「オレを殺すなら好きにしろ。やったことの責任を取るくらいの甲斐性は持ってるつもりだ。ただしオレが死んだあと、何がどうなっても知らねぇからな」 くつり、と彼らしいシニカルな笑みを浮かべて言い放った言葉、それが重罪人ユーリ・ローウェルの最期の言葉だった、という。 彼を慕い、愛してきた仲間たちはなんとかその運命から彼を逃せないか奔走してきたが、腐った体質をそう簡単に変えられるはずもなく、そうして執行された彼の処刑。罪状は評議会員と騎士団隊長への殺人罪。事実であるが故ユーリはそれを否定することもなく、また抗おうともしなかった。 大罪人の処刑を、と強く声を荒げたのは帝国の貴族の面々で、彼の最期の言葉を聞いたものは「負け惜しみを」と嘲笑ったという。 そんな彼らは、まったくもって理解していなかったのだ。 彼らが死に追いやった人物には、心を分け合ったかのような相手がいるのだ、と。半身を失った彼がどのような行動に移るのか、など。おそらくは、二人の歪な関係を知っていた者たちでさえ予想もしていなかっただろう。 アダージョ・フィーネ 「現時点を以て、帝国における貴族制度の廃止、特権制度の撤廃を施行する。それに伴い、元貴族たちが有していた財産はすべて帝国のもと没収となる」 名だたる貴族の当主を集めての宣言。本当ならばいきなり全てを奪って路頭へ迷わせたいところだったが、さすがに周囲に苦言を呈され、事前忠告を行った後の宣言。貴族の中でも庶民よりであったもの、ある程度頭の回転が速いもの、あるいはフレンに恐れをなしているものは、その時点で貴族の特権を捨て自身で職につき、働くことを選んだ。ここに残っているものたちは、その事前忠告さえも鼻で笑い、貴族という立場に胡坐をかいていた馬鹿どもばかり、ということで。 彼らの生活がこれからどうなろうと、フレンの知ったことではない。彼らに家族がいようと、小さな乳飲み子がいようと、本当に知ったことではない。取りあげた財産はすべて福祉や医療、あるいは新しい魔導器流通のための予算となるが、それすらもフレンにはもうどうでもいいことだった。 『だから言ったのにな、「どうなっても知らねぇ」ってさ』 絶望した面持ちの貴族連中をその場に残し、自室へ戻ったフレンの耳元で、覚えのある声がくつくつと笑いながらそう呟いた。そちらを見やればにたり、と彼らしい笑みを浮かべた半身の姿がそこにある。 おそらく誰も信じてはくれないだろう。フレン自身でさえ、自分がおかしくなったのだ、とそう判断している。夢か幻か、彼を失いたくないという自分の強い執着が、このような錯覚を引き起こしているのだ、と。それでいいじゃねぇか、と笑ったのはユーリだった。 『そうやって幻のオレを作り出して、それでお前が立ってられるなら、全然いい』 だから好きなようにオレを使え、と彼は笑ってそう言った。 「ユーリのおかげだよ。さすがに僕ひとりじゃ、あいつらをあんな風に追い詰められはしなかった」 貴族たちの全てを奪う上、もちろん数々の反対や妨害があった。それらをすべてねじ伏せてこれたのはフレンの力量だけではない。 『まあな。この身体はそういう部分では便利だったな』 なんてったって、どこにでも侵入し放題、とユーリは楽しそうに笑ってみせる。物理的な存在を通り越してしまうため、何らかの物体を持ち帰ることは叶わない。それでも、ユーリが貴族たちの家で見てきたこと、聞いてきたことはフレンにとってはかなり良い材料となった。それらを元に脅しをかけ、力尽くで彼らを従わせてきたといっても過言ではない。 『これで、とりあえずお前のやりたかったことの一つは終わったわけだろ? 次はなんだよ。こうなったらとことん付き合うぜ』 皮肉な話だが、彼が生きていた頃よりも、共にいる時間は断然に長くなっている。