under「ライフプラン」の続き。


   噂の奥方さま


 花婿のほうは正直乗り気ではなかったそうだ。もともと平民の出であり、贅沢とは縁のない生活を送っている人物である。たとえそれが人生の新たな門出を祝うためのものであったとしても、知り合いだけで慎ましやかに、と考えていた。
 けれど、彼の立場がそれを許してくれない。
 様々な事件を経て、周囲の状況に押され、彼は次期騎士団長という立場にあった。騎士団をまとめるトップが今現在不在の状態であり、実質的に彼がとりまとめているのである。若さと出自から団長という名を与えることを渋るものが議会にいるらしく、未だ正式に辞令は出ていない。
 しかし、現皇帝直々に次の団長に、と指名してきているのだ。その辞令がでるのも時間の問題であろう。
 そんな男の結婚式というのだから、盛大に、華やかに行われたのも当然のこと、といえるかもしれない。しかも花嫁もまたそれを望んでいるというのだから。

「騎士団長代理の奥さん、見たことあるか? すげぇ若ぇんだってさ」
「あ、聞いた聞いた。つかまだ子供だって話じゃね?」
「おー、堅物なひとって聞いてたけどまさかロリコンだったとはね」
「オレ見たことあるぞ。超かわいーの。まさに美少女って感じ」
「マジか! くそー、それイケメンだから許されてんじゃねぇの? そこらの男だったら確実に叩かれてね?」

 そんな噂の立つ奥方であったが、彼女の素性を知るものは実はほとんどいなかった。
 話題の中心フレン・シーフォは顔もよく有能で、将来も約束された男だ。生まれが平民であるという点にさえ目をつぶれば、貴族の娘の格好の婿ターゲットであった。あからさまに狙ってくる家もあったし、うちと婚姻関係を結べば貴族という地位が手には入る、と見当違いな条件を出してくるものもあった。家など関係なくフレンに憧れて好意を寄せてくれる娘も少なくなかったというのに、彼の結婚相手はそのどれでもなかったというのだから。

「納得できるはずがないわ」

 そう憤るのは、一番フレンにモーションをかけていた貴族の娘である。それなりに位のある家系であり、城に所属するもので一般的な感覚を有していれば、彼女の家からの縁談を断るなど決してしないだろう。少なくとも彼女自身はそう思っていた。

「噂では平民の娘だというじゃないですか」

 フレンさまにふさわしいとは思えません、と賛同するのもまた、とある貴族の娘である。そのとおりですわ、ともうふたりほど、上等なドレスをまとった娘がいる。
 彼女たち四人が目指している場所は、結婚してから城を出て構えたという、フレンの家である。本来なら貴族街に邸宅を構えていいはずなのに、市民街に家を持つこともまた納得ができない。地位に相応しい家に住み、相応しい服を着て相応しい食事をとることもまた、貴族の役割だと彼女たちは理解していた。

「きっと卑しいものがフレンさまを騙しているに違いないわ」
「そんな女からフレンさまを助けてさしあげなければ」
「そうよ、相手の素性を暴いてあげましょう」
「どんな女か分かれば、フレンさまだって考え直してくださるわよ」

 考え直した結果自分が選ばれるとは限らないのだけれど、そんなことまでは考えていないらしい。とにかく突然現れて憧れの人物を奪っていった憎き女に、何らかの仕返しをしてやりたくて仕方がないのだ。フレンが新婚早々城をでて家を構えたこと、それも市民街を選んだことは、こういった事柄を危惧してのことだったのだ、ということを彼女たちは知らないでいる。

 小さい家、みすぼらしい、うちの馬小屋みたいだわ、などと、人の家に散々文句を言い散らして彼女たちは新婚家庭に足を踏み入れた。名目としては騎士団長の妻となった女性へ、城でのマナーを教える、というものだそうである。もし張本人がそれを耳にすれば、「ある程度知ってるからいいし、困ったら聞ける相手がいるからいい」と答えていたであろう。
 それもそのはず、騎士団長代理の幼妻は、現副帝である皇女の知り合いなのだ。結婚式での立ち振る舞いもすべて彼女にたたき込まれていたため、「それなりに地位のある男の妻」として城でもうまくやっていけるだろう。(もちろんそうできる、というだけの話であり、できれば城での生活は避けたいと彼女は思っていた。)
 だから着飾ってやってきた娘たちの名目は端から成り立っていなかったのだが、幸か不幸か、そのとき家には誰もいなかった。扉を叩いても呼び鈴を鳴らしても誰も出てこない、ということが彼女たちには理解できなかったであろう。貴族の家では必ず使用人が家の留守を預かっているのだ。
 どういうことなの、もしかして逃げ出したのでは、などと見当違いな憶測を飛ばしている彼女たちの背後から「うちに何か用か?」と声をかけるものがひとり。

「……あなたは?」

 振り返ったその先には顔も手足も泥で汚れている子供が立っていた。足下には灰色の大きな犬。黒いチュニックに黒いボトム。黒髪を後ろで結わえている姿は一見少年にも少女にも見える。しかし、華奢な体には似合わないバストを隠し切れていないため女性であることが伺いしれた。もちろん、この家の住人ユーリである。

「いや、ここに住んでるもんだけど……あんたら、貴族の娘さんだろ? フレンなら今城だぞ」

 身なりからすぐに相手の正体に気がついたユーリは、夫に用があるものだと決めつけてそう言った。わざわざ訪ねてくるだなんて、よほど急ぎの用でもあるのだろう、とのんびり考えながら、家に入る前に外に設置された水道で手足を洗う。
 そんな彼女のそばで「いえ、わたくしたちは……」と娘のひとりが言葉を濁していた。

