under20万ヒット記念「波間に漂う恋心」の続き。


   水槽のなかの恋心


 想いが通じ合わなかった場合泡となって消えてしまうということ。
 それを避け、声と尾びれを取り戻すために想い人の血を浴びること。
 その二つの事柄が奇跡的な偶然で重なりあった結果のことなのではないか、と海中より呼び出した魔法使いは思案顔で言っていた。
 その容姿から海の中で「人魚姫」と呼ばれていた人魚、ユーリは、彼の作った薬により声と尾びれを失う代わりに、歩けない足と陸上での呼吸方法を手に入れた。
 泡となることを受け入れかけていたユーリを引き止めたのは、同じように想ってくれていた青年、フレン。彼の血を浴びた時にふたりの想いが通じ合い、そのタイミングが重なった結果、ユーリは声を取り戻した。

「でも、足はそのままなんだね……」

 海面にひょこん、と顔を出しているのは、いつかのようにユーリを心配してきてくれた少年人魚、カロルである。薬を作った元凶も彼に連れて来てもらったのだ。

「まあでも、喋ることはできるようになったし、泡にもなってねぇからさ」

 一度はすべてを諦める覚悟をしていた。
 もとはユーリのひどく自分勝手な欲望が引き起こした事柄が原因で、この手に残ったものがあるだけでもありがたい。笑ってそう言う人魚姫へ、「ユーリの歌がまた聞けるようになったのは嬉しいかな」と涙ぐんでカロルは言った。人魚はみな歌を歌い、楽器を奏でることを好んでいるものだ。
 心配と迷惑をかけてしいまった小さな友人へ、「ほんとごめんな」とユーリは眉を寄せて謝罪する。

「いいんだ、ユーリが海に帰って来ないのは寂しいけどでも、」

 言葉を区切って少年が視線を向けた先には、足の悪いユーリを支えるように立つ金髪の青年がいた。

「これからは僕が彼の足になる」

 君たちの人魚姫は僕がずっと大切にするよ、と。
 きっぱりと言い切られた言葉はかなり気恥ずかしいものがある。けれどフレンの誠実さが現れたそれがあるからこそ、カロルもまた「良かったね」と笑ってくれているのだろう。

「王さまに怒られるからあまり頻繁にはこれないけど、またユーリの歌を聞きに来るよ」

 そう言って海の中へ戻っていった友人を見送り、フレンに抱えられるようにして城へと戻る。足が尾びれに戻ることはなかったが、残念ながら歩くことはできないまま。少しでも体重をかければ、骨を抉られているかのような痛みが全身を襲うのだ。
 どこかへ行きたい、とユーリが望めば、どうあっても誰かの手を借りざるを得ない。

「やっぱり、恋しい?」

 窓辺に置かれたイスに腰をおろし、じっと外を見ているユーリに、背後から声がかかった。窓の向こう側に広がるものは砂浜、そして海。
 恋人からの問いかけに、「まあ、少しはな」と彼は素直に答える。
 自らが望み、結果もすべて覚悟していたとはいえ、やはり生まれ育った場所を離れるのは寂しいものだ。眺めるだけならできるけれど、あの中での暮らしに戻ることはもう二度とない。そこに寂寥感がないといえば嘘になる。
 宝石のような紫黒の瞳を曇らせて笑うユーリを見やり、フレンもまた眉を顰めた。

「ごめんね、ユーリ」

 ぽつり、と紡がれた言葉は謝罪のそれ。
 どうして彼が謝ってくるのかが分からず、ユーリは小さく首を傾げた。艶やかな黒髪がさらり、と肩から流れ落ちる。
 歩み寄ってきたフレンはユーリの髪の毛を一房ほどすくい取り、そっと口づけた。

「僕はたぶん、君の足が不自由であることを、喜んでいるんだ」

 ともに生きたいと望んだ恋人は、同性だけれどとても美しいひとだった。
 それはまっすぐで強い、凛とした心もそうであるし、白い肌、紫の瞳という容姿もそうだ。海のなかではその姿から男であるにも関わらず、「人魚姫」と呼ばれていたくらい。
 その彼は自由に動けないせいもあり、よくこの部屋の窓から海を眺めていた。きれいな瞳をまっすぐに、己が生まれ育った場所へと向けている。
 その横顔からに浮かぶ色は懐かしさと、恋しさ。
 まるで今にも海に飛び込んでしまいそうな、そんな顔をしているのだ。

「だから、いつかその足が治って、ユーリが僕のそばからいなくなってしまうんじゃないか、って。僕はそれがずっと怖かったんだ」

 静かに己の心情を吐露する男は、イスに腰掛けたままの青年の肩をそっと抱きしめる。

「ユーリが声を取り戻してすべての事情を聞いて、その足が治ることはないと知った。君はずっと僕のそばにいてくれるんだ、って」

 喜んでしまったんだよ、と苦しげに告げられた言葉は懺悔。
 それはまるで籠のなかの鳥のよう。
 あるいは水槽のなかの人魚。
 美しいものを閉じこめて、自分だけのものにする。
 自分だけと会話をし、自分だけとふれ合う。
 その笑顔を独り占めすることにほの暗い喜びを覚えているのだ。

「ひどい男でごめんね」

 謝りながらもユーリを抱きしめる腕を解こうとはしない。つまりは逃がさない、と言っているようなものなのだろう。
 その束縛を心地よく思い、むしろ安心しているものに対しては、謝罪など無用だということをどう伝えたら彼は納得してくれるのか。
 逆にオレは、と自分を抱くフレンの腕にそっと手を添えながらユーリは笑みを浮かべて言う。

「自由に動けないからってお前の優しさにつけ込んでそばにいるんだから、そこはお互いさま、ってことでいいんじゃねぇの?」

 軽く首を傾けてフレンを見上げる。表情は曇っているけれど、その両の瞳は相変わらず澄んだ青色で、オレの海はここにあるしな、と彼の頭を引き寄せて唇を押しつけた。





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2015.01.31
















数年後、人魚族と人間の間の和平条約締結に、
ふたりが一役かってたりしたら面白いよね、って。