激情の終着点」の続き。


   終着点のその先


「お前には理解できないだろうけど」

 さらりとした銀の髪、透き通った青い瞳の綺麗な顔をした男は、そう前おいてエイトの難を二点ほど指摘する。二つ、と立てられた二本の指もすっと細くて白くて、綺麗だな、と思った。

「一つはたぶん治らない。お前が死んでもきっと、治らない」

 それはつまりどうしようもできない欠点である、ということ。エイトがエイトであるためには手放せない何か。それを治せとエイトに言うことは、空を羽ばたく鳥に向かって海の中で泳いで見せろと求めるようなもの。
 そんなにひどいのか、と少し驚いて呟けば、「絶望的なまでにな」と肯定されてしまった。思慮深いこの男が言うのだからきっとそれは正しいのだろう。

「ただもう一つは、何とかなる可能性がある」

 それは感情や欲求に関するものらしい。
 こうして地に足をおろし生きているのだ、エイトにだって感情も欲求もある。ただそれをうまく自覚できていないだけで。うまく言葉にできていないだけで。

「倒れるってことは、身体が食事や睡眠を必要としているから。これは分かるな? そのサインをお前が見逃してるだけ」

 いつ眠ればいいのか分からない。食事をとるタイミングが分からない。周りと同じように眠って、周りと同じように食べていたため、自分の身体が発する合図を感じたことがないのだ。いや感じているけれどそれと理解できていない。

「……俺、ものすげぇバカってことなんだな?」
「そうだな。お前以上のバカをオレは見たことねぇよ」

 これもまたあっさり肯定されとても複雑な気分になった。

「その『気分』だってそうだし、『気持ち』にだって言えることだけどさ」

 ククールはゆっくりと、エイトにも分かる言葉で、分かるように優しく話を進めてくれる。だからエイトもきちんと聞かなければならない。すべてが理解できるかどうかは分からないけれど、理解しようとする努力は必要だ。それがこんなにも真摯にエイトに向き合ってくれている男へ、できそこないの自分ができる唯一のことだと思う。

「自分がどんな気持ちなのかよく分からない、はっきりと言葉にできないってのは何もお前だけじゃない。心があれば誰にでもあるようなことだ」

 怒ればいいのか分からない。泣いてもいいのか分からない。どこで笑えばいいのかが、分からない。
 笑っていろ、とそう言われた。笑うな、とそう言われた。
 いつ、どこで、どのタイミングで笑ってはいけないのか、笑えばいいのか。
 エイトにはその判断がうまくできない。誰も教えてくれなかった、というのはいいわけなのだろう。きっとみんな、自分でそれを学んでいくのだ。エイトがそれをできなかっただけのこと。

「まあな。ただその自分で学ぶってのも、ちゃんと相手と自分を、その関係を理解してのことだからな」
 お前はその前提をすっ飛ばしてるし、戻ることも、取り戻すこともできないから。

 その点こそがククール曰く「絶望的なまでにどうしようもない欠点」であるそうだ。エイトがそれをいまいち理解できないことも含めて、のことだろう。
 しっかりした足場を持たない状態であったため、みなが簡単に理解していくことを、感じ取って学んでいることをエイトは時間をかけなければ分からない。それだってこうしてエイトの状況を理解してくれる誰かが、つききりで教えてくれてこそ、できることなのだろう。

「だからエイトのそれはちょっと度が過ぎてるし、それを見たら『おかしい』のかもしれねぇけどな。でも、それはお前だけ特別に起こることじゃないってことだけは覚えとけ」

 多かれ少なかれ、度合いの違いはあってもみなそうなのだ。
 みな、同じなのだ、と。
 その言葉をすぐにはやはり理解できなかったけれど、何度も何度も頭のなかで転がして、ようやくなんとなく、分かったときにどれほどの歓喜を覚えたのか、きっとククールには分からないだろう。

「俺、おかしくねぇんだな」

 呟いた言葉がいったいどういう意味をもつのか、何に対してのことなのか、一瞬不可解そうな顔をしたククールだったが、すぐに以前彼自身がエイトに説いたことについてだと悟ったのだろう。ふわり、と優しく笑ってエイトの頭を撫でた。

「安心しろ、お前は頭んなかが花畑なだけだから」

 そんなに綺麗な笑みを浮かべて全力でバカにするのは止めてもらいたいところである。そう文句を言い掛けたところで、「オレだってさ、」とククールは落ち着いた声で続けるのだ。

「修道院を出たときは、自分の気持ちがうまく言葉にできなかったよ」

 尊敬していた院長を亡くしたことは悔しかったし悲しかった。けれどそれがなければ息苦しいこの院を出ることもなかっただろう。自由になることができた嬉しさもある。帰る場所を失った心細さもある。どれが一番強い気持ちなのか、自分でも整理がつかずにとても混乱していた。