「ここの奥様、フレンさまの奥方にお話があって参りましたの。今はいらっしゃらないのかしら?」

 四人の中心にいる女性が口を開き、「あー……」とユーリは声をあげる。その奥方は自分です、と言って信じてもらえるだろうか、と。案の定、「あなた使用人でしょう? 召使いが家をあけて何をやっていたのよ」とお叱りがとんできた。

  「何って……」
 ガキと遊んでた。

 臆面もなくきぱっと言ってのけた彼女へ、貴族の娘たちは言葉を失っているようだ。
 ユーリとしてはただ遊んでいた、というわけではない。突然肉体の性別が変化し、衰えた筋力を補うためのトレーニングも兼ねているのだ。
 彼女、もともとは「彼」として生きていた。それも戦いの中に身をおくものとして。
 様々な事情があって今はこうして女として生きることになってしまったが、もちろんすんなりと受け入れることができたわけではない。もはや男の身体には戻れないのだと理解せざるを得なかったその日、散々泣いて、当たり散らした。ふざけんな、どうしてオレがこんな目に、と生きることに絶望した。それを受け止めてくれたのがかつてからの恋人、フレンだったのだが、こうして現状に向き合うことができるようになった今、おとなしくしていることができないのがユーリという人物だ。
 やはりどうしたって戦うこと、剣を振るうことを諦めきれず、この身体なりの戦い方を模索しているところなのである。腕力のなさをスピードで補い、手数を増やす。そのために必要な筋力と体力をつけようと日々身体を動かしているのだ。

「ほら、ラピード、足貸せ、洗ってやっから」

 わふん、と鼻を鳴らした犬はまるで言葉を理解しているかのようにちょこんと座り、右前足を彼女に託す。フレンは少女となってしまった恋人のボディガードをこの賢い犬に頼んでいるのだ。主人の命を違えることなく、ラピードはユーリのそばから離れようとはしなかった。
 とりあえず、今ここにいたところで目的の人物には会えなさそうだ、と娘たちは思ったようで、「妻が家にいないだなんて信じられない」「召使いも召使いよ」「フレンさまには不釣り合いだわ」だなどという文句を残して帰って行った。正直彼女たちの目的もなにも理解できないままであった少女は、きょとんと四人を見送るしかない。

「オレ、フレンに不釣り合いだってさ」

 とりあえず言われたことを相棒に報告してみれば、彼はわん、と小さく鳴いた。気にするな、と言ってくれたのかもしれなかった。


 ってことが昼間にあったんだけど、と報告も兼ねて夕飯を取りながらフレンに話をすれば、「なんかごめん」と謝られてしまった。ユーリとしては別に何か迷惑をかけられたわけでもなく、フレンと一緒になるのならこういうことはあるだろうと想定していたため気にしてはいない。もしかしたらフレンのほうにも何らかのアクションがあるかもしれないから、気をつけておいたほうがいいかも、という忠告みたいなものである。

「ああでも、オレ、お前に恥かかせたりとかしてる?」

 城におらず、中でどのような噂が立っているのかまるで分からない。フレンはもともとそういった話を気にしないタイプであるし、耳にしたとしてもユーリに話そうとはしないだろう。ユーリもまた聞いたところで特に何か思うことはないだろうけれど。

「オレが言われる分には気にしねぇけど、お前の立場が悪くなるのは困るなぁ」

 せっかく騎士団長の嫁さんになって玉の輿に乗ったのに、とにやにや笑って続けられた言葉。茶化すような言い方ではあったが、ユーリなりにフレンのことを、城での立場を気にし、心配してくれているようだった。ふわり、と笑みを浮かべ「大丈夫だよ」と少女の頬を撫でる。
 確かにいろいろな噂を耳にしているけれど、それらが弊害になるようなことは今のところ起っていない。根拠のないただの噂に左右されるほど、城内も暇ではないのだ。
 ああでも、とユーリに触れる手を止めてフレンは口を開いた。

「君が嫌がるだろうと思って言ってなかったけど、今度夜会に来てみる? 貴族が集まってのパーティーみたいなものなんだけど、最近は立場上僕も出ざるを得なくて。妻帯者は妻を同伴させるのが普通なんだよね」

 一般的には、というだけであり、絶対的な決まり事ではない。フレン自身あまり乗り気ではなく、顔を出すだけ出してすぐに辞そうと思っていた。だからわざわざユーリに打診することはなかったそうである。
 夫の言葉を聞いた妻は、「あーそれはそれでめんどくさそうだなぁ」と思った通りの反応を寄越した。だろうね、とフレンも苦笑を浮かべる。

「でもまあ、それで今日来たようなやつらが黙るっていうなら、それくらいはしておくべきだよな」
 騎士団長の嫁さんとして。

 伸ばした手でフレンの鼻をきゅむ、と摘まむ。立ち上がり、食器を片づけ始めたユーリを視線で追いながら、「良くできた奥さんを持てて僕は幸せだよ」とフレンが嘯けば「ばーか」という可愛らしい罵声が返ってきた。

「よくできて、料理が上手くて、美人で可愛い嫁さん、の間違いだろ」


 後日、城にて開催されたパーティーにおいて、マナーも立ち振る舞いも完璧であった黒髪の美少女を連れた騎士団長(代理)の姿が目撃されたそうである。


「いや、俺も見たけどさ、マジで超かわいいの。にこって笑った顔とかさ」
「すごくお淑やかで、フレンさまをたててくださる方らしいじゃない」
「やっぱり騎士団長ともなるひとだと、選ぶ相手も完璧なんだなぁ」





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2015.01.24
















夜会に着ていくドレスは女性陣が全力で選んだそうです。