クラスチェンジ


「フレン、そこどけっ!」

 生徒会室へ向かうために歩いていたところ、階段の上からそんな叫び声がした。覚えのあるハスキーなその音に何事かと顔を向け、ぎょ、と目を見開く。

「ユーリッ!?」

 驚き名を呼びながらも身の危険を覚えて一歩引けば、まさにフレンがいたその場に幼馴染である人物が飛び降りてきた。ひらり、とスカートを翻し、素晴らしい運動神経で着地した彼女へ、「なんて危ないことをっ!」と声を荒げたところで。

「ユゥリィイイ・ロォウェルゥウウッ! オレと勝負しろぉおおっ!」

 頭の痛くなるような叫び声にユーリは「げ」と鼻の頭に皺をよせ、フレンは額を押さえてため息をつく。奇声を発して追いかけてくるのはザギという三年の生徒。どうしてだか異様にユーリを気に入り執拗に追いかけまわしている多少どころか、かなり問題のある人物だった。どうやら彼らは学園の一種の名物になっている追いかけっこの真っ最中であるらしい。

「悪ぃ、説教は後で聞くっ!」

 きめ細やかな白い肌に腰まで伸びた艶やかな黒髪。長いまつげに縁取られた瞳は紫に輝き、すっと通った鼻筋に桜色の唇。黙って立っていれば十人中十人が振り返りそうな美貌を備えた彼女は、残念なことにその言動が容姿にまったく以て釣り合っていなかった。口調はぶっきらぼうでがさつ、親しい人間相手だと一人称は「オレ」。負けず嫌いで曲がったことが嫌いなため、気に入らないと男が相手でも真正面から突っ込んでいく。腕力はないが持前の運動神経を発揮し喧嘩でも負け知らず。そのあたりからザギに目を付けられたらしく、何度か勝負はしたと言っていた。しかし「どんだけのしても追っかけてくんだよ、あの変態」と眉を顰めて言うユーリは、今ではもう相手をするのも面倒で逃げ回っている。
 片手を上げてそう謝り、フレンの前を通り過ぎようとする彼女の腕を掴む。こうして触れることは少なくないが、毎回この手首の細さに驚いている、と言えばユーリはどんな顔をするだろうか。

「ちょっ、フレン!?」
「いいから、こっち」

 慌てる彼女を引いて廊下を進み生徒会室へと逃げ込んだ。かちゃん、と鍵を落としてふぅ、と一息。

「鍵、かけて良かったのか?」

 声が漏れることを恐れてだろう、小声で尋ねてくる彼女へフレンは頷いて答える。

「もともと今日は活動日ではないから」

 フレンが個人的に用があっただけで、召集をかけていない限り執行部役員が集まることはない。そうか、とユーリが安堵の息を吐いたところで、「どこだっ、ユーリィイッ!」と廊下から奇声が聞こえてきた。同時に口を噤み、息を殺してそっとしゃがみ込む。ばたばたばた、と走る音に女生徒の悲鳴が重なった。

「っのやろ!」

 ユーリの姿を見失った苛立ちを、周囲へぶつけているのだろう。思わず立ち上がりかければ、「ユーリッ」と叱責が飛んだ。

「でもっ」
「いいから。もう少ししたらたぶん、先生方もいらっしゃる」

 だから今は待て、とそう口にするフレンは、痛いほど強くユーリの手首を握っている。その苦しそうな表情に、ああこいつも許せないのだ、とユーリは気が付いた。
 スポーツ万能で頭脳明晰、その上容姿も性格も良いこの幼馴染は、全校生徒からの厚い信頼を集める生徒会長だ。誰にも平等で厳しく、そして優しい彼が、関係ない一般生徒に被害が及んでいる現状を快く思っていないことなど考えずとも分かる。できれば今すぐに教室を出てザギを止めに行きたいのだろう。それをしないのは、それができないのはユーリがここにいるからだ。

(オレのせい……)

 優秀な幼馴染はユーリの誇りで自慢だ。彼と並び立つことが叶わずとも、その足を引っ張るような真似だけはするまい、とそう思っていたのに。

「……悪ぃ」

 まともにフレンの顔を見ることができず、ユーリは俯いて小さくそう呟いた。
 急に覇気をなくしたユーリの声に首を傾げたフレンが彼女の名を呼ぶ前に、「こらぁっ! ザギッ! またお前かっ!」と廊下から教師複数名の怒鳴り声が響いてくる。ようやく教師陣のお出ましらしい。これで一般生徒への被害はなくなるだろう。そう思い若干肩の力が抜けた。あとは傍迷惑な男を職員室なり生徒指導室なりへ連行してくれさえすればいい。
 良かったね、とそう言おうと思ってユーリへ目を向けるが、彼女はしょぼんと俯いたままだった。

「ユーリ?」

 名を呼べばもう一度「ごめん」と彼女らしくない謝罪が返ってくる。

「オレ、フレンにめーわくばっか、かけてる」
「ユーリ」
「お前、生徒会長だから、ちゃんと、ああいうのも捕まえたりしなきゃいけないだろうに」

 それなのにこうしてユーリを匿うために身を隠させてしまった、とユーリはそのことを気にしていたらしい。
 確かに、ユーリがここにいなければフレンはザギを止めるため表に出ていただろう。一般生徒にまで手を出すような輩は、直接叩きのめしたいとまで思う。しかしそれらがフレンに取って最重要事項には決してなりえないことを、どうやらこの幼馴染の彼女は知らないらしい。

