「…………ここは誰、わたしはどこっ!」

 結局何も思い出すことはできなかった。何か、呼ばれていた気はするのだ。呼んでくれる誰かがいた覚えもある。けれどそれがどうしても思い出せない。自分のことが分からないのだから当然、正面にいる男が誰であるのか、だなんて分かるはずもない。
 綺麗なひとだ、そう思う。整った顔立ち、透き通るような青い目、薄暗い小屋の中にいても輝いて見えるほどの銀の髪。ひどく冷たそうな印象を与える容姿だけれども、真っ赤な騎士のような服を着ている。そしてそれが似合っている。イケメンだからこそ似合う派手さだ。
 そんなイケメン騎士は、しかしこちらに一瞥をくれただけで無言のまま小屋の外へと出て行ってしまった。いや待って待って、と慌てて追いかける。

「スルーしないで、つっこんで、せめて相手して!」

 こちらとて自分が誰なのか分からず混乱はしているのだ。その混乱も含めて的確に現状を伝えることができ、なおかつ場を和ませることのできそうな文句を選んだつもりだったのだが、どうにも彼には伝わらないようだ。

「……誰かも分からないやつを相手にする気はない」

 淡々とした口調でそう言い放った男は、本気でひとりで行動をするらしく、そのまま森へ向かって歩き出す。いやいやいやいや、と額を抑えて首を横に振った。

「じゃああんた、自分の名前覚えてんの? 俺のこと、知らない? つかここどこ?」

 ひらひらと揺れるマントを追いかけて矢継ぎ早に尋ねてみるが、彼の足は止まることなく、また返答もない。答えがないということはつまり、彼もまたこちらと同じような立場にあるのだろうと推測できた。自分が誰だか分からない。相手が誰だか分からない。そしてここがどこなのか、どうして自分たちがここにいるのかも分からない。

「だったらさー、せめてちょこっとでもさー、情報共有とか協力しあったほうが効率よくね?」

 何か目的があるのか、それともただ闇雲に歩いているだけなのか。ざくざくと草を踏みしめてひたすら進む男へそう声をかけてみるも返事はなかった。どうしてこんなにも頑ななのか、いまいちよく分からない。

「これでもしどっちかが野生のゴリラとか目玉が三つあるなめくじモンスターとかだったらさすがにそんなこと言ってらんねーけど、幸いふたりとも人間なんだしさぁ」

 言葉の通じるもの同士であることは確認できているのだ。ひとりで気を張り詰めずとも、せめてもう少しこちらと会話をしてもらいたい。ねえちょっと聞いてる? と相変わらず振り返ることすらしない男の肩へと手を伸ばす。
 同時に勢いよく顔をこちらに向けた男にぱしんっ、と手を払いのけられた。

「あんたが人間である保証なんてない」

 じんじんと振り払われた右手が痺れるような痛みを訴えてきている。確かに、彼のいうとおりといえばそうなのだけれども。あ、はい、そーですね、と小さく呟き、俯いた。ざくざくざく、と男が先に進む足音が響いている。追いかけなければ、ひとりで行かせてはいけない、たとえお互いの素性が分からずとも、ひとりでいるよりふたりでいたほうが安全決まっている。そう思うのに、二本の足はまるで楔でも打ち込まれたかのように地面に張り付き、その場から一歩も動こうとしてくれなかった。
 ああ痛いなぁ。
 どうしてだか滲む視界のなか、ぼんやりとした地面を見下ろして思う。
 弾かれた右手よりももっとずっと、胸の奥が、心臓の裏側が、痛くて痛くて仕方がない。
 いたい、くるしい、どうしていいかわからない、たすけて。
 こんなとき、呼んでいた名前があったはずなのに、どうしてもそれが思い出せない。なんだっけ、誰だっけ、いたい、助けて、たすけて、――――。



 ぱちり、と唐突に意識が浮上し目を開けてみるも、ぼんやりと視界が滲んでおり周囲がよく見えなかった。目がおかしくなったのだろうか、と一瞬思ったがなんのことはない、ただ自分が泣いていただけのようだ。

「……すげぇうなされてたぞ」

 そっとほおを撫で、溢れる涙を拭き取ってくれたのは、ああそう、一緒に旅をしている僧侶、ククール、だ。部屋の薄暗さを見るにおそらく今は真夜中で、いつものように同室になったエイトの様子がおかしいことに気がついた彼が起こしてくれたのだろう。
 くちを開くも声が出ず、ただひゅ、とのどが鳴っただけだった。ぼろぼろと、溢れる涙は止まらない。満足に呼吸ができずに息苦しさを覚え、縋るように伸ばした手は自分でも分かるほどはっきりと震えていた。

「エイト? 何か怖い夢でも見たのか」

 珍しく本気で心配をしてくれているらしい。眉間にしわを寄せる男が、伸ばした手を取りエイトの身体を引き起こした。振り払われなかったことに安堵して、ひっ、とのどをしゃくりあげる。余計に泣き出してしまったエイトの頭を抱き込み、「ほんとにどうしたんだよ」と言いながらも、宥めるように大きな手で背中をさすってくれた。

「どんなモンスタが現れても、大抵は倒せるだろ、お前」

 だからそんなにも怯える必要はないのだ、と優しく告げられる言葉に耳を傾けながら、エイトはまだ震えの止まらない腕を回してぎゅうとククールに抱きつく。同じほど強く抱きしめられ、その胸に額を押しつけてほぅ、と息を吐き出した。
 どんな化け物よりもお前が一番怖かったよ、そう伝えてやれば、彼はいったいどんな顔をするだろうか。


おわり





2019.04.01
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