馬耳東風 「…………隊長、何か、背後に、良くない気配が……」 「振り返るな、ソディア。目を合わせたら多分呪われる」 額を抑えて首を振った男は、今や帝国騎士団にはなくてはならない存在、黒髪黒衣、闇を纏う騎士団隊長ユーリ・ローウェルである。 若くして隊長という地位にまで登りつめたその背景には、類まれぬ剣の才とどんな時であろうと部下を見捨てないその面倒見の良さに加え、男だと分かっていても思わず見とれてしまう美貌があるだとかないだとか噂されている人物。下ろせば背中を覆うであろう黒髪を後頭部で結い、項をあらわにしたその姿はいやに色気を振りまいており、彼の姿を見たものはあながち噂というわけではないのではないか、と一様に思ってしまうらしい。日に焼けにくいのか、白い肌に纏う、髪の色に似た黒い騎士団服が異常なほど似合っており、ストイックさが逆に彼の艶やかさを増しているようだった。回りの部下たちが白い騎士団服を纏っている中、一人だけ黒衣なのは彼が隊長だから、というわけではない。 「しかしあっちぃな、おい」 揺れる黒髪の先をぴん、と指で弾き、襟元を緩めて呟けば、「あ、」というソディアの声に、「ユーリィイッ!」という叫び声が重なった。 「……げ」 「隊長が不用意に服装を乱すから……」 眉を顰めたユーリの側で、優秀な副官ソディアがはあ、と溜息をついた。そんな二人の元へ、多くの騎士団隊員の間を縫う様に駆け寄ってきたのは金の髪の毛を揺らす男。ためらいなく手を伸ばした彼は、ユーリの胸元を合わせて整えると、「駄目じゃないか」と眉を吊り上げた。 「ただでさえユーリは色っぽいんだから、着崩して誰かの目にとまったらどうするんだ」 「……んな脳の腐ったようなこと言うのはお前くらいだから心配すんな」 鬱陶しげに男の手を払いのけて言うが、その程度で引くような相手ではない。 「心配するよ、君は自分の魅力に無自覚すぎるからね。その白い項とか、そんなに無防備に出してたら、皆思わず食べたくなっちゃうじゃないか!」 どうにか髪をおろせないか、と言う男へ、「バカか、お前」とユーリは呆れた視線を向ける。そうして大きくため息をついた後、騎士団隊長は「おい、フレン」と男の名を呼んだ。 「お前、一体何のために騎士団辞めたんだよ」 こうやってオレの世話を焼くためか? じっとりと睨みつけて言えば、「近からずとも遠からず、ってところかな」と真顔で返される。 この男、ユーリと共に下町で育ち、友人というより家族といった色合いの強い幼馴染、フレン・シーフォはもともと騎士団に所属する人間であった。それがどうしたことか、ある日突然騎士団を飛び出し、そうして辿りついた先がギルドの街、ダングレスト。 「僕はこれから愛に生きることにしたんだ」 良い笑顔でそう宣言され、ユーリに唖然とするほか何ができただろうか。 ああそうですか、そりゃよかったな、せいぜいがんばれ。 棒読みの言葉を投げつけたのがほんの数カ月前のこと。 「愛に生きる、って言っただろ」 だからその通りに生きているのだ、と。 そう口にするフレンがあまりにもさわやかに笑みを浮かべるものだから、やり取りを見ていた隊員たちの数人がきゅん、と胸を高鳴らせて頬を赤らめた。 きらきらと太陽の光を反射する金の髪に透き通る青い目。まるで物語の中から抜けて出てきた王子様のようなルックスを持つ彼が、無邪気に浮かべる笑みを見れば赤面したくなる気持ちも分かる。過去に何度も、この笑顔にころりと落ちた女性たちが彼へ想いを告げている場面を目撃していた。 だがしかし、フレンの言動を年単位で見てきたユーリにはもう、きゅん、とするだけの胸が残っていない。 そもそも騎士団を飛び出しギルドに所属し、愛に生きているはずの彼がどうして騎士団員であるユーリの前にいるのか。こうも毎回、遠征先に呼んでもいないのに現れるのか。道中、魔物が現れるたびに援護しようとするのか。キャンプを張ればどこからともなくテントにもぐりこんでいるのか。そんな疑問を抱くことも馬鹿らしくなり、いつからかユーリは思考すること自体を放棄した。 愛に生きている彼の愛がつまりは、真っ直ぐユーリにだけ向いているらしいということだけ理解してやっていれば、幼馴染としての役割は果たせているだろう、とさえ思う。 