デートの約束」の続き。


   屋上デート


 兄貴命令だ、と昨夜横暴な指示を飛ばしてきた双子の兄であったが、その時間帯と、直後にぐっすり寝入ってしまったことを考え、彼の記憶に残っているかどうか怪しいところだ、とそう思っていた。

「十二時から二時間な。忘れんなよ」

 ところが、朝食が済んだ後これまたぶっきら棒にそう告げられ、しっかり覚えていたらしい、と理解する。そのかわり洗濯とかはしといてやる、と言われたため甘えさせてもらうことにし、とりあえずできるところまで持ち帰りの作業を進めることにした。授業の資料づくりと任務の報告書作成。できれば先日発表された悪魔薬学に関する論文にも目を通しておきたかったが、さすがにそこまでは手が出せないだろう。
 まずは任務の報告書をさくっと終わらせ、メールにて送信。次は授業の内容を固めて、塾生たちにやってもらうプリントを作成しなければ。
 朝、食堂で別れて以来、燐はこの部屋には戻ってきていない。おそらく厨房で何かしているのだと思う。指定された時間帯を考えると、手の込んだ昼食でも作っているのだろうか。
 脳味噌の大部分をプリント作成に使いながらぼんやりと兄のことを考えていたところで、本人から携帯に連絡が入った。時計を確認、十一時五十分。兄の変に律儀な面を見るたびに、さすがA型、と思っていた。

『十二時になったら屋上に来い』

 それだけ言って切れてしまう。せめて一言、仕事の進み具合はどうだとか、そういった気遣う台詞はないのだろうか。燐のことだから、聞いても分からないから聞かない、あるいは終わってなくても関係ないから聞く必要がないのかもしれない。

 兄からの時間指定つきの命令。きっと遅れたら文句を言われるに違いない。そう思い、早めに机の上を片づけて腰を上げる。そういえばクロの姿も朝から見ていない。燐のそばにいるのだろうか。
 ぺったりぺったり、とスリッパの音を響かせながらのんびりと屋上へと向かった。取り出した携帯画面の時刻は五十八分。こんなものだろう。
 カチャリ、扉を開いた。日差しが眩しい。

「遅い!」
「えー……まだ十二時になってないのにぃ……」

 姿を確認すると同時に飛んできた罵声にがっくりと肩が落ちた。間に合ったと思ったのは幻想だったようだ。
 いいからほら早く来い、と手招かれた先には、いったいどこから引っ張り出してきたというのか、日差し除けの大きなパラソル、硬いコンクリートの上に広げられたピクニックマット。でん、ででん、とそこに乗っている重箱が存在感を主張している。どうやら屋上で簡易遠足でも楽しもう、ということらしい。

「外行くの、お前いやがりそうだし、疲れそうだしさ」

 ちょっと下が硬いけど我慢しろよ、と勧められた場所に腰を下ろせば、ふたをよけた重箱を並べてくれた。おにぎりに唐揚げ、だし巻き卵といった定番のおかずから、ポテトサラダに葉物野菜のサラダ、人参と昆布の煮物と、彩りのいいおかずも詰まっている。ぎっしりと作り込まれた弁当に思わず「すごいね」と素直な言葉がこぼれた。

「美味しそう」
「だろ? 好きなとこから食っていいぞ。全部お前のために作ったんだから」

 取り皿と箸を手渡し、お茶を注いでくれながらそんな言葉を口にする。それがどれほどの威力をもつ殺し文句か、だなんてきっと彼は一生気がつかないに違いない。何せ「つかまあ、雪男のため以外に作ることもねぇけどさ」と当たり前のように続けるひとなのだから。

「唐揚げ、味付いてるの?」
「あ、そうそう。こっちアオノリな。こっちちょっと梅」
「ちょっと梅ってなにそれ」
「すっぱすぎんの、お前嫌いじゃん」

 とにかく、味付けの基準が雪男なのだ。雪男の舌と胃袋が燐の料理専用になってしまうのも仕方がないと思う。
 白身のフライや鶏肉をクロにも分けてやりながら、のんびりと鮭おにぎりを頬張ってお茶を飲む。どうせ二時間はここを動かないのだろうから、急いで食べる必要もないわけだ。

「雨降ったらどうしようかと思ったけど、晴れて良かった」

 あ、暑かったら言えよ戻るから、と声をかけてくる。彼のなかではきっと雪男はいつまでたっても身体の弱い、泣き虫な弟のままなのだろう。それはそれで、その立場を存分に利用させてもらえばいいだけだ。
 大丈夫だよ、と答えながら腕を伸ばし、燐の口元に触れる。

