一味違う


「もうちょいでバレンタインかー……今年は何作るかな……」

 ふ、とカレンダーの日付に目をやり、呟いた言葉に、「え!?」と少し離れたソファに座っていた少年が驚いたように声をあげた。どうした、とカロルの方へ視線を向ければ、「ユーリって、」と少年が口を開く。

「フレンにチョコ、あげるの?」

 続けられた問いかけはユーリからすればひどく予想外のもので、一瞬返答が遅れてしまった。「あ、ああ……」とどうしてそんなに驚かれているのか分からないまま、頷いて肯定する。「しかも手作り?」と重ねられた問いにも「そりゃまあ」と首肯を返した。

「つーか、カロル先生。オレ、毎年フレンにはチョコ、やってっけど?」

 二月中旬に位置するイベント、バレンタインデー。その始まりは確かとても真面目な話であるらしいのだが、いつのまにか恋する女性を応援する日、あるいは恋人たちの日となってしまっている二月十四日。意中の相手にチョコレートを渡す日であるその日、(同性同士ではあるが)いわゆる恋人関係にある男へ、ユーリは毎年手作りのチョコレート菓子を渡していた。半分は自分の腹に入っているが、それでも多少日付のずれはあっても欠かしたことはない、と記憶している。
 ユーリの言葉に大きな目をますます見開いて、「なんか、すごいね」と少年首領は心の底から感心したように言った。何がどうすごいのか分からず、言われた本人は「そうかぁ?」と首を傾げるしかない。

「だってほら、バレンタインって女の子がチョコ渡す日じゃない。ユーリ、男なのに渡す側って恥ずかしいとか思ったりしなかったの?」

 少年は直球でそう質問を繰り出した後に、「あ、ごめん、別にバカにしてるとか、そーゆーんじゃないんだけど!」と慌ててフォローをする。それくらいは言われずとも分かっている、ただ素直に疑問に思っただけなのだろう。苦笑を浮かべて「思ったことはねぇな」と答えておいた。

「なんつーか、好きだなんだってなる前から渡してたしな」
「え、そうなの?」
「ほら、あの時期ってチョコレートが安いんだよ」

 イベントに向けて各商店がセールを行い、少しでも売り上げを伸ばそうと努力するため、通常よりも安く良いものが手に入りやすいのだ。
 フレンとふたり、身を寄せ合って下町で生きていた子供の頃。金銭的に余裕があるわけでもなく、甘いものは贅沢品であった。食べたいと思ったときに食べられるような状況ではなく、わずかに口にできるものをふたりで分け合って食べていたのだ。昔から甘いものが好きだったユーリには、チョコレートが安くなるバレンタイン前後は夢のような時期だったわけである。それでも手に入れられるのは製菓用の安いものであり、そのまま食べられないわけではないが少しだけ手を加えてふたりで一緒に食べていた。たぶんフレンにチョコレートを渡す、という習慣はその頃からのものだろう。
 そう説明してみればふたりの身の上を知っている少年は、「ああなるほどね」と納得してくれた。だからといって既にそれなりに稼ぐことのできる状態であるにも関わらず、毎年チョコレートを送る理由にはならないよな、と言った本人は考えていたりする。
 いや、同性同士とはいえ恋人なのだから送る理由は十分にあるのか、と思いなおしたところで、「だったら、」とカロル少年が笑みを浮かべて口を開いた。

「今年もちゃんとあげなきゃね。きっとフレンも楽しみにしてるよ」

 好きな人を喜ばせたい、そんな純粋な気持ちで渡している、と素直に認めるには少々性格がひねくれてしまっているが、その感情が根底にあることは確かだ。そうだな、と苦笑を浮かべて頷いたところで、「それじゃあ駄目でしょ、ユーリちゃん!」と上から声が降ってきた。視線をあげれば、二階にある各ギルドメンバ私室前の廊下の手すりに身体を預け、こちらを見下ろしてくる男がいる。

「あ、レイヴン、おはよう。もう大丈夫?」
「おはよ、少年。あんがとね、ぐっすり寝れた」

 おっさんもう年だから徹夜仕事は身体に堪えるわぁ、と言いながらレイヴンはゆっくりとした動作で階段を下り、リビングまでやってきた。昼少し前にこのアジトに戻ってきたユーリにはよく分からないやりとりであったが、おそらく夜通しギルドか騎士団関係の仕事をして戻ってきた男と、アジトにいた少年の間に何らかのやりとりがあったのだろう。「いたのか、おっさん」と素直な感想をもらせば、「いましたよー、そんでもって君らの会話もばっちり聞いてましたよー」とレイヴンは顎をさすりながらにやにやと笑みを浮かべる。どさり、と当然のようにカロルの隣に腰を下ろした男は「あのねぇユーリちゃん」と飲み物でも入れよう、と腰を上げたユーリへ向かって口を開く。

「フレン青年だって男の子なんだから、好きな子からのチョコレートには期待もするし、ドキドキもしてるはずよ?」

 キッチンとリビングを隔てる壁はなく、カップを用意するユーリの視界にはレイヴンの後頭部とカロルの横顔が見える。ソファに乗るように振り返った少年は、「ボク、牛乳!」とちゃっかり飲み物のリクエストを寄越した。

「オレらの話聞いてたんなら分かってんだろ。ガキの頃から毎年やってんだぞ? 今更期待とか、ねぇだろ」

 なければないで残念がられるだろうし、渡したときにはきちんと喜んでくれてはいるが、過度な期待はされていないと思う。そう口にするが、ちっちっちっ、と舌を打って否定された。後ろ姿しか見えないがきっと、訳知り顔のムカつく表情を浮かべているのだと思う。

