終わらない数え唄


 何をどうやってその話題に行きついたのかは覚えていない。夕食のために立ち寄った食堂で、それぞれの胃袋を満たし、明日以降の予定を相談しながらデザートタイムを満喫していたところで不意に鼓膜を震わせた歌声。

「ボクが知ってるのとちょっと違う」
「そりゃ少年がダングレスト出身だからでしょ。嬢ちゃんが歌ったのは帝都では一般的よ?」
「あたし、そもそもそんな歌知らない」
「あなたの場合は興味なかっただけじゃないかしら」
「ジュディ姉はそういう歌、歌ったりしたのか?」

 途中で止まった歌の後にテーブルを囲っていた仲間たちが口々に言葉を放つ。
 パティの言う『そういう歌』とは、子供に数を教えるための数え唄だった。似たようなリズムでも地域によって歌詞が異なり、レイヴンも数パターンは聞いたことがあるという。そもそも種族からして異なるジュディスの場合は全く違う歌を知っていたが、それでもそういった歌はあったらしい。
 どこか呆然としたまま彼らの会話を聞いていると、「ユーリ?」と正面にいたエステルに首を傾げられた。

「フレンも、ぼうとして、どうかしましたか?」

 隣に座る男もどうやらユーリと同じような反応をしていたらしい。ぎこちなく頭を回せば、やはりどこか動揺をにじませた瞳と視線があった。先に苦笑を浮かべたのはフレンの方で、その顔を見てようやくユーリも固まっていた頬の筋肉を動かすことに成功する。

「ああ、いえ。ずいぶんと懐かしい歌を、聞いたな、と」

 少し驚きました、と口にするフレンへ、「あ、やっぱりフレンたちもエステルが歌ってくれた方を知ってるんだ」とカロルが言う。その言葉に再び幼馴染と視線を合わせ、今度はユーリが口を開いた。

「や、実は詳しくは知らねぇんだ、その歌詞」

 ぶっちゃけ最後まで聞いたことがねぇし、と言うユーリの言葉にフレンが頷いて同意を示す。

「は? どういうこと?」

 そうストレートに聞いてくるのは、いささか情緒に欠ける面のある魔導少女。そこが彼女の魅力であるため嫌な気にはならない。

「教えてくれる人、いなかったから」
「どっかの家の母親が窓際で歌ってるの聞いてたりしたけど」
「僕たちみたいな孤児が見えたら歌、止まっちゃってたしね」

 だよな、とフレンの言葉に相槌を打てば、眉をひそめた仲間たちの視線に気がついた。あまり笑える話ではなかったな、と思い、苦笑を浮かべて肩を竦める。

「な、エステル、それ最後まで歌ってくんね?」
「ああ、是非お願いしたいです。正しい歌詞を教えてください」

 二人揃ってそう頼めば、優しい皇女はふわりとした、それこそ母親のような笑みを浮かべて「お安いご用です」と旋律を紡ぎ始めた。

 幼い子供にも分かりやすい、物を使った数え唄。

 この歌を歌っていたのは下町に近い市民街に住む女性だった。ユーリたちと同じ年くらいの子供と、その子供の兄弟であろう赤子を抱えていた女性。天気の良い日、開け放った窓の近くで我が子へ歌う、その声をフレンと共に聞いていた。彼女はひどく一般的な感性の持ち主だったらしく、薄汚れた孤児の姿を見かければ声を荒げて追い払い、窓を閉めてしまう。けれど自分たちには決して向けられないその優しい歌声が好きで、もし母親がいたのならこんな風に歌を聴けたかもしれない、そう思うとどうしても彼女の家の方へと足が向いたのだ。
 窓から離れた路地の塀に隠れるようにしゃがみこみ、フレンと手を取り合ってじっと息をひそめて耳を澄ます。距離があるため歌詞ははっきりと聞き取れず、子供が癇癪を起したのかあるいは赤子が眠ってしまったのか、最後まで歌われることの少なかったその歌。季節が巡り、女性が窓を開け放したままでいることがなくなると次第に彼女の家から足は遠のいたが、それでも脳の片隅でその歌声は生き残っていたらしい。

 決して終わりを知ることの出来なかった数え唄。

 テーブルの下、無意識のうちに何かを求めて動いていたユーリの左手と、フレンの右手が軽く触れあった。同時にどちらからともなく握り合う。
 その強さとぬくもりに、ユーリは強張っていた体から力が抜けるのを感じた。
 小さな頃、この歌を聞いていた時にはいつ見つかるか、いつ追い払われるか、びくびくしながら耳を澄ませていた気がする。エステルの歌を聞いてどこか身構えてしまうのも、そんな経験があるからだろう。

「大丈夫、絶対に見つからない、見つかったら走って逃げよう、ね?」

 小声で宥め、手を握ってくれる存在がなければ、きっとユーリはあの歌を何度も聞くことはできなかった。幼い頃の記憶には必ず登場するこの存在。全てフレンのおかげというほど回りを切り捨てることはできないが、それでも彼がいなければ生き続けることができたかどうかは実際怪しいだろう。それくらいこの手のぬくもりに助けられてきた。
 今もこうして、助けられている。
 顔を見れば「大丈夫だよ」と、あの頃のように優しく宥められそうで、ユーリは幼馴染の方を向くことなく重ねた手にきゅう、と力を込めた。


 幼い日、求めていた母親の暖かさは依然知らないままで、知るすべもないまま。
 けれど結局は昔も今も、握りしめた手のぬくもりがあればそれだけで良いのだろう。




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2010.04.06
















部屋に戻った後フレンがユーリに「歌って」と強請る姿が目に浮かびます。