞いてこないのが、ユーリの良いところで悪いところでもあると思う。
 フレンの声音から一体どんな想像を膨らませたのか、「まあオレはバカだから、むずかしーことは良く分かんねぇけどさ」とユーリが寝返りを打ってこちらを向いた。

「オレらふたりでやりゃ、なんとかなんじゃねぇの?」

 ふたりで。
 ふたりだけで。

「…………あ、そっか」
 なるほど。

 余計な要素を組み込むからややこしくなるのだ。女性がひとりだとかふたりだとか、そういうものを排除して、つまりはフレンとユーリと、ふたりだけで行為に及べばいいのだ、そういうことなのだ。それが在るべき姿であり、事実、真実と呼ばれる状態なのだ。
 身体を起こして隣に眠るユーリに覆いかぶさる。にっこり笑って見下ろせば、きょとんとした親友兼悪友兼家族である彼と視線があった。

「今ものすごく納得したよ、僕」

 納得ついでに、そうなったところでまるで嫌悪感を抱いていない、むしろ望むところだと臨戦態勢になった下半身に従っておくことに決める。
 それこそが自分たちのあるべき姿なのだ、という真実に逆らっても仕方がないではないか。




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2012.09.02
















十四、五あたり。
フレンさんは基本的に自分に正直に生きてると思います。