「今思えばとにかく悲しかったのかもな。オレ、院長のことは普通に好きだったから」

 兄貴に対しても似たようなもんだ、と何でもないことのように言葉を続ける。そのことに少しだけ、驚いた。腹違いの兄についての話題は、彼の心をかき乱す地雷のようなものだと認識していたからだ。まさか自分で口にするだなんて、思ってもいなかった。

「自分の気持ちが分からない。こんなオレをお前は『おかしい』ってそうう言うのか?」

 厳密に言えば対する状況が違い、分からなさの度合いも違うため、ククールとエイトを同列に語っても意味はないのかもしれない。ただ根本的な部分に違いはないのだ、とそのことを少しでも理解してもらいたいのだろう。


**  **


『どした、顔が揺るんでっぞ。何かあったか?』
『エイトの腹の虫がうるせぇから飯食いにいくか』
『眉毛がハの字のエイトくん、ちょっとこっち来てみ。何があったかおにーさんに言ってみろ』
『眠いならベッドで倒れろ、そのままだと床とキスする羽目になるぞ』

 それはとても細かいことで、ひとが聞けばごく当たり前の会話にしか聞こえないだろう。
 けれどエイトにとっては違う。どれもがとても大切なことで、重要な意味を持つ言葉なのだ。
 ククールはエイトの話を聞いてくれる。エイトがどう思ったのかをちゃんと聞いてくれる。その言葉を決してバカにしないし、理解できないと否定もしない。そうか、とただ頷いて、ときどき言葉を教えてくれるのだ。「猫が可愛くて嬉しかったんだな」だとか、「あめ玉落っことして悲しかったんだな」だとか。

「あら、そんなに可愛い猫いるの? 私も見たい!」

 ゼシカを巻き込んで猫を見に行った。可愛いものを見るとみんな笑顔になる。ちょうどその場にいなかったヤンガスがあとで話を聞いてとても悔しがっていた。ごめん、と謝りながらもエイトは笑っていたし、このやりとりを楽しんでいる自分をはっきりと自覚していたのだ。

「兄貴、あめ玉くらいでそんなに凹まねぇでくだせぇ。あっしが奢りやすから」

 落とした飴よりも大きな棒付き飴を奢ってもらえた。これがエビでタイを釣るというやつだろうか、と呟けば、それは違ぇと思うでげす、と真顔で訂正された。ありがとう、と礼を言ったエイトへ、おやすいご用でがす、とヤンガスも笑う。仲間が嬉しそうにしている顔を見ると自分もまた嬉しくなってくるものだ、と気がついた。

 それは改めて考えれば、今までだってごく自然に行えていたもの、あるいは感じていた気持ちだったのだと思う。ククールも言っていた、「ないわけじゃない、ただ自覚できていないだけで」と。
 自覚してはいけない、と思っていたのかもしれない。
 自分の気持ちは間違っているものだから。
 誰かを傷つけてしまうに決まっているから、だから「自分の気持ち」は考えず、周りを見て言動を合わせなければいけない、と思っていた。それを続けているうちに、本当に自分の気持ちを見失ってしまっていたのだろう。
 そのことを根気よく、仲間たちを巻き込みながら、ククールはゆっくりとエイトに教えてくれている。
 どうしてそこまでしてくれるのだろう。
 いったい彼は何を思ってエイトに語りかけているのだろう。

 知りたい、と思う気持ち。
 知らなければならないのではないか、という気持ち。
 エイトのそばにいるということは、その「歪さ」を目の当たりにするということ。
 腹立たしくも思うだろう、傷つくこともあるだろう。実際に怒鳴られたことだってある、深く傷つけたこともある。決して心地いい場所ではないはずなのだ、エイトのそばは。
 どうして、と直接尋ねたところで、男は笑みを浮かべるだけで決して答えようとはしないのだ。
 その顔を見ていると、ずきずきと心臓の奥が痛んで苦しい。この気持ちはどんな言葉で言い表せばいいのだろう。
 ククールに聞けば教えてくれるかもしれない。はっきりとした回答は得られなくても、それとなく助け舟を出してくれるだろう。そうすればこんなにももやもやとした気持ちを引きずらなくてもいいと分かってはいるのだ。
 けれど。

「……自分で、ちゃんと、考える」

 一言一言区切って、己に言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
 いろいろな言葉を教えてもらい、気持ちに気づけるようになってきたのだ。
 時間はかかるだろうけれど、きっと自分で言葉にできるようになる日がくると思う。自分で考えて自分の言葉で伝えなければいけない、そんな気がする。
 いつになるかは分からない。けれどいつかは必ず。

「どうせずっと側にいるんだ、気長に待ってるよ」

 ククールは綺麗に笑ってそう言った。





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2015.02.07
















お互いに向き合う覚悟を。