無主物先占 「あんたの命、凛々の明星がもらった」 そう口にしたのは黒衣を纏う青年であったが、ギルド凛々の明星の首領は幼き少年の方である。束ねるものだからといってそのギルドが少年の個人的な持ち物である、というわけでは決してなかったが、言葉というものは非常に面白くできており、その音はずっとレイヴンの中に残り続けていた。 アレクセイが亡きものとなった今、言葉の持つ重みを理解しているものはおそらくレイヴン一人だけであろう。 「あー、どー説明したもんかねぇ……」 夜が更けるにはまだ多少の時間があり、各々が娯楽を求めて出かけている。留守番という役を背負って残っているのはレイヴンただ一人。煙管を咥えぷかり、とふかして、煙ののぼる天井を見上げる。 シュヴァーン・オルトレインという名の人物が死したのはもう十年も前のこと。そこから生まれたものはシュヴァーンという名前の人間ではないもの。シュヴァーンの別の顔であったレイヴンもまた同じようなもので、ここにいる存在は言葉そのままの意味で人間ではない、ということを共に旅する彼らが知ったら、どのような反応を示されるだろうか。 (や、分かってんだけどね、大して変わんないだろうってことは……) 彼らは本当に心根が真っ直ぐで、各々の正義を抱いて生きている若者たちだ。存在し続けることに疲れていたレイヴンを繋ぎとめ、受け入れる場所を作ってくれるくらい懐が深い。 だからたとえ今、事実を知ったところで彼らの態度が変わるとは思えない。しかし。 手にしていた煙管をテーブルの上へ置き、レイヴンはそのままぽふり、とベッドへ横になった。先ほどまで漂っていたはずの煙はもう既にどこにもなく、それでもどこか天井がぼんやりとかすんで見えるのは自分の目がおかしくなっているのだろうか。ぎゅう、と目を閉じれば迫る暗闇に何故か安堵する。 「…………ほんと、めんどーな体」 こんな身体になってまで生きたい、などとこれっぽっちも思ってはいなかった。むしろこの状態では生きているとも言えないだろう。 「何が面倒なの?」 誰に聞かせるつもりもなく、また部屋の中には誰もいないと思っていたのに、唐突に返ってきた言葉に驚いて目を開ける。覗きこんでいたのはパーティ最年少の少年。 「――っ、びっ、くり、したぁ」 いつ帰ってきたの、とあまりにも驚き過ぎて掠れた声で尋ねれば、ついさっきだけど、とあっさりとした声で返ってきた。 「レイヴン、寝てたみたいだから静かに入ってきたんだ」 その所為で気が付かなかったらしい。カロルの方も眠っていると思っていた男が突然ぼそりと呟いたものだから、一応は驚いたのだそうだ。 「でも、なんか気になったから」 だから聞いてるんだけど、と少年は首を傾げる。 「何が面倒なの?」 再度問いかけられ、レイヴンはう、と言葉に詰まった。 人間ではない、という言葉の意味を正しく彼らに伝えなければならない、とは思っていた。しかし説明が少々ややこしく、またそれにより崩れてしまう何かがあるかもしれない。 そのことが僅かばかり、恐ろしい。 眉を寄せ、何を口にしようか迷っていると、ベッドへ乗り上げてきたカロルがずい、とレイヴンの方へにじり寄ってきた。 「しょ、少年……?」 妙な迫力に気押され体を少し引いてみるが、その分カロルが近寄ってくるものだからさして意味はない。戸惑っている男を前に、「もう、」と少年は眉を寄せて言った。 「……隠し事はなし、だよ」 止むをえなかった、と言うつもりは毛頭ない。ミョルゾでの裏切り、パクティオン神殿での戦闘、あれらは全てレイヴンの、シュヴァーンの意志で行ったことだ。こうして生きながらえるとは思っておらず、ましてや彼らに許されるなど、考えてさえいなかった。 しかしレイヴンの予測がどうであれ、こうして再び彼らと道を共にしていることは事実以外の何物でもない。 「カロル、一人だけ?」 他のメンバも外に出かけているはずだ。共に戻ってきていてもおかしくはないと思えば、「うん、ボクだけ先に帰ってきた」と答えた後、少年は「あ」と顔を上げる。 「ボ、ボクだけじゃやっぱり駄目だよね、うん、ボクだけ聞いても仕方ないし、でもほんと、何かあるなら、ちゃんと、みんなに」 ギルドの首領としてまだ幼いことを気にしている少年は、慌てたようにそう言った。レイヴンの言葉をカロル一人では不服だ、という意味で取ったらしい。苦笑を浮かべて「そういう意味じゃなくてね」と少年の頭を撫でる。 「むしろ、カロル一人だけで良かったかもしれない」 「……? どういうこと?」 もちろんユーリたちに全く関係のない話だというわけではない。しかし、最も根幹の位置で関わっているのはやはりこの少年なのだ。 