とにかく回りが見えなければ何も判断できない、と考え、手にしていた倶利伽羅を抜いて、炎の角を頭に灯した。ちらりと雪男のほうをうかがえば、少しだけ眩しそうな顔をしつつも何かを言ってくる様子はない。燐の意図を理解してくれているのだろう。
 頭の炎だけでは正直双子の周辺が明るくなるだけで、洞窟の全体像までは分からない。もう少し、たいまつみたいなものにならないだろうか、と考え、青い炎に包まれている刀を掲げてみた。これで先ほどより少しあたりが見えるのではないだろうか。
 そうして再びぐるり、と見回して、ひゅ、と息を呑む。
 突然身体を強ばらせて言葉を失った兄に気がつき、「兄さん?」と雪男がくちを開いた。燐の目はそんな弟のさらに後ろへと向かっている。いったい何を見つけたというのか。兄の視線を追いかけた雪男だったが、彼もまた洞窟内にいた異形に気がつき言葉を失う羽目になった。
 うぞうぞと、触手のような何かが絡まり合い大きな塊になっている。全長はどのくらいだろうか。洞窟の広さが分からないためはっきりとは言い切れないが、少なくとも二人の身長を足してもまだ届かないだろう。それほど大きな、触手団子、その中央には緑色の目玉が一つ。ぎょろりと双子の兄弟を見つめている。
 恐怖というよりもまず強烈に覚える感覚はおぞましさ、であろう。生理的な嫌悪感。より単純に言えばただただ、気持ちが悪い。ぞ、と全身を襲う悪寒に鳥肌を立て、燐はじりり、と右足を引いた。

「逃げるぞ、雪男」

 せめてもう少し冷静に頭を働かせることができるよう、距離を取りたい。あの化け物を刺激しないように小声で呼びかければ、弟は「うん」と返事を寄越す。普段燐に対し素直な態度を取ることが少ない雪男だが、さすがにあの化け物を前にして動揺せずにはいられないらしい。
 示し合わせたように同時に触手玉に背を向け、双子の兄弟はその場から逃げ出した。そこにあるだけで取り立ててこちらに悪意や敵意を持っていなければいいけれど、と思っていたが、途中ちらりと振り返った燐の視界に、ゆっくりと伸びてくる幾本もの触手が入り込み、甘い考えは捨てざるを得なかった。明らかにあの触手は燐たちを狙ってきている。

「ッ、雪男、危ないっ!」

 するり、と素早く這ってきた一本の触手に気がつき、燐は咄嗟に先を行く弟の背中を押し飛ばした。代わりに燐が間へと割って入る。ちから加減がうまくきかなかったが、雪男はころんで怪我などしていないだろうか。どこかをひどく打ち付けたりしていないだろうか。そう心配する燐の右足にぬるり、と触手が絡まりつく。

「離せ、よっ!」

 ざん、と振り下ろした刀で切りつけてみれば、意外にもそれはあっさりと切断できた。しかし喜んだのもつかの間、別の触手がすでに燐の身体に巻き付いており、切り落とすよりも触手の増えるスピードのほうが早かった。

「兄さんッ!」

 幸いにも触手は燐を捕らえることに夢中なようで、先にいる雪男にまでは向かっていない。それならば、ここで踏みとどまる意味があるというものだ。

「雪男、お前は逃げろ! 俺のことは気にすんな、俺はお前が無事ならそれでいいから」

 でも兄さん、と青ざめる弟へ、燐はほおを持ち上げて笑ってみせる。

「俺は悪魔だから、ちょっとやそっとのことじゃ死なねーよ。いいからほら、行けっ!」

 そうしている間にも燐の身体は触手にからみ取られ、すでに身動きができないほどになっている。刀を握っていた腕にも触手が巻き付いており、触手を切り落とすこともできない。それならばすべて燃やしてやろうと炎を強めてみたが、焦げて炭になった触手が落ちるより先に次のものが伸びてくるのだからキリがなかった。
 兄さん、兄さん! と雪男の呼ぶ声が聞こえる。けれどそれも身体に絡みつく触手のせいでうまく聞き取れない。もぞもぞと全身を這い回るそれは、燐の身体を確認しているのか、それとも何らかの意図を持って動いているのか。服を避け、素肌に直接触れてくるそれにおぞましさを感じながらも、きわどい箇所をくすぐる感触に違う欲望も首をもたげてくる。そのことに絶望しながらももはや自分ではどうすることもできず、ただ触手に身体を良いようにされながら、弟の幸せを願うことしか燐にはできなかった。



 ぞくぞくと、腹の奥から這い上がる電流のような波に意識がうまく追いつかない。ぁ、あ、と小さく響いている声は自分のもの、だろうか。膨らんだ何かがバチンと弾け、頭のなかが真っ白に染まってからようやく、まともな視界と思考が戻ってきた。
 ぜぇはぁと荒い息のまま布団をめくれば、そこにはなぜか双子の弟の姿がある。メガネを曇らせたままごくん、とのどを鳴らして何かを嚥下したあと、彼は、「おはよう、兄さん」と挨拶をかましてきた。にっこりと、笑っているがとりあえず、ひとの急所から手を離してもらいたい。

「……お前、何やってんの」
「え? や、朝勃ちしてたから、抜いてあげたんだけど」

 まるで雨が降ってきたから洗濯物を取り込んでおいたよ、とでもいうかのような口調に、はぁあああ、と肺の底から息が零れる。何が悲しくて、双子の弟に朝の生理現象を処理されなければならないのか。しかもこの体勢、雪男の仕草から、手でしたわけではなく、くちで処理されている。弟は容赦なくぬめぬめぬるぬると攻めてくれたのだろう。だから変な夢を見てしまったのだ。
 夢の内容はもう詳しく思い出せないが、とにかく怖くて気持ちの悪いものだった。それらがすべて雪男のせいだったのだ、ということに気がつき、燐はにっこりと笑って握りしめた拳を弟の頭に振り下ろしておいた。


おわり





2019.04.01
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