とある一家の騒動


「おら、お前ら、朝だぞ、起きろ! 遅刻すっぞー!」

 一家の朝は、階下から響くぶっきらぼうで、でもどこか優しい怒鳴り声で始まる。

「フレン、お前今日一コマ目、オレと同じ授業だろ、起きねぇと置いてくぞ。カロルは日直だっつってたろ!」

 階段を駆け上がってきた青年は遠慮なくガチャリ、と手前の扉を開き、中で寝ていた二人へ声をかける。そして扉を閉めないまま向かいにあるドアをどんどん、と叩いた。

「ジュディ、今日は朝一のコマがあるんじゃなかったのか? パティは朝錬! エステル、リタ、起きてるか?」

 こちらは妹たちの部屋であるためさすがに簡単には開けられない。

「起きてま、すぅ……」
「嘘吐くな、エステル、また寝てんだろその声」
「あー、いいいい、あたし起こしとく。ちょっとパティ、あんたベッドから落ちるわよ!」

 中から返ってきたリタの声にひとまず女性陣は彼女に任せるとして、振り返って男部屋へと足を戻す。中には二段ベッドが一つと普通のベッドが一つ。

「カロル、フレン! いい加減起きろ、バカ。朝飯抜くぞっ!」
「……それは駄目」

 脅しを口にすれば、二段ベッドの下の人物がむくりと起き上がった。金色の髪は寝ぐせであちこち跳ねているが、寝起きであろうとその整った顔が崩れることはないらしい。カーテンを開ければ朝の光が室内に入り込み、フレンは目を細めて唸る。

「ほら、起きろ。ったく、なんで毎朝こんな起きねぇかな、うちの連中は」
「そ、れは、ユーリが毎朝、起こしてくれるから、だよ……」
「おい、フレン、また寝んな! ああもう、本気で朝飯抜くぞっ」
「ユーリぃ……うるさい……」
「あ、悪ぃ……じゃなくて! カロル! お前も起きろ!」

 ベッドの上の塊が包まっていた布団をはぎ取れば、少年が丸まった身体を更に小さく丸めた。年の離れた弟の姿に腰に手を当ててため息をついたところで、「ちょっとぉ……」と今度は別の部屋から文句の声が上がる。

「ユーリちゃぁん、おっさん朝まで仕事してて、さっき寝たばっかりだったのにぃ……」

 ユーリの怒鳴り声がうるさくて目が覚めてしまった、とぶちぶち言いながら顔を出したのは、普段にも増してぼさぼさな頭をしている男。執筆業という特殊な職業についている彼は二階の奥に寝室兼仕事部屋を持っている。

「丁度いいじゃねぇか、レイヴン。ちょっと顔出して軽く何か食っとけ」
「えー……」
「昨日からまともに食ってねぇだろ。胃に優しいもん作ってあっから」
「うー……」
「ここ三日くらい部屋にこもってチビたちの顔も見てねぇだろ」
「わーかったわよぉ……。もう、ユーリちゃんには敵わないなぁ」

 こうして全員がそろった食卓は賑やかなものだ。

「あ、レイヴンの食べてるゼリー美味しそう! ユーリ、ボクの分、ないの!?」
 今年中学に上がったばかりの末っ子カロル。

「あー、カロルくん、あんま大きな声出さないでちょーだい。頭に響く……」
 兄弟全員の生活を支えるため日夜働いている、ようには見えないぐうたらな長兄レイヴン。

「先にそっちのパン食ってからな。ほれ、フレン、珈琲」
 豪気な性格には似合わず、家の家事一切を取り仕切っている三男ユーリ。

「ありがとう。ああ、パティ、まだ寝てるね? お皿にジャムを塗ってどうするの」
 カップを受け取りながら妹の世話を焼く、ユーリの双子の兄、フレン。

「ねむい……。何で朝なんかあるのじゃ……?」
 全然寝が足りていないらしい三つ網の少女は四女のパティ、カロルと同じ中学に通っている。

「ちょっと、エステル! あんたいつまで顔洗ってるつもりなの? 早くご飯食べなさいよ」
 洗面所の方へ向かって声を上げているのは三女リタ、彼女は今年高校に入ったばかりだ。

「だって、髪の毛が上手く結えませんー」
 くすん、と泣きべそを浮かべて顔をだしたのは、おっとりしている次女エステリーゼ。

「ほら、ここ座って食べなさい。その間に結ってあげるから」
 妹を座らせながら笑みを浮かべたのは、専門学校に通っている長女のジュディス。

 男四人女四人に加え、人間たちの喧噪など我知らず、とマイペースに食事をしている飼い犬ラピードの、計八人と一匹の大家族。両親の遺してくれたこの家で、なんとか身を寄せ合って生きていた。

