とあるアジトの騒動


「……ユーリ、何やってんの?」
「見て分からねぇか?」
「分からないから聞いてるんだけど」

 自室から出て階下を見下ろすと、カロルの理解を超えた光景が広がっていた。首を傾げながら階段を下り、件の二人を正面に立つ。

「パティに遊ばれてる」
「……ああ、なるほど」

 返ってきた答えに思わず深く頷いた。確かにそう言われればそうだ、というかそうとしか言えないような気もしてきた。

「パティ、楽しい?」
「ユーリの髪はさらさらなのじゃ!」

 楽しいかどうかを尋ねたのに、どうして髪の毛のさわり心地が返ってくるのかが分からない。とりあえず楽しいのだろう、と結論付けておく。
 常日頃世界中を飛び回っているメンバが一時の休息を求めて戻ってくる家、そのためにダングレストに構えたアジト。二階に各メンバの個室があり、一階には居間や台所といった共有スペースがある。皆が集まれるだけの大きなソファセットに長身を横たえ、雑誌(料理本か武器のカタログのどちらかだろう)を眺めているユーリは、まさしくその休息の真っ只中、言いかえれば暇を持て余しているらしい。そんな彼のそばに座り込み、同じように暇を持て余している少女、パティ。彼女はふんふんと鼻歌を刻みながら、上機嫌でユーリの髪の毛を弄っていた。

「痛ぇよ、パティ、あんまひっぱんな」
「あ、すまん。でも頭を動かしたら駄目なのじゃ」
「はいはい、大人しくしてるよ」

 女子供、弱者にはとことん優しく、また懐に取り入れたものに対してひたすらに甘いという点は、ぶっきらぼうでがさつな口調の青年の美徳だと思うが、こういう場面を見ているとカロルはいつも思う。
 パティの好きなようにさせているのは彼が優しく甘いからではなく、ただ単に逆らうのが面倒くさいからではないだろうか、と。見ているものも仲間うちだけだから別にいいか、とそんな風に思っているに違いない。

「ユーリは頭の形も綺麗じゃな! つるっとしてるのじゃ」
「その言い方はオレがハゲみたいに聞こえるからやめてくれ」

 他愛もない会話をしながらのじゃれ合いは見ていて非常に微笑ましい。パティは恋人だと言いたいだろうが、どう見ても年の離れた兄妹だった。

「どうじゃ、カロル! 上手く結えておるじゃろう?」
「あー、うん、カッコイイと思うよ」

 小腹を満たすためのものを台所で探しているカロルへ話を振られ、二人の方を見ずに適当に答えた。しかしパティにとってはカロルが見ているかいないかなどどうでも良かったらしく、「そうじゃろ、そうじゃろ。うちのユーリはどんな髪型でもかっこいいのじゃ」と至極満足そうだ。そんなパティへ「誰がお前のだ」と言いながらユーリが起きあがる気配。

「カロル、小麦粉と卵、あるか?」
「えー? あー、うん、あるよ、何か作るの?」
「腹、減ったんだろ? オレも腹減ったし、ホットケーキならすぐできる」
「ほんと? やった!」

 料理好きで甘いもの好きの彼が作るものは何でもおいしい。喜んで顔をあげ、こちらへ向かってくるユーリを直視して、ごん、と目の前の扉に額をぶつけた。

「何やってんだ、カロル」
「……それはボクのセリフだよ」

 不思議そうに首を傾げたユーリへカロルはため息交じりの言葉を零す。
 彼は正しく自分の容姿を把握し、それを利用して他人をからかう術に長けていたが、その割には己自身に無頓着である。極端だ、と言った方が正しいかもしれない。どうでもいい、と判断したときには本当に一切、自分自身を顧みないのだ。