ユーリも己の体の特性を活かして好きなように動き回り、以前よりも直接的にフレンの力になってくれていた。 「そう、だね。しばらくはまだ、貴族連中がうるさいだろうから、それを抑えるために、」 考えながら話をしていたところで、コンコン、と木の扉の響く音がした。軽く目くばせすれば、こちらを見ようともせずにユーリはす、と移動して入口へと向かう。ぬ、と顔だけを扉の向こう側へ押し込んですぐに引っ込めた彼は、『おっさんだ』と来訪者を告げた。 彼のかつての仲間は今、騎士団に席を起きつつ、ギルドでも活躍をしている。二人の度の超えた癒着ぶりを理解していた人間でもあり、ユーリを失って以来たびたび個人的に訪ねてきてくれていた。 「お久しぶりです」 言いながら扉を開ければ、僅かに驚いたような顔をしたレイヴンがそこにはいた。 「なんか、俺様だって分かってたよーに開けるわね」 そう言うレイヴンを部屋へ通しながら、「分かっていましたよ」と答える。 「……どうして分かったの?」 「どうしてでしょうね」 笑ってそう交わしながら、部屋の隅にある簡素な水場へと向かう。紅茶と珈琲と、尋ねずとも彼なら珈琲を好むと分かるのは、ユーリが側にいるからだろう。 『オレ、淹れようか?』 実体を持たないものの特性なのか、地に足をつけることのできないユーリがふわふわと漂いながらそう尋ねてくる。フレンとて飲み物の準備くらいはできるのだが、どうしてだか同じ作業をしてもユーリの方がより美味しいものを淹れるのだ。 (じゃあ、お願い。) ユーリの姿を見て声を聞けるのはこの世ではフレン一人だけだ。声に出して会話をすればまずいことくらいは分かるため、心の中だけで答え、フレンはふ、と目を閉じた。 かちゃかちゃと、食器の鳴る音とこぽり、という水音。すぐに広がる珈琲のほろ苦い香り。お茶受けに、と探し出したクッキーをレイヴンに出す前に一枚くすねて食べて、振り返ったところでフレンの意識が現実へ戻る。 「お待たせしました」 にっこりと笑って言えば、ソファに腰かけたままどこか呆けたようにこちらを見ているレイヴンがいた。 「なんか、今、フレンちゃんの後姿が、どっかの誰かさんとすっごいダブって見えた、気がするんだけど」 振り返る姿とかそっくり。 そう言いながら勧められた珈琲を口へ含み、更にレイヴンは眉を顰めた。たぶんそれを見越してユーリは自分が淹れよう、と言ってくれたのだろう。同じ材料を使ってもフレンではこの味を出すことはできないのだ。訝しげな視線を送ってくる彼へ、「深く考えないでください」と苦笑を浮かべてフレンは言った。 「大丈夫、とは決して言いません。たぶん僕はもう、」 そこで言葉を切ったフレンをじ、と見つめ、レイヴンは深くため息をつく。 貴族制度の撤廃を目標に掲げ、邁進するフレンの姿は、周囲から見れば友の死を乗り越えて立ち上がったようであっただろう。悲しみに捕らわれず、己の理想を突き進む。素晴らしく立派な彼の背中に憧れているものも少なくはない。 しかし内実はどうだろう、フレンはユーリの死を乗り越えてなど決していない、そもそも理解すら、していないのかもしれない。 「まあ、もう、いいけどね。お前さんたちがぶっ飛んでるのは昔からだし」 「理解いただけて助かります」 はあ、ともう一度ため息をついたレイヴンへフレンがそう返し、隣に現れたユーリがくつくつと笑っていた。彼は今「お前さんたち」と複数形でフレンを呼んだ。正しく彼がフレンとユーリのことを理解している証拠だろう。 「それでフレンちゃんが安定してられんなら、俺様はもう、何も言わないわ」 その言葉に、フレンは思わず笑ってしまった。 「同じことを言うんですね」 誰と、という無言の問いかけに、フレンは目を伏せ小さく「ユーリと」と答える。 