「カロル、パティ、弁当!」
「うに。忘れるところだったのじゃ! ユーリの弁当を忘れるなんて、学校に行く意味がなくなるのじゃ」
「いや、勉強しにいこうよ、パティ」

 姉の言葉にそうツッコミを入れつつ、カロルは兄からチェック柄の弁当包みを受け取る。料理が趣味らしい兄の作る弁当は確かにものすごくおいしくて、これを楽しみに午前の授業を過ごすことも多い。

「ジュディス、今日バイトは?」
「今日は夕方から。十時までね」
「僕も十時あがりだから、帰り、迎えに行くよ」
「いいわよ。あなたのバイト先、私のところとは逆方向じゃない」
「駄目。女の子を夜遅く一人で歩かせられない。僕が行くまで待っててね」
「もう、心配症ね」

 生真面目な顔をして言う兄へ、ジュディスはため息をつきながらも結局は逆らわない。モデル並みの容姿を持つ彼女には言い寄ってくる異性も多いらしい。八人の兄弟は言わないとそれと分からないほど顔が似ていないため、同じくモデル並みに容姿の整っているフレンが迎えに来てくれるという事実は、いろいろと都合がいいのだとか。

「じゃあ、お前ら二人の晩飯はそのあとってことな」

 兄と妹の会話を聞きながらユーリがそう言えば、「そうだね、よろしく」とフレンが笑みを浮かべた。
 学校という場所は面白いもので、通う生徒の年齢が上がるごとに始業時間が遅くなる。まず始めに中学生組二人が家を出、追いかけるように高校生二人が出る。いつもはもう少しゆっくりしているが、寄りたいところがあるから、とジュディスがその後に続き、軽く片づけをした後で大学に通う双子の兄弟が戸締りをして家を出た。残された長兄は既に夢の中だ。おそらく今日の夕方までは爆睡するだろう。

「フレン、フレン! チャリンコ、乗っけてってくれ」
「ユーリ、自分のはどうしたの」
「壊れた」
「……壊した、じゃなくて?」
「ちげーよ、鍵が錆びてて外れなくてちょっと蹴ったら動かなくなっただけ。帰りは歩いて帰るからさ」

 兄が乗る自転車の後ろへひょいと乗り、「遅刻するぞー」とその肩を叩く。

「何か僕、損してる気分」

 エンジン代わりに使われていることに気づいたらしいフレンがぼそり、そう呟いたが、都合のいい耳を持っている双子の弟は綺麗にそれを無視しておいた。





 カチャリ、と玄関の扉が開く音と、「ただいま」という声を耳にし、ユーリの意識が浮上する。どうやら二人の帰宅を待つうちにソファで眠ってしまったらしい。時計を見やれば午後十一時。下の兄弟たちは夢の中か自室で勉学に励んでいるかのどちらかで、居間にはユーリ一人が残っていた。つけっぱなしだったテレビから流れるニュースを聞きながら、ふわ、と大きく欠伸をする。両腕を伸ばして軽く肩を回し、手にしたままだった雑誌をひょい、とテーブルの上に投げ置いた。

「ただいま、ユーリ」
「ただいま」
「おう、お帰り。お疲れさん」

 挨拶だけして二階へあがっていったジュディスは部屋着にでも着替えてくるのだろう。どうせすぐ風呂に入るのだからそのままでもいいのに、とユーリは思うが、家で食事をするときはリラックスできる服装でいたいのだ、と妹は言っていた。

「腹、減ってる?」
「ものすごく」

 食卓へ温め直した夕飯を並べながら尋ねれば、フレンからそんな言葉が返ってくる。学校の後にそのままバイトへ向かうため、夕方軽く食事を取るとはいえ、それだけでは足りないのだろう。逆にジュディスの方はこの時間にしっかり食べると太るから、と量を減らすように頼まれている。本当は食べたくない、という彼女へ栄養面を考えて食べるように強制しているのはユーリだ。

「ほら、出来たぞ。さくっと食っちまえ。その間風呂、焚きなおしとくから」

 ことん、と白米を盛った茶碗を置き二人へそう声をかける。ボタン一つで追い炊きできる機能はあるが、ここのところあまり調子がよくない。サボり気味な機械の様子を見るため、ユーリは風呂場へと足を向けた。

「やっぱ買い替えどきか……?」

 設定温度よりもかなり高めになっていた風呂に驚き、慌てて水を継ぎ足して調節しながらそうぼやく。家は大体二十年ほど住めばあちらこちらにガタが出てくる、という話で、そろそろこの家もそういう時期なのだろう。