「じゃあちょっと、聞いてもらおうかしらね」 難しかったら難しいって言ってちょうだい、と前置きをしてレイヴンは静かに口を開く。 レイヴン自身が、この身体が、まさしく言葉通り「人間ではない」という事実を。 十年前までは確かに人であった、人として生き人として死んだ、そのつもりだった。 「なのに、気が付いたら、こんな身体になってんだもん」 やはり魔導器を生物と融合させるのは難しいものがあったらしい、逆に魔導器によって動かすことのできる人工的な身体に人間の意志を織り込めないだろうか、と。命じずとも自ら考えて動く魔導器ゴーレムを作れないだろうか、とそういう研究もまた行っていた。そして彼らは気が付いた、ゼロから思考する脳を作り出すのではなく、魔導器を埋め込んだ身体と思考する脳髄を合体させてしまえば早いことに。 「記憶はね、そのままなのよ。脳だけどうにかしたらしくて、難しいこと一杯言ってたけど、全部忘れちゃった」 とにかくレイヴンが理解していることは、この身体は「生きて」いないということだけだ。 「限りなく人間には近いんだけどね、やっぱり違うのよ。この身体は所有者を必要とするから」 「……所有者?」 黙ってレイヴンの話を聞いていた少年がここで初めて声を上げ、首を傾げる。「飼い主みたいなもん」と笑って、魔核の埋め込まれた左胸を抑えこんだ。 「もともと作らせたのはアレクセイだったからね、俺様は大将のものだったのよ。でも今は」 「アレクセイは……」 そう、どこかで歪んでしまった元騎士団団長は既にこの世にはいない。 「別にね、所有者の命令には絶対に従うってわけでもない。じゃないと、俺は今ここにこうしていられないしね」 アレクセイに逆らい、刃を向けることを選んだのはレイヴン自身だ。命に従う必要がないのならどうして所有者などが設定されているのか、いまいちよく分からないが、この身体を作った者たちの間では飽くまでも物である、という認識がなされていたのだろう。あるいは事故防止のための予防線のつもりだったとも考えられる。たとえ逆らうことができたとしても、所有者をレイヴン自身が選ぶことはできない。アレクセイに関しては「始めからそう設定されていた」としか言えないのだ。 「で、アレクセイ亡き今、前にユーリちゃんが言っちゃってたでしょ」 『あんたの命、凛々の明星がもらった』 その言葉がレイヴンの中に残り続け、正当なる所有者がいなくなってしまった現在、次の所有者候補として凛々の明星というギルド、より具体的に言えばその首領であるカロルが挙がっている状態なのだ、と。 「別に何かの手続きが必要だとか、やってもらいたい何かがあるとか、そういうんじゃなくてね、単純に俺様の中だけの問題なんだけど」 だから話さずにいたとしても問題はまったくなかっただろう。ただ徒に混乱させるよりは、レイヴン一人が静かにその事実を受け止めさえすれば良かった。しかし。 「もう隠し事はなし、なんでしょ?」 笑みを浮かべてそう言えば、「そう、だけど」とカロルは眉を顰める。少年が戸惑うのも仕方のないことだろう。レイヴンだって、突然こんな話をされたら困る自信がある。 「ええとね、分かりやすく言っちゃえば、おっさんの持ち主が死んじゃったから、使い古しで悪いけど、次の持ち主になってくれませんか、ってこと」 幾分おどけた調子を織り交ぜたその言葉に、カロルはますます表情を曇らせた。砕けた言いかたすぎただろうか、と思えば、「そんな、レイヴンを物、みたいに……」と少年は小さく呟く。 「んー、実際に物だからねぇ」 たとえ意志があろうと、思考する能力を有していようと、この身体はもはや生物とは呼べない。そのことはレイヴンが一番よく理解しているつもりだ。 「だからさ、あんまり深く考えなくて、」 「――レイヴンのバカっ!」 「ッ!?」 苦笑を浮かべて口にした言葉は、カロルが投げつけてきた枕により途中で途切れることになる。顔面でそれを受け止めた拍子にぼふり、と背中からベッドへと倒れ込んだレイヴンの上に、拾い上げた枕を手にしたカロルが乗り上げた。 「バカバカバカッ!」 「いたたっ、痛いっ! ちょっ、少年! 痛い痛い!」 ぼふぼふと枕で容赦なく叩かれ、声を上げてその凶器を取りあげる。しかしそれでもカロルは攻撃の手を止めようとはせず、握り締めた拳でぽかぽかとレイヴンの腹を殴った。 「ぐぇっ、か、カロル……ほんと、ふつーに、痛い……っ」 痛みに耐えかねて少年の細い腕をそれぞれ捕えれば、「レイヴンが、変なこと、言うからっ!」とどこか泣きだしそうな声でカロルは叫ぶ。 「なんで、そんな、自分を物とか、そういう、こと……っ」 「いや、でも、」 「でも、じゃないっ!」 