「どこで間違えたのかなぁ、こいつ……」 遠い目をしたユーリの呟き、あるいは嘆きは、ユーリの項をどうにかして隠せないか、と画策している男の耳には残念ながら一切まったくこれっぽっちも届いていなかった。 ** ** 騎士団を飛び出したフレンが行き着いた先は、帝国の庇護を受けぬギルドという団体。まだできたばかりだ、というギルド『凛々の明星』に身を寄せることになった。ギルドの首領は幼き少年カロル。一人ではギルドを立ち上げられない、と悩んでいた彼と、騎士団の外側から愛する人の役に立ちたい、と考えていたフレンの利害が一致した結果であるが。 「……ねえ、フレン。せめて受けたお仕事だけは真面目にやってね」 ほかは全然ユーリを優先させていいからさ、と半ば諦め気味の視線を向けられた男は、ギルドのアジトである部屋のソファに腰をかけ、繕い物の真っ最中であった。 「もちろんだよ、カロル。大丈夫だから心配しないで」 にっこりと、やはりさわやかな笑みでそう言われるが、フレンの奇行(としか表現できないだろう)をいくつか間近で見てきたカロルはうろんげに男を見やる。彼の膝に広げられているものは黒い布地。ちまちまと針を動かして縫い上がった完成品がどこへ行くのか、など考えずとも分かる。 「簡単に襟元を緩められないような仕様にできないかな……でもそうすると着脱が難しくなるし……やっぱり機能性も重要だよね……」 本来なら白を基調とした隊服である騎士団のなかで、唯一黒衣を纏う隊長ユーリ・ローウェル。彼の服は「ユーリはやっぱり黒が似合うと思うんだ!」という、幼馴染の熱意により作られたものであり、あまりにもうるさく求めてくるため閉口したユーリが一度だけと着て見せたところ、運悪く現皇帝ヨーデルに目撃されてしまい、にっこりとこれまたフレンと同じようにまったく邪気のない笑みを浮かべて、「明日からこれで」と命じられてしまったという、くだらなすぎる経緯がある。 一心不乱に針を動かす青年を前に、やはりカロルはどこか不安げな気持ちのままはあ、と溜息をつくしかなかった。誘う相手を間違えたかな、と思いはするが、この男、根は至極真面目で真っ直ぐで優しい性格をしているのだ。その上剣の腕もかなりあり、魔物討伐の際は心強い存在となる。誰にでも優しく穏やかで人あたりが良く、顔も良い上に頭も良く、そして強い。点は二物を与えず、とはよく言ったものだが、フレンに関して言えば二物どころか三物も四物も与えているように見える。 「ただ、その分欠点が大きすぎるのよね」 カロルの側で呟いたのは同ギルド員のクリティア族美女、ジュディス。 「料理が下手っていうのと、ユーリバカっていうのと」 「そこさえなければ、ね」 「完璧なんだよね、フレン……」 指を折って言ったカロルへジュディスが眉を寄せて同意し、二人で揃って大きくため息をついた。そんな二人の呟き、あるいは嘆きは、やはり、フレンの耳には残念ながら一切まったくこれっぽっちも届いていなかった。 「ユーリ、細いからなぁ。ここのラインをもっと強調できたら、きっと綺麗だろうなぁ」 ** ** ギルドの人間と騎士団の人間と、基本的には相容れない団体同士であるため、構成員同士が親しくなるなどあまりないことだ。しかしそんな世間一般の流れはどこ吹く風、ギルド『凛々の明星』の首領と帝国騎士団の隊長は、仲良く並んで草むらに腰をおろしていた。 「……あいつ、何とかなんねぇの? お前んとこのだろ」 「無茶言わないでよ。むしろボクの方こそ、幼馴染でしょ何とかしてよ、って言いたいのに」 あいつ、と彼らが話題にしているのは、当然、共通の悩みの種となっている男のこと。 つい先ほどまでフレンとカロルは、ギルド『凛々の明星』として請け負った魔物退治へと出かけていたのだ。無事に依頼を遂行することができ、二人とも笑顔で帰路についていたところ、会話の途中で突然ぴたり、と口を閉ざしたフレンが顔を上げると同時に、「ユーリが危ない!」と走り出してしまったのだ。慌てて後を追えば、確かに黒衣の美しい騎士団隊長が大型の魔物に囲まれて危機に陥っていた。 どうやってあの金髪の男がこの危機を察することができたのか、その方法については深く考えないでおく。