裏「崩れる。」の続き。


   注ぐ。



 人が良く嘘の吐けない性格の兄に、高度な誤魔化し術ははっきりいって期待していなかった。しかし無理やり抱いた翌日、彼の態度は普段とほとんど変わらぬものだった。さすがに朝、兄の部屋から姿を現すのはまずいだろう、と早くに自室へ戻ったのだが、顔を合わせていない間にある程度心の整理をつけてしまったのかもしれない。何か言い訳を考えてでも彼が目を覚ますときまで一緒にいれば良かった、と後悔する。

 なんだか昨日のことをなかったことにされているかのようで、面白くない。

 そんな思いを押し殺して仕事に向かうと、さっそく昨日撮った写真を見せられた。いくつかのショットの中からどれを使うのかをマスターらとともに決める。

「俺はこれがいい。一番エロい」

 くすくすと笑いながらマスターが手にとったものは、胸元を軽く肌蹴させて伏せ目がちな表情のものだった。もちろん彼苦心の作であるキスマークもはっきりと映っている。

「目線、なくていいの?」

 女性の腕が上から伸びており、軽く頬に触れているその写真ではレンの視線はカメラにも、その腕にも向いていない。せめてどこを見ているのか分かるものの方がいいのではないだろうか。そう尋ねるとマスターは首を横に振る。

「このどうでもよさそうな顔がいい」

 確かにそう言われると、どうにでもしろ、という投げやりな表情にも見える。レンとしては特にこだわりもなく、あまりにもイメージとかけ離れたものさえ使われなければ異存はない。結局はマスターの作品であるため、その写真をCDのジャケットに使うことに決定した。
 その他の細かな打ち合わせを終え、テーブルの上に広げられた写真を片づけながらカメラを担当した人間が「気に入ったのがあれば持って帰ってもいいよ」と口にする。

「なんなら引き延ばして貰って部屋に飾っとけば?」

 からかい口調でそう言ったマスターへ唇を尖らせて、「俺、どんなナルシストだよ」と文句を言う。

「そう言いつつ選んでんじゃん」
「姉さんたちに見せるの。昨日これのことで騒がれたんだよ」

 これ、と写真に写り込んでいるキスマークを指さした。途端にさ、とマスターの顔色が悪くなる。そういえば、とレンは思い出した。このマスターは確か長姉に滅法弱かったのだ。
 にやり、と口元を歪め、「面白がってたよ、姉さんは」と言ってやると、彼は苦虫をかみつぶしたかのように渋い表情をした。

「お前は本当に勘の鋭い子だ」

 カイトとはえらい違いだな、と続けられ、ふわり、と脳裏に蘇るのは昨夜の泣きはらした兄の顔。

「兄さんはちょっと怒ってたよ。俺にはまだ早いってさ」

 小さく首を振ってその艶やかな表情を追い払うと、肩を竦めてレンは言った。同じような仕草をしながら、「カイトらしい」とマスターも苦笑を浮かべる。

「それじゃあ今度はカイトにキスマークを付けてやろう」

 それっぽい歌でも作って、と言うマスターへレンは「それは駄目」と口にした。

「そんなことされたら兄さん泣いちゃうからダメ」

 真面目な表情でそう言うレンへ「さすがに泣きはしないだろう」とマスターは笑う。そんな彼へ軽く挨拶をして、レンはスタジオを後にした。今日の仕事はこの打ち合わせで終わりだったので、あとはまっすぐ帰るだけだ。
 車で送る、というマネージャーの申し出を断り、夕闇に暮れかけた空を見ながらポツリ、呟く。

「そういえば痕、つけてなかったな」




 自宅へ戻ると仕事の終わり時間が重なったらしい女性陣から、一緒に夕飯の買い物をして帰るという電話が入った。道理で家が静かなわけだ、と納得しつつ、リビングへ向かって首を傾げる。玄関の鍵が開いていたため、カイトがいるのだと思っていたがリビングはもぬけのからだったのだ。
 家に自分一人しかいないとき、どの兄弟も皆リビングでその時間を過ごす。そう決まっているわけではなく、なんとなく自然と皆がそうするようになっただけだ。どうしてか、と聞かれても答えられない。おそらく「お帰り」と言いたいのだろう、とレンは思っている。帰ってきた家族に対し、きちんと「お帰り」と迎えてあげたい、と。
 珍しいこともあるものだ、と荷物を置きに部屋へ戻り、階下へ向かう途中に兄の部屋の扉をノックしてみた。
 返事はなかったが、こっそりと開けて覗きこんでみると、コートを着たままベッドの上で転寝をしているカイトの姿を発見する。

(そ、っか。昨日の夜、あまり眠れなかったから……)

 行為のせいでレン自身も多少寝不足気味である。受け入れる側だったカイトはそれとともに、肉体的な疲労もあったのだろう。気力で仕事には行ったが、帰ってきた時点でダウンしてしまった、といったところか。

「あーあ、マフラーもしたままだよ」

 せめてマフラーを外し、コートは脱ぐべきだろう、とレンはそっと兄に近寄った。
 するり、と青いマフラーを抜き取ると、白い首筋が露わになる。ここに痕をつけたら映えるだろうな、と思っていたところで、カイトが小さく声を上げた。

「ん……レン……?」

 どこかぼうとした目で見上げてくる彼へ、「せめてマフラーとコートは脱ごうよ」と笑みを浮かべる。
 マフラーを軽く畳んで脇に避けると、兄の腕を引いてベッドの上へ体を起こさせる。まだ半分ほど睡魔に意識を乗っ取られているらしく、カイトは大人しくされるがままだ。コートを脱がせてやり、それをかけるハンガーを探しているところへ「今、何時?」と声が届いた。