「……恥ずかしくないの、それ」

 カロルがもしその髪型にされたら、とりあえず平然と台所でフライパンは振れない。そう思って尋ねると、「別に、オレには見えないし」と返ってきた。確かにそのとおりなのだが、何かが違う。けれどはっきりと言い返す言葉をカロルは持たない。口を開けて閉じて、もう一度深くため息。そんなカロルの頭の上で、ユーリの黒髪がひらひらと揺れていた。
 特に手入れをしている様子もないのにいつも真っ直ぐで綺麗な彼の髪は今、二つに分けて頭の両サイドで結わえられている。所謂ツインテールと呼ばれる髪型。とりあえず声を出す気力も失ったため、カロルは心の中だけで前言を撤回しておいた。この髪型はカッコイイとは言えない、むしろ可愛いの部類に入る。たとえ男にしか見えない背格好であったとしても、似合ってないと言いきれないあたりユーリのすごいところだ。

「可愛いね、ユーリ……」

 力なく、投げやり気味に、それでも本心で告げれば、「おう、サンキュ」というどうでもよさそうな答えが返ってきた。どうして張本人であるユーリが気にもしていなことにカロルが心を配らねばならぬのかが分からず、ひとまず彼の髪型については棚の上へ押し上げ丁寧に扉を閉めておくことにした。
 しかしぱたんと閉じたそれをこじ開けるものが、まだここにはいるのである。

「あら、何か作ってるの?」

 ゆったりとした声とともに居間へやってきたのは、その容姿や声音からは想像もできないほどアクティブなクリティア族美女。「ユーリがホットケーキを焼くのじゃ」というパティの言葉に「私もご相伴にあずかれるかしら」と言いながらキッチンへ顔を出した彼女は、僅かばかり間を開けてユーリへ笑みを向ける。

「素敵な髪型ね」
「気に入ったならパティに言え。やってもらえるぞ」

 ボウルに卵を割り入れながら視線も向けずにユーリはそう言った。そんな彼へ「それはいいわね」とどこまで本気か分からない言葉。

「ジュディ姉のも結ってやるぞ!」
「ふふ、ありふがとう。じゃあお願いしようかしら」

 きゃっきゃっと可愛らしく騒ぐ声を聞きながら、ホットケーキを作るユーリの手元を見つめる。普通に作るだけでは飽き足らないのか、作り上げた種を三つに分け、一つにはココアを、一つにはコーヒーの粉を混ぜこんでいた。

「こっちは大人用な。おっさんでも食えるだろ」

 今は所用で外している仲間のことも考えているらしい。確かに若干ほろ苦そうなコーヒー生地のものならば、甘いものが苦手な彼の口にも合うかもしれなかった。

「おお! いい匂いなのじゃ!」
「ほら、パティ、こっちいらっしゃい。あなたの髪も結ってあげる」

 火にかけたフライパンを右手で器用に振りあげ、ふっくらとしたホットケーキを次々と作り上げていく。流れるようなその作業を側で見ていたところで、「向こうのテーブル、片づけてくれるか」とユーリに頼まれた。
 トッピング用の蜂蜜やバター、何故か常備されている生クリームなどを抱えて居間へ戻ったことがカロルの運の尽き、だったのかもしれない。

「ちょっ、やだよ、二人とも! ボクはいいって!」
「なんじゃカロル、うちが可愛くしてやると言っておるのに!」
「そうよ、遠慮しなくてもいいじゃない」
「全力で遠慮しますっ!」

 どたばたと逃げ回る足音、聞こえてくる悲鳴、それらを聞き流しながらユーリは呑気に鼻歌を歌ってホットケーキを焼き続けていた。下手に関わればこちらにとばっちりが来ると分かっていたが故の行動でもある。大きな皿にホットケーキを積み重ね、器用に三枚の皿を抱えて居間へと戻ったユーリの前には、半ベソをかいたカロルがジュディスに捕えられ、髪の毛をパティに弄られているところだった。

