落ちる。



 夏が過ぎ秋がきて、そろそろ冬の音が聞こえそうな時期。季節はずれの嵐が列島を襲った。兄弟が暮らすその街も低気圧に飲み込まれ昼を過ぎたあたりから大荒れの天気だった。台風というほどではないがひどい天気なのは確かで、スタジオで仕事をしていた兄弟五人が予定を早めて戻ってきたころには雨風はさらに強くなっていた。

「早めに帰してもらって正解だったかもしれないね」

 窓の向こうを見やって呟いた末弟へ長姉が乾いたタオルを投げる。スタジオからここまで車で送ってもらったのだが、その車から家へ入るまでの間に濡れてしまったのだ。

「お風呂、入れたよ。女の子から先にね」

 トレードマークのマフラーも濡れてしまったため、それを外してタオルを首からかけた長兄が柔らかな笑みを浮かべてそう言う。

「何よ、一緒に入っちゃえばいいじゃない」
「あ、それいい! お風呂広いし! お兄ちゃんもリンくんも風邪引いちゃいけないしね」
「けってーい! パジャマ取ってこよっと」

 メイコの提案にミクが返事をし、リンが二階の自室へと向かって階段を上って行く。
 気温が徐々に下がってきている時期だったので、濡れたままの姿でいるのはさすがに肌寒い。あとから入ると言ったこちらを気遣ってくれるなら、さっさと風呂を使って交替してくれた方がありがたいのだが、ここで文句を言ったところで聞いてくれるような相手たちではなかった。
 確かにこの家はもともと大人数で住むことを想定された上で建てられたものなので、浴室も無駄に広い。五人くらいなら一度に入っても問題はない。だからといって年頃の男女が一緒に風呂に入るのはどうなのだろう、とカイトが迷って弟へ視線を向けると、「まあいいんじゃない?」と返ってきた。

「あまり気にしても仕方ないし。兄弟だし」

 その口調はどこか諦めも混ざっているように聞こえる。その方が早い、と彼は理解しているのだろう。
 結局女性陣に流されるように一緒に風呂に入り、体を温めてからゆっくりと夕食の支度にとりかかることになった。もともと今日は鍋にしようと話していたので、それほど時間もかからない。辛党なミクの希望で今日はキムチ鍋だ。

「皆よくこんなに辛いの食べられるね」

 アイスクリームが主食でもまったく問題ない、と豪語するほどアイスが好きで甘党なカイトにキムチは少し辛すぎる。自分用にだし汁を用意しながら呟くと、「あんたがお子様すぎるのよ」とメイコに呆れられた。食べる前に一度だし汁で辛さを落として口に入れるとカイトにはちょうどいいくらいなのだ。
 家族そろって鍋を囲み賑やかな食事を済ませ、当番制で決められている片づけをリンとレンが並んで行う。手伝おうか、というカイトの申し出はあっけなく弟に断られてしまった。そのまま冷凍庫へ手を伸ばしたのをリンに見つかり、「もうちょっとお腹を休めてから!」と怒られる。
 しぶしぶとリビングへ戻ると、窓際に立ったミクが「雨、酷くなってきたかも」とカーテンを開けて外を覗いていた。

「停電とかならないといいね」

 メイコの隣に腰かけてそう言うと、「台風じゃないから大丈夫じゃない?」と返ってくる。

「うん、でもここまで酷いと心配」
「ミク、停電ってなったことないから、やってみたい」

 振り返って楽しそうに笑う妹へ姉兄は苦笑を浮かべた。

「やるやらないってものじゃないわよ、停電って」

 メイコがそう言ったところで、キッチンから「お茶いるひとー」とレンの声がした。それに三人がそろって「いるー」と答える。
 日本茶の乗ったお盆をレンが、戸棚にあった醤油煎餅の袋をリンが持ってリビングへと戻ってきた。カタン、と音をさせて湯呑をそれぞれの前にレンが配り終えたところで、ピカッと外が光る。

