好きになる


 役人である父は仕事人間で、家庭のことはほとんど顧みない人だった。遊んで貰った記憶もなく、とっつきにくいというイメージしかない。そんな父に突然連れ出されたのは確か、十五か六か、それくらいの年の頃だっただろう。
 少し良い服を着せられどこへ案内されるかと思えばなんのことはない、領主の館、つまりは父の仕事場だった。詳しく聞けば、どうやらラズリルの領主フィンガーフート卿が幼い息子を連れて訪れているため小さなパーティーが開かれるらしい。子守りの人間くらい雇えるだろうに、どうして自分が連れてこられたのか。話の流れで息子がいることでも口にしたか何かだろう、と若干冷めた思考で推測しつつ、「失礼のないように」という注意に大人しく頷いておいた。心配ならば連れて来なければいいのに、と思う。
 そうして紹介された七つか八つの金髪の子供。一人息子だと聞いていたためなんとなく想像できていたが。

「初めまして、シグルドと申します、スノウさま」

 精一杯愛想よく挨拶してみるも、少年の意識はテーブルに並んだ御馳走の方に向かっているらしく、早速「あれが食べたい」とねだられる始末。

「あの赤いのっ! シグルド、あれも食べてみたいぞ!」
「そんなにたくさんに食べられないでしょう? 一つずつ取ってきますから、少し大人しく、」
「あ、あっちにアイスがある! サイハ、行くぞ!」

 そう言って世話係だという少年の手を引いて、奥のテーブルへと走って行ってしまった。スノウよりも年下であろう小柄な少年はシグルドの方へ視線を向けながらも、引きずられるがまま主へとついて走る。

「……人の話を聞けよ」

 思わず小声でぼそりと本音を漏らせば、背後でくすくすと笑い声が聞こえた。驚いて振り返れば、目にも鮮やかな衣装を纏った二十代くらいの男の姿。

「ラインバッハさま」

 いくらまだ十六の子供とはいえ、自身が住まう領地を治める主の息子くらい判別がつく。その上彼は非常に独特なファッションセンスをしており、くるくるでびかびかでばらばらしてたらラインバッハさまだ、と幼い子供たちの間では噂になっていた。

(確かに、頭はくるくるだし、服はびかびかだし、バラ持ってるし)

 なるほど、皆上手いこと言うものだ、と一人で感心していたところで、「子守りも大変ですね」と彼は言う。

「誰か手伝いでも呼びましょうか?」

 派手な見た目に反して常識的な救いの手を差し伸べられ、シグルドは少し驚いて目の前の男を見上げる。父親が役人だというだけで、シグルド自身は至って普通の子供だ。当然領主やその息子と知り合いであるわけでもなく、会話を交わしたのは今日が初めて。この人は見た目で損をするタイプではないだろうか、と彼に対し失礼なことを考えながら、「ありがとうございます」と頭を下げておいた。

「でも、父から頼まれましたから」

 小さな子供とはいえもう言葉も通じ、善悪の区別もつく年齢のはずだ。話して聞かせれば大丈夫だろう、と言えば、「でしたら、」と男は手にしていたバラである方向を指す。

「早く行った方が良いかもしれませんよ」

 小さな王子様が大暴れです、と示された方へ視線を向け、大きくため息。視線の先にはテーブルの中央に並べてあるグラス(それはおそらくアルコールの入ったグラスだ)を取ろうと、懸命に手を伸ばしている少年の姿。テーブル自体少し高めのものが揃えられており、背の低い子供たちだと中央まで届かないらしい。癇癪を起したスノウが「サイハ、踏み台になれ!」と叫んだ声を聞きつけ、シグルドはようやく我に返って「やめてください」と二人の少年へ走り寄った。

「それ、お酒なんでスノウさまたちは飲んだらいけません。こっちにしておいてください」

 ノンアルコールの入ったグラスを渡すが、一口飲んで眉を顰めた我儘王子は「おいしくない」と隣の少年へとそれを押し付けた。命じられた通り膝を床について踏み台になろうとしていた子供は、立ち上がって慌ててそれを受け取る。あまりの我儘具合にさすがに呆れを覚えたところで、「スノウ、こっちにおいで」とラズリル領主が息子を呼んだ。
 自慢の我が子として紹介をしているのだろう、その間は先ほどまでのヤンチャ小僧もおとなしく澄ました顔をしているのだから憎たらしいものだ。彼も子供なりに状況や空気を読んでいるらしい。
 僅かばかり生まれた休息の時間に再び大きくため息をつき、ふと側にいる世話係の少年へと目をやった。確かサイハ、と呼ばれていた。スノウの言葉に素直に従っている健気な少年。押しつけられたグラスへ口を付け、大人しくその中身を消費しようと喉を動かしている。彼の側のテーブルには、主が一口食べては要らない、と押し付けてきた料理の乗った皿が数枚置いてあった。

