今すぐに


「どっちが僕にとって幸せなのか、未だに悩むことがあるよ」

 情けない話だけれど、とシャンパングラスを片手にしんみりとそう語る男は、たぶん少し酔っぱらっているのだと思う。最近あまり休みが取れていなかった、と疲れた顔をして言っていた。今日この日を空けて恋人と過ごすために無理をしていたのだろう、ということは聞かずとも分かる。そこまでしなくてもいいのに、と当の恋人本人は思っていたりもするけれど、そうしたい、と望んだのは彼自身であり、望まれた側としてはそんな彼氏を精一杯甘やかしてやるしかないだろう。
 どっちってなにが、と尋ねる前に彼は「昔と今と」とそう言葉を補足した。

「そんなの、」

 今に決まってるじゃねぇか、と言い掛けて、ユーリは口を閉ざす。シャンパンと一緒に言葉も飲み込めば、うん、とフレンも同じようにグラスに口を付けて言うのだ。

「子どもの頃は食べるものもない、明日どうやって生きたらいいのか分からない状態だった。僕たちはそれでも恵まれていたほうだから、毎日がせっぱ詰まっていたわけじゃないけど、それでもそんな危機感をずっと抱えてた。それに比べたら、三食食べることができて、屋根のある場所で眠れて、自分で稼ぐことのできている今のほうが良いに決まっているんだよ」

 でもそれでも、と言いよどむ。
 その先に続く言葉はおそらく、ユーリの想像通りであろう。
 切って捨てるには惜しいものが子どもの頃にはあったのだ。
 そう。
 でもそれでも。
 今は側に、片割れがいない。

「寒くてもひもじくても、こうしてクリスマスに暖かい部屋でごちそうを食べることができなくても、プレゼントをもらうことができなくても、それでも子どもの僕の側にはいつもユーリがいてくれた」

 孤児であったふたりがまともにクリスマスというものを祝ったことがあるはずもなく、好意で分けてもらったケーキと、頑張って日銭を貯めて買ったチキンで細々と雰囲気を味わう程度。親のいる子どもたちのようにプレゼントをもらえることもなく、それでもそのときの自分は幸せだった。そう断言できる。
 目元をうっすらと赤く染めてそう語るフレンへ、ユーリは小さく「そうだな」と頷いた。彼のように素直に口にはできないけれど、それでもあの幼い日々が、理不尽に虐げられていた子ども時代が毎日絶望に染まっていたかと言われたら決してそうではない。あのときはいつも側に小さな太陽があった。ユーリだけを照らしてくれる、温かくて柔らかな存在があった。
 もちろん今だって決して不幸というわけではないのだ。己が定めた目標があり、そこに向かって邁進する日々。己の力不足を痛感したり、世間の理不尽さに苛立ちを覚えることはあれど、自分で決めた道だ、ここに足を下ろしていることを後悔はしていない。それはフレンだって同じはずだ。

「別に、全然会えなくなった、ってわけでもねぇだろ……?」

 現に、今だってこうして顔を合わせているではないか。クリスマスだから、と。記念の日だから、とお互い予定を空けて一緒に過ごす時間を作っている。手製のケーキをフォークですくい、口元に運びながら言えば、「そうなんだけどね」とフレンはやはり苦笑を浮かべた。
 そう、分かってはいるのだ。分かってはいるけれど、それでも時々言葉にしてしまいたくなる。言葉にしてどうにかなるものでもないけれど、要するに甘えたくなってしまうのだ。
 それが甘えであると自覚しているあたりが、そして自覚しつつも改めようとしないあたりがフレンらしいとそう思う。離れてから甘え方が上手くなったな、と笑って言えば、甘やかしてくれるユーリが悪い、と返された。

「オレは昔もずっとお前には甘かったつもりだけどな?」

 茶化すように言った言葉に、「そうだね」と肯定が返され少しだけ驚きを覚える。ユーリが驚いたことがフレンには驚きだったようで、「え、自覚なかったの?」とまで言われてしまった。あるわけがない。

「うん、でもいいんだ。無自覚に僕に甘いユーリに僕は甘えるって決めてるし」

 昔に比べてさらに甘くなった恋人。その根底に頻繁に会えなくなったことへの罪悪感があるとするのなら。その原因が彼自身にあることを気に病んでくれているのならば。

「僕はそれさえ利用して、もっといっぱい甘えてやるって決めてるから」

 シャンパンを飲みながら、臆面もなく言ってのけてくれる。

「だとしたら、今のほうが幸せなのかな、やっぱり」

 そう言って首を傾げた彼は、口付けたグラスが空であったことに気づき、「ユーリ、おかわり」と右手を差し出した。

「……飲み過ぎだし、甘えすぎだ、バカ野郎」

 ため息をつきながらもグラスにシャンパンを注いでやる。これでは確かに、甘やかしているユーリにも原因がある、と言われても仕方がないのかもしれない。ユーリの渋面を前にフレンも同じようなことを思っているのだろう、ふふふ、と満足そうに笑っていた。とても幼い笑顔で、これが現在の騎士団のほぼトップにいる男だとは思えない。
 こんな日だからいいじゃない、とフレンは言う。

「……それはクリスマスだからって意味か? それとも久々に会ったから?」
「その両方が重なってるって意味」

 だからあとで僕もユーリをたくさん甘やかしてあげるね、と。
 続けた彼の視線の先にはベッドがあり、言葉の意味を正確に理解して思わず笑いがこぼれた。何で笑うの、と眉間にしわを寄せた恋人の手から、たった今半分まで注いだばかりのシャンパングラスを取り上げる。
 ぐい、とそれを呷って飲みきり、唇を濡らしたまま腰をあげて男に口づけた。

「あとで、なんてケチくせぇこと言ってんなって」

 甘やかしてくれるのならば今すぐに。
 アルコールの混ざった吐息とともにねだったそれに、恋人は「仰せのままに」とより深いキスを返してくれた。




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2014.12.24
















大人には大人の楽しみ方があるものです。