「あ、カミナリ」
「ひっ」
「ッ!」

 リンが窓へ視線を向け呟いたのと同時に、小さな悲鳴と息を呑む音が響く。首を傾げて彼女はまず己の弟へ視線を向けた。彼は小さく首を横に振る。当たり前だ、リンが怖くないものをレンが怖がるはずがない。次いでふわふわとした雰囲気を持つ次姉へ目を向ける。彼女も緑色の髪の毛を揺らして首を振った。
 となると。

「…………」
「………………」

 弟妹の視線を一度に浴びてカイトは顔を赤くし、メイコは天井付近へ視線を向けている。

「…………もしかして兄ちゃんたち」
「カミナリ、怖いの……?」

 リンの言葉にミクが続ける。それにびくり、と肩を震わせたのは兄の方だった。姉はというと、「な、なに言ってんのよっ!」と口を開いて否定する。

「カミナリなんて、怖いわけないじゃない!」

 少しだけ目を吊り上げて彼女はそう言うが、「でも姉さん」とレンが向かいのソファに座りながら言った。

「兄さんの手、握ったまんま」

 ソファの上できゅうと固く繋がれた手を指さされ、メイコは耳まで真っ赤にする。強がりな彼女のこと、そう簡単に弟妹に弱みを見せるわけにはいかないのだろう。慌てて手を離すが、その時また窓の外が光った。今度は先ほどは聞こえなかった音も耳に届く。

「……やっぱり苦手なんじゃん」

 呆れたように言ったレンの前では、再びしっかり繋がれている年長組の手。顔を赤くして唸っていたメイコは、「し、仕方ないじゃない」とようやく認めた。

「私たちはあんたたちとはタイプが違うんだから……ッ」
「もともと機械だから、どうしても、ね」

 作られた存在である彼らボーカロイドはほとんど人間であるとはいえ、根本的なところまでがまったく同じというわけにはいかない。特に先に作られた年長組二人はそれが顕著なようである。彼らの改良版であるミクたちに雷に対する恐怖が少ないのもある意味当然だろう。
 こうして話をしている間も雷はやむ気配もなく、それどころか光と音の感覚が徐々に狭まってきているようだった。明らかに雷雲が近づいてきているのだ。

「――ッ、もう、だめ! 私、寝るッ!」

 一番はじめに根をあげたのはメイコだった。眠ってさえしまえば雷をやり過ごせると思ったのだろう。幸いにも入浴は既に済ませているので、あとは歯を磨いてしまえばすぐにでもベッドへ行ける。

「いいけど、姉さん眠れるの?」

 言いながらもカイトの手を離そうとしない姉へ、レンがそう首を傾げた。その隣で「あ!」とミクが声を上げる。

「メイコお姉ちゃん、一緒に寝ようよ! 一緒なら怖くないでしょ?」

 その提案に今度はリンが「ずるい!」と口を開いた。

「リンも! リンもリンもリンもーっ! 二人だけずるい!」
「もちろん、リンちゃんも一緒。ね? お姉ちゃん、これなら怖くないよ」

 妹たちの提案にメイコは眉を寄せながらも、「ま、まあそれなら……」と言葉を濁す。男二人が口をはさむ間もなく女性陣の就寝支度は整えられ、妹に手を引かれてメイコがソファから立ち上がった。

「め、めーちゃん……ッ」

 同時にずっと触れていたカイトの手からもその体温が消える。雷が苦手なのはカイトも同じことで、心細さから思わず昔の呼び名を口にしてしまう。いつの間にかそんな兄の側に歩み寄っていたレンが、ぽんと肩を叩いて「兄さんは俺が一緒に寝てあげるから」と慰めた。



 慣れたベッドの方がいいだろうということで、レンはカイトを連れて彼の部屋へと向かった。寝る支度を整えた後兄を布団の中に押し込んで、レン自身もその隣へと潜り込む。体の前でぎゅうと握りしめられた手に触れると、救いを求めるかのように握り返された。

