持ちうるすべての手段をあなたへ それは、双子の妹(彼女自身は双子の姉だと言って譲らない)の忘れ物を届けに行ったときのことだった。習い事など今どき流行らないと思うのだが、妹は昔から音楽が好きで、どうしても、と親にねだりずっとピアノを習っている。中学に上がってもそれは続いており、部活(何故か陸上部に入っているのが解せない)の合間を縫ってはせっせと通っていた。そんな彼女から教本を一冊家に忘れた、と携帯に電話が入ったのが二十分前のこと。 「なんで俺が」 『いーでしょ、どうせあんた暇なんだし! ね、お願い! それ、どうしても必要なの。ジュースおごるから!』 百二十円でパシらせようとする彼女に多少苛立ちを覚えながらも、結局は頼み事を断れない。しぶしぶと携帯を閉じてその本を手に家を出る。彼女がピアノを習っている教室は家からさほど離れておらず、自転車を出すのも面倒で歩いていくことにした。 シャカシャカとヘッドホンから流れるポップスを聞きながら道を行き、たどりついたその先に妹の姿はない。頼みごとをしたのなら、せめて教室の外で待っておくなりしろよ、と思いながら携帯を取り出しコールしようとしたところで、「あれ?」と柔らかな声が降ってきた。見上げれば、建物の外壁に沿うように取り付けられた階段を下りてくる一人の男の姿。 真っ青な髪の毛に同じ色の瞳、鮮やかであるはずなのに、吸い込まれそうな透明さを持ったその色に目を奪われ、しばし言葉を失った。コツコツ、と足音をさせて降りてきた彼は、「もしかして君、レンくん?」と首を傾げる。 「あ、え、っと、そ、そうです、けど」 意味を捉えるのが遅れ、しどろもどろに答えた。あまりにも挙動不審な自分自身に、目の前の人物に変に思われたらどうしよう、と不安を覚え、さらに動揺してしまっているのだから始末に負えない。しかし青い髪の男はレンの様子などまったく気にした様子はなく、「やっぱり」と嬉しそうな笑みを浮かべた。 「双子って聞いてたからそうじゃないかなって思って。待っててね、今リンちゃん呼んでくるから」 たった今自分が下りてきた階段を駆け上り、二階のドアを開いて彼は「リンちゃん!」と妹の名を呼んだ。 「弟さん、来てるよ」 「わ! ありがと、カイトさん! レン、ごめん!」 ぱたぱたと駆け下りてきたリンへ、ほら、と持ってきた教本を手渡す。 「あんたね、せめて何かに入れてくるとかはできないの?」 「持ってきてやったのにそういうこと言うか?」 言い返せば分が悪いことが分かっているのだろう、そうだけどぉ、とリンは唇を尖らせた。 「でもほんと、ありがとね、助かった。ほら、これでおいしいものでも食べなさい、おねーちゃんがおごってあげる!」 「百二十円でジュース以外の何を楽しめってんだ」 文句を言いながらもおとなしく受け取った硬貨を手の中で弄びながら、背を向けようとしたところで、再びあの青年が顔を出した。 「リンちゃん、そろそろ始まるよ」 「あ、はぁい、今行きます!」 呼びかけるということはピアノの教師か何かかと思ったが、彼はリンと入れ違いに階段を下りてきた。教師か生徒か、とりあえずここの教室の関係者だろう。 そう思っていれば、「レンくんは音楽、興味ないの?」と尋ねられた。 「……嫌いじゃないけど」 だからといって、リンのように入れ込むほどでもない。答えれば、「楽しいよ」と返ってきた。心の底から楽しんでいることが分かるような笑顔に、どくり、と心臓が大きく跳ねた。そして一度動きを止めたかのように静かになったあと、とくとくとくとく、と鼓動が徐々に早くなっていく。 「っ、カイト、さん、は……」 確か、そんな名前、だったはずだ。リンがそう呼んでいた。恐る恐る口にすれば「ん?」と首を傾げられる。レンよりも背が高く、おそらく五つくらいは年上であろうに、どうしてこんなにも無防備な表情を浮かべることができるのか。 「何か楽器、やってるの?」 「おれ? うん、おれもね、リンちゃんと一緒、ピアノ。まだ全然勉強中なんだけどね」 少し恥ずかしげに微笑んで紡がれた言葉。とくとく、と早鐘を打つ心臓は収まりそうもなくて、それでもレンは、表面上だけ平静を保って、にっこりと笑みを浮かべてみせた。 「じゃあ俺も始めようかな、ピアノ」 「え?」 「カイトさんがやってるなら、俺もやってみたい」 レンは自分がまだ子供と呼ばれる年齢であることを十分に理解している。カイトからすれば、教室に来る子供とまったく変わらない存在であるだろう。しかし、子供だからこそ使えるものもあるわけで、できるだけ無邪気な顔をして言ってみた。 「ほんと? やってみようよ! 楽しいよ、自分で弾くのって」 頬をうっすらと赤く上気させ、こくこくと頷くたびに真っ青な髪の毛が揺れる。自分の視線よりも高い位置にあるそれらを見上げて、レンは目を細めた。 「ここに通うようになったらよろしくね」 「うん、おれ、大体下で店番してるから」 この建物は二階が音楽教室に使われており、一階部分は楽譜や少量の楽器を置いた店舗となっている。彼が一体この教室とどんな関係を持っているのかは分からないが、とりあえず来たら会えるということは理解した。それ以外の部分はこれから知っていけばいいだろう。 待ってるよ、と笑うカイトに手を振って別れ、さて、とレンは小さく息を吐きだした。 欲しいものができた。 それは容易に手に入るものではなさそうで、だからといって諦めることもできそうもない。 そうなればなりふり構わず、使えるものすべてを使ってせいぜい足掻いてみせよう。 「……まずは親の説得から、か」 リンと同じピアノ教室に通いたい、ということを彼らにどう認めさせるか。 そこが第一の関門だ。 ブラウザバックでお戻りください。 2010.07.28
人間で、兄弟じゃないレンカイ。 久しぶりにカイト兄さんを書くと心が落ち着きます。 リクエスト、ありがとうございました! |