計算複雑性理論 「かいちょー、その腕章、文字間違ってますよー」 「げっ、マジでっ!? エイトくんお手製腕章なのに! どこが? どこが?」 「生徒の徒の字。人偏じゃなくて行人偏です。払い棒が一本足りません」 「うっそぉ! ちょっ、誰か赤ペン持ってね? 赤いマッキー!」 「赤で書き直すの?」 「ったりまえだろ。添削は赤ペンって決まってんだよ」 「会長、パスっ」 「おっ、サンキュー、どこの誰だか知らない下級生! 後で洗って返すから!」 「洗わないで今返してくださいよっ!」 これが、この学校の生徒を束ねる位置にいるはずの生徒会長と一般生徒の会話だというのだから、思わず額を押さえたくなるのも仕方がないだろう。サボリ癖があり、彷徨い癖のある生徒会長をようやく捕獲したため、たまには働け、と放課後の校内巡回へ引っ張り出したらこの有様。 「…………あんたも大変ね」 ため息をついたククールに気が付いたのか、運動部の部長を束ねる運動部長であるゼシカがぽん、と小さな手で背を叩いて慰めてくれた。その手の半ば以上がブラウスの袖で隠れてしまっているのは、豊満なバストを押し込むために大きめのサイズを纏っているからだ、と以前聞いたことがある。 「そう思ってもらえるなら、今度是非、校外でのお付き合いを」 「断る」 きっぱり、四文字で端的に却下され、ますます肩が落ちる。それもこれも、すべてアホ生徒会長が悪いのだ、とククールは分かりやすい責任転嫁をして精神の平和を保つことにした。 この学校は生徒の自主性、独立性を重んじ、他校に比べ生徒会の力が強い。ソースを示して論理的に話をすれば大抵の要望は通る、そんな学校なのだ。それはつまり、生徒会の力によっていかようにも校内の雰囲気が変わるということで。 現在は、過去に類を見ないほどに活気があり、生徒たちが生き生きしていると教師たちに言わしめるほど良い状態、らしい。そもそも在籍している生徒は今の時代しか知らないわけで、比べようがないのだが、その功績は生徒会執行部の力によるものだ、というのが関係者の証言であった。 「そのトップがこいつだっつーんだから、世の中分かんねぇもんだよ」 ちょこまかと落ち着きのない行動を繰り返す少年こそが現生徒会長のエイトである。大地色の髪の毛に同じ色の大きな目。人懐っこくとっつきやすい雰囲気があるためか、男女問わず上級生からも下級生からも人気を集めている。教師からも可愛がられており、人望という面においては申し分なく生徒会長足る人物ではあるが、如何せん仕事をしない。何か理由を見つけてはサボろうとするため、副会長であるククールがそのお目付け役のようなことをやる羽目となる。他の執行部員たちからも「副会長の仕事は会長のお守です」とまで言い切られてしまい、ため息しか出てこない。 ククールはもともと生徒会などという面倒くさいものには全く興味がなく、役職に就くつもりもなかった。それのに「俺が会長になったらこいつ副会長にするよー!」とどこかのバカが触れこんで立候補し、あまつさえトップ当選してしまったものだから、逃れようにも逃れられなくなってしまったのだ。エイトのたくらみ通りに動いているという自覚はあったが、馬鹿を野放しにすることもできず、結局はこうして面倒を見る羽目になっている。 会長の対外的な人あたりの良さと、いざという時の判断力。そして副会長の的確な取り仕切りと、会長の手綱取り。もちろん集まった面々がそれぞれ優秀だ、ということもあるが、トップに立つ二人は絶妙なバランスで自分たちの能力を最大限に引き出す力を持っているのだ、というのが執行部員たちの言である。 「お前が率先して駄弁ってどうすんだよ、このアホ」 放課後の校内への居残りは部活動と勉学以外では奨励されていない。