「七時前。もうちょっとしたら姉さんたち帰ってくるけど、眠たいなら寝てれば?」

 少ししわになってしまっていたコートをかけて、兄の方へ向き直ると、彼は小さく首を振って「いい、起きる」と答える。そう言いつつもまだ眠気を追い払えていないらしく、大きく口を開けて欠伸を零した。じわり、とカイトの眦に涙が浮かぶ。

「ッ、レ、レン……?」

 潤んだ瞳とけだるそうな動作に、思わず腕が伸びた。
 カイトをもう一度ベッドへと押し戻し、その体の上へ覆いかぶさる。その体勢に昨夜のことを思い出したらしく、カイトは目を開けてレンを見た。ようやく頭がはっきりとしたらしい。
 怯えたような顔をする彼は本当に可愛いと思う。
 そんな顔をさせているのが自分である、ということに優越感を覚えながら、「兄さん、これ、見て?」と持っていた写真を差し出した。

「昨日撮ったやつだよ」

 姉たちに見せようと思い数枚貰って帰ってきた中の一枚。ジャケットに使うものとは違い、はっきりとレンズに視線を向けているものだ。

「よく撮れてるでしょ? キスマークも、ね」

 囁くようにそう告げると、さっとカイトの頬が赤くなる。昨日あれだけのことをしたというのに、彼は未だ言葉だけで羞恥を覚えるらしい。

「歌を聴いてもらえれば分かると思うけど、やっぱりキスマークはあった方が雰囲気は出るんだよね。カッコよく撮れてると思わない?」

 そう尋ねるとカイトは顔を赤くしながらも小さく頷きを返してきた。しかしすぐに「でも」と口を開く。

「なくても、レンは、カッコイイと思う、よ」

 小さく告げられた言葉に舞い上がりそうになる心を抑えて、「ありがとう」と笑みを浮かべる。

「兄さんも、可愛いと思うよ」

 そう言うと、赤かったカイトの顔がさらに赤くなる。「可愛い、って……」と言い返そうとする唇をさっと奪い、ぱくぱくと口を開閉させる彼を無視して服の裾から手をさし入れた。 素肌を撫でる感触にカイトはあからさまに怯え、その体を固くする。

「大丈夫、今日はしないから」

 さすがに初めてだった人間に二日連続無体を強いることはできない。

「兄さんは可愛いよ。けど、痕つけたらきっと、もっと可愛くなる」

 レンと同じように襟元付近だと他の家族に気づかれてしまうかもしれない。そう思い、Tシャツをたくしあげて、脇腹のあたりに唇を寄せた。
 ちゅ、と吸い上げて唇を離すも、なかなか綺麗に痕が残らない。知識として知っており、つけられるという経験もしているが、やはり上手くいかないものである。

「難しいね、これ」

 ぺろり、と唾液で濡れるその肌を舐めると、びくり、とカイトの体が跳ねた。上を見やると、ぎゅうと目を閉じたまま両手で口を押さえこんでいる。
 その姿を見るとめちゃくちゃにしてやりたくなる衝動が込み上げてきたが、なんとかそれを抑えこんで再びその脇腹へと唇を寄せた。何箇所かを強めに吸い上げ、下手をすると数日は消えないかもしれない痕を作り上げた後、レンは顔を上げて満足そうにカイトを見下ろす。

「ほら、やっぱりもっと可愛くなった」

 そう言うと、カイトが小さく首を横に振る。そんなことはない、という否定の仕草なのだろうが、弱々しげなそれはレンをさらに煽ることにしかならない。
 どうせなら、もう何箇所か、と再びその肌へ唇を寄せようとしたところで、階下から「ただいまぁ!」という次姉の元気な声が響いてきた。どうやら悪戯はここまでのようである。

「残念」

 舌を出して小さくそう呟くと、レンは上体を起こしてベッドの上から下りる。ようやく自由になったことにほっとしているのか、体の力を抜いて不安げに目を開けたカイトの唇を、最後に軽く奪った。

「普段の兄さんも可愛いけれど、キスされて赤くなってる兄さんはもっと可愛いし、こんな」

 と、言いながらいまだ曝け出されたままのカイトの腰へ手を這わせる。

「やらしい痕をつけてる兄さんはもっともっと可愛いよ」

 びくりと震えながらも己の肌に残されたものを見やったカイトは、赤かった顔を更に赤くしてレンの手を払いのけた。たくしあげられていたTシャツを慌てて下ろし、まるで隠すかのようにその裾をぎゅう、と握る。そういった仕草がどれだけこちらの征服欲を煽るのか、一度きちんと伝えておいたほうがいいのかもしれない。
 そんなことを思いながらも、レンはベッドの上で小さくなっている兄に背を向けた。

「俺は先に降りてるね」

 早く姿を見せないと、姉たちが探しにやってくるだろう。今のカイトの姿を彼女たちに見せるわけにはいかない。
 軽く足止めをしておこう、と思いながら部屋を出て扉を閉める前に、レンは不意に振り返って、カイトへ視線を向けた。



「これからもっともっと、たくさん可愛くしてあげるからね」



 昨夜のことをなかったことにさせるつもりも、兄を逃がすつもりも、レンには毛頭なかった。




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2008.12.20





















進んでいるのかいないのか微妙な関係。