沈む。



 十四という年齢にしては少し早いのかもしれない。しかし、すべてのマスターの要望に応えられるように、とリンとレンはあらゆる知識を詰め込まれた状態で生み出された。経験はなくとも理解していることは多い。たとえばそれが家事の仕方だとか交通ルール、一般常識、数学や英語の知識だけならまだ良かったのかもしれない。誰に対して良かったのか、はいまいちよく分からないがそれでもまだマシだったのではないだろうか、とレンは思う。
 歌、というものは人間の感情を歌うことが多い。嬉しさ、悲しさ、切なさ、恋しさ。特に恋愛関係の歌が多いとなれば、そちら方面の知識もまたより多く必要となるわけで。実際に経験しなければ分からない感情もあるが、それでもなんとなく分かってしまうのはそう作られたから。その手の知識を植え込まれるだけ植え込まれた状態だから。

(だからって、これは、まずい、だろ……)

 どこまでも人により近く、と作られた体。ほとんど人間と言っても差し支えがなく、食事も睡眠も必要だ。暑ければ汗をかくし、悲しければ涙も出る。触れられるとくすぐったさを感じるし、殴られれば痛みもある。そうしてもちろん性感だって覚えるわけで。

 明かりを消し、暗闇に包まれた自室。布団の中で丸くなり、レンははぁ、とため息をついた。その吐息に熱がこもっていることは、誰に指摘されるまでもなく分かっている。
 少し前、大人の雰囲気を持った歌を歌わされたときにマスターと軽い猥談をした。レンにこういった歌を歌わせたがるのは女性が多かったが、珍しく男性マスターだったということもまた影響があっただろう。

 「お前くらいの年だったら一番興味がある年頃なんだよ」と彼は笑いながらいろいろと教えてくれた。それは別に性的な興奮を覚えてだとか、そういった色のあるものではなく、単に兄が弟へこっそりといけないことを教えているかのような、そんな雰囲気を漂わせた時間だった。
 もちろん知識として知ってはいたが、「実際にやってみるのとは違うだろ」と彼は言う。

「あ、でも初体験はもっと後でいいぞ。お前の年で童貞喪失とかされてみろ、ムカついて殴りたくなるから」

 どうやら彼が童貞を喪失した年はもっと後だったらしい。憮然とそう言いきったマスターに思わず声を上げて笑った。

「それは約束できないなぁ。俺だって男だし、誘われればついてっちゃうかも」
「誘われること前提かよ」
「声をかけてくるお姉さん、多いしね」
「げ、マジでか。お前絶対についていくなよ。俺のせいでそんなことになってみろ、メイコさんに殺される」

 真顔でそんなことを言うものだから、レンは再び吹きだしてしまう。何かと長姉の名前を出してくることの多い彼は、本気で彼女を恐れているのか、本気で惚れているのかのどちらかだと思う。

「いいか、レン。もうちょっと大人になるまでお前の恋人はお前の右手だ。一人でシコってろ」

 何とも下品で酷い言い草である。呆れたように苦笑して、「いいオカズがあったらね」と返しておいた。

 しかし実際にはこのときレンは自慰をしたことすらなかった。生理現象として朝軽く立っていることはあるので(そこまで人間に近く作らなくてもいいのに、といつも思う)、できないというわけではないだろう。だが自分で処理するほど溜まることはない。レンにとっては無視できる感覚だったのだ。
 ただそんな話をしたせいだろう、少しだけ興味がわいた。

 何を見れば自分が性的に興奮するのか分からず、また用意するのも面倒くさかったので、その日の夜は結局想像だけで自慰をしてみた。誰に聞かずともやり方は知識として詰め込まれている。
 添えた右手を上下に動かして扱き、時折軽く力を入れる。確かに気持ちがいい。あのマスターの言うとおり、知識と実践ではだいぶ違う。しかし射精までこぎつけて後始末をしているときに思ったことは、こんなものか、ということだった。気持ちが良かった、ということより、自分の体がこういう風に興奮するのだ、変化するのだということに感動を覚えた。

 だから、だろう。あれ以来一度も自慰はしていなかった。必要がなかったのだ、植え込まれた知識ではなく、実践に基づいた知識を既に得てしまっているのだから。結局は性欲などやはり無視できる感覚でしかなかった。
 そのはずだった。
 それなのに。

 あの日の朝から。
 隣で眠る兄の姿が忘れられない。

「ッ、は……っ」

 目を閉じるとあの瞼が、彩るまつ毛が、やわらかな耳朶が、うっすらと染まる頬が、誘うように開かれた唇が蘇る。
 何も考えられずに口付けた感触。柔らかく温かかった唇をもっときつく吸い上げれば、きっと鮮やかな赤に染まるだろう。
 考えただけでぞくり、と背筋を這いあがるものがある。
 あの朝にも感じたそれは、まぎれもなく、性的な衝動だったのだ、と今になってようやく理解した。

「ん、ッ、……く……」

 ベッドの上、押し殺した声と吐息。どくり、と己の右手を濡らす精液。肩で息をしながらもそれを拭いとって、ぱたり、と布団の上に投げ出した。
 彼の、乱れる姿が見てみたい。
 出来ることなら、己のこの手でめちゃくちゃにしてみたい。
 そう思うだけで、下半身に熱が集まる。
 まるでセックスを覚えたばかりの子供のように。
 劣情に沈む心を止めることができない。

「……さすがに、まずい、だろ」

 僅かに残った理性があの日の朝と同じようにそう呟く。
 行為自体は後ろめたいだけで人ならば誰しもが持っている欲に沿ったもの、ただ、さすがに。

「兄さんをオカズに抜くってのは、なぁ……」

 これはまずい、と自分でも思う。
 その自戒が崩れてしまったときどうなるのか、レン自身にも分からなかった。




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2008.10.26





















レンの自覚。
このカップリングはレンが動かない限り変化がない。