「あなたは、何か自分で食べたいものはないんですか?」

 折角の立食パーティーだというのに、少年は何一つ自分で食べ物を選べていない。何となく気の毒に思い、そう尋ねてみた。同時に驚いたようにこちらを見上げてきた少年と目が合う。
 何かおかしなことでも言っただろうか。驚かれたことに驚きながらも、少年の返答を待てば、顔を反らせた子供は床へ目を向けながら、「ぼく、は」と小さく唇を動かした。

「あの、ぼく……」

 きゅう、とグラスを握ってシグルドを見上げ、また視線を反らせて床を見つめる。もともとあまり話すのが得意ではない性格なのかもしれない、そう思いながら根気強く待てば、少年が口にしたことはシグルドの問いかけに対する答えではなかった。

「ぼく、使用人、だから、あの、丁寧な、言葉とかいらない、です」

 スノウと同じように話しかける必要はない、そして気遣う必要もないのだ、と。
 使用人としては当然の発言だが、それを口にするには彼はまだ幼すぎるとも思う。
 眉を寄せたまま視線を前へ戻せば、スノウはまだ父親に捕まっておりこちらに戻ってくる様子はなかった。

「じゃあ普通に話しかけたらいいんだね」

 何が食べたい? と尋ねながら少年の前にしゃがみこみ、先ほど膝をついたせいで汚れていた足を軽く叩いて砂を落とす。見上げて笑みを浮かべれば、大きな目を見開いた少年は、驚愕しながらもありがとう、と礼を言うのを忘れなかった。

「折角御馳走がいっぱいあるんだし、食べなきゃ損だよ。ほら、お肉とか、魚とか、果物もあるし、ケーキとか甘いものもあるよ」

 普段のシグルドはさほど子供が得意なほうではない。しかし、ここまで従順に主に従う年端も行かぬ彼の姿を見れば、どうしても手を差し伸べたくなってしまうのだ。取って来てあげるから、と促して、根気よく待った結果ようやく少年が指さした食べ物。





***  ***





 昔から、とシグルドは向かい合って座った軍主を見やってふわり、と笑みを浮かべて言った。

「サイハさまはまんじゅうが好きだったんですね」

 キカに従うと決めたときから、過去は全て捨てたつもりだった。父と同じ道を選んだが、全てを裏切って今船に乗っている。しかし差し向けられた暗殺者と相対することになり、不意に思い出した十年ほど前の出来事。たった一晩の出来事で、記憶の奥底に埋もれていたもの。
 口下手で大人しい少年が食べたい、と指さしたそれは、ふっくらとした皮に餡のつまった白いまんじゅうだった。自分の分と二つほど取って戻り少年に渡せば、小さな両手でまんじゅうを掴み、かぷ、と齧りつく。もふもふと咀嚼した後シグルドを見上げてきた少年は、美味しい、とそれこそ年相応な子供の顔をしてにっこりと笑ってくれた。その笑顔が酷く印象的だった。
 たぶんサイハさまは忘れてらっしゃると思いますけど、とそんな思い出話をつらつらと語れば、口を付けた湯呑からずず、とお茶を啜った軍主が、「それは違う、かな」と首を傾げた。

「違う、っていうか、逆?」

 親もおらず家もなかったサイハが生きながらえたのは、拾い育ててくれたフィンガーフート家のお陰だ。恩人の家の息子と自分が同列であると考えたことなど一度もないし、昔からスノウに従うのが普通だと思っていた。そして周囲のものも、サイハにそうあるように求めていたようだった。
 だからあのとき、背の高い優しそうな顔をしたひとが一体誰に向かって話しかけているか、一瞬分からなかった。それが自分であることに気付き、驚き、酷く申し訳なくなって。たどたどしく自分のことは気にしないでもらいたい、と伝えたのに、それでも彼はサイハへ笑みを向けてくれた。
 手渡されたまんじゅうはとても大きくて、一口では餡まで届かなかったのに、いつもは味気ないと感じる皮でさえひどく甘く感じたのだ。

「だから、おれ、まんじゅうが好きになったんだよ」

 言いながら手にした白いまんしゅうへかぷり、と齧りつく。むぐむぐと口を動かしてそれを飲みこんだ後。

「美味しい」

 そう笑った顔は、十年前シグルドが見た笑顔、そのままだった。




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2010.10.10
















子守りを押し付けられたシグルド、というリクエストでございました。
三世ってのはラインバッハ三世のことでよかったですかね。
三世の口調を調べるためプレイ動画を見て、
4がプレイしたくなりました。

リクエスト、ありがとうございました!