「ご飯粒」

 ついてるよ、と摘んだそれを己の口に運んで言えば、きょとんとした顔を向けてきたあと燐はぽふん、と顔を赤くした。

「は、はずかしーこと、してんじゃねぇよっ!」

 きゃんきゃんと、吠える様子は子犬のようだ。ぴん、と立った尻尾もまた雪男にその印象を与える役を買っている。くすくすと笑いながら、「でもだって、」と口を開いた。

「これ、デートでしょう?」
「で、でーとぉ?」
「昨日の夜、兄さんが言ったんだよ、俺とデートしろ、って」

 だから恋人のようなふれ合いをしても問題はないはずだ、と雪男は言い切る。

「ああでも、今のは恋人ってより親子かなぁ……じゃあ、もっと恋人っぽいことしようか」
「はっ!? いや、お前何言って、」

 ずい、と顔を近づけて言えば、慌てたように燐が後ずさりをした。いったい何を要求されると思ったのやら。ぷは、と小さく吹き出して、「リンゴ、食べたいな」とデザートにと用意されている果物を指さした。

  「食べさせてよ、兄さん」

 デートでしょ、とにっこり笑って言えば、顔を赤くしたまま押し黙っていた燐がしぶしぶといったようにフォークを手に取り、リンゴをつきさした。
 あーん、と大きくあけた口にリンゴのかけらが押し込まれる。

「……これもどっちかっつったら、親子じゃね?」
「そう? でもほら、恋人同士でやってるイメージじゃない? あーんして食べさせてもらうって。次はイチゴがいいな」
「俺が食えねぇじゃん、これ!」

 文句を言いながらもイチゴに手を伸ばし、ヘタをとる。フォークにさそうかどうしようか少し迷ったあとで、燐はそのまま指でつまんで差し出してきた。ぱくり、と指ごとくわえてやれば、「あっ、ばか!」と怒られた。

「イチゴだけ食えよ!」
「んむ、んんんぅう?」
「食いながらしゃべんなっ! つか兄ちゃんの指はデザートじゃありません!」

 ぺっしなさい、と言われたためおとなしく口を離す。デザートと同じくらいに美味しくいただかれているくせに何を言っているのだろう、と思ったけれど、あまりにからかいすぎると怒ってしまうためここはおとなしく黙っておいた。かわりに美味しいよ、とイチゴの感想を述べておく。

「じゃあ次は僕が食べさせてあげようか。どれがい?」
「いや、いいって、自分で食うから!」
「僕があーんするの、やなの?」
「ッ、お前、分かっててそんな顔作ってるだろ!」
「あはは、当然じゃない。ほんと、兄さんって僕に甘いよねぇ」

 結局雪男の手からリンゴもイチゴも食べてくれるのだから(ついでに口の中を軽く弄ってあげられたので大満足だ)、このひとはいったいどれだけ僕のことを好きなのだろう、と思ってしまう。同じくらい、いやそれ以上に自分の方が燐のことを好きな自信はあるけれど。

 残ったおかずは一つの重に詰め直して夕飯に、果物はあとで三時のおやつにしてくれるそうだ。燐のことだからきっとそのまま出さずに、何か一手間くわえるのだろう。

「あー腹一杯になったら眠くなってくるなぁ」

 天気もいいし、と空を見上げた後、「こいつはもう寝てやがるし」と丸まっている黒猫の腹を優しく撫でる。愛おしそうに目を細めてクロに触れる様子を前に、なんだか無性に羨ましくなってしまった。

「兄さん、僕も」

 ここまできたらもう、自分の欲求に素直になるに限る。特に燐はストレートに物事を受け取るタイプであるため、直球を投げなければ伝わらないことのほうが多いのだ。重箱を避けてスペースを確保すると、雪男はごろり、とシートの上に横になった。頭は燐の足の上、である。
 僕も、のあとに、眠たくなってきた、と続けるつもりだったのか、あるいは僕も撫でて欲しい、と言うつもりだったのか。自分でもよく分からないまま目を閉じる。

「あ、おい、ばか、重いっつの!」

 メガネくらいはずせよ、と文句を言いつつもやっぱり雪男をどかせようとはしない。それどころかメガネをとって頬を撫で、ゆっくりと髪を梳いてくれるのだから。

「兄さんってほんと僕に甘いよね……」

 目を閉じたまましみじみと先ほどと同じ言葉を口にすれば、うるせぇよばーか、と優しく笑う声が降ってきた。





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2015.01.28
















弟はたぶん、部屋に戻ってベッドの上でのデートの続きを企んでいる。