あの男は下町ではかなり浮く容姿をしていた。きらきらと光る金の髪に真っ青な目。小さなころはお人形のようだともてはやされ、成長してからは王子様のようだともてはやされ、いずれにしろ顔が綺麗だという点で彼は酷く人の目を引く存在だった。

「ったく、王様がオレに何の用だっつの」

 内密にユーリにだけ話があるから、と先日即位したばかりの皇帝ヨーデルより、ダングレストに文が届いたのは半月ほど前のこと。双方の都合を鑑みた結果ようやく今日、僅かばかり顔を合わせる手はずを整えたが、やはり一国を治めるものとなるとなかなか身体が空かないらしい。しばらく待っていて欲しい、と通された一室。そもそもが城などという堅苦しい場所は苦手で、たとえ正面から招かれていたとしても居心地の悪さしか覚えない。
 さっさと用を済ませて退散するに限る、もし時間があるなら一時だけでも半身の顔が見れたらそれで良しとしよう。
 考えながらお茶へ手を伸ばし、遠慮なくお茶うけの菓子を頬張っていたがしばらく待っても皇帝が姿を見せる様子はない。むしろ出直した方がいいのかもしれない、そんなことを思いながら、テーブルの上に置いてあった書物を何気なく手に取った。
 調度品として置いてあるものなのか、あるいは誰かの忘れ物か、わざわざ用意したものなのか。ぱらぱらとめくり、どうやら何のことはない小説の類だと気付いた。くたびれた背表紙やページ、めくったときの若干の黴臭さからずいぶん古い物、そしてここ最近まで誰も手に取っていなかっただろうことが窺い知れる。
 本を読むのは苦手だが、多少の時間潰しにはなるか、とぱらぱらとめくっていたところで、不意にあるページで手が止まった。手を止められた、といった方が正しいかもしれない。ページの間に挟まっていたのは、端の擦り切れた、色あせた一枚の写真。

「これ、は……」

 映り込んだ人物を目にし、ユーリは思わず小さく呟いた。
 お待たせしてしまってすみません、とようやく姿を現したヨーデルは、本の間から抜き取られ、テーブルの上に置かれた写真を目にし、眉を寄せてユーリを見やった。

「ご覧になったのですね」
「オレを呼んだ理由だろ、それ」

 ユーリの言葉に頷いたヨーデルは「相変わらず話が早くて助かります」と、向かいのソファに腰掛ける。手を伸ばして彼が手に取った写真。

「始め見たときは私もびっくりしました」
 そこまでそっくりなんです、おそらくはフレンのお父上だとは思うのですが。

 明らかに今の時代とは思えぬその写真に、二人がよく知る人物が映りこんでいる。金の髪に青い目、柔らかく微笑みを浮かべているものの己の意思を曲げなさそうな瞳などそっくりどころか、瓜二つ。これを見て、写真の人物とフレンの間に血の関係がない、と思う人間はいないだろう。

「…………でもこの男、明らかにあれじゃね?」
 王族、だろ、これ。

 着ている服装から、映っている他の人たち、その背景。諸々を鑑みたところ、どう見てもこの人物は王家の人間、なのだ。

「そもそもこの写真を見つけたのは、私の書斎なんです」

 ヨーデル個人が使っている書斎にある本は、大概がもともと城にあったものからなっている。城の本など手にする人間は限られ、それこそ王家に関係のあるものしか見る機会はないだろう。
 もし仮に。
 この写真の男が王族であったのなら。
 そして、彼とフレンの間に血の繋がりがあったとすれば。

「まあおかしいとは思ってたんだよな」

 これだけの大きな国、いくら先帝に嫡子がいなかったとはいえ、後継者候補として甥のヨーデル、遠縁のエステリーゼしかいないのは少なすぎるだろう、と。

「…………で、もしこれが事実であるなら、あんたはどうしたいんだ?」

 一国を治める者として顔に似合わず強かな面も見せるようになったヨーデルだが、根は真面目で人に対して誠実であろうとする。

「王位継承者が私とエステリーゼしかおらず、彼女が引いてくれたため今の地位についてます。もしもう一人、後継として王家のものがいるのなら」

 目を伏せたヨーデルは、ユーリの予想通りの言葉を口にした。





***  ***





 本人に伝える前に、何らかの手段で確認ができないだろうか。
 そしてもしできるのならば。

「……オレから伝えてくれって、なぁ……」
 そりゃあ、いくらなんでも押し付けすぎだろ。

 そうぼやきながら預かった写真へと目を落とし、ユーリは大きくため息をついた。
 正直なところ、フレンの両親のことはあまり詳しくない。そもそも自分の両親の記憶さえないのだ、況や他人の家庭事情をや。確か彼の母親とは僅かばかり対面したことはあるが、覚えている限りではもともと父親の姿はなかったはずだ。