レイヴンの太ももの上にぺたり、と腰を下ろし、カロルは駄々をこねる子供のように首を振った。 「レイヴンは、物じゃない、人なのっ! ちょっと、他の人とは違うだけで、ちゃんと人間だもん!」 きっぱりとそう言いきる少年の年齢は、(この身体になった後の年数も加算すれば)確かレイヴンの三分の一くらいしかなかったはずだ。子供だからといって世の中を全く知らないわけではなく、彼なりに懸命に生きてきた中で、それでも失われていないひたむきさがただひたすらに眩しい。 「……カロル」 捕えていた両腕から手を離し、静かに名を呼べば少年は小さな体をびくりと震わせた。カロルを足の上に乗せたまま上体を起こし向かい合う。柔らかな頬に触れてもう一度名を呼べば、今にも泣き出しそうな顔をしているくせに、自分の意見を曲げるつもりはないという強い視線にぶつかった。 「ほんと、お前さんにゃ敵わないわ」 くつり、苦笑とともにそう零す。「だって、」と唇を尖らせたカロルの頭を、「分かったわよ」とぐしゃぐしゃと撫でた。 「おっさんが悪かった。もう二度と言わないから。許してちょーだい」 人工物のレイヴンを人間だと認めてくれる、言い張ってくれる少年の優しさが、ないはずの心臓をずきずきと刺激しているようだ。これは失ってはならないものだ、と直感的に悟る。そしてやはり思うのだ、次なる所有者はこの少年しかいないだろう、と。 「また言ったらボク、もっと怒るからね」 「それは怖い」 気を付けます、と頭を下げれば、それならいいけど、とカロルはしぶしぶと言った。それでもまだどこか納得していない様子を見せながら、レイヴンの上から降りようと腰を上げたカロルを、「ちょっと待って」と引きとめる。 「あのね、俺様が人間とか人間じゃないとか、物とか物じゃないとかとは関係なしにね、所有者が必要っていうのはほんとなわけ」 それはないのならないままで存在し続けられる、というようなものではなく、レイヴンが存在するためにはどうしても決めなければならないこと。十年前にそう説明を受けたような記憶もあるがはっきりいって覚えていない。しかし、この身体がそれが事実である、と如実に訴えかけてくる。 「…………その、所有者、っていうのがいなかったら、レイヴンはどうなるの?」 尋ねられ、少年と同じように首を傾げた。 「今までいなかったことがないから分かんないけど、単純に考えれば動けなくなるんじゃないかしらね」 死ぬことはない。もともと生きていないのだから死ぬことは叶わない。しかし動作は停止するだろう。憶測でそう言えば、カロルは「そんなのヤダ」と小さく呟いた。レイヴンにしてみれば、それならばそれで問題はないのだ。さっさとこの身体を壊してしまいたい、無に返れるのであれば選択肢の一つとして選ぶこともありだろう、と思いさえする。 「でも、ほら、ユーリちゃんの言葉とか、少年も言ってくれたでしょ、『勝手に死んだら駄目だ』って。それをどうもね、俺様の身体は都合よく解釈しちゃったみたいで」 既に凛々の明星が、首領カロルが次の所有者であると認識し始めているのだ。 「もちろん、嫌なら嫌で全然構わないし、カロルが気に病むことじゃない。ただ、おっさんは、カロル少年がこの身体の所有者になってくれるなら、すごく嬉しい」 他人のために一生懸命に怒り、泣くことのできるこの素直な少年が自らの主だ、とそうなればどれほど幸せだろうか。所有者の命が絶対ではないにしても、この少年の言葉になら従ってもいい、と思う。 「…………レイヴン、そんな顔して笑うの、ずるいよ」 断れないじゃん、と呟いた少年は、レイヴンの胸へ額を預けるようにして俯いた。 「おっとこまえでしょ?」 「……そういうこと言わなければね」 返ってきた言葉に喉を震わせて笑う。 優しくて強い少年が泣いて怒るから口には出さないが、それでもこの少年にならば自分の身体や作られた命をどう使われようと構わない。僅かなりとも力になれるのであれば、こうして存在している意味もなんとなく見出せる。 分かった、いいよ、という承諾の言葉の後、顔を上げたカロルは真正面からレイヴンを見つめ、口を開いた。 「レイヴンは、もう、ボクのものなんだからね。ボクの許しなしに、勝手に死んじゃダメなんだから」 とん、と拳で胸元を叩かれ、「了解、マイマスター」と答えておいた。 ブラウザバックでお戻りください。 2010.07.18
「実は魔導機ゴーレムなレイヴンと、カロル先生との純愛」というリクでした。 書きあげた後、純愛ってむしろ、ゴーレムだからエッチできないぜ! 的な 話にもっていったほうがそれっぽかったかも、と思いました。 リクエスト、ありがとうございました! |