正義の味方 聖堂騎士団団長は、地下にある独房の奥で竜を飼っているらしい。 そんな噂が流れているのを知りながら、本人は否定も肯定もしない。ただくつり、と喉の奥で笑うだけで、それを見た人々がまた更なる噂を流す。真偽を知っているものは限られており、どうしてだかその中に、彼が誰よりも厭い憎む義弟も含まれていた。 (汚ぇ役ばっかり押し付けやがって) そう思いはするが、団長命令に逆らうことができないのも事実。鼓膜を震わせるのは悲鳴だか嬌声だか分からない、か細い少年の声。己の義兄の性癖など、知りたくもなかった。いや、彼に言わせればこれは純然たる拷問であるらしいが、どうみても性欲を発散させているだけにしか見えない。 目を閉じたところで耳を完全に塞ぐことはできず、聞きたくない声にももはや慣れてしまった。そうしてただじっと、隣室の拷問という名の性行為が終わるのを待つ。何の為に、と問われれば、あの少年を死なせないために、だ。 (ここのところ、回復魔法の効きが悪い。そろそろ限界だ) 回復魔法といえども万人に効果があるわけではない。既に息絶えたものを生き返らすことは不可能であるし、衰弱しているものを健康にすることもできない。人自身が持つ回復力を魔法で補助し、高めてやっているのだから、その回復力自体がない死人に効果がないのは当然で、それが弱っているものには効きが悪くなる。 死んでしまう前にさっさと次を探せばいいと思うが、そうならぬようククールを使っている点を考えれば、あの少年に固執するわけがあるのかもしれない。 竜の子だ、とマルチェロはそう言っていた。彼とまともな会話が成り立つこと自体が少なく、詳しい説明は聞けず仕舞いだったが、比喩にしろそうでないにしろ、今彼が犯しているあの少年が特別なのだろうことはなんとなく感じ取れる。 何が、どう特別だと、言うのだろうか。 くったりと意識を失っているらしい彼は、茶色の髪をしたどこにでもいそうな少年なのだ。簡素なベッドの上に横たわっている彼の身体は白く細い。血の気の失せた肌の上を汚すぬるり、とした液体。 (……気持ち悪ぃ) 一時でもそれを見ていたくなくて、少年の身体を覆うようにシーツを被せた。その上から回復魔法をかけ、多少でも体力を回復させておく。以前ならば簡単な治癒魔法でうっすらと肌に赤みがさしていたが、今はどれほど重ねてかけようと、彼は青白い顔をして横たわったままだ。 「…………そろそろ死ぬんじゃねぇの、お前」 ぴくりとも動かない少年を見下ろし、気づけばそう声が出ていた。低く小さな独り言。だからどうというわけでもない、彼が死んだらあの男は別の誰かを連れてくるかもしれない。そしてその別の誰かへ、また回復魔法をかける役を押し付けられるのかもしれない。 さすがにそれは嫌だな、そう思って踵を返しかけたところで、「……かもしれない、な」と小さな言葉が返ってきた。驚いて振り返れば目を開けた彼がゆっくりと身を起こそうとしているところで、初めから意識があったのか、あるいはククールの魔法により意識を取り戻したのか。ゆるり、と気だるそうにこちらへ向けられた視線に、思わず息を呑んだ。 漆黒の瞳。 何の感情も浮かんでいない目が真っ直ぐにククールを射る。 少年の体力を回復させる行為はもう何度も繰り返して来ていたが、実のところまじまじと顔を見、ましてや言葉を交わしたのは今が初めてだ。 散々甚振られたダメージがまだ残っているのだろう、細い両腕では己の体重すら支えられないらしい。ぐらり、と傾いた彼に思わず手を伸ばしかけたが、「触るな」と静かに拒否された。 「汚れる」 単語だけを放たれ、一瞬意味を取り損ねた。 何が汚れるのか、何が既に汚れているのか。 ふらり、と揺れながらもベッドから足を下ろした少年は、羽織ったシーツをずるずると引きずって部屋の隅へと向かう。そこには扉が一つ、向こう側は狭い手洗い場となっており、身を清めることができるようにシャワーまで設置されている。だが、当然湯が出るわけもなく、降り注ぐ水は肌を切るほど冷たいはずだ。 (そりゃ、オレが回復してやっても、さして意味がねぇはずだ) 行為の直後に回復魔法をかけて体力を回復させてやっていたが、その後に冷水を浴び続けていては身体にいいはずがない。 「……そんなに嫌なら逃げりゃいいだろうが」 それが簡単なことではない、と知っている。知っているが、それでもこうしてとらわれたままの少年を見ていると思うのだ、好きでここにいるのではないか、と。望んであの男に抱かれているのではないか、と。 その男の体液を汚い、と言って流す様を見れば、そのようなことはありえないだろう、そう理性では分かっているが、感情では納得ができない。 気持ちが悪い、そう思う。 こんな少年を監禁してまで犯す義兄も、男に抱かれてよがり声を上げる少年も。 そんな二人に対しなぜだか苛立ちを感じてしまう自分自身も。 すべて気持ち悪くて仕方がない。 急激に吐き気を覚え、口元を押さえて独房を後にする。逃げるように扉を閉める瞬間、「逃げて、」と静かな少年の言葉が耳に入り込んできた。 「そのあと、俺はどうすればいい」 途方に暮れたような声音、行くあても帰る場所も、きっと彼は何も持っていないのだろう、それが分かるような、空虚な言葉だった。 「そんなことは自分で考えろよ。誰も助けちゃくれねぇ、自分で何とかしろ」 正義の味方なんて簡単に現れねぇんだよ。 聖堂騎士団団長は、地下にある独房の奥で竜を飼っている。毎夜のごとく団長から辱めを受けている人間の少年の姿をした竜が、ククールはどうしてだか気になって仕方がなかった。 かの少年の瞳は夜空さえも呑みこんでしまいそうな漆黒だ。誰も捉えず、何も映さず、それでいて少年の言葉のように空っぽではない。むしろ何もなさすぎて何かが密集しているかのような、いうなれば零がみっしりとつまっているかのような、そんな黒さを持った視線だった。 生を諦めているようで、しがみついているようで。 得体の知れない何かを指して「竜」とするならば、確かに彼は竜の子だ。 その竜の子と言葉を交わして幾日も経たぬうちにその事件は起こる。 「…………オディロ院長が殺された」 「……それ誰」 端的に状況を説明するが、返ってきたのは誰何の一言。この少年が外部と関わりがあったのは自分を犯していた男と、その義弟だけであり、院長の名を知らなくても当然かもしれない。 「この修道院をまとめてたじいさんだ」 「それが、何か」 独房の扉にある鍵は騒動にまぎれて団長部屋からくすねてきた。かたり、と小さく音を立てて扉を開く。足を抱えてベッドに座っている少年。汚れていない彼を見るのはもしかしたら初めてかもしれない。 「あいつを、マルチェロを止める人間がいなくなったってことだ」 権力志向の強いあの男は、それでもオディロ院長に対しては敬意を表し、従ってきてもいた。そんな人物がいなくなったとあれば、今この修道院で彼を止める人間はいないということで。 「たぶん、今まで以上にひどいことになる」 それは別にこの少年に対してだけ、というわけではないだろう。騎士団は彼の私物と化し、その欲を満たすための働きを強いられる。 「今ならまだごたごたしてるし、気づかれずに抜けられるだろう」 そう思った時にはどうしてだか、同時にこの少年の姿も思い浮かんだのだ。 どうする、と問えば、どうしようか、と返ってくる。そして先日と全く同じ言葉。 「逃げて、そのあと俺はどうすればいい」 「……前も言っただろう。知らねぇよ。分からないなら自分で考えろ。考える材料くらい、外に出りゃいくらでも転がってる」 あんたが考えてる間くらいなら付き合ってやるから、と。 伸ばした手をじ、と見つめ、少年は呟く。 「現れたじゃん。正義の味方」 重ねられた少年の手は、思った以上に細く冷たかった。 「……で、あんた、名前は?」 ブラウザバックでお戻りください。 2010.08.11
頂いたリクエストは、 ・修道院でエイトがマルチェロに飼われいる ・ククールはそれを蔑みながらも心配している だったのですが、気が付いたらエイトさんを助け出そうとしてました。 あれ? リクエスト、ありがとうございました! |