喜ビノ歌



 大きな仕事が終わったばかりで、次のレコーディングまで間がある。一応楽譜を貰ってはいたが、少し休んだ後でねと言われていたので、すぐに練習に取りかかることもない。
 有体に言えば、双子の姉弟は暇だった。
 アイドル並に人気で忙しいすぐ上の姉は今日もレコーディングでスタジオへ向かっている。「久しぶりにネタ曲なのー」と嬉しそうに朝家を出て行った。ネタでどうして喜べるのかが分からないが、仕事にも種類があった方が楽しめていいのだろう。
 長姉は数日後にレコーディングがあるらしく、居間のテレビでWiiFitをしながらボイストレーニングをしていた。彼女に占領されてしまっているため、マリオカートもできやしない。「DSでもしてなさい」と追い払われ、仕方なく二人で長兄の元へと向かってみることにした。

「兄ちゃーん、暇だよぅ! 遊んでー!」

 姉であるはずのリンは甘えるのが上手い。女の子特有の性質なのかもしれないが、単なる性格だとも思える。自室にいた兄はちょうど楽譜を手に部屋を出ようとしており、どうやら練習室へと向かうところだったらしい。

「えー、兄ちゃんも練習?」

 唇を尖らせたリンへ兄、カイトは苦笑を浮かべながら、「一緒に来る?」とそう言った。

「ちょっと難しい曲だから少しだけ歌っておきたいんだ。そのあとに一緒に遊ぼう?」

 相変わらず優しいカイトの言葉にリンは満面の笑みで頷く。そんな姉に慌てて「おい、リン」と声をかけた。

「兄さん練習するって言ってるだろ。邪魔したら駄目じゃん」
「邪魔なんかしないよ」
「いや、だからいるだけで邪魔に」

 レンの言葉を「ならないよ」とカイトが遮る。

「…………本当に?」

 難しい曲だ、と兄は言った。それならば側に人がいない方がいいのではないだろうか。そう思うが、「大丈夫だからおいで」と笑うだけ。
 レンは実は唯一の男兄弟である彼の、こういう部分が少し苦手だった。見ていていらっとくるのだ。自分がはっきりと口にする方だからだろう。嫌なら嫌だといえばいいのに、といつも思う。

「そんなに難しい歌なの?」

 練習室は防音もかねて地下に造られている。ひと通りの楽器が揃い、マイクがあり、レコーディングもできるよう機材も揃えられている場所だ。カイトの左腕にぶら下がったまま、リンが尋ねる。

「歌って言うか、うん、どうなんだろう。もしかしたら歌じゃないのかもしれないけれど」

 そうカイトは曖昧に言った。
 ボーカロイドが歌を歌わずに何を歌うというのか。もしかしたらまた喋りが主な、ネタなのかもしれない。仕事を選ばないとよく言われる兄のことだ、それもありうる。
 そう思っていたが、兄が持ってきたディスクをセットし、流れてきた曲を耳にしてそれはないと思いなおした。少し民族チックな、しっとりとした曲なのだ。これでネタなはずはない。

「綺麗で静かな音」

 リンが小さく呟く。
 ヘッドホンで音を取りながら、楽譜を眺め、小さく口を動かす兄の姿を入口そばに壁を背に座り込んで、二人で眺めた。一通り流れをつかんだらしく、兄は「後で感想聞かせてね」とこちらを見て笑う。
 リピートで流れる曲。
 少し長めのイントロのあと、伸びやかな兄の声が音に乗る。

 その歌は、人類の滅びた星の歌だった。
 空と大地と風を失い、生命の見えぬ星。
 死せる星に残された、命を持たぬ者の歌。
 誰もいない世界で、ただ一人取り残された機械が歌う。
 聞いてください、と。
 昔いた、愛しい人へ向けて、歌を歌う。
 過去の姿を取り戻し始めた星を喜ぶ歌。

  「……ッ」

 気が付くと、隣でリンが泣いていた。
 小さく嗚咽を零す彼女の背へ腕を回し、抱きとめながら、兄から視線が外せない。
 間奏で静かに息を吐き出し、目を伏せる。
 聞いてください、と兄は歌う。
 静かに、穏やかに、歌う。