用もなく残っているものへ帰宅を促すのも放課後巡回の目的の一つである。しかし、各教室で残っているものを見かけ、早く帰宅するよう言うついでに必ず余計なことを五分、十分と喋るものだから、なかなか足が進まない。その都度殴って先を行くよう求めるこちらの身にもなってもらいたいものだ。 「これ以上俺が馬鹿になったらどうすんだ」 あまりぽかぽか殴るな、と手書きの腕章を巻いた会長が唇を尖らせるが、「だったらさっさと進め」と正論を口にする。 「そういえばさっきゼシカ、いなかった?」 「各部からの予算編成資料持って、会計んとこ行ったぞ。何か用でもあったのか?」 「うんにゃ、別に」 ふるふると首を振る男は、ククールよりも頭一つ分ほど背が低い。その背丈でまたちょこまかと動くため、小動物みたいで可愛い、とよく言われている。ハムスターやリスといった可愛らしい動物を想像しているのかもしれないが、ククールに言わせると彼はどう見ても猿だった。 昇降口でスニーカーにはき替え、そのままグラウンドへと足を向ける。校内を一周し、活動中の部活の合間を縫ってグラウンドを一周して生徒会室へ戻るのが巡回のコースだ。 グラウンドへ続く石の階段を五段ほど残した上からとん、とエイトは飛び降りる。着地する姿はしなやかで綺麗なものだったが、「すちゃっ!」と効果音を自分で口にしているのがいただけない。というより、そもそもその行動自体、許せるのは小学生までだろう。 「あ、かいちょーだ! 見回り?」 「今日は逃げられなかったんだ!」 「そーなの、捕まっちゃった」 テニスコートとグラウンドを仕切るフェンスの側を通ると、軟式女子テニス部の部員たちに声を掛けられた。 「副会長も大変ですね」 「お疲れ様ですー」 「労ってくれるなら、今度映画でも、どう?」 口元に笑みを浮かべて誘えば、キャァ、と黄色い声が上がった。ククールは自身の顔の出来が人並み以上であることを自覚している。生徒会などというものに入る前は、帰宅部であったこともあり、気の合う子たちに声を掛けて遊んでいたりもしたのだが。 「良いですけどぉ、会長が猫追いかけてあっちに行っちゃいましたよ?」 「ッ! あの馬鹿っ!」 おそらく一年生だろう女の子が満更でもない顔で言いながら、ありがたいようなありがたくないような忠告をくれる。せっかく捕まえたのだから、せめて巡回くらいはさせたいところだ。女子テニス部の面々へ頑張れよ、と声を掛けて、エイトが向かったというグラウンドの方へと足を向けたところで。 「ストーップ。また陸上部とサッカー部か」 校舎に近い辺りにできていた人だかりが気になりそちらへ足を向ければ、複数の男子生徒が何やら言い合っているところだった。面倒くさいが無視するわけにもいかず、割りこんでいけば誰かが「げ、副会長」と呟いたのが聞こえる。 「そうだよ、副会長さまだよ。大体は想像つくけど、何が原因?」 この役職に就くまで、自分がここまで世話焼きだとは思っていなかった。エイトの世話を焼くついでに、その手を全校生徒に広げただけで、結局やっていることは昔から変わっていないのかもしれない。 「副会長、今度、聖女との合コンセッティングしてくださいよー」 「つか、ククール、お前こないだ、聖女の子と歩いてなかったか?」 「げっ、マジで!? それいつのことだよ! お前のことだ、どうせ本命じゃねぇんだろ? 紹介しろ!」 聖女とは、近くにある女子高の通称名だ。お嬢様学校として知られているだけあり、容姿もレベルが高くまた大人しい子が多い。 「ばか、ありゃエイトの幼馴染だ。あいつと喧嘩する気があるなら紹介してやってもいいけど?」 「あー……あの馬鹿とか……いいや、めんどくさそう」 「賢明な判断だ。