「ユーリぃ……」
「悪ぃな、カロル先生。オレは無力だ」
「嘘だっ! 面倒くさいだけだ、絶対!」

 涙声の助けをあっさりそう切り捨て、テーブルにホットケーキの乗った皿を置く。飲み物は、と尋ねれば、オレンジジュース、牛乳、珈琲、とそれぞれ声が返ってきた。

「ほら、できたのじゃ!」
「可愛いわよ、カロル」
「嬉しくないよ、ジュディス……」



 ギルドと騎士団と、相反する団体に長らく所属していた過去を以て、レイヴンは双方の橋渡し的な役を時折担っていた。トップ同士を繋げるのならばレイヴンよりもユーリの方が早いだろう。何せ現騎士団団長は彼の半身であるのだから。しかし、そうではない下の者たちの間に入るのならば、レイヴンの方が何かとスムーズにいくこともある。それを理解しているハリーやフレンから仲介を求められることがあるのだが、愛しい少年の想いを受け入れた身としては出来るだけギルドの方に力を入れたい、という思いもあるわけで。

「そろそろ俺様いなくてもなんとかなんないもんかねー」

 ぼそり、呟きながらアジトへ戻り、珍しくメンバ全員がそろっているらしい居間の扉を開けたところで。

「よし、行け、カロル、今だ」
「ごめん、レイヴン!」
「ちょっとしゃがんでもらえるかしら」
「ぼさぼさじゃのぅ」

 ユーリの掛け声とともに横からカロルがどん、とレイヴンの腰に抱きついてきた。同時ににっこりと笑ったジュディスに肩を押さえられ、逆らう間もなく膝を折らされてしまう。

「え? え? 何? 何なの!?」

 背後に回ったパティが無造作に結った髪をといたのが気配で分かった。ぱさり、と首筋にまとわりつく髪を鬱陶しく思いながら下を見下ろすと、いつもはオールバックにして額を晒している少年の髪の毛が頭の両脇でちょんちょん、と可愛らしく結わえてあるのが見える。

「……かわいー髪の毛ね、少年。ジュディスちゃんも、よく似合ってるわ」

 なんとなく流れが読めた気がして溜息とともにそう言えば、「ごめん、レイヴン」とカロルがもう一度謝罪を口にし、同じような髪型をした美女は「ありがとう」と笑みを浮かべた。

「レイヴン、うちは? うちは?」

 褒めて貰えなかったのが詰まらなかったのか、一旦レイヴンの髪を弄る手を止めて正面へ回り込んできた少女も、耳の斜め上あたりから二房の髪を揺らしていた。僅かにウェーブがかかっているのは、いつもの三つ網のくせが髪の毛についてしまっているからだろう。

「パティちゃんもかわいーわよ。ほんと、もう。みんな素敵すぎて涙が出ちゃう」

 空々しく嘯けば、「じゃあ今すぐ同じ髪型にしてやるからの!」とパティが張り切った声を上げた。

「勘弁してよ、もう……」

 ギルド内部の人間関係が上手くいっているのは非常に喜ばしいことだ。べたべた慣れ合えと言うつもりはないが、彼らは自然体でこれなのだから、もはや苦笑しか出てこなかった。

「諦めるんだな」

 ソファに座ったまま黙々と何か(たぶんパンケーキか何かだろう)を食べていた青年がさらりとそう言い、何か言い返そうと顔を上げ、ユーリの方を見て、がくり、とうなだれた。

「青年のは、なんつーか……すごい破壊力ね」
「すごいよね……ユーリ、あの髪のままホットケーキ焼いたり食べたり、平気なんだよ」

 そう口にしたカロルがレイヴンを見上げ、出来上がりつつある髪型にぶはっと吹きだして「可愛いね」と笑った。




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2010.05.04
















この後、「腹ごなしに体動かしてくる」と
その髪型のまま外へ出かけようとしたユーリさんを
カロル先生が泣いて止めていたそうです。