くるりとあたりを見回すが、やはりここがどこなのかよく分からないまま。ぞわぞわとした恐怖心だけが、足下から這い上がり、じんわりと燐の首に巻き付いてくるようだ。気管が圧迫され、その苦しさにくちを開けてみるも、いまいちうまく呼吸ができなかった。 「どこまで続いてるかもよく分からないね」 どうする、進んでみる? という問いかけに、うん、とどこか上の空のまま答える。 苦しい、息苦しくて仕方がない。雪男はそうではないのだろうか。足場が悪いなぁ、とぼやいている声を聞くかぎり、大丈夫そうに聞こえる。それはそれで安心を覚えるけれど、この息苦しさはなんだというのだろう。ただ燐がそう思い込んでいるだけだろうか、恐怖からそう錯覚しているだけなのだろうか。 いったい何がそんなに怖いというのだろう。暗闇、ではないはずだ。真っ暗闇のなかでも平然と眠ることができるのだ。ひとを襲う悪魔たちとだってこれまで幾度も渡り合ってきた。その悪魔の姿に比べれば、この程度の闇、どうってことがないはずだ。 先が分からないということが怖いのだろうか。出口があるかどうかも分からないという不安定さが怖いのだろうか。 先が分からないだなんて、生きていればみなそうではないか。とくに燐などは、その特異な出生によりほかのひとよりもずっと不安定な立場で生きてきた。弟が同じ悪魔となり、ふたりのちからが徐々に認められつつある今はまだマシになったほうであるが、それでも不安定であることに違いはない。 一つ一つの要素はどれも恐れるに値しないはずだというのに、今現在、燐は言葉にできないほどの恐怖を覚えている。叫び声をあげたり、足が竦んだり気絶したり、と分かりやすく反応ができるような種類の恐怖ではない。知らないうちに背後から、足下から、あるいは頭上から忍び寄ってきているような、得体の知れない恐怖。 どこか分からないような場所、何か分からないようなものがいる気配、この世界は自分たちが属するものではなくおそらく、まったく違うところにあるような、そんな場所。簡単に抜け出すことなどできるはずも、ない。 「けっこう歩いてみたけど、出口っぽいところは見えないね。方向があってるかも分からないし、そもそも出口があるかどうかも不明だからなぁ」 この暗闇から出て行くことができないとするならばどうするか。 ねえ兄さん、と先を歩いていた弟が振り返ると同時に手を伸ばし、雪男の腕を引いた。ぐらり、と傾いた身体を抱きとめ、ぎゅう、と腕にちからをこめる。 「兄さん?」 きょとんとしたような声音にかわいいなぁ、と思いながら、燐はにんまりと歪めた唇を弟のものへと押しつけた。 「んむっ!?」 引き結ばれていたそこに舌を這わせれば、条件反射のように雪男がうっすらとくちを開く。すかさず舌を差し込み、ねっとりと口内を舐った。突然の行動に弟の動揺と困惑が伝わってくる。しばらく唾液を味わってからくちを離せば、雪男はぷは、と息を吐いて呼吸を整えた。 「いきなりどうしたの」 自分の口もとを拭い、ついでに唾液で濡れた燐の唇も親指で拭ってそう尋ねてくる。弟の指の腹にちゅう、と吸いついてから、「ゆきお」と甘ったるくその名を呼んだ。 もういいじゃん、と双子の兄はどこかとろりとした口調で言う。何が、と弟が問う前にじりじりとにじり寄ってきていた燐に押され、とん、と背中が背後の岩壁に触れた。閉じ込めるように兄の腕が伸びてくる。 「出口、分かんないじゃん。ここがどこかも、分かんない。だったらさ、な?」 この暗闇から出て行くことができないとするならばどうするか。 その問いかけに対する答えは一つ。 ここでふたり、ともに過ごせばいいではないか。 「ずっと、俺とイイコトしてよ?」 こくり、と上下する弟の喉に向かい、ふぅ、と息を吹きかける兄。その身体にはいつ、どこから現れたのか、うぞうぞと蠢く触手のような何かがねっとりと絡まりついていた。 おわり
2019.04.01
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