つかさ、そんなことはどうでもいいから、何を揉めてたのか端的に説明しろ、十秒以内に」 無駄話を早々に切り上げ再度問えば、それぞれの部長がびしっと相手側を指さして言った。 「サッカー部が邪魔」 「陸上部が邪魔」 「端的すぎるわ、アホどもが」 彼らの頭をすぺん、すぺん、と殴って、もう少し詳しい話を聞けば、練習場所が被ってしまい満足に動けないということらしい。曜日によって割り振りを決め、また部員の人数や練習内容で使うグラウンドの位置も決めているのだが、両部とも大会が近く今使用している場所では狭すぎるらしい。ここのところ彼らの衝突が数度起こっている、という話は報告として聞いていた。その度に運動部長であるゼシカが眉を吊り上げて仲裁(という名の鉄拳制裁)に入り、とりあえずその場で一応収まっているものの、どうにかしなければとは思っていたのだ。 「レギュラーは試合形式で練習したいし、だからつって他の奴らがただ見てるだけってのも無駄だろ」 「こっちだって、補欠の奴らにもきっちり走り込みさせてやりてぇよ。ただ、いつもの場所はもうレギュラー陣でがっつり使ってっから」 全員が全員きちんと練習をしたい、という彼らの心意気は非常に歓迎できるものだ。そしてそれに対して答えてやるべきなのが生徒代表者であり、ひいては教育機関の責任というものだろう。 「つってもなぁ、グラウンドは隅まで使ってるし。部活日が減るのは論外だろ?」 重ならないように曜日を分けるという手もあるが、そうすると一つの部に対する日数が減ってしまう。そう言えば、「当たり前だ」と両部の部長が声を荒げた。 どうするべきか、腕を組んで眉を寄せたところで、「エイトくんわぁ」と薄気味悪い声が足元から聞こえた。 「練習場所を広げればいいと思いまぁす」 集まっている人間の足の間を這って中心までやってきたらしい彼は、ぬ、っと立ち上がり、抱き抱えた猫の手を上げながらそう言った。 「どっから現れんだ、お前は」 「相変わらず変な奴……」 突然の闖入者にサッカー部、陸上部の部長二人が呆れたように声を上げる。はぁ、とため息をついて額を押さえながら、「どうやって広げるんだ」と彼の意見に物申す。 「そこはアレだろ、うふふーぼーくーどーらーえー」 「現実的な意見を言え」 ごっ、と鈍い音を立てて、エイトの頭の上に拳が振り下ろされた。 すげぇそっくり、新ドラのものまねもやって、という声を無視して、「運動公園、使えば?」とエイトはあっさりと言う。自転車で数分程の距離にある運動公園は、公園とは名ばかりで遊具などほとんど置いてない、ただの広場のような場所だ。 「あそこは市の管理だろ。使うにも許可がいるんじゃねぇのか?」 「さぁ、知らね。もしかしたら金掛かるかもな」 首を傾げたククールへ、エイトは無責任にそう答える。それに怒鳴りそうになりながらも、確かに、学校のグラウンドが手狭だというのなら、外に場所を求めるというのも一理ある考えだと思いなおした。 「エイト、そうしてもらえるとこっちもすげぇ助かるんだけど」 「あー、だなぁ。俺らもだし、明日は野球部とソフト部が被ってるだろ。ときどき球がごっちゃになるっつってたしな」 「せめて、大会の近いこの期間だけでもいいから!」 はっきり言ってしまえば、この学校のグラウンドはそんなに広くないのだ。それに押し込められた状態では、満足な練習もできていなかったのかもしれない。 「じゃあ、生徒会の方で動いてみるけど、突然『練習場所増やしてください』とか、言いづらいしなぁ。せめて、次の大会で何らかの実績を残してくれたらなぁ」 「実績? 具体的には!?」 「えー、たとえばぁ、県ベスト8に入るとかぁ、個人でも団体でも、誰かが入賞するとかぁ」 「おっし、言ったな? うちにゃ中学県優勝のスプリンターがいるんだ!」 