「つっても元手がねぇことにはなぁ……」

 両親が残した遺産があるとはいえ、レイヴン以外はまだ皆学生だ。かろうじてフレン、ユーリの双子は成人しているが、ジュディス以下は未成年ですらある。彼らのこれからのことを考えればできるだけ貯蓄はするべきだし、無駄な出費は抑えたいところだ。
 レイヴンがかなり頑張って稼いでくれていることは分かるが、さすがに八人も家族があればその生活費だけでそれらは消え失せ、いまのところ貯金などさしてできていない。

「よくねぇよな、そりゃ……」

 がしがしと頭を掻きながら呟きリビングダイニングへ戻ると、兄と妹が静かに夜食を食べているところだった。二人ともが基本的に穏やかな話し方をするため、彼らだけだとあまり賑やかな食卓にはならない。それでも時々思い出したかのようにぽつぽつと会話をする。そんな二人の言葉に耳を傾けつつ、テーブルの上へ目を向けたところで、先ほど自分が読んでいた雑誌がなくなっていることに気が付いた。

「あれ?」

 首を傾げれば、「お探しのものはこれかしら」とジュディスの声。振り返れば、何故だかダイニングテーブルの上にその雑誌はあった。

「ユーリ、ちょっとそこ、座って」

 静かな口調で双子の兄に椅子を指さされ、ユーリは大きくため息をつく。こうなりそうなことが分かっていたのに、どうしてその雑誌を机の上に放置したままだったのか。おそらく覚醒直後でまだ半分頭が眠っていたのだろう、と推測する。
 かたん、と椅子を引いてしぶしぶ座れば、兄と妹の視線がユーリに突き刺さった。
 用意した夕食の間にぽん、と置かれた雑誌、それは安価で手に入る求人雑誌だ。

「やっぱさ、ジュディまで家に金に入れてんのに、兄貴のオレが何もしねぇってのもあれかな、と思ってさ」

 そう彼らがバイトに励んでいる理由は、家計を助けるためだ。もちろん学業を疎かにしない限りで、とバイトを許して貰っているため稼げる額はごくわずか。しかしそれでも、無いよりはあったほうがいいのが金というもの。

「あ、別にバイト始めても家のことは今まで通りやるから心配しなくていいぞ」

 食事の支度から掃除に洗濯といった家事は全てユーリが行っている。もともとそういったことが嫌いではなかったことと、バイトをしていないため時間が他の兄弟よりあるというのがその理由。しかし働くことになったからと言ってそれらを急に放り投げるのは何かが違うだろう、と思いそう付け加えれば、ジュディスとフレンは顔を見合せて大きくため息をついた。

「…………なんだよ、二人して……」
「いえ、あなたって本当に……」
「どうしようもなく馬鹿だよね……」

 しみじみとそう言われ、カチンときて眉間にしわを寄せる。なんだよ、と言い返そうとしたところで、「ユーリは、」と双子の兄に正面から見つめられた。

「家にこもってるより、外でバイトをしたかったりする?」

 授業が終わると買い物をしてそのまま帰宅。弟妹たちが帰ってくる前に掃除をして食事の準備。朝は時間がないため、夜皆が入浴を終えた後にせっせと洗濯機を回している。そんな生活を続けてもう何年になるだろうか。

「別に家にこもりきりってわけじゃねぇし……」

 確かに誰かと遊ぶということはあまりないが、もともと人づきあいが苦手で、弟妹の面倒をみるからというのは断る良い口実になっていたりもする。近所に住む人たちとは割合仲の良い方だし、生活費を切り詰めるため隣町のスーパーまで自転車で出かけてみたり、と行動範囲も狭いわけではない。だから外に出たい、という気持ちがあってのことではないのだ。

「あのね、ユーリ。僕もジュディスも、ユーリが外でバイトしたいっていうなら止める気は全然ないんだよ」
「へ? そうなのか?」

 家事をするものがいなくなるから、と渋られるかもしれないと思っていたのだが、フレンはあっさりとそんなことを言った。

「ただその場合は、今あなたがしていることをみんなで分担しましょうね、ってそういう話をしていたの」
「や、でも……」
「ユーリが一人で全部やらなきゃならない決まりはどこにもないだろう?」