「だからこそでしょうが。ユーリちゃんってば男心が分かってないわねぇ」

 とりあえずオレも男なんだけど、というツッコミを入れたいところだったが面倒くさいので黙っておいた。面倒くさいと思ったことには深入りせず、すべて流してしまうのはユーリの悪い癖だ、と今話題となっている幼なじみ兼恋人にはよく叱られている。
 その男心的には、と三人分の飲み物を手にリビングへ戻りながら問いかけた。

「どうして欲しいわけ、バレンタインに」

 チョコレートを渡しているだけでも十分だと思っているのだが、どうやらそれでは駄目らしい。毎年のことだからなおさら、とコーヒーに口を付けながらレイヴンは言う。

「一味違うバレンタインを期待してると思うのよね。ちょっとしたプレゼントがあるとか、チョコにメッセージが書いてあるとか!」

 どこの乙女だ、と思うような言葉を口にした男は「ってことで少年、おっさんにもチョコ、よろしく」と隣に座る少年へ笑みを向けた。一回り以上年下の子供を恋人に持つ男は、もしかしたらただそれが言いたかっただけなのかもしれない。突然話題を振られたその恋人は、「えぇ!?」と驚いたように目を丸くしていた。

「ボクもチョコ買うの!?」

 ちょっと恥ずかしいなぁ、と眉間にしわを寄せる。年の差の大きいこのカップルは、もともとカロルのほうが果敢に中年男へアタックをし、なんとか口説き落としたという経緯がある。まっすぐな少年曰く、「男とか女とか年上とか年下とかじゃなくてレイヴンが好きなの」ということであり、またユーリのように開き直れるほど年数が経っているわけでも神経が図太いわけでもないため、感覚はとても一般的なものに近い。たとえ恋人同士であっても、そして自分が抱かれる側であっても、男が男にチョコレートをあげるという行為、それを用意するのが自分であるということを恥ずかしく思うのも仕方がないだろう。
 少年の倍ほど生きている恋人がそのことに気づいていないわけもなく、「だろうねぇ」と笑って頷いていた。

「でもね少年、バレンタインだからって別にチョコじゃなくてもいいっておっさんは思うわけ。要するに好きって気持ちが伝わればいいんでしょ? 折角のイベントなんだし、恋人のいるおっさんとしてはちょっとは楽しみたいじゃない」

 同性だから、年の差があるから、とやんわりと少年を拒んでいた時期が嘘であるかのように、腹を決めたレイヴンは柔らかな愛でひたすらに恋人を甘やかし、その様子を隠そうともしない。たとえばここにいるのがユーリではなく、ジュディスやパティであればまた違う言動を取ったのだろうが、同じような恋人のいる間柄であるため遠慮もなにもあったものではない。もっとカロルを愛してやれよとからかい続けてきた報復でもしているのかもしれない。
 隣に座った少年の腰に腕を回し、「ね?」と額にキスを落とす。そんな大人の手管に子供が逆らえるはずもなく、恥ずかしそうな、どこか嬉しそうな笑みを浮かべて「うん」と少年は頷いた。

「レイヴン、甘いもの、苦手だもんね。何か探してみる!」

 楽しみにしててね、とにっこり笑って告げる首領を横目に、なるほどなぁ、とユーリはこっそりと思う。もしかしたら自分に(あるいは自分たちに)足りていないものはカロルのような気持ちだったのかもしれない。毎年のこととはいえ、惰性でチョコレートを渡しているわけではないし、互いへ向かう矢印の色合いが変わったというつもりもない。しかしそれでも、つきあいが長い分どうしても忘れてしまう、色あせてしまうものもあるわけだ。
 手にしたカップに口をつけ、砂糖とミルクを入れたコーヒーをすすりながら、「なるほどねぇ」と今度は言葉にして小さく呟いた。




「で、いろいろ考えてみたけど何も思いつかなかったから、いつも通りにしといた」

 どーぞ召し上がれ、と恋人の前に差し出したものは、少しカカオの苦さが残るブラウニー。甘さを足したければ生クリームを乗せることもできるが、一口食べた彼氏は「僕はこのままのほうがいいな」と言った。そうだろうと思い添えるためのクリームはユーリの分しか作ってきていない。

「じゃあ今頃はレイヴンさんも何かプレゼントもらえてるのかな」
「たぶんな。きっとおっさん、でっろでろな顔してんぞ」
「ははっ、いいじゃない、幸せそうで」

 それに僕だって似たような顔になってると思うよ、とフレンはフォークを口に運びながら言った。

「ユーリが来てくれるだけでも嬉しいし、チョコレートをもらえたらもっと嬉しい。一緒に食べることができたらもっともっと嬉しくて、今すごくでろでろな顔になってると思うよ」

 なってない? と笑いながら首を傾げるフレンを前に鼻の頭にしわを寄せ、「男前だよ、相変わらず」と言ってやる。そんなユーリの答えに笑みを深めた男はだったら、とフォークを置いてその右手を伸ばした。

「チョコレートと同じくらい甘いもので、もっとでろでろな顔にさせて?」

 す、と頬を撫でる指先にくすぐったさを覚えながら、「上等」とユーリは口元を歪める。

「チョコより数倍美味いもん、たらふく食わせてやるから覚悟しろ」

 ふんわりと甘さの残るキスを交わし、手足を絡めながらふたりはベッドへなだれ込んだ。


 ユーリ曰く「でろでろな顔」を存分に晒したフレンは、恋人の帰ったあとの部屋でペン立てに見覚えのない真新しい万年筆を発見し、ますますでろでろな顔をする羽目になる。




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2014.02.14
















とある恋人たちの一風景。