「メイコ、大丈夫かな……」

 ぽつり、と呟きが布団の中に落ちる。

「姉さんがいないと不安?」

 レンの言葉に顔を赤くした兄が「そう言うわけじゃ、ない、けど……」と言葉を濁した。

「でも、だって、レンたちがくる、前までは、ずっと一緒に、いたし」
「カミナリの日は一緒に寝てたの?」

 なんとなく疑問に思って尋ねると、カイトは小さく頷いた。

「いいよ、もう、笑って……。情けないってのはおれたちも分かってるから……」

 兄や姉としての威厳は雷の前では形無しだ。それでも虚勢を張りたかったメイコとあっさりあきらめて降伏するカイト、まったく真逆の性格をしている二人が仲が良いというのがまた面白い。

「いや、かわいいなと思って。二人とも」

 そう言いながらくすくすとレンは笑った。
 別に雷を怖がるくらいでどうだと言うつもりはない。誰にだって苦手なものはあるのだ、馬鹿にする気もまったくない。
 大丈夫だよ、とそう言おうとしたところで、窓の外が一際明るく光った。

「ッ!」

 息を呑んで目を閉じたカイトは同時にぎゅう、とレンの手を強く握ってくる。かすかに震えているその肩へそっと触れながら、レンは口を開いた。

「メイコ姉さんにはリンもミク姉さんもついてる。兄さんにはほら、俺がいる」

 するり、と指を絡めるようにして手をつなぐと頷いた兄は安心したかのように擦りよってきた。
 窓の外ではまだ空が光り、低く唸り声を上げている。目を閉じてしまえば光は気にならないだろう。音を完全にふさぐことはできないので、レンは少しだけ自身の上体をずらし、カイトの頭を胸に抱きしめた。

「レ、レン?」
「俺の心臓の音、聞いてて。そうしたらカミナリの音も気にならないから」

 正確にいえば彼らの体内に心臓はない、埋め込まれているのは擬似心臓だ。それでもその器官が彼らを生かしている、という事実は人間と同じ。
 とくんとくん、と規則正しく刻まれる鼓動に耳を傾け、カイトはゆっくりと目を閉じる。

「お休み、カイト兄さん」
「お休み、レン」




 誓って言おう。
 この日まで、彼を意識したことは一度足りともなかった。
 少し頼りのない、けれどどこまでも優しい大好きな兄、でしかなかった。
 それなのに。



 カーテンの隙間から零れる光が眩しくて目が覚めた。昨日の嵐が嘘のように治まり、外はいい天気らしい。これならば兄も姉も安心できるだろう。そう考えて、隣で眠る兄へと目を向けた。
 真っ青な髪の毛が枕の上で綺麗に広がっている。閉じられた目を縁取るまつ毛は驚くほど長く、す、と通った鼻筋にうっすらと開いた唇。安心した表情で眠るその姿に、とくり、と体の中で何かがうずいた。
 それを具体的に自覚する前に手が動く。
 彼を起こさぬようにそっと右手を上げ、髪を指に絡めながら頭を撫でる。耳朶をくすぐりそのまま頬を撫でると、感触が気持ち良かったのかふにゃり、とその表情が更に和らいだ。甘えるように手へ擦りよってくる仕草がまるで猫のようだ、と頭の片隅で思う。

「ん……」

 鼻に抜けたような声を耳にしたところで意識が現実へと戻ってきた。

(あ、れ? 俺、何やって……?)

 疑問に思うが、この柔らかな唇をもう少し味わっていたいという気持ちも強い。引き寄せて衝動のまま貪りたいのをなんとかこらえ、そっと触れるだけのキス。何度か啄ばむように唇を落とし、ぺろり、と舌でなめたところでもう一度兄が声を上げた。
 起きたのだろうか、と慌てて距離を取るが、彼は少しだけ眉をひそめた後くるり、と寝返りを打ってしまう。

(…………危なかった。)

 あのまま続けていたら舌を入れてしまっていたかもしれない。口元を押さえこんでレンはぎゅうと目を閉じる。
 どうしてこんなことをしてしまったのか、自分でもよく分からない。彼は男でその上兄で、決してこういうことをする対象にはなりえないはずなのに。
 止められなかった。抑えられなかった。

「……これって、まずくね……?」

 小さく呟いて早鐘のように打ち続ける心臓を黙らせるかのように、レンは己の胸を強く抑えこんだ。




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2008.10.22





















お決まり感満載。
友人との会話の結果、年長組は雷が怖いということになりました。