「あのね、ユーリ。聞いて」

 教室の床にぺたり、と座り込んだまま向かい合う。いつものフレンならば制服が汚れるから、とあまり進んで取ることのない姿勢。「こんなことを言ったら怒られるかもしれないけどね」と前置きをし、俯いたままだったユーリの頬を両手で包みこんで顔を上げさせた。

「僕は他の生徒たちの安全より、君の安全を優先させるよ」

 生徒会長という大役を任されたことはありがたいことだと思っているし、できるだけ期待に応えたいとも思う。全校生徒の安全を考え、ザギのような問題を起こす生徒への対処をしっかりと行うべきだろう。しかしフレン・シーフォという一個人として何よりも重要なのは、他の誰でもない、目の前にいる幼馴染の存在だ。
 静かなフレンの言葉をきょとんとした顔で聞いていた彼女は、意味を理解すると同時に面白いくらいに真っ赤になった。目を見開き、何か言葉を返そうと口を開閉させているが、結局は黙り込んでまた俯いてしまう。どんな表情を浮かべているのか見たくなり、もう一度顔を上げさせれば頬を赤らめたままユーリは睨みつけてくる。

「っ、おまえ、生徒会長の、くせに……っ」
「うん、駄目な生徒会長だと思うよ。でも本心だから」

 皆の会長であるよりも君一人を守る男になりたい、と言えば、ユーリの眉がきゅう、と寄った。どこか泣きだしそうなその顔に、フレンの背筋をぞくりとしたものが這い上がる。

「あの、さ、前から、聞きたかった、んだけど……」

 頬を包むフレンの手を振りほどくことを諦めたのか、自分の両手を添えるように重ね、過ぎる羞恥に目を潤ませながらもユーリはフレンから視線を反らさない。一度覚悟を決めた彼女は決して逃げない強さを持った女性だ。その強さが眩しくて、美しい。

「フレン、って、もしかして、オレのこと……好き……?」

 幼い頃から時間を共にし、小中高と同じ学校に通い、性別の違いをものともせずに仲の良いフレンとユーリを見て、皆は恋人なのだと思うらしい。何度となくユーリと付き合っているのか、と尋ねられ、ユーリも同じくらいフレンは彼氏なのか、と聞かれていた。互いにその方が都合がよく、また否定したところで信じて貰えることも少なかったため今まで肯定も否定もしてこなかったが、実のところ二人は本当に彼氏彼女という関係ではなかった。しいて表現するのなら、仲の良すぎる幼馴染が精々だろう。しかしだからと言ってそういう気持ちがまったくなかった、というわけではない。フレンとしてはむしろこれでもか、というほどその気持ちを前面に出していたのだが。

「ようやく気付いた……?」

 ユーリが鈍感だというわけではないが、如何せん二人は小さな頃から親密すぎた。幼馴染の延長線上の好きなのだろう、とそう彼女が解釈していたのも知っている。

「もちろん、こういう意味での好き、だからね」

 頬を包んでいた手を後頭部へ滑らせ、ユーリの頭を引き寄せた。桜色の唇のすぐ側へ軽くキスを落とし、「こっちは」と震える唇へ人差し指を当てる。

「ユーリからの良い返事をもらった後に取っておくよ」

 彼女がフレンを嫌っていないことは分かるが、フレンが意味するところと同じ意味で好いてくれているかは正直自信がない。そもそも恋愛ということ自体にさほど興味がなさそうなユーリは、フレンをそういう対象として見たことさえないのかもしれない。
 それならそれでいい、と思っていた時期もあったが、やはりユーリに関してはどこまでも欲張りになるようだ。ただの幼馴染では満足できない、彼女の唯一でありたい、とそう思ってしまう。

「今までの関係も僕はすごく好きだけど、ちょっとでも考えてもらえたら嬉しい」

 そう言ってくしゃり、とユーリの頭を撫で、フレンは立ち上がった。

「少し待ってて、すぐに終わらせるから、一緒に帰ろう」

 ザギがどうなったか分からない以上、またたとえ教師陣に捕まえられていたとしても、ユーリを一人で帰すなどフレンにはできない。どうせ帰り道は同じなのだ、急いで資料を揃えてしまおう、と灰色の棚へ足を向けたところで。

「う、わっ、」

 ぐい、と腕を引かれ、慌ててバランスを取る。何とか踏みとどまったフレンが驚いて振り返れば、腕の中に飛び込んでくる小さな体。

「ユーリ?」

 名を呼んで見下ろしたところで、伸びてきた小さな手に頬を包まれた。そのまま重ねられる、柔らかな唇。あまりにも突然過ぎて今度はフレンが言葉を失くす番だった。

「これが、答えっ!」

 一瞬だけ触れあってすぐに離れた彼女は、真っ赤な顔をしてフレンをキッと睨みつける。「なんで唇にしねぇんだ、ってちょっと腹立った」と続けられた言葉。堪らずにユーリの体をぎゅう、と抱きしめた。

 仲の良すぎる幼馴染は、たった今から仲の良すぎる恋人になる。




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2010.07.27
















現代学園パロでフレユリ(にょた)のいちゃらぶ。
このフレンは手首フェチ、という裏設定があります。
リクエスト、ありがとうございました!