「知ってるとすりゃハンクスじいさんか」

 久しぶりに戻ってきた下町で世話役である老人を探し出し、少し聞きたいことがあるんだけど、と誘った。食堂のカウンタで並んで食事を取りながら話を向けてみると、「なぜ今さらそんなことを」と眉を顰められる。
 その際に見えた僅かな動揺。
 ああ、これはきっと彼は何かを知っている。
 そうあたりをつけ、預かり物の写真をカウンタの上にす、と差し出した。
 小さな紙切れに視線を向けたハンクスは、目を見開いて驚きを表した後、それを手にすることもなくユーリの方へと押し戻す。顔を一撫でして大きくため息をついた後、「何もかもすべて捨ててきた、と言うておったがな」と一言。口ぶりからして、ハンクスはフレンの父親とも面識があることが伺える。
 どうして王家の人間が城を出たのか、その妻と息子が下町で暮らすようになったのか、そもそもこの男自体今はどうしているのか。
 疑問はきりなく湧いて出てくるが、詳しい話を聞くつもりはない。ただ事実を確認したいだけだ。

「これはヨーデルが見つけたもんで、この写真の男は王族だという話」

 こいつはフレンの親父、ってことでいいんだな。

 返って来ない言葉がつまり肯定を示す、ということだろう。





***   ***





  「…………僕が、王族?」

 それは何の冗談だ、と眉を顰めるフレンへ端的な説明と共に差し出した写真。
 さすがにここまで容姿の似ているものを無関係だ、と言い切ることもできないのだろう。ハンクスも写真の人物を知っているみたいだった、と付け加えれば、フレンはますます口を閉ざしてしまった。
 ザーフィアス城内にある騎士団長代理の私室に、張り詰めた空気が満ちる。
 予想していなかった、予想できるはずもなかった事実。二人とも言葉が出ない。執務机の椅子に腰かけ、書類の束を持ったまま写真を見つめるフレン、そんな半身をベッドに腰掛けて見やるユーリ。
 王子様のようだ、と評されることは多かった男だが。

「まさかほんとに王子サマだったとはな」

 呟いて、ユーリはぼふり、とベッドへと身を投げ出した。組んだ腕を枕にして天井を見上げ、「お前がなぁ」と口にする。
 そういえばヨーデルもまた金の髪に青に近い瞳だったはずだ。エステルの目の色も青。直系の子孫でなくとも、フレンが王家に即する家の出の者だというのは間違いないのだろう。
 ふぅ、と息を吐き出し左手を伸ばす。指の間から見える白い天井に目を細め、「なんだかなぁ」とユーリは呟いた。
 幼いころはそれこそ同じ場所に立っていた。そうあり続けることを望み、共に門を叩いて入団した騎士の道。先に根を上げたのはユーリの方で、その時点で彼と同じ場所に立つことは諦めた。それでも何とかして側にあれたら、と。近いところまで行くことができたら、と己なりに進んできたつもりだった。

「でもさすがに、血筋はどうしようもできねぇわ」

 努力して手に入るものならばいくらでも努力しよう。それがフレンの隣に立つ者として必要ならば、血反吐を吐くくらいなんてことはない。しかし、生まれや家族はユーリ一人でどうにかなる問題ではなく、結局は始めから違っていたのだ、というどうしようもない現実をつきつけられるだけ。

「お前がどんどん遠くになってくなぁ……」

 ぽそり、零れた弱気な本音。らしくもない、と自嘲の笑みを浮かべる気力さえない。
 再びため息をついたところで、ばさり、と。

「ぅ、わっ、」

 投げつけられた書類の束。たかが紙切れとはいえ、数十枚はあっただろうそれを思い切り顔面へ向かって投げられ、悲鳴を上げて目を閉じる。顔や首筋、肩を覆うように落ちたそれらを払いのけ、「なにすんだ、てめぇっ!」と跳ね起きた。
 しかしいつの間に歩み寄ってきていたフレンに胸倉を掴まれ、すぐにベッドへと押し戻される。

