愛ゆえに。 「ふ、え、ふえ、う?」 「ちがうよ、ふ、れ、ん。ぼくは、『ふれん』だよ」 そもそも言葉を教えてくれるものがいなかったのだろう、真黒な耳とすらりとした尻尾を持った同じ年頃の少年は、舌が回らずなかなかフレンの名を上手く言えないようだった。根気よく何度も繰り返し、ようやくたどたどしくではあるが、「ふれん」と口にできたとき、あまりにも可愛らしく笑うものだから、勢いのままキスをしてしまったくらいだ。 「あの頃のユーリは可愛かったなぁ……」 思わず呟けば、「まるで今は可愛くねぇみたいな言い方だな」と腕の中の恋人が拗ねた声を上げる。艶やかな黒髪の上には同じくらいに綺麗な毛並みの黒い耳。ひくり、と動くその耳を愛おしげに見つめ、「まさか」とフレンは笑う。 「ユーリはいつも可愛いよ」 ちゅ、と目元へキスを落とせば、擽ったそうに肩をすくめながら「とーぜんだろ」と彼は笑った。 ユーリは可愛い。成長した今は可愛いというより綺麗だ、という方が正しいかもしれないが、それでもやはり彼が可愛いことは幼い頃から変わらない事実であり、だからこそひとよりも多くの危険に晒されている原因でもある。 人の姿ではあるが獣の耳と尾をもつ獣人を、自分たちよりも下位の存在として扱う人間。特にそれは特権階級にいるものの中に多い。彼らの間では、いかに見目の良い獣人を『ペット』として飼うか、が一種のステータスのようなものになっているらしい。獣の耳を持つものであっても言葉を理解し、喋り、当然意志も知能もある獣人を、だ。見た目が違う、ただそれだけの理由で虐げても良い存在だと認識されてしまう。 絶対数が少ないため人間に牙を向けることもできない獣人たちが取った自衛手段、それは自らの体を傷つけるというもの。あるものは顔に傷を作り、あるものは耳を千切り、あるものは指を落とし、あるものは尾を断った。そうして自らの体を傷物にして価値を下げ、人間たちからの視線を背けさせる。 かくいうフレン自身も明るい茶色の耳と尾を持つ獣人であったが、産まれてすぐに親に尾を落とされた。もちろんそれはフレンを思ってのことであり、決して憎かったからではないと知っている。実際、病で二人が倒れるまではそれなりに愛して貰えていた、とフレン自身自覚はしている。 「ユーリ」 名前を呼んでその頬を撫でれば、気持ち良さそうに目を細めすり寄ってくる。獣人と一口で言っても備わる耳や尾の種類は様々で、ぺったりと垂れた耳を持つものもいれば、無毛の尾をもつものもいる。ユーリの黒い耳と尾はどちらかといえば猫科の獣のものに似ている。そう口にすれば、「じゃあお前のは犬だな、犬」と頭の耳へ軽く歯を立てられた。猫と犬と、本来ならあまり寄り添わないタイプなのかもしれないが、それでもフレンにとってユーリは何よりも大事な存在であり、ユーリにとってのフレンも似たような存在である。 薄い夜着を纏っただけの体を擦り寄せられ、とくり、と体温が上がるのも仕方がないだろう。細い体を抱きよせるように腕を回せば、「フレン、手つきがやらしーぞ」と笑われた。 「だってやらしく触ってるからね」 そう返せば、「少しは悪びれろよ」と呆れたように睨まれる。頭の上で揺れる大きな耳に、背骨の付け根から生えるすらりとした尾。 「ん、っ、や、フ、レン、そこ、」 尾の生え際が弱いというのはどの獣人でも同じで、ユーリもまたそこを緩く揉まれることに弱かった。くにくにとそこに指を這わせながら耳へ息を吹きかけると、「ふぁっ」とユーリは可愛らしい声を上げる。フレンにしがみついたまま、頬を赤らめて睨みつけてくる恋人へ微笑み、「ユーリも触っていいよ?」と唆した。そうすればおずおずと腕が伸びてくることを知っている。背中を撫でて腰を撫で、そしてその細い指がたどりつくのは、根元でぶつり、と切られてしまった尾の名残のある部分。 ユーリはそこに触れるときはいつも自分のほうが痛そうな、そんな顔をする。