無自覚の嫉妬 「とういわけで、あんたには、あいつの守りを頼む」 言いたいことは色々あるが、とりあえず「というわけで」という接続詞が納得いかない。軍師の部屋に招き入れられると同時にしかめっ面をしたエレノアにそう言葉を放たれ、シグルドは「はぁ」と間の抜けた返事を零すことしかできなかった。その前にあったはずの文章を自分が聞き逃してしまったのだろうか、と無駄なことを考えるのは明かなる現実逃避。 「ごめん、シグルド……」 変なことに巻き込んじゃって、と小さく呟いたのはこの船をまとめる少年、と思っていたのだが、実は少女だった。 そのことをシグルドが知ったのは偶然で、それが故にこうして稀代の軍師に呼びつけられているわけだ。詳しく話を聞いたところ、この事実を知っているのは本人以外にはエレノアとリノくらいだという。 「もしかしたらキカあたりは何か感づいてるかもしれないがな」 しかし、たとえ気付いていたとしても彼女は口にしたりしないだろう。思った以上に知られていないトップシークレットにまさか自らが関わる羽目になろうとは。 「よく騎士団の中でバレなかった、ですね……」 呆れたように呟けば、「ほんとにね」と他人事のようにサイハ本人が言うのだから。 「今更訂正するのも面倒だ。軍主は少年だって話は広まってるし、女だと嫌がる輩も海の上には多い。せめて戦争が終わるまでは隠し通しな」 それが軍師としての判断ならば従わざるを得ないだろう。それでいいのか、とサイハへ問えば、彼女はもともと自分にこだわりを見せないタイプで、「おれは全然大丈夫だよ」と僅かに口元を緩めて笑んだ。 彼女が自身の性別について口を閉ざし始めたのは、何も船に乗るようになってからではないらしい。騎士団に入る前、それこそあのお坊ちゃんの相手をしていた幼いころからだ、というのだから。隠そうと思って隠していたわけではなく、周囲が勝手に誤解し、それを否定する理由が特に思い至らなかっただけのことだ、と本人はあっさりと言う。 「もしかしたらスノウも、気づいてない、かもしれないね」 スノウ、おれのこと全然見てなかったし、と彼女はいつもの淡々とした口調で言った。懐が大きいというより、周囲にあまりにも関心がなさすぎるように見える。その姿勢がどこか寂しくて、もう一度大丈夫か、と聞いてみるがやはり彼女は言うのだ、「全然大丈夫だよ」と。 本人が口にするからにはそうと受け止めるほかないが、それでもこの若き軍主は優しく真面目なところがあるから、多くの人に嘘をつき続けなければならない、という事実はきっと彼女自身が自覚するよりも負担になるだろう、なんとなくそう思った。 本来自分が従っていたはずのキカからも「サイハを頼む」と言われては断るわけにはいかない。むしろキカの側を離れて彼女に沿う大義名分が出来、ありがたいくらいだ。エレノアからキカに対し、何らかの話があったのかもしれない。船内でもサイハの側にシグルドが立つことがごく自然な風景として受け止められ始めた頃。 物資の調達やら船内整備やらの関係で、ある港へと船を寄せた。生活の出来る空間ではあるが、やはり限られた船の中でずっと過ごすのも色々と辛いものがある。船員たちへも上陸の許可を出し、仕事がないものは時間まで楽しんでもらうことにした。いそいそと船を下りて居酒屋へ向かったのは軍師と某国の王。海の方が気が楽だ、とキカを含めた海賊たちには降りないものも多い。 当の軍主はどうするのだろうか、とその姿を追えば、木箱の積まれた桟橋に降り、商人らしき男と話をしているところだった。彼女がこの船をまとめる頭だ、と知っての行動か、あるいは単なる一船員として、船長と話をさせてもらうよう交渉しているのか。どちらにしろあまり良いことではないと判断し、シグルドもそちらへ向かおうとしたところで、サイハの背後から現れた男がその商人を追い払った。共にキカの下について長く、相棒とも呼べる存在、ハーヴェイだ。 がしがしと髪の毛を掻きむしり溜息をついた彼は、何やらサイハに説教をしているらしい。確かに、あのようなどこの誰とも知らない輩と、わざわざ話し込んでやる必要など欠片もなく、その点に関してはハーヴェイが正しい。 少しでもそれが彼女に伝わればいいが、と思いながら二人の元へと向かう。ハーヴェイはサイハの額を小突きながら説教をし、サイハもまた弾かれた頭を押さえて軽く笑みを浮かべて答えている。はたから見ていてかなり良好な関係を築いている二人だ、と分かるそのやり取りを見て、何となく軽い苛立ちを覚える自分に疑問を抱きながら声をかけようとしたところで、不意にぐらり、と二人の側の木箱が傾いた、ような気がした。 「危ないっ!」 驚いて声を上げるも、若干遅かった。そもそも積み上げ方からしてまずかったのだろう、不安定だった上の木箱がそのまま二人の方へ向かって落下する。 「サイハさまっ! ハーヴェイッ!」 