「君が……ッ」

 倒れたユーリに乗り上げるように身を屈め、腹の底から絞り出したかのような声でフレンは言う。

「君が、それを、言うのか……っ」
「ッ、ふ、れん?」

 襟を強く引かれ、苦痛の呻きを漏らすがフレンは手を離そうとはしない。眉を寄せてうっすらと開いた瞼の向こう側に、「君だけは」と泣きそうなほど歪んだ顔が見えた。

「ユーリだけは、絶対に、それを言っちゃいけないんだ」

 服に皴をよせてきつく握りしめられた拳。震えるそれに手を添えれば、フレンは益々眉を寄せて唇を噛んだ。きつく睨んでくる瞳に、言いかけた言葉を飲み込んでしまう。

「僕はここから一歩も動いてない」

 もし仮に距離を感じると言うのなら、そこに何らかの隔たりを覚えると言うのなら、それはフレンの意図したものではなく、ユーリが勝手に作りだしたものなのだ、と。あるはずのないものを取り除くことはフレンにはできず、結局その幻影を追い払うのは作りだしたユーリにしかできないこと。

「君は、ユーリは、一番僕の、近くにいるんだ」

 たとえフレンの肩書から代理の文字が消え、騎士団のトップに立つ日が来たとしても。王家に連なるものとしてヨーデルに代わり、皇帝の座を得る日が来たとしても。あるいは、その権力に目が眩み道を過つ日が来たとしても。

「ユーリは、僕が何をどうしててもただ、『近くにいる』と言い続けていればいいんだ」
 それ以外は許さない。

 その言葉はひどく傲慢で横暴なもの。しかしユーリは怒りを見せることも呆れを見せることもなく、自分を見下ろす男の顔へ腕を伸ばしそっとその頬へ指を滑らせた。

「……なんでお前が、泣くんだよ」

 泣きたいのはこちらのほうだ、とそう言えば、だってユーリが、と子供のようなことを言ってフレンはゆるゆると首を横に振った。

「ユーリが、遠い、とか、言う、から……っ」

 彼が騎士団を退いた時、行く道の違いは仕方がないと諦め覚悟もした。その分生まれる距離感は自分たちの関係にとっては取るに足らないものだ、とそう判断し、思いこもうとした。実際に立場は違えど、もっとも近くにいる存在はこの闇を好む半身だ、と胸を張って言えていた。
 自らが、そしてユーリが望む道のため、得た力から生まれる距離は仕方がない。もし今の皇帝がどうしようもない人物ならば、これ幸いと生まれを利用したかもしれない、そういう手段もあるな、と考えなかったわけではない。
 しかし。

「ユーリ、僕はここから動いてない」

 もう一度同じ言葉を口にし、閉じられた目から透明の滴がぱたり、と落ちた。

 僕を一人にしないで。

 孤独であることは選んだ手段が故仕方がない。しかしたとえ独りであったとしても、決して一人ではないのだ、と。
 震えた声での哀願を聞きながら、溢れる涙を拭い、その頬へ手を添えた。名を呼べば、とじられていた瞼が開き、真っ青な目がユーリを射る。

「お前は、変わらない」

 疑問として尋ねるわけでもなく、ただ静かに事実を確認するかのように紡がれる言葉。ゆっくりと身体を起こし、ユーリは再びフレンの頬へと手のひらを当てた。

「どこにも、行かない、オレから、離れない」

 ぽつぽつと呟きながら半身の顔を撫で顎に触れ首筋を撫でた後、そのまま腕を伸ばしてフレンを抱き締める。甘えるように一度すり、と肩へ額を擦り寄せ、顔を上げたユーリは良かった、とやはり平坦な口調のまま言葉を零した。
 しかし顔を上げたフレンの目には、ふうわり、と口元を緩めるユーリが映る。
 それは、心底安堵しているのが分かる、菫の蕾が綻びたかのような、ひどく穏やかな微笑みだった。




ブラウザバックでお戻りください。
2010.10.13
















だから、何故お前が泣く。

たすく様、お名前なしでリク下さった方、
リクエストありがとうございました!