当然フレンがそこに痛みを覚えていることはなく、ユーリもそれを理解している。しかしそれでも、優しく、労るように尾の付け根を撫でる、その指がフレンは好きだった。 小さく名前を呼んで額を擦り合わせれば、応えるかのように唇が合わせられる。早く食べてくれ、と言わんばかりに差し出された舌へ軽く噛みついて吸い上げれば、くぐもった声が口内で響いた。 ユーリと出会ったのはそれこそ彼がまだうまく言葉も話せないほど幼いころで、もう十五年近い付き合いになる。友達から親友に、親友から恋人に。まるでそうなるのが当然とばかりに関係を進めてきた最愛の存在。 この下町に獣人は多く生活しているが、顔や体に損失のない獣人はフレンの知る中でユーリ一人だけ。ひくひくと震える耳に、揺れる尾、どれも綺麗なまま残っているユーリは、誰が見ても可愛らしく美しい、と言うだろう。 しかしそれは、言いかえれば生まれたそのときから既に親に見放されていた、ということ。 だからこそ皆、ユーリをうっとりと眺めながら、どこか痛ましげな視線を向けるのだ。 ユーリ自身そのことをよく理解しているから、尚更居た堪れない。 「ごめん、ね、ユーリ」 ぺろり、とその頬を舐めて謝れば、擽ったそうに肩を竦めたユーリが、「何が」と首を傾げる。 「本当は、君のためを思うなら、どこかに傷をつけたほうがいいって分かってるんだ」 そうすれば無駄に危険にさらされることもない、人間に狙われることもなく、平穏に暮らせると分かっているのに。 「それでも僕は、君に傷がつくことに耐えられない」 その苦しさはほんの一瞬で、むしろ耐えるべきは痛みを与えられるユーリの方だというのに、それでもフレンは想像するだけで嫌なのだ。腕の中の最愛の恋人のどこかに傷がつく、ということが。 もちろんユーリが傷のない獣人だから好きになったわけではないし、たとえ今耳を千切られても、尾を断ったとしても彼を好きだと思う気持ちは変わらない。 「君を愛していないわけじゃ、ないんだ」 それだけは違う、と断言できるし信じてもらいたい。愛しているからこそ、どうしても傷をつけることができないでいるのだ、と。 懺悔にも似たフレンの言葉を聞き終えると、ユーリは白い腕を伸ばしてきゅう、と恋人の体を抱きしめた。柔らかな金色の耳を甘く噛んで、頬を擦り寄せる。 「分かってる、分かってるから、フレン」 だから大丈夫なのだ、とユーリはひどく優しい声で囁いた。 「オレだって馬鹿じゃねぇし、多少の痛みなら耐えられる。自分で傷つけることもできるのに、してないのはなんでだと思う?」 ユーリほど成長した傷のない獣人を見て、大体のひとは『この獣人は誰からも愛されていないのだ』とそう思う。誰からも必要とされず、誰からも大事に思われていないから、耳も尾も顔も体も、傷のないままでいるのだ、と。そんな筋違いな同情の視線を浴びてまでユーリが自身を傷つけない理由、不必要な危険を掻い潜ってまで、耳や尾をそのままにしている理由。 「お前が、愛してくれてるのを知ってるから」 だからなのだ、とそういうユーリの微笑みは本当に綺麗で、穏やかで。 「ユーリ、ユーリ……好きだよ、愛してる」 言葉をいくら重ねても自分の気持ちを表しきれない、それでも伝えたくて仕方のない感情が次から次に溢れ出てきて止まらない。 獣の耳と尾を持つ獣人族は、相手を愛しているからこそ傷をつけてきた。フレンの尾に残る傷もその名残りで、愛されていた、ということは分かる。 しかし。 「オレは、傷がなくても愛されてた獣人の一人目になるんだ」 協力してくれんだろ? と笑う恋人へ、もちろん、とフレンも笑みを浮かべた。 ブラウザバックでお戻りください。 2010.08.07
獣人(下層民)として獣耳尻尾があるユーリとフレン。 ラブラブでもツンツンでも、ということなので、ラブラブさせてみました。 十七とか八とかそれ位をイメージ。 リクエスト、ありがとうございました! |