シグルドの声に女性の悲鳴と、木箱の崩れる音が重なった。その騒音の向こう側でばしゃん、と大きな水音。木箱を避けて駆け寄り海を覗き込めば、何かが落ちるか、飛び込んだか、波紋が広がっていた。 「サイハさま、ハーヴェイッ!」 もう一度名を呼んだところでざばり、と海面に顔を出したのは、探していた二人。どうやら咄嗟に揃って海に飛び込んだらしい。動かずにいれば木箱が直撃していただろうから、その判断は正しいものだろう。 「ッ、大丈夫、だっ! くそっ、その荷物の持ち主、誰だッ!」 「……さっきのおじさんじゃないかな」 元々海賊に海上騎士団員という二人で泳げないはずもなく、それでもさすがにサイハを放ってはおけないのか、彼女の肩を抱くようにハーヴェイが腕を回していた。普段は服に隠れて分からないが、濡れてぴたりと張り付いてしまえば彼女がひどく華奢なのがよく分かる。シグルドがそれと意識して見ているせいかもしれないが、触れているハーヴェイが何も思わないはずがないだろう。 現に、崩れてきた木箱へ悪態をついていた彼は、不意に腕に抱く少年(と思い込んでいる相手)へ視線を下ろすと、「お前、」と眉を顰めた。 「二人とも、早く上に」 相棒が何か言いだす前に、と声をかければ、濡れて額に張り付く髪をかきあげ、「あ、うん」とサイハが頷いた。桟橋にかかる梯子まで泳ぎ、ばたばたと海水を落としながら上がってくる。 「いいよ、シグルド」 「体のラインでばれますよ、性別」 脱いだ上着を肩にかけてやれば、大丈夫だ、とそれを拒否されかけ、彼女にだけ聞こえるようにこっそりとそう耳打ちした。あ、と目を見開いた彼女は己が体を見下ろし、確かにシグルドの言うとおりだ、と気がついたのだろう。僅かに顔を赤くしてシグルドの上着の前を掻き合わせる。 「風邪を引いては大変ですから」 この台詞は周囲の者たちに向けての説明。オレはいいのかよ、と後から上がってきたハーヴェイが唇を尖らせ、インナーとして着ていた黒いシャツを引いて「これでも貸そうか」と提案してやる。 「いらねぇよ、馬鹿」 ちっ、と舌打ちしたハーヴェイは、そこでふと、先ほど引っかかった事柄を思い出したらしい。小さな体の上に大きなシグルドの上着を羽織って肩を余らせている彼女へ、「サイハ、お前さ、」と呼びかけたところで、不意に三人のすぐ側の空間がぐなり、と歪んだ。 「テッド」 「……風呂、入れば? ホントに風邪引くぞ」 すとん、と桟橋の石の上に足を下ろした少年は、つい最近仲間になったばかりの不思議な存在だ。多く自分のことを語ろうとはせず、それでも何かしら近いところがあるのだろう、サイハのことを気にかけてくれている。 「うん、ありがとう、テッド」 じゃあおれ、温まってくる、と素直に頷いて船へ戻ろうとする彼女へ、ハーヴェイがやはり何か言いたそうな顔をしている。ちらりと突然現れた少年へ視線を向ければ、あんたも早く行けば、とばかりに顎をしゃくられた。その表情で確信する、彼もまたサイハの性別に気付いている。その上それを隠すことに協力してくれるらしい。 「ハーヴェイ、お前も濡れたままでいるなよ」 一応は相棒へそう声をかけておくが、「また派手に崩れたな」と木箱の残骸を見下ろして呟いたテッドの言葉に、再び怒りを爆発させて、「持ち主出て来い」と怒鳴り始めていた。おそらくそれもまたテッドの計らいなのだろう。 性別を偽っている彼女は当然船内の大浴場を使うことはできず、軍主の部屋には専用の風呂が設けられていた。彼女を追いかけて共に部屋へ向かい、お茶の準備でもしておきます、と上がってくるのを待つ。ほこほこと湯気を纏わせて出てきたサイハは、ゆったりとした衣服に身を包んでおり、先ほどまで目についていた線の細さはすっかり形を潜めていた。 「冷たい飲み物の方が良かったですか?」 この部屋には温かい飲み物しか常備されておらず、とりあえずお茶を入れておいたが、風呂上りにそれはどうだろう、と尋ねてみる。しかし彼女は緩く首を振って、「これがいい」と湯呑を手に取った。 ぱたり、と乾いていない髪の毛から水滴が落ちたのが目につき、触ってもいいですか、と許可を取る。 「髪、拭かせてください」 「や、いいよ、それくらい自分で……」 「俺がしたいんです。いいからほら、前向いて」 サイハを椅子に座らせたままその背後に立ち、ゆっくりと彼女の細い髪をタオルでぬぐった。 「あの場合は仕方ないことですけど」 そうして口から出てくるのは、やはりどうしたって先ほどの出来事に関するもの。 「気をつけてくださいね。下手をしたらハーヴェイに気付かれていたかもしれませんよ」 ああまでぴったりと体を密着させ、服の張りつく体のラインを見られては女とばれてもおかしくない。 「でもおれ、そんなに、女の子っぽい体じゃないから、ちょっとくらいなら、濡れてても……」 そんなことを言い出す彼女に自然と溜息が零れた。 