「うちだって、去年県大会十位だぞ、ベスト8くらいなら!」 俄然やる気を出した部員たちを前に、「がんばれー」と猫の手を振って会長が呑気な応援をしていた。 「つか、会長、今の絶対忘れんなよっ?」 「そうだそうだ、やっぱなかったことに、とか言うなよ?」 「んー、エイトくん頭悪いしぃ、誰かさんがぱかすか殴るから、もしかしたら忘れちゃうかもー」 「ッ! ククール、お前もう、エイトの頭殴んなっ!」 「つか、念書! 念書書かせとけ!」 何らかの証明書を、と騒ぐ彼らの前に、一枚の紙を挟んだバインダーが差し出された。校章と学校名の入ったそれは、生徒会で公的な文章を書く際に使用するものだ。丁寧な文字でなにやらつらつらと書き連ねてあり、一番最後に空欄が三つ。手書きのそれは、今の間にククールが書き上げたものらしい。 「サッカー部、陸上部、両部長の名前とサイン、その後にエイト、お前も名前書けよ」 ボールペンとバインダーを差し出しながら言えば、「あいあい」と猫の手を上下に振ってエイトが答えた。いつも思うが、どうして彼に抱かれている猫は、されるがままなことが多いのだろう。逃げようともしない猫に疑問を覚えている間に、サッカー部部長と陸上部部長が名前を書き、最後にエイトがひときわ汚い字で自分の名前を綴った。 「エイト、名前の綴りが間違ってるとかねぇよな!?」 「あ、そうだそうだ、お前ならやりかねん、違う人物だから約束なし、とかはなしだぞ!」 「失礼な、いくら俺でも自分の名前を間違えたりしねぇぞ!」 「だったらとりあえず、最後のt、書き足しとけ」 一文字足りなかった部分をククールが指摘すれば、一瞬の空白ののち、えへっと笑って慌ててエイトがペンを走らせた。 「おし、これで大丈夫だな。じゃあ、これは生徒会を通じて学校側に正式に提出しておく。条件さえ満たせば、こちらも全力で支援しよう。ただし、書いてあるとおり、もう一度でも揉め事を起こせば、練習場所と部費半減だから忘れないように」 さらりとそう言い置いて背を向けようとすれば、「…………はっ!?」と驚いたような声が上がった。 「そ、そんなこと書いてあったか!?」 「ちょ、ククール、もっかいその書類、寄こせ!」 「全部読まずにサインする奴が悪い。大丈夫、練習場所に関することもちゃんと書いてある」 彼らに手渡さないように文面が読めるようにしてやれば、一応自分たちの要望も盛り込んであることに部長二人は安堵の息をついた。 「これ以上、ゼシカを怒らせんなよ、ぴりぴりしてるゼシカ、すっげー怖いんだから。あと、内容確認せずにサインとか、大人になってやったらまずいから、よく覚えておくように」 抱きあげていた猫をようやく解放したエイトは、けらけらと笑いながらそう言って、有能な副会長とともに校内へと戻っていった。 「…………つか、あの文章、たぶん今ここで書いたんだよな」 エイトが部長二人と話をしているその場で作成し、またククールが書いている内容を把握した上で、部長二人にも名前を書かせるようにエイトが仕向けたのだろう。 「どこまで計算なんだろうな、あいつらのあの態度……」 「全部だったら嫌だな」 なんとなくうまい具合に乗せられてしまった現状にどこか腑に落ちない感情を抱きつつも、サインをしてしまったものはどうしようもない。はぁ、と深くため息をつきながら、それぞれの練習へと戻るしかなかった。 部長二人に不気味に思われているなど、つゆほども知らない会長は、昇降口で「猫の毛と土を落として入れ!」と副会長に服を叩かれていた。 ブラウザバックでお戻りください。 2010.07.05
……ヤンガス、忘れてた。 リクエスト、ありがとうございました! |