とある野営地の騒動


 全員が最高の武器を得るための素材集め最中のこと。平原に点在していた岩場の陰を本日のキャンプ地としたのは一刻ほど前。肉眼で明かりが見える距離にノードポリカの街があったが、話し合いの結果久しぶりに野宿もいいだろう、という結論に落ち着いていた。
 寝床を作り夕食を終え見張りの順番も決め、明日の予定も一通り決めた。あとはメンバに迷惑をかけないようにそれぞれ自由行動をしていい時間帯。

「ユーリィぃいいッ!」

 腹ごなしに、と一人でストレッチをしていたユーリの腰へギルド首領がひし、と抱きついてきた。

「うおっ!? どー、したっ、カロル」

 ぐき、と嫌な音のした腰を庇いながら茶色の頭を見下ろせば、「ユーリはバク転、出来る!?」と必死な顔で尋ねられる。

「は?」
「だから、バク転! くるって回るやつ!」

 勢いにおされ、若干背を反らせながらも、「あ、ああ、できなくはない、と思うけど」とユーリにしては珍しく曖昧な言葉を返した。
 技を出す途中に体の回転を利用することも多いが、バク転など回避以外ではあまり使いようがないだろう。それこそ、空中戦を得意とするジュディス以外には。
 しかし、ユーリの答えにカロルは「やっぱり、ユーリもできるんだ……」と大きな目にみるみると涙を溜め始める。

「っ、おい、カロル、何で泣くんだよ、つか、どんな流れなんだよ、今のっ!」

 焦りながら問えば、うえ、としゃくり上げて、「だってレイヴンがぁ」と岩に背を預けて座り込む中年男を指さした。

「おいこら、おっさん、あんた、カロルに何言った」
「べっつにぃなにもぉー? ただ、バク転できるとかっこいいわよねぇってちょっと言ってみたりもしたかもねぇ」

 おっさんはできるしぃ、とにやにやと笑いながら言い放つ彼へ、とりあえず足もとに転がっていた小石を投げ付けておいた。
 確かに、レイヴンがバク転をできることは知っている。身の軽い彼が手をつくことなくその場でくるりと回ってみせるのを、もう何度もこの目で見ていた。

「ボク、バク転できない……」

 しょぼん、と俯いて言った少年の頭には撫でてくれ、と書いてあるに違いない。そんなことを思いながら無意識のうちにカロルの頭を撫で、「あのおっさんの言うことは気にしねぇ方がいいと思うぞ」と言えば、「でも、ボク、できない」ともう一度カロルは繰り返した。

「……見せて」
「カロル?」
「ユーリ、できるんでしょ? 見せて!」

 何をそんなに必死になっているのか皆目見当もつかないが、この年くらいの少年には重大なことなのかもしれない。苦笑を浮かべもう一度ぽん、と頭を撫でる。

「わーったから。ほれ、下がってろ」

 そう言ってカロルを下がらせ、肩と足の筋を伸ばした。

「言っとくけど、オレはおっさんみたいに身軽じゃねぇからな、見苦しくても笑うなよ」

 一応そう釘をさせば、「でもできるんでしょ」とカロルは唇を尖らせる。ここはむしろ失敗した方が彼のためなのだろうか、と一瞬悩んだが、すぐに振り払ってため息をついた。
 もともとユーリの戦闘スタイルは機動力を駆使して敵を翻弄するものである。思い通りに体を動かすため、瞬発力や柔軟性を増すように訓練を重ねてきた。そのうちの一環として昔練習した覚えがあるが、飽くまでもそういう動きができるのだ、と体に覚え込ませるだけのことで実戦で使うことはほとんどない。

「ったく、おっさんも余計なことを……」

 手首と足首を軽く回して解し、ばさり、と首元に絡まっていた髪の毛を払う。

「んじゃ、行くぜ。せー、のっと」

 軽く膝を曲げ腕を振り上げる。とん、と地面を蹴ると同時に爪先が空を蹴り、ユーリの両手が地面を捉えた。ふわり、と黒髪が舞う。

「よ、っと。……こんなもんか?」

 ざっと、着地する音。立ち上がりながらそう言ったユーリへ、「……やっぱりできるんじゃん」とカロルが恨みがましげな視線を向ける。

「できねぇって言ってねぇだろ。つーかそんなにこだわるもんか?」

 首を傾げて言えば、「できるユーリには分からないよっ!」と怒られた。そしてくるりとあたりを見回すと、「フレンーっ!」と次のターゲットの元へと駆け寄っていく。焚火のそばで歓談している女性陣の方へ突っ込んで行かないだけ、彼もきちんとわきまえているのだろう。

「おっさん、あれ、どうにかしろよ」
「なんか、必死な少年がおもしろくって」

 両手の砂を払って言ったユーリへ、のらりくらりと近寄ってきてたレイヴンは、その足取りと同じような口調でそう返す。確かに面白い。面白いが、その余波がこちらに向かってきているのであまり楽しんでもいられない。どうやらもう一人、犠牲者がでるようだ。