「サイハさま、そもそも根本的に男女は体つきに違いがあるもんなんですよ」 たとえ豊かなバストやヒップ、腰のくびれがなかったとしても、やはり女性はどこか柔らかさを持った線をしているのだ。見る人が見ればそれと気づけるだろうし、ましてや先ほどのハーヴェイのように触れあってしまえば、疑問を抱かないでいる方が難しいだろう。シグルドの言葉にサイハは「うん、ごめん」としゅんと俯いて謝罪を口にした。 頭が下がったため髪を拭きやすくなったが、代わりに細い首筋や続く白い肩、項が目に入ってきて何故だがとくり、と心臓が跳ねる。それを誤魔化すかのように、「こちらこそ、すみません」とシグルドは慌ててそう言った。 「なんでシグルドが謝るの?」 こてり、と首を傾げられ、彼女の項に張り付いていた髪の毛がずるり、と落ちる。 「あ、いえ、ああなる前に俺が助けに行くことができていたら、海に入ることもなかったでしょう?」 木箱が不安定であることにもっと早く気付けていたら。あるいはそもそも彼女から目を離さず、あのような商人と話をする隙を与えなければ、きっと今回のことは防げたはずなのだ。 俺の不注意です、とそう告げたところでがたん、と突然サイハが立ち上がった。 驚いて一歩退き、椅子と彼女から距離を取れば、振り返ったサイハが真っ直ぐにこちらを見つめてくる。もともと彼女はどこかマイペースな性格で、その上話をすることがあまり得意ではないらしい。言いたいことがあっても、いつの間にかその話題が終わっている、と苦笑していたこともある彼女。その分視線で語っているというわけではないが、何か思うところがある、という色を湛えているのは読み取れた。 サイハさま、と。 名前を呼べば、「あのね、」と彼女はたどたどしく口を開く。 「こんな面倒くさいことに、シグルドを巻き込んじゃったのは、ほんと、悪いなって、思ってる。ただでさえ色々と大変なことも多いのに、余計に変な仕事、増やしてるよね、おれ」 ほんとにごめん、と眉を寄せて言う彼女は、「だからね」と言葉を続けた。 「エレノアさんに言われたからって、ずっと、おれの面倒とかみてなくても、全然大丈夫だよ?」 今まで一人で隠してこれたのだから、これからもきっと大丈夫なのだ、と。 根拠のないことを理由に告げられた言葉に軽くショックを受けながら、「俺がいるのは迷惑ですか?」と尋ねれば、ぶんぶんと勢いよく首を横に振られた。 「ちがっ、ちがう、そうじゃない、そうじゃなくてっ」 必死に否定してくる彼女を前に、思わず「良かった」と安堵の笑みを浮かべる。そんなシグルドを目にしてふにゃり、と表情を崩したサイハは、そのまま数歩下がって、とさり、とベッドへ腰を下ろした。 「おれは、ね、シグルドがいてくれて、すごく心強いんだ。今日だって、服、貸してくれたし」 だから迷惑だなんて一度も思ったことがない、と彼女はきっぱり言い切る。 「でも、それはおれがただそうだ、ってだけのことで、シグルドはどうなのかなって。こんな、いちいちおれの側で、軍とは関係ないことばっかり、やってて、面倒くさくないかなって。嫌にならないかなって」 さっきもちょっと怒ってたみたいだし、と続けられ、何のことだろうかと首を傾げる。言葉を上手く理解されていないことに気付いたのか、彼女は小さく「上着、かけてくれたとき」と俯いて言った。 「シグルドの声、ちょっと、怒ってた」 だから面倒なのかなって。 そう言われ、初めてその事実に思い当たる。確かに言われれば、多少声音に苛立ちが入っていたかもしれない。自覚していなかったためその原因も簡単には分からず、考えたのち、はた、と気がついた。 「――――」 「シグルド?」 あまりにも幼稚すぎるその原因。 十代の子供か、と己自身にツッコミを入れたくなるようなそれに、思わず顔を赤くして口元を抑え込む。そんな男を前にした少女は、いつものようになんの邪気もない顔のままこてん、と首を傾げるのだ。そんな小さな仕草がひどく可愛らしく見えてくるのだから、自覚というのは恐ろしい。 「……す、みません、サイハさま。確かに、少し腹は立ってたかもしれませんけど、サイハさまに対して怒っていたとか、そういうのではないので」 「…………そうなの?」 更に逆側へこてん、と首を傾げられ、まだ湿ったままの髪の毛が張り付く項に目を奪われながらはい、と頷いて答えた。 「……でもじゃあ、なにを怒ってたの?」 サイハがそう思うのは至極当然のこと。 その問いに答えるべきか否か。 (ハーヴェイがサイハさまの肩を抱いてるのを見て腹が立った、なんて……) 口にして、その真意を彼女が理解してくれるだろうか。 ブラウザバックでお戻りください。 2010.09.02
心温まる話、を目指したつもりですが、 どうしてもテッドを出そうとする自分に呆れます。 リクエスト、ありがとうございました! |