きっと神様が顔の良さや頭の良さと一緒に、ユーリセンサーでも渡したのだろう。代わりに常識や羞恥心を奪っていったに違いない。 カロルとて騎士団の人間とはいえユーリのことが嫌いではない。むしろそのさばさばした態度や曲がったことが嫌いな性格は好きな部類に入るタイプだと思っていた。そんな彼がピンチになっているというのだから、助力することに反対はなかったが。 「――ッ、ちっ!」 一体どれだけの間戦っていたのか、いつもよりも若干動きの鈍いユーリはぎりぎりの距離で魔物の爪を交わしたが、ふわりと舞った黒髪までは計算に入れていなかった。ざくり、と爪の先が捕え切り落とされた毛先。それはちょうど近くまで寄っていたカロルたちの目にも分かるほどで。 ぶちん、と。 隣の男の中で何かが切れるような音を、確かにあの時耳にした、とギルドの幼き首領は戦闘後しみじみと語ったという。 ブチ切れたフレンの加勢により、何とか魔物を討伐したは良かったが、さんきゅ、とユーリが礼を言う前にものすごい勢いでボディチェックをされた。髪の毛以外に被害がないかを確かめ、小さな傷一つでも見逃さずに回復魔法をかける。(こんな男でも頭脳のできは良いため、ユーリが諦めた魔術も簡単なものなら使えるというのが腹立たしい。) 身体の傷が治ったことを確認した後、フレンは涙ぐんでユーリの髪へ手を伸ばした。 「ああ、折角綺麗だった髪が……ごめんね、ユーリ、守ってあげられなくて」 「いや、髪の毛程度ならほっときゃまた伸びるし、全然気にしちゃいねぇえし、そもそもお前に守られる筋合いもねぇけど……って、おい、フレン?」 肩のあたりまで短くなってしまった不揃いな黒髪に、ぐしっ、と鼻をすすった後、突然フレンは地面に這いつくばる。少し離れた位置にいたカロルには、フレンが土下座でもしているのかのように見えた。ユーリを前にすればそれくらいやってのけそうで、どうせならユーリも踏んであげれば喜ぶんじゃないかしら、と子供らしからぬことを考えていたところで「おい」とユーリの呆れた声が響く。 「何をしてるか、聞いても良いか?」 幼いころから時間を共有しているとはいえ、この男の思考回路はまったくもって読めない。読みたくもない。だからといって放っておくわけにもいかない。いやいやながら尋ねてみれば、フレンは顔も上げずに答えた。 「切られたユーリの髪の毛を探してるに決まってるじゃないか」 全部集めてお墓を作ってあげないと、と告げる口調はふざけているものではなく、心底真面目だから始末に負えない。辺りに散らばった細い髪の毛を集めるなど、とても正気とは思えないがフレンならやってのけそうで嫌だ。 「……オレ、隊のやつら待たせてるし、合流しても良いか?」 大型モンスタを部下たちから遠ざけて戦っていたため、本隊から離れてユーリは今一人でいる。さっさと戻らなければ彼らも困るだろう、と這いつくばる男を無視して言えば、「それは困る」とギルド首領に泣きそうな顔をされた。 「ボク一人で終わるの待つなんてやだよ」 さすがに年端も行かぬ子供に変態のお守を押し付けるわけにもいかず、ユーリははあ、と大きくため息を付いた。 「……なんつーか、むしろこれ、オレが騎士団辞めた方が世のため人のためになる気がしてきた」 ユーリがこうして騎士の立場で危険な目に合うたびに、とても人間業とは思えぬ速さで感づいたフレンが助けに現れる。愛に生きる、と宣言した通り、颯爽と現れるストーカー王子様は騎士団の人間にとっても彼が所属するギルドにとっても傍迷惑でしかないだろう。 地面を掘り返して集めた髪の毛をおさめ、神妙な顔をして手を合わせている男を遠くに見ながら呟けば、隣に座って膝を抱えたカロルが、「そうなったらうちに来たらいいよ」と口にした。 「お前、懐深いなぁ……。今度から先生、って呼ばせてもらうわ」 「うん、だってそしたらフレンの面倒、全部ユーリに任せればいいもん」 「…………あっそ」 どこか投げやりな口調で交わされる幼馴染とギルド首領の会話は、やはり、フレンの耳には残念ながら一切まったくこれっぽっちも届いていなかった。 ブラウザバックでお戻りください。 2010.09.09
分かりやすく変態。 リクエスト、ありがとうございました! |