「急になんだい?」

 カロルに手を引かれてこちらへやってきたフレンは、先ほどまで火の側で自身の武器の手入れをしていたはずだ。一体何が起こっているのか理解できていないらしい彼は、きょとんとした顔でその場にいたユーリとレイヴンへ視線を向けてくる。しかし返してやれる言葉を持ち合わせておらず、ユーリは苦笑を浮かべて肩を竦めた。

「フレン、バク転、見せて!」

 もうできるかどうかの質問すら省かれてしまっている。

「は? バク転? え、なんで?」
「早く!」

 カロル、いくらなんでも横暴すぎるぞ、それは。

 思いながらも口を挟むのが面倒くさい。傍観を決め込めば、フレンは困ったように「これつけたままじゃ無理だよ」と自身の鎧を叩いてみせた。
 フレンが身に纏うものは騎士団で支給されるものだが、彼自身ユーリと同じようなタイプの戦士であるため、多少身軽に動けるようにカスタマイズされている。戦闘中ならいざ知らず、さすがに鎧をまとったままただバク転だけをするのは難しいだろう。

「じゃあ脱いで!」
「うわ、ねぇ、ほんとにどうしたの、カロル。あ、待って、分かった脱ぐから!」

 ガシャガシャとフレンの手甲を外そうとするカロルを慌てて引きはがし、「強引だなぁ」と苦笑を浮かべる。

「あんまりそういうとこばっかりユーリに似たら駄目だよ」
「ちょっと待て、フレン。オレが悪いみたいに言うな」
「強引っていうなら、フレンちゃんも良い勝負よ?」

 小さく金属音を響かせながら体を覆っていた鎧を外し、そんな会話を交わしていたところで、「いいから早く!」とカロルが地団太を踏んだ。本当に何の比喩でもなく、だんだんだん、と右足で地面を強く踏みつけるその姿に、これぞ駄々っ子のあるべき正しい姿だ、とユーリは妙な感心を覚えてしまう。

「はいはい。脱げたよ。危ないからちょっと離れててね」

 軽く筋を伸ばしたあと、ふ、と小さく息を吐き出して地面を蹴る。やはり彼もレイヴンがする手放しでのバク転はできないらしく、両手で地面を押さえて飛び、すとんと綺麗に着地した。ユーリのような柔らかさはないが、逆にその直線的な動きがフレンらしい。「これでいい?」とカロルへ視線を向けたフレンは、そこにいた少年の表情を見てぎょ、と目を見開いた。

「ボクだけできない……」

 唇を噛み、握りしめた両手をふるふると震わせてそう呟く。ようやく話の流れをなんとなく把握できたらしいフレンは慌ててカロルの側へ寄ると、「大丈夫、僕だってカロルくらいの年にはまだできてなかった、と思うよ」と肩をたたいた。

「カロル先生いくつだっけ」
「確か十二、とかそれくらいじゃなかったかしらねぇ」
「十二……オレら、それくらいの年にゃあもう剣振りまわしてたしなぁ。バク転、できてたんじゃねぇかな……」

 ユーリが記憶をたどってぼそりと呟けば、聞きとめたカロルの目に更に涙が溜まり、きっとこちらを睨んだフレンが「ユーリ、うるさい!」と叫ぶ。

「うー……ボク、できないのに……」
「ね、ねえ、カロル、できないならできるように練習すればいいんじゃないかな」
「練習……」
「そう、今だって十分魔物と戦えてるんだし、カロル、運動神経は悪くないんだ。だから練習すればきっと大丈夫」
「……どうやって……」
「そこは僕たちが手伝うから」

 ね、とフレンは振り返ったが、その視線の先にいた大人二人は、素知らぬ顔をして明後日の方を向いていた。

「手伝うよね?」

 軽く腹が立ったのでにっこり笑ってもう一度言えば、「手伝いまぁす」「しょうがねぇなぁ」と二人はしぶしぶと口にする。強力かどうかは分からなかったがとりあえず三人の協力者を得、カロルはようやく「じゃあ頑張ってみる」と意気込みを見せた。


「ていうか怖いぃっ!」
「ばっか、怖がんなって、後ろにおっさんいるだろ」
「そーよぉ、少年! おっさんの胸にカマーン!」
「余計に嫌だぁっ!」
「ちょっと二人とも! カロルで遊ばない!」


 両脇をユーリとフレンに支えられ、背後にレイヴンを従えて、カロルは懸命に地面を蹴って体を浮かせている。遊んでいるのか真面目に練習をしているのか分からない男性陣を遠目に見ながら、「仲良し親子みたいですね」とエステルが笑って言った。

「おっさんはできの悪い兄?」
「素行の悪い叔父、くらいじゃないかしら」
「あー、親戚に一人はああいうおっさん、いるんじゃよな」
「みんな、どっちが父親役でどっちが母親役なのか、とかは聞かないんですね……」




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2010.04.09
















もしかしたらカロル先生、ゲームで普通にバク転してるかもしれませんが、スルーの方向で。
確認不足で申し訳ない。