「……ユーリちゃんは、なんて?」 「好きにオレを使え、と」 如何様にも取れるその言葉に苦笑を浮かべたレイヴンは、「じゃあ使ってやればいいじゃない」とそう言った。 「あんたを置いて逝った罰みたいなもんでしょ」 静かに目を伏せ、フレンが(ユーリが)淹れた珈琲に口を付ける。こくり、とほろ苦い液体を呑みこんで、「それだけは、」とレイヴンは言った。 「それだけは、絶対にしちゃあ、いけなかったのにね」 心と心を一つのボウルに放りこみ、ぐちゃぐちゃにかき混ぜて捏ねまわして、そしてまた二つに分けた。そんな生き方をしていたことを、おそらくフレンよりユーリの方が深く理解していただろう。そしてそのことに対しより危機感を抱いていたのもまた、ユーリの方だ。 『……分かってるさ』 二人揃ってようやくまともな人間となる。その片割れを失い残された方がどんな末路をたどるのか。 ごっそさん、と部屋を辞したレイヴンは、結局用事らしい用事をまったく口にしなかった。本当にただフレンの様子を見に来てくれただけだったのだろう。良い人だ、と心底思う。あんなにも良い仲間を持つことができて自分は幸せだ、と。ユーリは幸せだ、とそう思う。 しかしどれほどの幸せがフレンを取り囲もうとも、きっともう、手遅れ、なのだ。 ぽっかりと胸の内に空いた穴を埋めることはできない。心臓を失くし代わりに魔導器を埋め込まれたレイヴン。では心を失くした場合は、代わりに何を埋め込めばいいというのだろうか。 『フレン』 静かに名を呼ばれて顔を上げれば、ふわり、と頬を撫でられる感覚。実際に触れられているわけではないのに、その仕草を見て脳が勝手にユーリの手のひらの温もりを再現するのだ。 「たぶん、僕は君を、一生、許せない……」 『ああ』 「何があっても、絶対に、許さない、から」 『分かってる。お前はオレに罰を与えていいんだ』 そう言ってユーリは、重なることのない口づけを、フレンへ。 『お前が望み続ける限り、オレはお前とともにあろう。生きてるときみたいにあちこちふらふらもしねぇよ』 くつり、と笑ったユーリは触れることの叶わない手をフレンの胸元へと置いた。普段はインナーの内側に隠してあり誰の目にも止まらないが、そこにはシルバーのペンダントが揺れている。蓋のついた少し大きめの丸いペンダントトップ。その中に転がる白い破片は、ユーリの左薬指先端の骨だった。本当は薬指の骨全てを持ち歩きたいが、さすがにそれを入れるだけのものは見つからず、先端だけで諦めた。 『そもそも、行く宛てもねぇし、帰る場所はここだしな』 そう言った彼は、笑みを浮かべて壁際へ視線を向ける。ユーリが見つめる先には、騎士団服や甲冑をしまうための大きなクローゼットがあった。大人一人が立って入れるほどの高さがあるそれの右隅に、ちょこんと置かれたもの。 その黒い壺の中に、ユーリの全てが詰め込まれている。 『案外に、あのクローゼットも、居心地は悪くねぇ』 便宜上帝都の端に用意されたユーリの墓には何も入っていない。彼の名の刻まれた墓石があるだけで、その下は空洞だ。 本来ならばそこで眠るべきものを、フレンは誰にも言わず持ち帰り、そして大事にしまっている。 『普通持って帰ってくるか、人の骨を』 呆れたようなユーリの言葉に、「だってあれは僕のだから」とさも当然のように返され。 ああこうして人間は緩やかに狂っていくのだ、とユーリは思った。 ブラウザバックでお戻りください。 2010.08.02
……すみません、ほんと、ごめんなさい。 いただいたリクエストはもうちょっとこう、明るい雰囲気だったんですが。 申し訳ない、力不足です。……フレン、怖いよぅ。 あかんやりなおせコールは随時受け付けております。 リクエスト、ありがとうございました! |