 フレンに言われ、そうだけど、とユーリは口ごもる。それでも自分が外に出ることによって、そのしわ寄せが家族に行くというのはなんとなく耐えられない。

「本当にユーリが外でバイトをしたいなら僕たちは止めない」
「でも、そうじゃないなら無理はしてほしくないわ」

 生活費を稼ぐため、兄と妹が頑張っているから自分も、と思っただけのことで、何が何でもバイトをしたい、外に働きに出たい、と思っているわけではない。

「なんとなくバイトした方がいいのかなーとか思っただけなんだけどな」

 もし仮にユーリが外へ出るようになれば、兄弟たちは言葉通り、今までユーリが行っていた家事を分担してやってくれるようになるだろう。まだ中学生、高校生である弟妹たちがお手伝い程度に家事をする分には構わないが、彼らへ全てを任せてしまうのは年長者として頂けないと思う。そうしなくても良い状況が作れるのであれば、そちらを選択する方が彼らのためなのかもしれない。
 そんなことを考えていたところで、「そもそもおっさんはねー」と突然割って入ってきた声に三人はびくり、と身を竦ませた。

「ッ、れ、レイヴン、かよ……」
「もう、驚かさないで」
「今までずっと寝てたの?」

 廊下へ続く扉を僅かに開き、その隙間からぬ、と顔を出したのは年の離れた長兄。夕方に辛うじて起床した彼は、簡単な夕食を食べた後またこんこんと眠り続けていたのだ。
 何か摘むか、というユーリの問いに、お茶だけ欲しい、と答えた長兄は、弟妹が囲む食卓の椅子へと腰掛ける。

「そもそも、俺はね、君たちが家にお金を入れるのも社会人になってからでいいと思ってるの」

 レイヴンはバイトをすること自体は反対しない。本業を疎かにしない程度で自由にさせてくれる。自身が使う小遣い稼ぎにもなるし、社会勉強にもなるでしょ、というのが長兄の考えらしい。だからフレンやジュディスがバイトを始めたときには何も言わなかったが、その賃金を家に入れたいと言い出した時にはさすがに眉をひそめていた。

「うちにはチビたちがいっぱいいるから、そりゃお金はあった方がいいわよ。ちゃんと貯金だってしといてやりたいしね。君たちが何かしたいってのも分かるしありがたいし助かるから、大丈夫な範囲で貰いはするけどね、でも、無理をしてまで頑張って欲しくないわけ」

 分かる? と三人の弟妹の顔を順番に見回した。

「出来ることだけでいいのよ、今のうちは。本当にまずくなりそうなときは、また皆で相談すればいいでしょ。こんだけ人数いるんだし。とりあえず今のところはなんとかなってるし、これからもなんとかなる予定。俺個人的には、チビたちにはちゃんとしたお家を用意してあげたいから、ユーリちゃんがバイトに出るのは反対。以上!」

 きっぱりとそう言いきったレイヴンを見やり、「ちゃんとしたお家ってなんだよ」とユーリが溜息をつく。しかし向かいに座った片割れは「あ、僕、少し分かるかも」と長兄の言葉に賛同を示した。

「帰ったら誰かがお帰りって言ってくれるような家の方がやっぱりいいよね」
「昔はお母さんがいてくれたから良かったけど……」

 上の兄弟たちは両親が生きていたときの記憶が、共に過ごしていた記憶がしっかりと残っている。しかし下になるにつれそれはあやふやになり、末っ子のカロルなどはもはやおぼろげにしか覚えていないかもしれない。

「ユーリ一人にその役を押し付けるつもりはないんだけどね」
「一番の適役だと思うわ」
「そうそう。おっさんとフレンちゃんとジュディスちゃんで稼いでくるから、ユーリちゃんにはお家を守っててもらいたいの」

 もちろんユーリにだって自分の学校があるため、ずっと家にいるというわけにはいかない。それでも母親的な役目をこなすには性格と能力を見た場合、一番適しているのだ、と三人は言っているようである。
 ふぅ、と息を吐き出し、ユーリは苦笑を浮かべて肩を竦めた。

「降参。バイトはしねぇよ。ほんと、すげぇやりたいわけじゃねーし。今まで通り家で飯作ってても大丈夫ってんなら、そっちんが気が楽」
「ユーリちゃんも一緒におっさんが養ってあげるから大丈夫」
「そりゃありがてぇけど、チビどもの母親にはなってもおっさんの嫁さんにゃあならねぇから、そっちは自分で見つけろよ」
「わー、ぐっさりくる言葉だねぇ……。見つけられるもんなら見つけてるわよぅ」
「振られちゃったわね。ユーリなら良いお嫁さんになれると思うのに」
「勘弁してくれ、ジュディ」
「あ、じゃあ僕が貰う、っていうのは?」
「お前は黙ってろ」




ブラウザバックでお戻りください。
2010.07.26
















ヤマもオチもイミもないですが。
わいわいやってる、普通の日常。
リクエスト、ありがとうございました。