 ねぇ聞いてください。

 どれだけそう歌ったところで、それを耳にするものは、いない。そんな世界の歌。
 そう思ったところで、ようやく気が付いた。
 ボーカロイドは人間がいないことには歌を歌うことができない。それは歌わせてくれる人間がいないからだと、ずっとそう思っていたが。
 違うのだ。
 歌は聞いてくれる存在がいなければ歌にはならない。
 それを受け止めてくれる存在がいなければ歌ではないのだ。
 だからこそ。
 彼は、兄は「歌だけど歌ではないかもしれない」と。
 そう言ったのだ。
 これは歌だけれど、歌ではない。
 聞く者のいない歌は、歌にはなりえない。
 蘇りかけた星で、壊れた機械が歌う、なりそこないの歌。
 以前長姉が言っていた、「カイトは世界に入り込むことにかけては兄弟一だ」と。
 彼は一体、どんな気持ちでこの歌を歌っているのだろう。人の姿が見えぬ世界で、何を思っているのだろうか。自然を取り戻し始めた星に、何を思っているのだろうか。
 ただ一人、取り残されたまま何を思って歌い続けているのだろうか。

 ねぇ、聞いてください……

 繰り返されるフレーズは、誰にも届かない。それを分かっていても、歌うことしかできない。
 そんな世界に、何を思っているのだろうか。
 ゆっくりと音が小さくなっていき、鳥の囀りが響いて曲が終わる。息を吐き出し、そっと目を伏せたカイトの頬を伝い落ちた一滴の涙がその答えなのだろう、そう思った。
 楽譜とヘッドホンを置いてこちらへやってきた兄は、しゃがみ込んでリンの頭を撫でる。

「ごめんね、泣かせちゃったね」

 その声にリンは弾かれたように兄へ抱きついた。鼻をすすりながら「兄ちゃん、すごい」と彼女は言う。

「曲も言葉もすごいけど悲しい。悲しくて怖い」

 ぎゅう、と抱きついてくるリンの頭を撫でながら、カイトはレンへ向かって手を伸ばす。暖かな掌が頬を撫で、知らず零れていた涙を拭ってくれた。

「そんなに悲しかった?」

 尋ねてきたカイトへ、「だって」とリンが答える。

「その世界で、兄ちゃん、一人だよ? 誰も、いないんだよ? 歌っても、聞いてもらえないんだよ? マスターたちも、リンたちも、みんないないし、兄ちゃんだってこれから壊れちゃう」

 だから悲しい、とそう言うリンへ、「リンは良い子だね」とカイトは笑った。「レンも、良い子」と頬に添えられたままだった手が頭を撫でてくる。いつもならば子供扱いをするな、と振り払いたくなるが、今このときだけは彼の優しい手にほっと安堵した。

「でもね、俺はこの歌はそんなに悲しい歌だとは思ってないんだ」

 どちらかというと喜びの歌だ、とカイトは言った。

「誰もいないのはもちろん悲しいよ、みんながいないのは寂しい。けど、俺は嬉しいんだよ、一度滅びかけた世界が、また美しさを取り戻していくことが。悲しくて寂しくて、歌も歌えないほどだったのに、歌を、聞いてくれる人もいないのに歌を歌ってしまうくらいに」

 そんな嬉しさの込められた歌だと思うのだ、と。
 そうカイトは笑った。

「だから兄ちゃん、歌ってるとき笑ってたんだ」
「嬉しくてね」

 ぽんぽん、ともう一度落ち着かせるかのように双子の弟妹の頭を撫でた後、カイトは「さぁ、約束だったね、一緒に遊ぼう」と笑みを浮かべる。その言葉に笑顔を取り戻したリンは、「何して遊ぶ?」と立ち上がった。

「外にかき氷でも食べに行こうか」

 そう提案する兄へリンが「だめ」と首を横に振る。

「メイコ姉ちゃんに『アイスは一日一個』って言われてるでしょ」
「かき氷はアイスじゃないよ」
「冷たくて甘いからだめ」

 リンの言葉に「えー」と不満そうに唇を尖らせている。その姿からは、先ほどのあの歌を歌っていた雰囲気は微塵も感じられない。
 それでもレンは小さくため息をつき、リンの後を追って階段を上る兄の手を引いた。

「オレは兄さんを一人には絶対にしないから」

 たとえ毒の雨に打たれようとも、彼を一人残したりなどしない。わずかの差であろうと、何が何でも彼より後に壊れてみせる。
 この優しい人を、あんな悲しみの世界に置き去りにはしない。
 弟の言葉を聞いたカイトは一瞬驚いて目を丸くした後、「ありがとう」とふわり、と笑った。




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2008.09.23





















元ネタ:半熟P「Waiting in Earth」
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm4349226

ブログより移動してきた分です。